長いお話 (ひとつめの連載)
すっかり風邪も良くなり元気になった隆一。
この日オフだったイノランは仕事明けの隆一を迎えに行って、そのまま久しぶりのドライブに出た。
先日メンバー達と会って。
( 残念ながら隆一は欠席だったけれど )
イノランは本当に色んな話を、三人と交わして来た。
Jもスギゾーも、真矢も。
この数年で得たもの、失くしたもの、ぶつかった事、乗り越えた事。
皆、それぞれあって。
でもそれがあったから、きっと何ものにも代え難い自信になって。
久しぶりに揃って酒を酌み交わす顔は、とても晴れ晴れしていた。
隆一はその後どうだ?と聞かれたイノランは。聞かれると思っていたし、話さなければ…とも思っていたから。
隆一と共に進んできたこの数年間の日々を、全ては勿論話せないけれど。
記憶はまだ戻っていない事。そしてその事について二人でどう向き合って来たか…を。いつものイノランらしい、だいぶ端折った言葉で伝えた。
二人の今までを話して色々突っ込まれるのは何か恥ずかしいな…と思ったから、なるべく淡々と語ったつもりだったのに。自分で思っていた以上に情のこもった語り口をしていたらしい。
メンバー達はイノランと隆一の恋の話に興味津々で。酒の力も加わって煩い程で。
かえって隆一が来られなくて良かったかも…とイノランは三人の攻防を躱しながら、ちらっと思った。
そんな身のある会合から数日。
次にメンバー達と会う約束を交わしてきたイノランは、隆一を連れて行きたいところがあった。
迎えに行くから待っててね。というイノランからの突然のメールにも慣れたもので。仕事の合間に見たその文面に、隆一は密かに微笑んだ。
イノランからの迎えの連絡が入る時は、大抵何か企んでいる時だ。
食事や買い物、行き先を決めていないドライブや。はたまた、会いたくなったから、と言って来て。車の中で隆一を抱く事もあった。
ともあれ、恋人と会える事は隆一にとっても嬉しい事に変わりはないから。
送って行くと言うマネージャーの言葉をやんわりと断って、(マネージャーもイノランの隆一送迎に慣れてきたようだ)イノランの到着を待っていた。
「隆ちゃんお待たせ」
隆一が取材を受けた出版社のロビーで待っていると、エレベーターが停まってイノランが降りてきた。
にこやかに手を挙げながら寄って来るイノランに、隆一も笑いかけて言った。
「今ちょうど終わったとこだよ、イノランありがとう」
「マネージャーは?」
「イノランが迎えに来るみたいって言ったら、じゃあ安心だって先に事務所に戻っちゃった。イノラン信頼されてんだね」
「もうさ、親切丁寧に送迎するから」
「ふふっ…いつもありがとうございます」
軽口混じりのやり取りをしつつ、二人並んで駐車場へ向かう。
いつものようにイノランの車に乗り込むと、早速隆一は問いかけた。
「どこ行くの?」
シートベルトを締めながらイノランを目で追うと、口元をあげてちらっと隆一を見た。
やっぱり何か企んでる。…と思いつつ辛抱強く返事を待つと、イノランは意外にも真面目な声で言った。
「ーーー終幕ライブ前に、隆ちゃんと行った所なんだけど。事故に遭う前の事だから、憶えて無いと思うんだけど…。憶えてても憶えてなくても、このタイミングでまた行きたいなって思ってさ」
「ーーーこのタイミング?」
「うん…。ーーーまた、五人で集まれるようになったから」
「ーーーーー」
「今はあの時とは真逆の状況だから。ーーー長い時間が経って、今になって。どんな気持ちになるだろうって…」
「ーーー…」
「終幕の先とか、俺たちの在り方とか。二人で決めた場所だよ」
終幕自体の記憶は、勿論隆一にはあるから。当時の事で、きっとイノランとも色んな話をしたのだろう…と、隆一は察した。
その時の、思い出の場所があるらしい。イノランの言葉で、そう理解して。隆一も行ってみたいと思った。
遠いところを見る目で、イノランはフロントガラスからの空を見上げる。
隆一もつられて、同じ空を見上げた。
夕闇迫る春の空。
ピンクとブルーの空の下、車はゆっくり滑り出した。
あの日見た、あの景色を見るために。
時間もちょうど夕飯時。
数年前のあの時と同じ、イノランおススメの洋食屋で食事をして。外に出る頃には、すっかり夜の帳が下りていた。
以前来た時はちょうどクリスマスシーズンだったから、石畳の商店街はイルミネーションが輝いていたけれど。
でも今日は平日の春の夜。
大きな期待はせずに向かった通りは、なんと変わらずキラキラ輝いていた。
この辺りは観光客も多いから、年中こんななのかもしれない。
「ーーーーー」
イノランがフト、隆一を見ると。
電飾の絡み付いた輝く景色に目を奪われるように、立ち尽くして見上げる隆一がいた。
瞳の中にキラキラと光を映して、瞬きすら忘れているようだ。
「隆ちゃん…」
イノランはそっと隆一の右手をとって、包み込んで手を繋ぐ。
あの時は…そうだ。
こんな事もしたと、イノランはこみ上げる照れをねじ伏せて。繋いだ手をそのままに着ていたトレンチコートのポケットに入れ込んだ。
隆一の顔が瞬時に染まる。
「っ…!」
「ーーーーー俺…」
「え?」
「ーーー前もやったよ、これ」
「ーーーーーーー…イノラン…大胆…。なんか照れる」
「!」
照れて俯き加減の隆一の言葉を聴いて、イノランは驚くも、すぐに嬉しげに笑みを溢す。
「その台詞、隆ちゃん前も言ってたよ」
「え…ホント?」
「うん。…でも、思い出しかけてる訳じゃ…ないんだよね?」
「…ん。ーーーでも何か、初めてって気はしないんだ。このイルミネーションもそうだけど…この空気の中にいた事があるな…って。既視感みたいな」
「ーーーそれ…すごい進展だな」
「そ…かな?」
「そうだよ。隆ちゃんの記憶の何処かに触れてるって事でしょ?」
「うん…多分」
「一歩前進だな?」
「そうか…そうだね!」
「急ぐ必要なんて全然無いけど、でもやっぱ嬉しいな。なんかパズルのピースが…」
「うん、ちょっとづつ揃ったら、いつか一枚の絵みたいになるね」
そんな小さな光明みたいな、励まし合うような会話をしながら。ポケットの中の手は、戯れて指を絡ませる。
隆一は指先でイノランの薬指に嵌る指輪を探り当てると、そこをきゅっと握りしめる。
するとすぐ様イノランも、隆一の爪先をぎゅっと包み込んだ。
何とも言えない幸福感が二人を襲う。
密やかな触れ合いは、誰にも知られず。でもドキドキと高鳴る鼓動は大きくて、周りに聴こえないかと心配になる。
唐突に、隆一が言った。
「イノラン」
「ん?」
「ーーー前の俺も、こんな気持ちだったのかな」
「ーーーーどんなの?」
「ーーーーーーイノランが大好きで、一緒にいられて幸せって気持ち」
あまりに嬉しそうに、言うものだから。
イノランは感極まって、お返しとばかりに言ってやった。
「それはね、俺も同じ。一生変わらない隆への想いだよ」
……………
西洋の雰囲気漂う街並みを眺めつつ、坂道を登って。一番上まで辿り着くと、隆一は息を飲んだ。
星空と、眼下に広がる星屑のような街の灯。海に浮かぶ船舶の光と、遠くの岬の規則正しく回る灯台の目。
360度、細かな光に包まれて。プラネタリウムにいるようだ。
ほぅ…と、隆一は感嘆の吐息を溢す。
「ーーーーー綺麗」
イノランは無言で頷くと隆一の手を引いて、いつかの石段に腰を下ろした。
「ーーーー……」
魅せられるように景色を眺める隆一を、イノランはじっと見つめる。
ーーー以前の隆一は、この場所で震えていた。
終幕した、その後に。
見えないその先と、幕を降ろす唯一無二の居場所を憂いて。
こわい…さみしい…と、泣いた。
でも今は。
凛とした、透き通った瞳で前を見ている。
イノランは、そんな隆一に魅せられる。
変わったな…。と、イノランは思う。
強くなった。とも。
この数年で乗り越えたものが、隆一を確かに強くして。
イノランとの絆も。
メンバーと、ルナシーを想う気持ちも。
一度手放したからこそ、もう手放したくなくて。
憂いて、焦がれて、そこにまた辿り着きたいと足掻いた日々は。
隆一を、しなやかな美しさに変えた。
( 隆、綺麗になったな )
そう言えば、先日スギゾーも言っていた。隆一が綺麗だったと。イノは男っぽくなったと言われたのは茶を濁したが。
( 濡れてるみたいだ )
隆一の黒髪が、夜空に溶けてしまいそうで。
縁起でもない。と、イノランはぐっと隆一を抱きしめた。
「イノラン…」
隆一の髪に鼻先を埋めると、シャンプーと隆一の匂いがして、心地良くて目を閉じる。
突然の抱擁に隆一の手もおずおずと伸びて、イノランの腰のあたりに回されて。
そんな反応が嬉しくてイノランは両手に力を込めると、隆一も擦り寄って目を閉じた。
「隆」
「ーーーなぁに?」
声を掛けたはいいけれど、イノランは今思う気持ちを表わす良い言葉が見つからず、二の句が紡げなくなってしまう。
一緒にいてくれてありがとう。
側にいる事を望んでくれてありがとう。
笑って、泣いて。全てを曝け出してくれてありがとう。
愛してくれてありがとう。
言いたい事はたくさんだけど。
言葉にした途端、陳腐なものになりそうな今の雰囲気。
せっかくの大切な気持ち。
壊したくないな…と思って。
結局。
しばらくそのまま、隆一を抱きしめる。
「イノラン…どうしたの?」
何も言わないイノランに、隆一がちょっと身体を離して表情を伺おうとする。ほんの少し出来た身体の隙間が寂しく思えて、イノランはまたぎゅっと抱きしめた。
「イノラン…?」
「ーーーーー隆がね」
「ぅん?」
「ーーーすげえ綺麗になったから、そのままどっか行っちゃったらヤダな…って」
「え?」
「ーーーなんてね」
決して冗談なんかじゃないけれど、冗談のフリをして笑ってみせる。
ーーーでも、隆一にはバレていた。
切なさを孕んだイノランの瞳を、今まで幾度となく見てきたから。
「何処にも行かない」
イノランの胸に身体を預けたまま、穏やかな隆一の声が響く。
「え…?」
「何処にも行かないよ。ーーーだって、やっとまた五人で集まれるのに、何処かに行く訳ないでしょ?」
「ーーー…隆」
「ーーーそれに…」
「………」
「…もう今更、イノランとは離れられない。イノランの存在も、イノランの音色も。いつだって感じられる場所にいたい」
恥ずかしそうに俯く隆一を、イノランは思わず目を見開いて見つめてしまう。
そしてじわじわと、喜びと共に身体の芯から熱が広がっていく。
俯いていた隆一の顔が、そっと上がって。じっと、期待の満ちた目がイノランを捉える。
イノランは仄かに色付く隆一の頬に触れると、先走りそうな気持ちを抑えて、にこっと口元を綻ばせる。
ーーーじゃあ、隆?…と前置きして、満面の笑みのイノランの顔が目の前に来ると。
「もうさ、結婚でもしちゃう?」
「ーーっ …」
イノランの冗談みたいな、でも冗談でも無い言葉を。
隆一が頭の中で整理しきれる前に、イノランの唇が隆一のそれに重なって。
それからはもう、夢中でキスをした。
流されそうな感覚の中でイノランの言葉を反芻して。
そんな夢みたいな約束が叶ったら、どんなに幸せだろうと。
隆一の閉じた瞳から、雫が伝い落ちる。イノランはくすくす笑って、涙を指先で掬うとこう言った。
「前も今も変わんない事いっぱいあるけど、またひとつ見つけた」
「ぇ…?」
「ーーー隆ちゃんが泣き虫って事」
………………
五人と、顔を突き合わせる日が来た。
前回行けなかった隆一は、前日の夜からそわそわしてしまって。あんまり熟睡出来なかった気がする。
しかも今回は、メンバーだけではなくて。事務所の関係者も立ち会う事になった。
それはつまり。
ーーーもう、メンバーだけの気楽な集まりでは無い。
どんなカタチになるかはまだ未定だけれど。五人の時間が、オフィシャルな場でも、また動き出した瞬間だった。
心落ち着かない隆一を見て。
当日、一緒に行く?…と打診をしてきたイノランに。
隆一は礼を言った後、緩く首を横に振った。
隆一の返事にイノランもすぐ了解して、じゃあ事務所で会おうね!と笑ってくれた。
ひとたびルナシーに身を置けば、そこにいるのはギタリスト・INORANと、ヴォーカリスト・RYUICHIだから。
再出発の朝は、一人で赴かなければと思った。
マネージャーの車に乗って、朝の街並みを眺める。
出勤通学の時間。忙しなく動き出す世の中。
こんな景色を見ながら作り上げたルナシーの曲もあったな…と。無性に懐かしくなって、今すぐにでも歌いたくなった。
そして隆一は気付く。
目の前の景色、人々、空、風、木々、海、色、匂い、想い、感情、光、闇、太陽、星、月…。
隆一を取り巻く様々なものが、ルナシーの曲には込められていて。
この数年間、ルナシーを歌う事は無かったけれど。
いつだって隆一の側には、曲の源が溢れていたと。
会いたいのに会えない。
会えないから会いたい。
ずっとどこかでそんな想いを抱いていたけれど。
「ホントはずっと側にいてくれたんだね」
きっともうすぐ会えるよ。
大切な曲達と。
想い続けてくれている、たくさんのひと達と。
あの輝くステージで。
最高のメンバーと。
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