長いお話 (ひとつめの連載)










スタジオから出て行った隆一の背中を見送ると。どっと力が抜けて、近くにあったイスに腰をおろす。

そして、はた。と横を見ると、こちらからも驚愕の3対の目。
間違いなく、見られていたな…と。
イノランは盛大な溜息をついて、なるようになれ…と背もたれに深くより掛かった。

しかし3人は何も言っては来なくて。
イノランはどこかホッとして、それぞれスタッフと作業をする。
その内隆一も戻って来て、今度はコーラス部分の録りを始めた。

作業しながら、イノランはスタッフと共にブース内にいる隆一を、ちらりと伺う。
集中しているのか、気づかずにスタッフと話している。
視線を外し、イノランも別の作業に集中する。

すると今度は。隆一がブースの中から、じっとイノランを見つめる。
そしてしばらくすると、視線を外す。

そんな事を、何度か繰り返す2人。

不思議な程タイミングがずれていて。
視線が重なる事がなく。
それでも、どこかマイペースな2人は、焦る素振りもなく。
やるべき作業を進めていた。

むしろ、そんな2人を見て、歯がゆい思いをしているのは。
3人のメンバーだった。


「なんなんだよ‼ さっきのとこさあっ!普通だったらいく場面じゃねーの‼?」

「場所も場所だし、イノランえらいよ。つか、スギゾー、こんなスタジオの中で!ダメでしょ」

「でも結構きわどくなかった?雰囲気、良かったよな」


実は当の2人よりも先に。ずいぶん前から、イノランと隆一の。心の機微と言うものを、何となく感じ取っていた3人は。
いつまで経っても進展しない。
まるで学生の初恋の片想い同士みたいな、見ている方がイライラ・ハラハラ・ドキドキさせられる、この2人に。
密かにヤキモキさせられていた。


「早くしねえと!終幕しちまって、なかなか会えなくなるんだぜ!?
今だよ今‼ 今やんねえで、いつやんの!?」

キーッ‼と言わんばかりのスギゾーを尻目に、真矢とJは溜息をつく。

どこからどう見ても、完全に両想いなはずの2人なのに。どうにも鈍いのか、想い合えるはずなんてない、とでも思っているのか。
とはいえ当人同士の問題だから、周りがあれこれ言える筈も無く。
3人は見守ることしか出来なかった。



全ての作業が終わったのは、日付が変わって少しした頃で。
長い間、ずっと一緒に音作りをしてきてくれたスタッフ達と、ささやかなお疲れ様会をして。

もう後は最後のライブまで、走るだけ。
自分達の情熱、全てを注いで。




皆、帰り仕度を始める中。
イノランはフト、隆一の姿が無い事に気付く。
いつもならスタッフ達と談笑して、その内、その輪にメンバーも巻き込んで、皆で和気藹々とスタジオを後にするのだが。
それが無いから、割と今は静かな室内で。

でも、昨日からずっとハンガーに掛けてある隆一のコートが、いまだ変わらずそこにあるから、建物の中には居るのだろう。

そうこうしている内にスタッフ達は、1人また1人と帰って行き、メンバーも腰を上げ始める。


1人ずっと動かないイノランを見て。スギゾーが隆一のコートをハンガーから引き剥がすと、座っているイノランの膝にポン、とよこした。













「ウチの大事なヴォーカルに、風邪ひかれちゃ困るからね」

「そうそう!探して来てやってよ」

「お前の事待ってんじゃねえの?」

「………え?」

「………お前さ。マジで気付いてねえってことは…ねえよな?」

「………」

「……俺らは別に、メンバーを嫌いになって離れる訳じゃ、ないけどさ。
終幕したら確実に、物理的な距離は、離れちまうよ?」

「まあ…だからさ、心残りとか、無いようにしないとね!そんで100%以上でライブに臨むんだ!」

「考え過ぎなんだよ。もっとシンプルにさ、イノのやりたいようにやるのも、いいんじゃない?」

「………ライブでギターソロ弾くとか?」

「いいんじゃね!?スギゾーとパート交代してさ」

「コイツが我慢できるわけねーじゃん!」

「ひっでーっっ!真矢!俺が勢いだけの奴みてーじゃん!」

「はいはい、じゃ、おにーさん達帰るぞー」

放っておくといつまでも長引きそうな言い合いに。Jが年長2人を引きずるように、ドアの外へ押し出した。
そしてようやく腰を上げたイノランを見て、ニヤリと笑う。


「行くのか?」

「うん、隆ちゃん探してくる」

「おう!俺ら先帰んね。」

「ん。お疲れ」

「……さっきの続き、してやんなよ」

「!!」

「ハハッ‼じゃあ、撮影でな!」

しばらくドアを見つめていたイノランは、ふう…と溜息をついて。
3人の騒がしい声が聞こえなくなると、廊下へと出た。




隆一のコート片手に、階段を昇る。
人気の無い建物の中、イノランの靴音が響く。
空き部屋をチラチラと見つつも、途中から進める足に迷いが無くなって。
屋上の扉の前で歩を止めた。

一呼吸ついて、重い扉を押し開ける。
ーーーー夜の冷たい風が、イノランにサァ…っと吹きつけた。その瞬間。
耳に届く。彼の歌声。
冬の空気に溶けるようで、どこまでも透明な隆一の声。
まるで、ライブをやっているように。
空に向かって、歌う。
最愛の歌達と、惜別をするように。


イノランはその後ろ姿を、じっと見つめる。
何度となく見て来た、歌う隆一の姿。
力強く。その声で、瞳で、全てを圧倒する彼。

なのに今の隆一は、どこか儚げで。
慈しむように、大切に、歌い慣れた歌を、歌う。
イノランの胸が、またぎゅっと掴まれるように、切なく痛む。


曲が途切れたところで、彼の名を呼んだ。

「隆ちゃん」

びくりと、隆一の肩が震える。

隆一は、そのまま振り返ることをせず、小さな消え入りそうな声で、イノちゃん? とだけ、呟いた。


「帰ろうよ、こんな寒いとこに居たら、風邪ひくよ?」

「……」

「隆ちゃん」

「ライブでね、」

「え?」

「リストには、入れらんないだろうなぁ…って曲を、歌ってたんだ」

「ーーーーーー………」

「ありすぎて、全部はまだ、歌えて無いけどね」

「…………隆ちゃん」

「…………」

「隆ちゃん、こっち、向いて?」

イノランの言葉に、隆一はゆるゆると首を振る。

「隆ちゃん!」

イノランは、持っていた隆一のコートを手近なベンチに置くと、そのまま隆一の方へと進む。


すぐ後ろに立って、もう一度声をかける。


「隆ちゃん、俺の方、見てよ。」












隆一の肩に手をかけて。
そっと、その身体を反転させる。

反動で滴が散った。
キラキラと、スローモーションで見ているみたいで、綺麗だな…と。イノランは思った。


俯き加減の隆一の瞳から、ポロポロと涙が溢れて。
次から次へと。コンクリートの地面に、落ちてゆく。

イノランは思わず、目を見張った。
だってこんな隆一。今まで、見たことがなくて。

頬を染めて、大きな瞳をめいっぱい潤ませて、涙を流す隆一。
全身で、自分達の分身のような歌達に。

ありがとう。ありがとう、さみしいよ。ーーーーーーーーーそう、言っているようで。

イノランの胸がまた、早鐘を打ち始める。

どきどきどきどき

うるさいっ…
自分の心を叱咤する。


それでもイノランの心は、切なさと、愛おしさとで締め付けられて、苦しくて。
やっと出した声は、ひどく掠れていた。

「隆ちゃん…っ」

「…っ イノちゃん、」

ぐいっと袖で涙を拭って。
縋るように、顔を上げた隆一と、目が合った。その瞬間。
イノランは、ずっとずっと押し込めていた、胸の奥の想いの枷を。
自ら。
ぶち壊した。


冷え切って、涙に震える身体を、抱きしめる。
そして、まるでそうされる事を、待っていた様に、イノランの背に両手が回されて。
熱を分け合う様に、きつく抱き合う。

冷えていた隆一の身体が、温かくなってきて、そっと身体を離して、涙に濡れる隆一の頬に、指先を這わせる。

さっきの、続きみたいに。

寒い外気の中、白く吐き出される、お互いの吐息で彩られて。
隆一の唇が、とても綺麗で。

イノランは息をひとつ飲み込むと、引き寄せられる様に、隆一の唇に自身のそれを、そっと重ねた。
ひんやりとした感触が、心地いい。
離れてすぐ、隆一の顔を見る。

驚いた顔が目に入ったけれど、すぐに恥ずかしそうな笑みを浮かべて、ゆっくりと目を閉じる。

それが合図に思えて、イノランはもう一度。唇を重ねた。
今度はしっとりと、想いを込めてキスをする。深く合わせると、冷えていた隆一の唇が、じん…と熱を帯びてきて。
なんだか泣きたくなってくる。
こんなにあたたかくて、気持ちいいなんて。
これ程までに、好きだったんだと。
今、初めて気が付いた。


「…ぁ…っ、…ン…」

隆一の吐息を含んだ声が微かに漏れて、その声に頭が痺れる。
何も考えられなくなる。
崩折れそうな身体を、ぎゅうっと抱いて、そっと口付けを解いた。

至近距離で、見つめ合う。
キスの後で、とけそうな隆一の表情が、たまらなく愛おしくて。かわいくて。

だからもう、隠さずに言った。



「 好きだよ。」

「 イノ…ちゃ、」

「 隆ちゃんのことが、好きだ。」



大人になって、この歳になって。
好きだと自覚した後も、伝えることなんて出来ないと思っていた、君に。
告白をするなんて、思ってもいなかった。

まだ幼い、子供の頃に聞き覚えた、慣れない愛の言葉を言うように。
全然うまくなんて、言えてないんだろうけれど。
その言葉を口にしただけで、想いが溢れて、こんなに誰かを好きになれたことに、喜びと幸せで身体中が満たされる。


見つめ合っている隆一の瞳から、新しい涙が、こぼれ落ちる。
それがあまりに綺麗で、イノランは一瞬だって見逃さないように、隆一の瞳をとらえて離さずに。
隆一の言葉を、じっと待つ。

すると、睫毛いっぱいに水滴を付けた、隆一の瞳と唇が。
微笑みのカタチに、ゆっくりと変わって、白い吐息と一緒に。
言葉が、紡がれた。



「 俺も、好き。……イノちゃんが、好きだよ。」


言葉をひとつひとつ選ぶように、大事そうに告白する、隆一は。

きっと、一生忘れないくらい、綺麗だった。






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