長いお話 (ひとつめの連載)
「俺ね。終幕以前のイノランについての記憶が、何も無いんだ」
ユニットのライブが決まり、最終打ち合わせの為にスタジオに集まっていた、隆一とイノランと葉山。
スタッフがちょうど皆んな出払ったのを見計らって、イノランが見守る中、隆一が葉山に告げた。
「ーーーーえ…」
さっきまで和気藹々と三人で笑ったり冗談を言ったりしていたのに。
葉山っちに話したい事があるんだ。と、飲んでいたコーヒーを持ったまま二人にグイグイとテーブルの方に連れて行かれ。
何だろう…?と葉山が椅子に腰掛けた途端に告げられた、隆一の言葉。
はじめ、隆一が何の事を言っているのかわからなくて。葉山は思わず間の抜けた声を出してしまった。
「ーーーえ…?…えっと…」
葉山の反応は想定内だったのか。
隆一は苦笑を溢して、いきなりごめんね。と謝った。
隆一にそんな顔をさせた事に恐縮して、葉山は慌てて首を振った。
「いえっ、すみません…ちょっと、驚いて」
「そりゃそうだよ。驚くよね」
「ーーーーーーーーーーー…はい…」
「葉山君、素直」
イノランが口の端をニコリとさせて、葉山の肩をポンっ と手を置いた。
「ーーーーー……」
俯いて、テーブルの面を見続けていた葉山は。しばらくして顔を上げると、おずおずと口を開いた。
「ーーーどうしてなのかって…聞いてもいいですか?」
そう言った葉山の真剣な目に。
隆一はイノランと顔を見合わせると、微笑んで頷き合って、穏やかな声で言った。
「ちょっと長くなるけど、いいかな?」
…………………
終幕から今日に至るまでの。
隆一の記憶に関する出来事を聞いて。
葉山は、はぁー……。っと、長いため息をついた。
初めて聞かされた、ある意味、小説の中のような話の内容に。
葉山はただただ驚愕していた。
そんな事が、実際に起こり得るのか…と。半信半疑なところも正直あったけれど。
隆一とイノランの、どこか覚悟を決めた佇まいに。これは事実なんだと、葉山はようやく実感する事が出来た。
深刻そうな面持ちで、すっかり黙りこくってしまった葉山に。当の隆一はにこやかに言った。
「話だけ聞くと、結構すごい内容だけどさ。ーーーいろいろ紆余曲折はあったけど。今はこの現状でいいやって、思えるようになったから」
「…そうなんですか?」
「うん。ーーーーね?イノラン」
「ん。まぁ、色々あったけどね。ーーー俺は今はこれで良いって思ってるし。別に不便な事は…」
「無い?かな?ーー…でもインタビューとかで、いきなり昔の事聞かれるとちょっと焦る…」
「…それは…そうですよね」
「うん。…でも今の俺にとっては、知らない事実に変わりはないから。無理矢理に話合わせて、適当に語るっていうのは絶対したくない。イノランとの過去を嘘のものにしたくないんだ」
「ーーーはい」
「それに隆ちゃん、諦めたわけじゃないんだもんな?」
「もちろん!自然の成り行きで、いつか思い出せたら…って願ってる。…ちょっと急いで無理して失敗した事もあったから…焦らないって決めたんだ」
小さく何度も頷きながら聞いていた葉山は、しばらくして口を開いた。
「…この事、知っている方はーーー…」
「今のところは、ルナシーのメンバーしか知らない。マネージャーも知らない。今現在の事には何の支障も無いから、変に事が大きくなっても嫌だしね」
「…じゃあ、僕に話して良かったんですか?僕はルナシーのメンバーじゃ…」
「でもユニットのメンバーだもん。じゃあソロのバンドメンバーは?その他、親交のあるひとは?って思ったけど、広くなりすぎちゃう。もちろん皆んな信頼してるけど、俺個人の事だから…」
「葉山君には迷惑かけて良いやって。隆ちゃん思ったんだってさ」
「ーーーーーー」
「ごめんね。葉山っちには話しておきたかった。ーーーでも変に気を遣って接しなくていいからね。今まで通りで大丈夫!」
「ーーーーーーはい。……でも、すごく嬉しいです。僕にまで話してくださって」
「うん」
「僕にできる事があれば、いつでも言ってください。何ができるかわからないですけどーーーーー力になります」
「葉山君、ホント良いひと‼やっぱり葉山君に話して良かったね」
「うん!」
「いえっ…そんな」
「ううん、マジメな話ね。隆ちゃんのソロ活動時は、俺より葉山君の方が一緒にいること多いから」
「はい」
「俺がいない時は葉山君に頼ってしまう事になるんだけど、なんかあったら、すぐ教えて欲しい。ーーー記憶を失くすって…多分想像以上に本人には負担がかかってるって思うから…。葉山君には本当の事話そうよって言い出したの…実は俺なんだ」
何度も。ごめんね、よろしくね、と頭を下げるイノランに。葉山は目から鱗…というか。二人のお互いを想う気持ちの深さというものを、見せられた気がした。
そして。ここに至るまで、伺い知る事は出来ないくらいに、色々な事があったのだろうな…と葉山は察した。
隆一の記憶についての話を飲み込んだ葉山は、ほー…っと椅子に深く座り直した。
テーブルに置いたコーヒーをひと息ついて飲んだ葉山は、ここでハッとした。
以前スタジオの一室で目撃してしまった二人の場面。柔らかく、仲睦まじい。口づけをして、愛に溢れていた二人の様子を思い出す。
この事と、やはり関連はあるのだろうか。ずっと気になっていた事とはいえ、そんな事言いだすなんて出来ない。
( …でも )
覗いてしまった事に変わりはないのだから。この際思い切って、打ち明けて謝ってしまった方が良いだろうか…。
悶々とひとり考え込みだした葉山に、隆一とイノランは「もう一つ、いいかな」と切り出した。
「あっ …はい!」
急に引き戻されて、葉山はあたふたと姿勢を正す。
先程とは違って隆一の隣にイノランが座って。
葉山は何となくさっきとは違う雰囲気に内心どぎまぎしていた。
口に残るコーヒーの味が薄れてきて、追加のもう一口が欲しいところだったが、カップへと手を伸ばす事が出来ない。
珍しいことだけれど、葉山相手に二人とも緊張しているように見えた。
そんな時。イノランが、唐突に言った。
「俺と隆ちゃんは、恋人同士なんだ」
「ーーーーーーーーーーー」
「いい加減な気持ちじゃなくて、心から大事に想ってる」
「ーーーーーーーーーーー」
「この事も、ルナシーメンバーしか知らない。ーーーでも葉山君には知って欲しかった。同じユニットのメンバー同士になれたから」
「ーーーーーーーーーーー」
「ーーー…葉山っち…ごめんね急に。一気に色んな事打ち明けちゃって…」
「ーーーーーー……」
すっかり声が出なくなったみたいに固まってしまった葉山。
隆一は心配そうに葉山を伺うと、こう言った。
「…えっと…、なんか、ある?…あ!何か質問があったらどうぞ!」
隆一の、また素っ頓狂な物言いに。真面目に語っていたイノランが噴き出した。
「質問どうぞって!なんだよそれ~。せっかく真面目に話してたのに」
「だって…葉山っちに申し訳ないなって…」
ツボにはまったのか笑い続けるイノランの横で、心底済まなそうにする隆一を目の前にして。
葉山はもう黙っている事が出来なくて、勢いよく立ち上がると言い放った。
ガシャンッ‼…と葉山の座っていたパイプ椅子が倒れる音が響く中。
同時に葉山の声も室内に響いた。
「知ってましたっ ‼」
「ーーーーーーーーえ…?」
思いがけない葉山の言葉に、思わず瞬きを忘れる隆一とイノラン。
「僕、お二人のこと…わかってました。ーーーー知ってるって打ち明けられなくて、ごめんなさい!」
葉山は自分の思っていた事と、そして実際見て知った事を全て話した。
でもその事実を知ったからといって、僕は何も気にしませんし変わりません‼と、葉山は威勢よく言った。
それだけは何がなんでも伝えたかったから。
どんな反応をされるか、内心ハラハラしていた葉山に対し。二人の反応はアッサリしたものだった。
「見られてたって…ちょっと恥ずかしいね」
「な。でも見られたのが葉山君で良かった」
「うん」
「ちゃんと、オンとオフは使い分けるから、そこは安心してね」
「あ、はい!ーーーあ…でも」
「うん?」
「ーーいや、なんていうか。…あの日、お二人の姿を見た時…」
「うん」
「すっごい幸せそうで…見てて、幸せをお裾分けされた気がして…」
「ぇ…ホントに?」
「はい。あの日久し振りに、花束買って帰りましたもん。ーーー僕も大切な人になんかしなきゃ!って気分になりました」
「ーーーーーすごいね」
隆一とイノランは顔を見合わせて呟いた。
特殊な自分達の恋。大っぴらに開示しようなんて考えは全然無いけれど。
こうして信頼する人が、自分達によって良い影響を受けてくれるという事が。
純粋に嬉しくもあり、大きな驚きでもあった。
「ライブ前に色々聞けて、話せて良かったです。僕にまで全部話して下さって、ありがとうございます。ますます気合いが入りました」
二人の前でにこにこと話す葉山を見て、隆一とイノランは再び顔を見合わせると。
イノランは微笑みを含んだため息をついた。
「やっぱり葉山君って、ホントにいいひと」
打ち合わせを終えて外に出ると、もう空は真っ暗だった。
隆一とイノランは葉山やスタッフ達と別れると、並んで地下駐車場へと歩いて行った。
今朝はイノランが迎えに来てくれた。
朝支度をしていた時に、イノランから迎えに行くと電話があった。
自分で行くからいいよ。と言った隆一の言葉をサラリとかわして、いいから待っててね。と電話を切ったイノラン。
そしてその行きの車内で、葉山に話そう。と、イノランが持ちかけたのだ。
駐車場に着いて、イノランの車に乗り込む。シートベルトを締めながらイノランが言った。
「飯でも食って帰ろうか?」
隆一は頷いて、そのすぐ後に「その前にね…」と続けた。
「寄って欲しい所があるんだけど…いい?」
「?…いいよ、何処?」
「ーーーーーーあの場所」
あの場所。と聞いて、イノランはすぐにピンときた。
そして僅かに眉を顰めると隆一に問うた。
「ーーーーーいいけど…平気?」
「今日はイノランと一緒だもん。前は一人で行って失敗したけど、今日は…」
「俺もいるからな」
「うん。ーーーーーなんか今日は色んな話をしたせいか、行ってみたいなって思って」
前を見据えて言う隆一の表情が穏やかで。どこにも思い詰めた様子が無かったから、イノランは隣にいる隆一の手を握ると頷いた。
「いいよ、一緒だから大丈夫だよな」
「うん」
「何かあったら、守るから」
イノランの言葉に横を向いた隆一の瞳が。泣きそうに歪んで、微笑みに変わった。
あの場所に近いコインパーキングに車を停めると、二人は夜の街並みを歩き出す。夕飯時を少し過ぎたくらいの時間だから、人通りはそこそこ多い。
隆一はちらりと周りを見渡すと、小さくため息をついた。
ーーー本当は。隆一はイノランと手を繋ぎたかった。
不安な訳では無いけれど、今は少しでもイノランを近くに感じたかった。
でもこの人通りでは目立ってしまう。
隆一はぐっと手を握り締めると、今の気持ちをやり過ごした。
街路樹と店舗の続く並木道を進む。
夜だけど、それぞれの店舗から溢れる光で道路は明るい。
照らされた道を黙々と歩いていた隆一が、ピタリと足を止めて上を見上げた。
「ーーーーーここ」
イノランもつられて上を見上げる。
「ホントだ。…ここだ」
数年経って前とは違う店が入っているけれど。大きなショーウィンドウは変わらずそこにあった。
あの日。砕け散ったガラスで覆われた道は、今はただただそこに存在している。
イノランは隣の隆一を伺って、気遣わしげに声を掛けた。
「隆ちゃん大丈夫?」
「ん…平気」
往来の真ん中で立ち止まると通行人の邪魔になるから。二人は歩道のガードレールに寄りかかって、その場所を眺めた。
ジッと建物を眺めていた隆一が、ポツリと呟いた。
「ありがとう、イノラン」
「ーーーん…?」
「一緒にここに来てくれて」
「そんなの…気にすんな」
「うん…でも。ーーーここの場所を避けて生きるのは嫌だなって思ってたから…。今日イノランが一緒に来てくれて、もう大丈夫かもって思えた」
「ん…」
「ありがとう」
イノランは返事の代わりに隆一の手をそっと引き寄せると、指を絡ませて手を繋いだ。
隆一はびっくりして、イノランを見る。
「ーーーイノ…」
「ーーーーーさっき」
「え…?」
「手。繋ぎたかったんでしょ?」
え?と、またびっくりした顔をすると、イノランは悪戯っぽく微笑んでいる。
「なんで…わかるの?」
「恋人だから」
「っ…」
「隆の事、誰よりも愛してるから」
「ーーーーーーーイノラン…っ …」
隆一の瞳に涙が滲む。
イノランは手を伸ばして涙を拭くと、隆一の頬に指先を添えた。
そしてとびきりの笑顔で隆一に囁いた。
「隆がこの場所で、もう辛い思いをしなくていいように」
「ーーーーー」
「この場所に、二人で新しい思い出をつくろう」
「ーーーーーーぇ…」
イノランはそう言って。街路樹に隆一を隠すようにして抱きしめると、唇を重ねた。
愛おしそうに、何度も角度を変えてキスをする。
「ン…っ …」
かつてイノランが、電話をする為に佇んでいた街路樹の下。
隆一とともに、砕けたガラスを浴びた場所。
ーーーー隆一が、記憶を失くしてしまった場所で。
イノランは想いを込めたキスをする。
愛していると、愛を囁く。
ここを、忌まわしい思い出の場所のままにしないように。
隆一が、この場所に囚われることがないように。
あの日を無かった事にはできないけれど。
それでも前へ…
新たな愛おしい記憶を植え付けて、一緒にまた一歩進もうと。
そんなイノランの気持ちが伝わって。
嬉しくて。
隆一の閉じた瞳から、一雫の涙が落ちた。
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