最終話・銀の十字架と青い花冠













隆一は今、機上の人だった。





「海外でソロの撮影があるんだけど、良かったら隆ちゃんも来ない?」



そう、イノランが隆一を誘ったのはひと月程前の事。
一夜限りのライブに続き、休む間も無くソロのライブを敢行した隆一。無事歌い切った安堵と共に訪れた、久しぶりの長期休暇。
思えば一夜復活ライブを決めた時から数ヶ月間、まとまった休みは無かったから。
ソロの撮影でヨーロッパに行くから、休暇旅行みたいなノリで来ない?というイノランの誘いに乗ったのだった。







( 空、綺麗だな )




飛行機の窓から外を眺める。
昨日の夕方に飛び立った飛行機は、約十四時間程で到着予定だ。そこからもう一つ国内便に乗り継ぐ。

三日前から撮影で先に到着して、昨日の時点で既に仕事も終わっているイノランと飛行場で落ち合う事になっていた。


感動の再会みたいに、飛行場で抱きしめてあげる。そう、楽しげに宣言したイノランに、恥ずかしいからやめてよ‼と制止をかけたのは、出発前つい昨日の電話。
うっかり熱くなりそうな顔を冷まそうと、窓の外に広がっていた空に、引き込まれるように見入った。

早朝の空。
まだ薄く白い青空だ。


先ほどまでぐっすり眠っていた隆一はすっかり目が覚めてしまい、少しばかりの空腹感を覚えてスタッフを呼ぶ。
朝食にはまだちょっと早いかな…と、ひとまず注文した温かい紅茶でお腹を落ち着かせた。


誤魔化しの腹ごなしを済ませると、隆一は再び外を眺めた。

眼下を通り過ぎる切れ切れの雲や、その下にぼんやりと見える景色。
時差のせいで何だかよく解らなくなってしまうが、このぼんやりは朝靄かな…と思う。



( 旅だなぁ…)



そう言えば、全くのプライベートで旅に出るのは、本当に久し振りだと感慨に浸る。
いつもはマネージャーや、バンドメンバーが一緒だから。

何やら旅が大好きなイノランに対し、隆一はひとりで旅は滅多にしない。
今回行くのだって、イノランが誘ってくれたからこそだ。


彼の顔を思い浮かべて、こっそり口元で微笑むと。急に早く会いたくなってきた。
彼は今何をしているだろう。
時間的にはまだ眠っていると思うけれど。
隆一はいつもより短い時間で起きてしまった。時差の影響もあると思うが、何より楽しみで。
異国の空の下で、彼とどんな旅になるのか。
イノランも楽しみにしてくれていたらいいな…と思った。



















長いフライトを終えて、息つく間も無く国内便へ乗り込む。
ちょうどうまく乗り継げたのは良かったが、もうちょっとだけロビーで休憩したかったな…と、感じつつ、隆一は再び空の上へ。
一時間と少しの国内便のフライト。これを降りればイノランに会える

いつのまにか昼間の空。
澄み渡って、真っ青だ。



( いい天気!)



雨男の隆一とイノラン。しかし思い返せば、二人で出掛けて雨に降られた事は意外にも少ない。
大雨に驚かされたのは、あの水族館の日くらいだったように思える。



懐かしい…。
あの水族館。



( もう何年も前なんだなぁ )



あの場所で芽生えた気持ちが、確かにあった。


再確認した、イノランを好きだという気持ち。
きっと思い出すと、深く刻んだ想い。
触れ合った身体から溢れる、愛おしい感情。

こんなに愛おしいと思えるのが不思議なほどだったが。その気持ちは、今も何ら変わり無い。



( 果てが無いよね )



この想いはどこへ行くのか。
日々溢れ続けるこの気持ちを、イノランは受け止め続けてくれるのだろうか。
そして、イノランに与えられる深い愛情を。溺れず受け入れ続けられるだろうか。

隆一の頬が、仄かに翳る。

愛する自信が無いのではない。

ただ、これから先の二人の行方が、一体どんなものになるのだろうと。

期待と不安と入り混じって、時折こうして揺らぐ事はある。




〝もうさ、結婚でもしちゃう?〟




ぼぉっ …と、隆一の顔が一気に染まる。
以前イノランが言った言葉。
彼の言う事は、冗談なんだか本気なんだか解らない事がある。
その度に隆一は振り回されるのだが。
今回のも、冗談だったのかな…?と思うと、情け無いけれど気落ちしてしまう。

でも。
それくらい、嬉しかった。
そうなれたら、どんなにいいだろう…と。
勿論、特殊な恋人同士。
そうそう結婚なんて、簡単なものじゃないとわかっている。

それでも、永遠の誓い。
あなたを一生愛して、添い遂げます。
ーーーそう言えたら。




「いいな…」





切なさを含んだ隆一の瞳が、眼下に小さく街並みを捉えた頃。
機内アナウンスがまもなく到着を知らせ、乗客に着席を促した。













「隆ちゃんっ ‼」



やっと到着ロビーに着くと、出迎えに待っていたイノランに。がばっ!とすごい勢いで抱きつかれた隆一は、危うく後ろに倒れるところだった。



「イノラン!」

「隆ちゃんお疲れ様~!来てくれて嬉しい」



ぎゅうぎゅう抱いては、頬だの額だのにキスをして、ついには唇も重ねてくるから。
隆一は慌ててイノランの胸に両手を突っ張って引き剥がした。



「も…っ 待って」

「えーなんで?」

「だって、ここ!ロビーの真ん中!人いっぱいいるでしょ⁉」

「皆んなしてるじゃん。周り見てみ?」

「え…?」



イノランに言われて周りを見渡すと、成る程確かに。老若男女問わず抱き合いキスの挨拶の真っ最中だ。



「あ、でもね隆ちゃん」

「え?」

「俺のは挨拶も兼ねてるけど、愛してるって意味のキスだからね?」

「ぅ…」

「せっかく海外来たんだからさ、こっちに居る間はこっちのノリでいこうよ」

「ーーーーー郷に入っては郷に従え?」

「そうそう」




にこにこと楽しげなイノランを見たら毒気が抜かれてしまう。
ーーーでも確かに。
ここでは遠慮なんかいらない。
誰も自分達を知らない。
異国の地で愛するひとと二人旅。

ーーーーま、いいか。

脱力したらそう思えて。
隆一は悪戯っぽい笑みを浮かべると、イノランに腕を絡ませて囁いた。



「俺も愛してるよ?」



もう一度重なる唇は、旅のはじまり。

二人は青空の下、元気よく足を踏み出した。














「隆ちゃん腹減ってない?」

「うん、お腹すいた。機内食食べてから時間経ったしね」

「じゃ、まずご飯食べに行こう!」



ぐんっと手を引かれて、いつのまにか旅行鞄まで奪われて。早く行くよ!と嬉しそうに急かすイノラン。
隆一までつられて嬉しくなってしまって、思わずイノランの片腕にしがみ付く。



「っ …」

「へへっ 」



異国の地の空気の為せる技か。いつもより大胆になる自分を自覚しつつも楽しくて仕方がない。
自分で思う以上ににこにこしていたようで、イノランがため息をつきながら独り言を言った。



「ーーーーーかわいいなぁ…」

「え?なに?」

「……べつに、いつもの事」

「ん⁇」

「いいの、さ!早く行こ」

「⁇⁇…変なの」




そんなこんなで空港近くのレストランで昼食を摂る。その後イノランが予約しておいてくれたホテルに行く為、列車で約一時間の海沿いの街まで移動だ。


「レンタカーでも良かったんだけど、やっぱ隆ちゃんと飲みたいしね。お洒落なバーもたくさんあるよ」

「それに海外の列車なんて、なかなか乗れないもん。世界の列車のテレビとか見て、ちょっと憧れてたから嬉しい」

「移動ばっかりで疲れてない?」

「全然大丈夫!楽しいよ」

「それじゃ、良かった」



他愛ない会話を交わして、時にはけらけらと笑って。
今までも二人で出掛けて、楽しかった事は何度もあるけれど。

何だろう…。
この旅はなんだか、今まで以上だ。

心の中のスペースがぐんと広がって。色んなものがたくさん詰め込めるイメージだ。
見たいし、聴きたいし、感じたい。
大切なひとと、もっともっと共有したい。

でもそれはきっと。
ルナシーがまた動き出せたからなんだろうな…と、隆一は思う。

高く行きたいんじゃない。
広く…広く先に行きたい。
ーーーーー音楽を連れて。




「イノラン」

「ん?」

「俺ね、この旅行の事曲にしたい。ソロでも、ユニットでも、ルナシーでもどれでもいいよ」

「ーーーもう、得たものがあるの?」

「うん。でもそれはイノランもでしょ?いつだって音楽の事、頭の端にあるでしょ?」

「うん」

「音楽無くなったら、俺たちーーーー」

「生きてないのと一緒かも。それくらい音楽が大事だし、必要」

「ーーーうん」



音楽の話になると、これだ。
ついさっきまで戯けていても、急に真面目に語りだす。
それくらい二人にとって音楽は、大きなものだから。

しかしここで、イノランが隆一を見つめる。何処と無く、緊張の面持ちで。





「ーーーーーーーー隆」



真剣なイノランの声が、隆一を振り向かせた。
え…?と、顔を上げると今度は真剣なイノランの瞳に捕まった。



「ーーーちょうど話の流れで、いいなって思ったから。ーーー今回隆を誘ったのは、隆と旅行したかったのは勿論なんだけど…もひとつ理由があるんだ」

「ーーーーーなに?」

「ーーーーーーーーーーー…えっと…」

「……?」

「あの…」

「ーーーイノラン…?……」




「っ …ーーーーーあのさ、隆……」



珍しく歯切れが悪いイノランの言葉を
、辛抱強く待っている時だった。
急に乗客達の大きな歓声に、会話が打ち消されてしまった。

どうやら街を抜けて、草原地帯に差し掛かった所で、動物が群れを成していたようだ。

何か隆一に言いたかった事を、完全に言うタイミングを逃したようで。
イノランは脱力すると、苦笑を浮かべて隆一の髪を撫でた。




「ま、あとでな?」

「ーーー大丈夫なの?」

「ん…。焦って言う事じゃないし、この旅の間に言うよ」

「ふぅん?」

「あ!べつに悪い事じゃない…と思うから。まぁ…あんま構えないで待ってて」

「そうなの?ーーーー…まぁいいや。わかった、楽しみにまってるね?」


プレゼントを待つみたいに、きらりと目を輝かせる隆一を見て。
イノランは微笑んで頷くと、密かに握る手に力を込めた。




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