最終話・銀の十字架と青い花冠












海沿いの街に着く頃、だいぶ陽は傾いていた。
この街は民家も店も、それ程多い訳ではない。小さな郵便局、銀行、診療所、交番と学校。
こじんまりとした静かな街だ。

海沿いと言っても下りて遊べるビーチは数少なく、主に岩場の続く海岸線だ。海岸線の反対側は真っ直ぐに伸びる木々の林や草原で。その中に点々と民家や数軒のホテルがあった。
毎週末は街の中心部で大きな市場が開かれ、住民は一週間分の物を買い求め、外からもたくさんの観光客が訪れる。



イノランと隆一が泊まるのは、海が目の前の白と青の壁の小さなホテルだった。

小さなフロントで、気の良さそうな初老の女主人に鍵を貰う。
受け取ったのは銀色で如何にも鍵!という風貌をしていて、隆一は色めき立った。



「可愛い鍵!おとぎ話に出てきそう」

「こうゆうのが使えるってとこが良いよね」



部屋に入ると、これまた気楽な感じで二人はすぐ気に入った。
部屋の中はそのままの木の色。所々白と青でペイントされ、棚の上には大きな貝殻が乗っている。こざっぱりとしていて温かみのある内装で、海のホテルに来ているという気分が高まった。



二人は荷物を置くと、窓を開いた。


隆一は深呼吸して、目の前の景色に見入る。


夕暮れの海は、どこの国でも綺麗なんだと隆一は思った。




「綺麗だな」

「うん」

「ーーーなんか、ほんと不思議」

「ぅん?」

「こうやって、俺の隣に隆がいて。隆とこんな処に来られるなんてさ」

「俺も、そう思う」

「ーーー時々、本当の事なのか…?って思うことがある。ーーー悪い意味じゃ無くて、夢みたいで」

「夢?」

「隆と一緒にいられる事って、色んな偶然とか奇跡とか重なって今があるでしょ?」

「ーーうん」



本当にそうだと、隆一は深く頷く。

たった一個の事がずれたりしただけで、今ここにこうしてはいないかも知れない。

でもそれは誰の人生においても、どんな事柄に対してもそうだ。
これ以上無いという結果を掴む方法なんて解らない。
仮に掴めたと思ったものが、本当にそれが最高のものとも限らない。

そんな気の遠くなるような確率の中で。

それでも。
このひと以上は無いという存在を、二人は見つけた。
このひと以外愛せないという存在を。




「ーーーー隆…」



イノランは、すぐ隣に立つ隆一の後頭部を引き寄せると、そのまま腕の中に閉じ込める。

今ではすっかり馴染むように抱き合える恋人を、堪らなく愛おしく思う。
額に唇を寄せるとすぐに察して、隆一の瞼がゆっくりとおりた。




「っ …ん」

「…っ 」




絡む腕と手指、舌先と唇。
いつのまにかベッドの上に倒れ込んで、我を忘れそうなくらい求め合う。
イノランの指先が隆一の手を捉えて、ぎゅっと重ねて離れない。



「ン… 」

「はぁ、」

「っ ン…ん………い、の…」

「ん…?」

「…す…き…っ ーーー好きっ」

「ーーーっ …」

「ぁん…っ 」



イノランは隆一の身体を弄って、こうなったらもう止まらないのは、二人もよくわかっている。

到着したばかりなのに、とか。
静かなホテル。聴こえるかも知れない、とか。
そんな事はもうどうでも良くて。

ただお互いが欲しい。
今はもう、それだけで良かった。















キスして、セックスして。

移動疲れもあってか、何度めかの交わりの後。夕飯も摂らずに隆一はぐっすりと眠りにおちてしまった。

ベッドサイド際の木枠の窓から、月明かりが射し込んで。何も身につけていない二人の身体を青白く浮かび上がらせる。

イノランは、胸に抱きしめた隆一を愛おしそうに眺めていた。

幾つこんな夜を過ごしてきたか解らない。月明かりに照らされる恋人が、苦しいほどに愛おしくて。

本当は。
閉じ込めたい。
全部、自分のものにしたくて。
でもそんな事をしたら、自由を求めて何処かへ行ってしまいそうで。

そんな、どうしようもない想いに囚われる時は。めちゃくちゃに隆一を抱く。

好きだと言ってくれる隆一を、信じて無いんじゃないのに。
足りなくて。
もっと確かなものが欲しくて。


前に隆一に、言ってしまった。



〝もうさ、結婚でもしちゃう?〟



思いつきの、冗談なんかじゃ無い。あの言葉は、イノランの本心だった。
隆一が本気と捉えてくれたかは解らない。ーーーーーでも。溢れた涙が答えなんじゃないかって、勝手にそう結論付けて。


隆一を、この旅に誘った。
異国の大らかな空気に包まれたら、今度こそちゃんと言えそうな気がしたから。



永遠の誓い。
お前を一生愛して、添い遂げる。



この言葉を本物に出来たら、どんなに…



「いいだろうな」



イノランは目を瞑ると、隆一の唇に掠めるようなキスをして。
そのまま穏やかな眠りにおちていった。











翌朝、ホテルの食堂で朝食を摂ると。
二人はホテルの主人( 朝には初老の男主人に変わっていた。夫婦経営のようだ )
に教わった、おススメ散歩道に出る事にした。

冬と言えど、この国は日本より僅かに温暖だから。道行く草むらには、小さな花も咲いている。

真っ直ぐに伸びる木々。
幹の上の方に葉が付く木のようで、上を見上げなければ、まるでたくさんの電柱の林みたいだ。



「隆ちゃん、身体平気?」


イノランがちょっと心配そうに、隣に寄り添う。来たばかりで疲れているだろう隆一に、無理をさせたかも…と思ったから。

しかし隆一はけろりとした顔でにこにこして言った。



「大丈夫だよ、イノランとするの大好きだもん」

「ーーーーーっ!」

「ここでは思い切りノリ良くいくんでしょ?此処にいる間はいっぱいしよう?」

「ーーー…」

「ん?」

「隆ちゃん…時々すごく逞しいよね」

「だってーーーーーーイノランだってしたいでしょ?」

「え…」

「俺と、えっち」

「ーーーーーーー……」




きっと隆一には勝てないと。今のやり取りでイノランは悟ってしまった。

深い深い、諦めやら自制やらのため息をつくと。
気付くと目の前に現れたのは、白壁の建物だった。

大きくはない。
質素だけれど、小綺麗で。
二人は惹かれるように近付くと、入り口の壁に、金色のペンキで十字架が描かれているのを見た。



「教会だ」



小さな街の住民が祈りに来るのだろう。あちこちに、道端の花で作ったブーケや花輪が飾られている。



入り口は木製のドアが開け放されて、中が見える。
二人はそっと中を伺った。



「シンプル」



中は窓からの光で明るい。
木製の長椅子と、中央に木の祭壇。そして入り口と同じ金色のペイントの十字架。




教会。

語り、赦しを請い、歌い、愛を誓う場所。



唐突に。
イノランは、気付いた。

思えば隆一と過ごして来た、長い長い日々は。教会という場所と、同じような日々だったと。

音楽や夢を語り。
お互いに、足りなかった部分を赦しあい。
ギターを奏で、歌をうたい。
愛していると、囁き合った。






ざぁっ…と。
風が舞い上がって、落ち葉を躍らせる。

それが合図だと、イノランは思った。

隆一の手を掴むと。勢いよく教会の中へと進んで、十字架の前で立ち止まる。
急なイノランの行動に、ポカン…とした表情の隆一の肩を引いて向かい合うと、真っ直ぐに見つめて、言った。






「隆、お前に言いたかった事。…今から言うからな」


「ぇ…?」






「ーーー隆」



「ーーー…イノラン?」





「隆」




「ーー…」







「ーーーーーお前を、一生愛するから」


「ーーーーーーーっ …」










「結婚しよう」






















隆一の瞳から涙が溢れて、次々と落ちてゆく。

そうなったらどんなにいいだろう…と思っていたことが、現実になって。
今の隆一には、涙を止める術も理由も無かった。

イノランは瞬きすら惜しい程に、隆一を優しい表情で見つめる。




「返事、欲しいな。隆ちゃん」



隆一は言葉にならない想いを、こくこくと頷くと。
やっと出した声で、返事をした。








「はい」









隆一の涙に濡れる頬に手を添えて、唇を寄せる。
誓いのキスをしようと思った時だった。




教会の入り口から拍手が聴こえて、驚いて振り返る。
そこにいたのは、ホテルの主人。あの老夫婦だった。






「おめでとう‼ひと目見て素敵なカップルだったから、絶対こうなると思っていたわ!」

「この教会はワシらが管理していてね。いやー久しぶりの結婚式だ、嬉しいね!」




あまりの事に呆気にとられるイノランと隆一。
すると女主人は隆一の手を引くと、ちょっとこっち来て!と、楽しげに隆一を連れて行ってしまった。

いきなり恋人を連れ去られたイノランは、慌てて追いかけようとするも。こちらは主人の方に捕まった。

そして持っていた小さな木のオルゴールを開けると、中からシンプルな銀色の十字架のペンダントを取り出した。




「ーーーこれを君に」


「え?」


「ワシが家内と結婚する時に、親父がくれたものだ。ーーーーー古いものは幸せを受け継ぐと」


「そんなーーー大事な物なんでしょう?」

「ワシらには受け継ぐべき者がいない。ーーー君達がとても幸せそうだったから、プレゼントしたくなったんだ。是非、今日結婚する君に貰って欲しい。ーーー彼を幸せに」




イノランはあたたかい思いで、その話に聴き入って。
優しい、その老人の目を見て頷いた。




「ありがとうございます。彼と一緒に大切にします」



受け取って、早速身に付ける。

そして、ふと。




「俺達が恋人同士って…何で…?」



「そんなの、見ればわかるさ。愛し合う者なら、ワシらの教会はいつだって大歓迎だ」



にこっと微笑んだ主人は、教会の入り口を指差すと。


ほら。と、イノランを促した。












振り向いて、そこに立つ隆一に。
イノランは目を見開いた。






「イノラン…」




恥ずかしそうにイノランを伺う隆一。
その頭には、青空みたいな青い花の、花冠。長く白いリボンが結わえ付けられて、風が吹くたびふんわり揺れる。




「ブルーの物を持って結婚すると、幸せになれるんだって」

「ーーーーーーー」

「ーーー今でも充分幸せだけど…」

「ーーーっ 」

「…どう?…かな」




イノランはそっと足を動かして、隆一の側まで歩み寄る。

仄かに赤みを浮かべる頬に手を添えて、イノランは微笑みを向ける。




「すっげぇかわいい。ーーー隆、綺麗だよ」

「ーーーイノランも、それ。良く似合ってるね」

「ありがと」

「うん」



「ーーーーーーじゃ、さっきの続きな?」


「っ …うん」





老夫婦が歌うように問いかけた。



良い時も、悪い時も。
生涯寄り添い、愛することを…




「誓います」
「誓います」





「隆…愛してるよ」


「俺も、イノラン…」



重なる唇はしばらく離れずに。

ついには老夫婦が照れて、カゴいっぱいの祝福の花びらを撒き散らすまで。



そして、そのたくさんの花びらが降り注ぐ光景が。

隆一に奇跡をもたらした。







キスを解いて、間近で視線を合わせる隆一の瞳が、急に揺らいだと思った瞬間。
止まっていた涙が、再び溢れて。
その視線は、イノランから離れない。


あまりにもじっと見つめる隆一に。
イノランは涙を拭いつつ、ちょっと心配になって声をかける。



「隆?ーーーどした?」

「ーーーーーーー」

「ーーーーー隆?」



「ーーーーーーーーノ…」

「え?」

「ーーイ…ノ……」

「ーーーーー?…」






「ーーー…イノ…ちゃ…」




「ーーーーーーー……」




「ーーーーーイノちゃ…ん…イノちゃんっ …」



「っ ーーーーーーーーーー」



「イノちゃんっ …俺…」



「隆っ …‼‼‼お前ーーー記憶が…」




わかるよ‼イノちゃんの事、全部わかるよ!

そう言いながら泣いて抱きついてくる隆一を、イノランは強く抱きとめる。



信じられない…
本当に…これこそ、夢みたいだ。


降ってくる無数のガラスの破片と、色とりどりの花びらの光景が重なって。

同時に、強くイノランを想う。
あの時と、今とが、隆一の中でリンクして。

全く状況は違えども。酷似した光景と、愛するひとを精一杯想う隆一の気持ちが。
失くしたくないと、心の奥にしまい込んだ記憶を、やっと解放する事が出来た。


夢みたいだと思ってしまう今。
でも、抱きしめる身体は確かに隆一のもので。
イノランを呼ぶその名は。いつかまた呼んでもらえたら…と、心密かに願い続けた呼び名。

隆一の心の枷にならないように…と。
一度たりとも。思い出して欲しいと、自分からは言わなかったイノラン。

でも、その本心は。
いつだって、願っていた。


もう一度、お前に会いたいと。






「隆っ …隆ちゃん」


「イノちゃん…ごめんね。時間かかっちゃった。悲しい思いさせてごめんね」


「そんなのどうだっていいっ !…また、お前に会えた。ーーーー…それだけで…」


「うんっ…」






これまでの記憶が一気に戻ってきて、数年前の事が、つい昨日の事のよう。
夢みたいだけれど、現実で。

目を閉じれば、イノランとの出会いも、想い続けた日々も、イノランが書いた曲に込められた想いも、好きだと言って触れた日も、それから、今日までの記憶。
全部。
色鮮やかに、脳裏に浮かんで語り掛けてくれる。



ここからは、さらに色鮮やかに…。
誓い合った言葉を大切にしまって、音楽を連れて。
二人一緒に。









始まりは小さな勇気。

それから…
高鳴り始めた鼓動と。
花のような笑顔だった。




『俺、隆ちゃんの声、好きだよ?』



『あのね! 俺も、イノちゃんのギターの音色………大好きだよ』







end.





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