長いお話 (ひとつめの連載)
「隆ちゃん、こっち」
「うん」
異国の早朝の浜辺。
イノランと隆一は、手を繋いで小さな砂浜を歩いた。
さくさくと、白っぽい砂浜に足跡をつけながら。
まだ水平線にくっ付いたままの朝陽を見る。
「気持ちいい風」
ほんのり暖かい微かな風が隆一の髪を揺らすと。
隆一は顔を空に向けて、目を細めて深呼吸した。
二人は今日、帰国する。
約一週間の旅の日程。
始めのうちは、途中で別の街に移動する予定も立てていたけれど。
居心地が良くて、二人してすっかり気に入ったこの街、このホテル。
結局最終日まで、ここで過ごす事に決めたのだった。
岩場の多い、ここら一帯の海岸線。
それでも穴場の浜辺はあるよ、と。ホテルの主人に教えてもらった、ひっそりとした小さな砂浜。
最後の朝だからと。朝食前の時間、ここに訪れた。
「なんか…寂しいね」
空を見上げていた隆一が、呟いた。
「帰るから?」
「うん…。だって、すごく良いとこだった」
「そうだね」
「短い期間だったけど、いい事ばっかり。色んな事あったし」
「ん。」
イノランは繋いだ手をそのままに。
隆一の手を引いて、砂浜を歩き出す。
さくさくと、砂を踏みしめる音が響く。
さく…さく…
さく…さく…
「ーーー…」
何も言わずに、前を見据えて進むイノランを。
隆一はちらちらと横目で見つつ、遅れないように着いて行く。
「ーーー」
「……」
「ーーー」
「…………イノちゃん?」
「ーーーーーん?」
隆一の声にも、足を止めずに。
イノランは波打ち際を横に見て、白い砂浜を横断して行く。
「イノちゃん…どこまで行くの?」
さく…さく…
さく…さく…
「ねぇ、イノちゃん」
「ーーーーーーー隆」
「え?」
「こうやってさ」
「…?」
「好きな場所も、初めての場所も」
「うん…?」
「手、繋いで…二人でさ」
「ーーーーー」
「どこまでも行こうな」
ぴたりと、イノランの足が止まって。
砂浜を抜けて、高台の上。
真っ直ぐに伸びる視線の先に。
水平線から離れた、真新しい朝陽。
キラキラと、光の粒子を撒き散らして。
新しい、朝が始まる。
隆一は返事の代わりに指先をぎゅっと絡ませて。
離れないように、視線を繋ぐ。
最愛のひとに溢れる様な微笑みを向けると、そっと瞼を閉じた。
イノランの胸に広がる、じん…とした熱さ。
無防備な姿を曝け出してくれる隆一が、堪らなく愛おしくて。
光に透けるように朝陽を浴びながら、隆一と唇を重ね合わせた。
「りゅう~っ ‼」
「あはは!スギちゃんお帰りなさい」
到着ロビーに着いたスギゾーが隆一を見つけるやいなや、飛び付く勢いで抱きしめた。
今日はスギゾーが帰国する日。
ひと足早く、数日前に帰って来ていたJと。それから真矢とイノランと隆一。
珍しく揃って皆んな仕事が休みの今日。
それならばと、スギゾーも帰って来るし空港に迎えに行きがてら久々にゆっくり飲もうという事になったのだ。
ぎゅうぎゅうと隆一を抱きしめて離れないスギゾー。
久々に会えた嬉しさの反面、ちょっと苦しい程の抱擁。
「ちょっ…スギちゃん!苦し…」
「りゅう~りゅう~」
隆一よりも背の高いスギゾー。引き剥がそうにも、抱え込まれたら抜け出すとこが出来なくて。
口をパクパクさせながら隆一は焦りの表情を浮かべた。
「はい、そこまで」
突如聞こえた、その声に。
ヒヤリと、スギゾーの背筋に冷たいものが走って。
びくっと肩を揺らした後、ギギギ…と後ろを振り返った。
そこには、笑顔をたたえたイノラン。
緩んだスギゾーの抱擁の隙をついて隆一を奪った。
「ーーーイノ…」
「お帰りスギちゃん。再会のハグもいいんだけど…。もうだめ」
「ええー!」
「充分、ぎゅってしたでしょ?」
「まだ少しじゃん!」
「でも、だめ。隆ちゃんはもう俺のものだから」
「っ ‼?」
「‼」
「‼」
イノランの言葉に。
それまでやれやれ…と、傍観していたJも真矢も、バッとイノランに視線を向けた。
「それから、俺は隆のものだから」
「ーーーーー‼」
「ーーーーーーイノ…それって…」
「結婚したから、俺たち」
呆然とする三人を引っ張って。
到着したのはイノランの自宅。
通されたリビングには既に酒類や料理が並んでいて。
相変わらず目を丸くする三人を、イノランはソファーに座らせ。隆一も慣れた様子でグラスを出したり、なんだかんだと三人の世話を焼いた。
準備が終わって、イノランと隆一も三人の居るテーブルの周りに腰を落ち着けると。
待ってましたというように、三人から矢継ぎ早の問い掛けを受けた。
「ーーーーーマジで?」
「こんな事で嘘付かねーよ」
「え…。いつ?」
「ついこないだ。んと…撮影で海外行くってなったんだよね?で、俺も誘ってくれて……その時」
「結婚…」
「結婚…」
「結婚…マジかっ !」
うん…。と恥ずかしそうに頷く隆一と。
そう。と、相変わらず濁す事なく肯定するイノラン。
どんな反応をされるか、内心どきどきしていた隆一とイノラン。
しかし…。
「隆ちゃん!おめでとう‼イノランも!やっとかー‼‼」
「すっげー!何年越しだ⁇」
「りゅうーー!結婚式は⁇つーか、なんだよ~呼べよ~!晴れ姿見たかったーーっ !」
三者三様、祝福してくれているのが伝わってきて。二人は顔を見合わせて微笑んだ。
そして、もう一つ伝えなければと。隆一はわあわあと盛り上がる三人に告げた。
イノちゃんの事を思い出したよ。と。
「あーあ…」
あの後、隆一の報告を聞いた三人は。大いに喜び、良かった事続きのイノランと隆一を心から祝ってくれた。
用意していた酒が足りなくなって途中で買い足しに行くという事態になるくらい、この宴は盛り上がり。
時間も深夜になる頃には、すっかり出来上がって睡魔に襲われた三人が床で寝息を立てていた。
リビングの床に転がる三人を踏まないように、二人は片づけつつ苦笑を浮かべる。
「どうしよう。ここで寝て、皆んな風邪ひかないかな」
「そんなヤワじゃないって。毛布でもかけておけば平気だよ」
「ん…じゃ隣から持って来る」
「ありがと隆ちゃん」
一枚ずつ毛布を掛けて、照明をおとす。廊下の灯りだけ点いたリビングはぼんやりとした暗闇になって、カーペットの上に転がる三人を浮かび上がらせた。
その様子に微笑みながらため息をつく隆一を、イノランは手招きしてリビングの窓辺の方へ小声で呼んだ。
「おいで、隆ちゃん」
「うん」
両手を広げられて、隆一は迷わずその腕の中へと擦り寄った。
すぐに腕が回されて、堪らなく安心する。
「なんかさ、すっげえ昔。スギちゃん家でバンドの練習してた頃思い出す」
「え?」
「よくみんなで、床に転がって寝てたじゃん。しかも全員長髪だから、暗闇で踏まれてさ…」
「そんな事、あったねぇ」
くすくすと隆一が笑っている振動が伝わって、どんな顔しているのか見たくて頬に手を添えた。
にこにこと嬉しそうな隆一が目の前にいる。
その笑顔が、あの頃と何にも変わらない花咲くような笑顔で。
今まで幾度救われて、癒されたか分からない。
ずっと、ずっと。あの頃から好きだったんだと、改めて思えて。
そのひとを、今この腕に抱いているんだと思ったら。
幸せ過ぎて、こんなに幸せで良いのかと。自問自答してしまう。
「隆ちゃん」
「なに?」
「今まで何回も言ったけど、やっぱ何回も言いたい。ーーーーー隆が大好き」
「っ …イノちゃん」
「隆も言って?」
「ぇ…?…でも」
「ん?」
「ーーーみんな…いるよ」
「大丈夫、爆睡してる」
「イノちゃんっ …」
「隆…」
引き下がらないイノランに、隆一は身を捩っても離れられなくて。
寝ているとは言え、三人のいる場所。
恥ずかしかったけれど、隆一は小さな声で言った。
「イノちゃんが好き」
「うん」
「すきだよ?」
「うん…」
「…まだ?」
「足りない」
頬に添えていた手をずらして、指先が隆一の唇をなぞる。
これも今まで何回もしているから、これが合図だってわかる。
わかるけど…慣れない。
いつまで経ってもどきどきする。
しかも寝ているとはいえ、三人の前だ。
「隆ちゃん…」
「あっ …ねぇ」
「ん?」
「っ みんな、いる…」
「大丈夫だから」
「イノちゃんっ …」
「平気」
「でもっ …」
「隆…」
「っ …」
「もう、黙れ」
「んっ …」
はじめから深く重なる唇。
静かなリビングに、濡れた音と吐息が響く。
「ゃ…っ …ぅん」
「…はぁ……」
「ンっ …ん…」
ちゅ…くちゅっ …と絡む唇。
隆一の身体から力が抜けて、かくん…と床に崩折れる。
イノランは微笑むと、隆一を抱き上げて寝室へと向かう。
「イノちゃん」
「もうダメ、我慢できない」
「ん…」
「抵抗しないの?」
「うん…しないよ」
「ん?」
「ーーーーー俺も、したい」
「隆ちゃん…」
「イノちゃん愛してる」
抱き上げるイノランの首元に隆一はぎゅっとくっ付いて。そのまま二人でベッドに倒れ込む。
今日だけは良いよね。
嬉しかったから、許してね。…と、三人に言い訳して。
優しく、激しく。
手を這わせる。
最愛のひとを、愛するために。
end
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