長いお話 (ひとつめの連載)













5月も半ばに差し掛かる、ある晴れた日。
隆一がいつものスタジオで葉山やスタッフと新曲の打ち合わせをしている時だった。

ピアノの前で譜面とにらめっこしていた葉山が、あれ?と、声をあげた。




「隆一さん、なんか今落ちませんでした?」

「え?」



隆一の足元に視線を向ける葉山に首を傾げて、言われるままに床に目を向ける。
すると。



「ーーーあ。これ?」

「そうですね、それかも。なんか隆一さんの持ってるファイルの隙間から落ちた気がしたんです」




隆一の足元に落ちていたもの。
それは、一枚の水色の封筒だった。
?と思って、拾い上げる。
手紙かなんか入っているのか…?厚みはそれほど無くて、薄い。表には宛先は書いてなくて、裏を返すとここにも差出人の名は無かった。




「なんだろう?」

「隆一さんのじゃ無いんですか?」

「うん…どうだろ。特に記憶は無いんだけど…」



ーーー‼

記憶が無いと気がついて、もしかしてイノラン絡みなのかな…?と隆一は思いたつ。持っていたファイルは隆一しか使わない物なのだから。記憶を失くす前の隆一が、イノランから貰ったか預かったかして、このファイルに挟んだままにしてしまっていたのかも知れない。



「ありがと葉山っち。後で見てみるね」

「無くさなくてよかったですね」



そう言って笑い掛けてくれる葉山に頷いて。
隆一はその封筒をもう一度ファイルの間に挟み込んだ。
















暗くなるには少しだけ早い、夕暮れ時。
今日の仕事が終わって。スタッフや葉山も、お疲れ様です!と言いながら、ひとり、またひとりと帰って行く。
隆一も帰り支度をすっかり済ませると。ひとり、スタジオのテーブルの上で、さっきのファイルを開いて水色の封筒を取り出した。




「…うーん…なんだろう…ホント」




ここまで思い出せないという事は、やっぱりイノランに貰ったものなのかな…。と、独り言を言いつつも。
こんな細部にわたる部分にまでイノランの記憶が無いのか…と、人知れず肩を落とす。




「えいっ!もう見てみよう」




落ちかかった気分を霧散させるように、隆一は勢いよく封筒を開くと中を覗く。すると一枚の葉書サイズのカードが見えて、隆一はそれをスッと取り出した。

封筒と同じ、シンプルな水色のカード。そこにはたった一行。



〝白い壁に星〟へ。



そう、黒の細いペンで、丸っこい字で書かれていた。




「なにこれ⁇」




白い壁に星。…なんの事だろう?
隆一は頭を捻って考え込んだ。

歌詞の一部?
でも、こんなわざわざ封筒に入れたりしているという事は、やっぱり何かを伝えたくてしたのだろうと思う。
ーーーでも、わからない中にもわかる事はある。
この字はイノランの文字だと。
丸っこい独特のこの字を書く恋人の姿を、隆一は今まで何度も見てきた。




「イノランが俺に何か伝えたいんだ、きっと…」




そう結論に達すると、俄然、使命感の様な気持ちが溢れてくる。

隆一はもう一度じっと文面を見つめた。




「白い壁に星へ。って…。〝へ。〟って事はそこに行けって事かなぁ…」




隆一はうーん…と天を仰いで思いを巡らせる。
白い壁…白い壁…そこに星…
そんな場所、どこかで見た気もする。




「ーーーなんかつい最近も…見たような…」




うーん…えっと…
今度は腕組みして記憶を掘り起こすこと暫し。




「あ!」




急にパッと弾かれたみたいに顔を上げる隆一。




「そうだ!つい先週行ったじゃん‼」




そう、興奮ぎみに言った隆一の顔は楽しげに輝いて。
持ってきていたショルダーバッグを肩に掛けると、スタジオの電気を消して足早に部屋を出た。


オレンジ色にだんだんと空の色が変わる頃。

隆一の、謎解き冒険が始まった。
















スタジオから徒歩で ( といっても、隆一は駆け足だったが )約15分程の、小さな店が並ぶ道。
夕方の買い物客で活気付く街並みを、隆一はある店に向かって進んでいた。

カードに書かれた〝白い壁に星〟が、この先にある筈なのだ。





「あった!」




青信号の横断歩道を足早に渡って、その目の前の店。
そこには白い壁に星をかたどったの店のロゴが掲げられた洋菓子店があった。
ここは隆一とイノランが、二人でよく来る店だった。
ケーキや珈琲を購入したり、時には店内でゆっくりお茶を楽しむ事もあった。つい先週も二人で立ち寄って、すっかり顔見知りになったオーナーと会話を交わしたばかりだ。

でも。



「ここに何かあるの?」



謎が解けたのはいいが、この先どうしたらいいのだろう?
ーーー困った。またここで詰まってしまった。
イノランの考える事だ。このままこれで終わりではないだろう。きっと何か仕掛けを考えている筈だ。
ーーーそれも何か、隆一を楽しませる事。
この洋菓子店に連れられた時点で、隆一はそう思い始めていた。




「隆一君?」



店の前で首を捻っていた隆一に声をかけた人物がいた。




「っ…オーナーさん!」




隆一に声をかけたのは、この店のオーナー兼菓子職人だった。
白髪混じりで丸いメガネをかけた、サンタクロースのような風貌の優しい笑顔の男性オーナー。白いエプロンを身に付けて、隆一を見てにこにこ微笑んでいた。




「こんばんは!」

「こんばんは、仕事終わりかい?」

「はい!先週はありがとうございました」

「いやいや、こちらこそ。ーー…えっと、どうしたんだい?」

「あ、いえ…」

「そういえば今日はイノラン君は…」

「今日は俺ひとりで」

「!」



隆一がひとり…と口にした途端。
初老のオーナーは何かを心得たようで、ちょっと待ってて!と言い置いて店に引っ込んで行った。
何が何やら、⁇だらけの隆一は、言われるままにその場に立ち尽くす。
そうしたら。
綺麗に包まれた、この店のギフトセットを抱えたオーナーが再び店から出てきたのだ。



「隆一君、もうすぐ誕生日だってね?3日くらい前かな?イノラン君が来て、君がひとりで来たらこれを渡して欲しいって」

「え⁇」

「ーーーなんか、サプライズを考えてるようだったよ?この封筒も一緒に渡して欲しいって」



そう言って手渡されたのは、同じ水色の封筒。オーナーに見守られる中、隆一は早速中を確かめた。




〝曲名と同じところ〟へ。




「んー?なんだね?こりゃぁ」



一緒に覗き込んでいたオーナーは訳がわからない顔。でも隆一にはすぐにわかった。
オーナーから大きな菓子の包みを受け取ると、お礼を言って踵を返した。
背後から、素敵な誕生日を‼ の声が聞こえて、隆一は振り返って笑顔で手を振った。


次への場所に駆け足で進みながら隆一はひとり微笑んだ。
イノランが考えて仕掛けた事が、何となくわかってきたからだ。
そうなると最終地点の予想も、きっと当たっている筈。
ーーーでも今はまだ知らないふり。
その方が、喜びも大きい。

隆一は抑えられない笑みをたたえたまま、次なる場所に急ぐことにした。











次の場所は花屋だった。

〝曲名と同じ場所〟

ここの店名は〝IN MY DREAM〟
二人でここを通り掛かった時、一緒だね~!と言い合ったものだった。
若い夫婦と小さな兄妹のいる店で、初めて来たときに仲良くなった。LUNA SEAがきっかけで知り合って夫婦になったらしく。二人の思わぬ来店にとりわけ旦那は感極まって、赤い薔薇を二輪プレゼントしてくれたのだった。



「ハッピーバースデー☆隆一さん」


そう言って手渡されたのは、控えめなピンクとオレンジ色のプリザーブドフラワーのアレンジだった。それから子供たちが描いたんですけど。と言って、小さな兄妹からもらったのは一枚の絵。クレヨンで描かれているのは、マイクを持った隆一とギターを抱えたイノランだ。
隆一は屈んで兄妹に目線を合わせると、ありがとう!と受け取った。

花はこのままずっと楽しめますよ!と笑顔で言われて、三日前にイノランさんが来店されましたよ。とも言われた。
そして手渡された封筒。



「なんか企んでるみたいでした」



そう店主に耳打ちされて。隆一は、悪巧み?を楽しむ恋人を想像して吹き出した。
今度の封筒の中には。



〝いつも2個オマケ!〟へ。



この謎も瞬時に理解した隆一は、菓子と花の包みを抱えて、親子にお礼を言って店を後にした。



〝いつも2個オマケ!〟は商店街の手作り惣菜の店だ。人気の店で活気があって、夕飯どきはいつも大賑わいだ。
ここの黒酢あんかけの野菜と肉団子が好きな二人は、ここでもよく買い物をした。気風のいい大将は1個づつを二人分。いつもオマケしてくれる。購入した持ち帰り容器の一番上に、ちょこんと2個〝オマケ!〟と言って乗せてくれるのだ。

そんな2個オマケの入ったあったかい料理の袋を手渡されて、それから封筒も一緒に。誕生日おめでとう‼と、やっぱり活気よく言われて、隆一も嬉しくなった。







空を見上げると、すっかり夜の気配が漂っていた。
いつのまにか、だいぶ重くなってきた両手。
あの後も、隆一の好きな雑貨のセレクトショップでペアのワイングラス。
その後にバーカウンターが併設されているワインショップでワインを受け取った。
どの店も、親交のある店主があたたかいお祝いの言葉をくれて。
こんなにたくさんのひと達に祝ってもらえる事に、プレゼント以上の喜びを感じていた。




あまりの荷物の重量に。隆一はちょっと休憩…と、公園のベンチに荷物を降ろして息をついた。
ベンチ丸々ひとつを占領する程の量の荷物に、隆一は思わず苦笑い。




「持って帰るの大変とか、思わなかったの?」



ついつい口から出る、今ここにはいない恋人への抗議の声。しかしその声音は嬉しさに満ちていて、結局は上辺だけの文句だ。


嬉しかった。

こんな誕生日のお祝いは初めてだったし、何よりイノランの気持ちが。

記憶を失くして、何かと気落ちする事も少なくない隆一。
こうして今日巡った場所は、記憶を失くす前から二人で行っていた店もある。


ーーー記憶を失くす前と、今と。
ちゃんと隆は繋がってるよ?
大丈夫だよ。
これからも二人で通おうね。ーーー


そんなイノランの隠されたメッセージが届いた気がした。




「ありがとう、イノラン。なんかすっごく、元気がもらえたよ?」




もう夜空になった空を見上げて呟いて。最後のワインショップで受け取った封筒を、公園の街灯の下で開く。
出てきたカードの文字に、隆一は嬉しくなって微笑んだ。




〝井上さんの家〟







タクシーでイノランの家の前で降りる。
下のエントランスでインターフォンを鳴らすと、すぐにイノランが出て。重かっただろ?ちょっと待ってて。と言って、隆一が荷物を抱え直している間に降りて来てくれた。




「うっわ!こうして見ると、すげえ量」

「そうだよー。途中から重くて大変だった」

「はは…。もうあれもこれも!って思ったらさ。プレゼント仕様になってるから余計に量が…」

「でも嬉しかったよ?すっごく!だってこんなお祝いのされ方初めてだもん。イノランありがとう‼」

「そ?ーーー良かった」



イノランはにっと笑うと、隆一から重たいワインやグラスの荷物を奪ってエレベーターへと進む。
隆一もイノランの後について、エレベーターに乗り込んだ。


重い荷物を抱えたまま部屋について、ひとまずリビングのテーブルに置く。
疲れただろ?と、ソファーを勧めるイノランをよそに、隆一はそのままイノランにぎゅっと抱きついた。




「ーーー隆ちゃんっ 」

「イノラン!ホントにありがとう」

「ーーーん。良かった、そんなに喜んでくれてさ」

「嬉しかったよ?すっっごく‼」

「うん」

「色んなこと考えて、計算して準備してくれたんでしょ?」

「ん?んー…まぁね?」

「お店屋さんの定休日とかもあるもんね?」

「…そうそう」

「5/20当日じゃこの計画は出来ないとか…でしょ?」

「そう。バースデーライブあるからさ?仕事の兼ね合いとかで、18日の今日しか無くてさ」

「ーーー俺が今日あの封筒気付かなかったら…とか思わなかったの?」

「あ、それは大丈夫」

「え?」

「仕込みが始まってたのは、葉山君からだから」

「‼…ーー葉山っちもグルだったの⁉」

「ハハ!そうそう。うま~く自然な感じで隆に封筒の存在を教えてねって。一番重要な役どころをね?葉山君に託した訳ですよ」

「ーーーっ 」

「今度葉山君に奢らないと」

「うんうん!そうだよ!三人でまたご飯行こ?」

「だな」




顔を見合わせて、笑い合って。
今度はイノランが隆一を包み込むように抱きしめる。




「ーーー隆ちゃん喜んでくれて嬉しい。でもね?俺も嬉しかったし、楽しかったんだ」

「え…?」

「俺の記憶。隆ちゃん、今は確かに無いけどさ?一緒に共有して来た場所とか、ひととか。こんなにあるんだなって。音楽以外にも、ちゃんと繋がれてんじゃん?って。ひとつひとつの店を巡ってて再確認できてさ。なんかすっげえ嬉しかったんだ」

「イノラン…」

「これからも、また一緒に行こうな?」

「っ…ーーーうん」




やっぱりそうだったんだ。と、隆一は潤みそうになる目元を必死に堪えて微笑む。
イノランがこのバースデーサプライズに込めてくれた想い。それが違える事なく、隆一に伝わっていて。
それが嬉しい。
自分の為に一生懸命に準備してくれたイノランが、ただただ愛おしかった。




「隆ちゃん」

「え?」

「手、出して?」

「ーーう、うん」




言われるままに、イノランに右手を差し出すと。
どこから出したのか、真紅のリボンがかかった小さな銀色の箱を、隆一の右手のひらに乗せた。



「俺からのプレゼント」

「え?」

「ここまではサプライズプレゼント。ーーー開けてみて?」

「ーーー…うん」



イノランの見守る中、隆一はリボンを解いて小さな箱の蓋を開けた。




「ーーーーわぁっ…」



入っていたのは、銀色のクロスのネックレス。真ん中に白銀に煌めく小さな石が嵌め込まれている。
シンプルだけれど、とても良いものだという事がわかった。




「イノランっ …こんな…貰っていいの?だって、これまでだって色んなプレゼントくれたのに」



これまで巡った店で受け取ったプレゼント。もちろん店主たちの好意の気持ちはこもっているが、イノランが先に購入して準備してくれていた事は、当然隆一にも理解できていた。

その上での、このプレゼント。
なんだか過ぎたプレゼントのような気がして恐縮してしまう。

隆一の様子にイノランはにこっと微笑むと。小箱からネックレスを取り出して留め具を外す。
そして隆一の首元に両手を回して、ネックレスをつけてあげた。




「似合うじゃん?」

「ーーーイノラン」

「バースデーライブでも、きっと映えるよ?」

「っ …ーーーーーイノラン」

「ん?」

「ーーーーーありがとう」

「うん。ーーー…あのね?隆」

「…え?」

「俺は隆が喜んでくれるならなんだってしてあげたい。隆が笑ってくれるなら、隆に何がしてあげられるかな…って、そうゆうの、何も惜しまないよ?それを考える時間は俺も楽しいし、嬉しい。今回のサプライズもそうだった。ーーーもしかしたら、周りからは馬鹿じゃん?って思われるかもしんないけど。それより大事な事があるから、俺は気にしないよ」

「っ…」

「ーーー記憶を失くしたことって、一大事だけど。こうやって、色んな楽しい想い出を新しく作ったらさ。記憶を失くしても、悪い事ばっかりじゃないじゃん?って、隆に思ってもらえたら。それはホントに、俺にとって嬉しい事だよ」




イノランっ …‼
そう叫んで、隆一はイノランにもう一度抱きついた。
さっき潤んでいた目元は、もう堪え切れなくて涙で濡れる。

こんなに想ってくれることが嬉しい。
見返りも求めずに想ってくれるイノラン。
それならば。
返せるものは、一緒にいることだ。
一緒にいて、微笑み返してあげたい。
そしてそれは、イノランの願いであると同時に、隆一の願いでもあるのだ。




「隆ちゃん」

「ん…」

「相変わらず泣き虫だな」

「っ…だって」

「ーーーいいよ、泣いて。…ただし、俺の前でだけな」

「ん…うん」



涙で濡れた睫毛とか、赤く染まった頬とか。
そんな隆一を見ていたら、イノランは熱くなる身体を自覚して苦笑を洩らす。
もちろん今夜は隆一を帰す気は無い。
でも。チラリと見た時計の針は、まだ夜も早い時間を示している。



( まだちょっと、早いよな )



これからテーブルの上の料理やワインで隆一のお祝いをして。
夜もじゅうぶんに更けた頃、隆一を存分に愛してあげたいと思う。


でもその前に。



「隆ちゃん」

「え?…ーーーっ ん…っ 」

「ン……」

「っ…ぅんっ …いの…」



性急に求めたキス。
縋り付く隆一の指先も、なんとか踏ん張る脚も。いよいよ震えて保てなくなった頃。
イノランは隆一の耳元で、そっと囁いた。



「ハッピーバースデー隆。これからも側にいて」









end……Happy birthday Ryuichi ‼






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