長いお話 (ひとつめの連載)












「お!来た来た、J ‼」

「よぅ!お待ちどぉ。待った?」

「いんや、俺らも今来たとこ」




都内の住宅街に近い。知る人ぞ知るという居酒屋の個室。
それぞれ途中でライブを抜けて来た三人が集まる。
途中で抜けて来たのは、三人のちょっとした気遣いで。

自分達の事も良く知っているはずのファンの子達の目を、彼らから逸らさせないように。今日の主役は彼らだから。それに最後までいたら、隆一とイノランの事だ。打ち上げに誘ったり、何だかんだと気を回すだろう。
余計な気を遣わせないように、三人は終わり間際にそっと会場を後にした。




注文したアルコールが運ばれて来て、三人は久し振りの再会に乾杯する。

真矢はビールを一気に半分程飲み進めると、上機嫌でJに問いかけた。



「どうだったよ?イノのライブ」

「やー。なんかスゲエ歌上手くなってたわ」

「ホント?結構歌った?」

「取り敢えず俺が居たとこまでは全曲かな?ギターもね、結構。うん…。新たなイノランさんというか。めちゃめちゃ良かったよ」

「へぇ…そっちも、行きたかったな」

「うん。つーか、音もなんだけどさ。アイツ、なんか雰囲気変わってた」

「イノ?どんな?」

「男っぽくなった。てか、すげえ優しいカオでさ、笑うんだわ。あーゆうアイツ、初めてって感じで。新鮮だったな」

「ーーーーーー……そっか。」

「そっちは?隆、元気だった?」

「元気元気!今日の隆ちゃん見たら、Jきっと驚くよ」

「なんで⁇」

「スゲー綺麗になってたよ、隆」

「マジで?」

「隆ちゃんもう、キラキラよ」

「ーー…笑顔がヤバかった」

「歌声もね、また一段と。重厚感がすごかったね」

「へえ」

「隆ちゃんがあんまり幸せそうに歌うからさ。なんかホール中が愛に溢れてちゃってるみたいな」

「ははっ !何だよそれ」

「とにかくいいライブだったのよ」

「へー…俺も見たかった」



ひとしきり一気に語り合うと急に静かになり、グラスを置く音だけが響く。
スギゾーはじっくり味わうように一口酒をあおると、グラスを薫せながらポツリと呟いた。



「ーーー…進化し合ってんね。あの二人」


二人の無言は肯定の合図で。



「多分、今スゲエ良い意味で、お互い刺激し合ってんだろうな」

「だな。」

「最大のエッセンスはね。やっぱ〝愛〟だね」


真矢の言葉に、ここでまたしても無言の肯定。


「ーーー人って変わんだな」

「恋をすると綺麗になるって言うもんね」



「ーーーーーーーーーーーー……ぐす…」

「……何。オマエ、泣いてる?」

「スギゾーは寂しいんだよ、隆ちゃんがお嫁に行っちゃいそうで」

「はあっ?ヨメ⁉」

「隆ちゃん薬指に指輪してたからさ」

「マジかよ。……イノの奴、結構やるな」

「な!思わずじっくり見ちまったもん」

「へぇ…」

「良いねぇ…愛し合ってんね」

「うん…時々、こっちが照れる」

「ね。」

「ーーーーーーーーぐす…」

「やっぱ泣いてんじゃん?」

「うるせー、もう今日はとことん飲む!」

「仕方ねーなぁ、付き合ってやるよ」

「よぉし‼飲もう!祝杯だっ ‼」




















………………



「大丈夫かねコイツ」




日付もとうに変わった、深夜。


久し振りのメンバー達との再会に、すっかり酔いの回った三人。
特にスギゾーは足元もおぼつかない様子で、Jに肩を借りて夜道を歩いていた。
傍らで、これまたスギゾーの荷物を代わりに持った真矢が苦笑いを溢す。




「仕方ねーなぁ」



当のスギゾーは酔い潰れながらも、真矢とJの会話をちゃんときいているらしく。時々憎まれ口を含んだ、呂律の回らない相槌をうつ。

そんなスギゾーに二人は慣れたもので。一見適当にも聞こえるけれど、的を得た、情のこもった返事を返した。



「ま。今夜はな」




口にはなかなか出せないけれど。
二人のライブを見て。

戦友達の音楽に身を委ねる、輝く姿を見て。

実は三人共、思うところがあった。




終幕して、この数年。
五人それぞれが、突き詰めて音楽と向き合って。

経験と、色んな山も谷も味わって。でも確かに得た、更なる情熱。
太く、広く、高く届くようになった、奏でる音と歌声。


いざ自分の事となるといまいち実感を得るのは難しいけれど。

二人の。
メンバーのライブを見聞きして、それは確信に変わった。



俺達はちゃんと、進化していると。





終幕ライブの日。円陣を組んだ時の隆一の言葉が、三人の心の奥から這い出そうと、じわじわ騒めくのを感じる。




《またいつか。ルナシーの歌を歌う事を、諦めたくない》






「ーーー…」

「……ーーー」

「ーーーーーーーーー」

「ーーーなぁ」

「ん?」

「ーー……」

「…何だよ?」

「…んー」

「……」

「ーーー…今日のライブ」

「うん?」

「マジでよかったよな」

「ーーーーーーーーーー…おう」






凛とした隆一の声と、それを見守るイノランの表情が。
つい昨日の事のように、三人の胸に広がっていた。











打ち上げを終えて、イノランが自宅に帰ったのは。時を同じく、三人が夜道を歩いていた頃の深夜だった。

張り詰めていた気が一気に脱力して、帰って入浴を済ませるとベッドに倒れ込んだ。



( 楽しかったな )


天井を見上げながら、数時間前の事を思い出す。
バンドメンバーとスタッフと、ファンの子達と。
あの一体になれる感じ。ライブにおいて、あれは何物にも変えがたいものだと思う。

そして、懐かしい顔にも会えた。
腐れ縁で、盟友で、戦友。
彼が見ているとわかったから、尚更ライブにも力が入ったのかもしれない。

打ち上げに誘ったら、ちょっと済まなそうに「最後まではいられねぇんだ。悪りいな」と言ったJ。
そうなの?と聞き返そうとしたイノランは、そうはせず。微笑んで、「わかった」とだけ言った。言葉には出さない気遣いだと伝わってきたから。

隆一のライブを見に行ったというスギゾーと真矢。
あの後、久しぶりに三人で飲みに行ったのだろう。



カーテンの隙間から月が見えて。
イノランは目を細めて眺めた。
今夜の月はまん丸ではない。



( ラグビーボール?それかオムレツかな…)


( …でも。隆なら、オムレツって言うかな。またお腹空いたとか、美味しそうとか言いそうだ )



恋人の顔を思い浮かべて、くすくす一人笑う。

歌う事が大好きな恋人は、どんな歌を歌ったのだろう。
あの。どこまでも届きそうな声で。



「隆…」



目を閉じると、合鍵を渡した時の隆一の顔がよみがえる。

嬉しそうに、笑っていた。



隆一や、音楽、メンバー。
心地いい思いで、イノランの胸がいっぱいになって。
眺めていた月明かりが、次第にゆらゆらしてきて。
良い夢見られそう…と。小さくひとつ欠伸をすると。
いつしかイノランは、眠りの中へとおちていった。














…………………


窓を閉めて眠ったはずなのに。
空気の流れる気配を感じて、イノランは瞼を開いた。
数回瞬きを繰り返して、ベッドサイドのデジタル時計に目をやると、もうすぐ10時だった。
カーテンの隙間から入る陽射しが眩しくて。一瞬目を細めて、身体を起こす。


喉が乾く。

そして。ああ…昨夜はライブだったと思い出して。サイドテーブルに寝る前に置いた、ミネラルウォーターのペットボトルに手を伸ばす。
すっかり温くなった水を喉に流し込んで。それでも喉が潤って。
寝間着のまま、ゆっくりベッドからおりて寝室のドアを開けた。


ふわ…っと嗅ぎ慣れた香りが鼻腔をくすぐる。途端に耳に届く軽やかな音。

それはイノランも良く知る、朝の香りと音で。
でもそれは無人では起こらない。いつも自分でやってきていた筈のもの。

イノランは逸る気持ちを抑えてリビングへと歩を進めると、思わず息を飲んでしまった。



「ーーーーーーーーー」



少し開いた窓辺のカーテンが、ふわりと揺れるリビング。
テーブルの上にはマグカップと朝食が並んで。
たっぷりの湯気を漂わせる、コーヒーの入ったガラスポットを持って楽しげに動き回っていたのは…



「隆ちゃん…」



ポツリと溢した声は、確かに届いたようで。
ふ…と、イノランの方を向いた顔は。
目が合った途端、微笑みに変わった。



「おはよう!今ちょうど、起こそうかなって思ってたところだよ」



白いシャツの隆一が眩しくて、ついつい見惚れてしまう。



( 何だろうね…この…)

幸せな、朝の風景は。


一人で迎える朝に愛しい人の存在が加わっただけで 、こんなにも変わるものなのか…と。イノランは心底驚く。


ーーーイノランは隆一の側まで歩み寄る。彼の手からポットを奪い取ってテーブルに置くと、突然の行動に首を傾げる隆一を抱きしめた。



「イノっ …」


焦ったような照れた声がして、隆一が身体を固くする。イノランは背をさすりながら、隆一の耳元で囁いた。



「来てくれたんだ?」


言った声が嬉しさで掠れていて、イノランは自分の事なのに笑ってしまう。



「ーーーうん、さっそく合鍵、使わせてもらったよ?」

「…コーヒー、淹れてくれたんだ」

「ん…。だってイノラン言ってたでしょ?朝、コーヒー飲む時…」

「ん?」

「色んな時に、もっと俺がいてくれたらって」



身体を離して顔を覗き込めば、唇をにっこりさせた隆一。
あんまりニコニコしているから、何も言わずじっと見つめていると。急に恥ずかしくなったのか、ハッとして顔を赤くして俯いた。



「ーー…」

「……」

「ーーー……?」

「……」

「……あの…………イノラン?…」




隆一の目が、何もしないの?…と伺っている。
知っていて、敢えて何もせず見つめるだけのイノランに、隆一はますます顔を赤らめて次第に焦れた表情になってくる。

そんな様子を見ていたら、ちょっと可哀想かな…と思い始めて、先を促すように軽く唇を重ねてあげた。



「いいよ?隆ちゃんのしたい事して」

「ーーーうん…」



イノランの首に腕を回して、隆一からの柔らかなキス。
されるがままにキスを受けていたイノランだったが、隆一の甘やかな声が漏れる度、次第に夢中になって隆一を求めた。


「…っん…んーーー」

「ーーーはぁ…」

「ん…っーーー」


ちゅうっ…と唇を吸い上げると濡れた音が耳を刺激する。


ヤバイ。
止まらない…
そう思って。
ここで今すぐ隆一を抱いても良かったけれど、せっかく淹れてくれたコーヒーの香りが心地良く漂っていて。
名残惜しかったけれど、そっと身体を離した。


「朝から最高」

「ゃだ、足りないよ」

「…隆ちゃん可愛いすぎだから」

「だって…全然会ってなかった」

「ん…。でもせっかく隆ちゃんがコーヒー淹れてくれたの無駄にできないもん。まずこれ飲んでもいい?」

「…いいよ」

「ありがと。ーーーえっち…後でしような?」

「ーーーーうん」



イノランは満面の笑みで再び隆一をぎゅっと抱きしめると。
目の前にある黒髪に、内緒でキスをした。













少し遅い朝食を二人で食べて。
話すのは、昨日のライブの事。

そういえば、スギちゃんと真ちゃんが来てくれたんだ!

と隆一が言えば。

そうそう、俺んとこにもJが来た。

とイノラン。

ええー⁉
あの三人なにしてんの?
いつ帰ってきたの?

矢継ぎ早に疑問が出てくる隆一に、イノランはJに聞いた事を教えて。へぇ~。と、やっと納得したらしい隆一と顔を見合わせた。



「多分あの後、アイツら飲みに行ったと思うよ」

「うん、そうだね」

「久々だから…」

「もう凄かったんじゃない?ーーーなんかJがまた損な役回りに…」

「はははっ 」

「ーーーーーでも、良いね。なんか…」

「うん?」

「なんか、戻ってきた感じ」

「アイツら?」

「うーん…。生身の皆んなもそうだけど…。なんていうか、気持ちが」

「ーーー…」

「気持ちが無かったら、わざわざ集まって来たりしないでしょ?」

「ーーーだな」

「上手く言えないけどーーー…なんか、一ヶ所に気持ちが向いてきたのかなぁ?」



思いを馳せるように、隆一は窓から見える晴れた空を見上げた。

ルナシーを終えたあの日と、この空は何ら変わりは無くて。
変わったのは。変われたのは、自分達だ。ーーーーそう隆一は思えた。


空を見上げる隆一の瞳が透き通って、浮かんでいる雲が映り込んで、空に魅せられているようだったから。
こっちを見て欲しくて、イノランは隆一の手と手を重ねて、意識を引き戻した。



「隆…」

「ん?」

「…隆ちゃん」

「イノ…?」



「ーーーーー目、瞑って」



「ーーーうん」




手をついて、テーブル越しのキス。
抱き合えない距離。唇だけが触れ合えるこの距離が。今は逆に、二人の心を熱くさせる。




どんな事になったって側にいるよ。


そんなイノランの想いが、伝わってきた。










………………


俺もイノランに合鍵をあげたい。
そんな隆一の主張によって、朝食後イノランはめでたく(?)隆一の部屋の鍵を手にする事になった。

イノランにとって宝のような物を手にすることができて。暫く感激で打ち震えていたイノランを、隆一は待ちきれない様子で急かした。



「さ!今日はこれからイノランのプレゼントを探しに行くよ」

「俺の?なんで?」

「もぅ!約束したでしょ?俺もイノランにプレゼントしたいって」

「そうだけど、確かにしたけどさ。誕生日とかじゃないの?」

「違うよ!いいじゃん別に、イノランだって何も無いけどくれたじゃない。それに誕生日までなんて俺が待てない」

「なんで?」

「え?」

「なんで誕生日まで待てないの?」

「ーーーー別に!」



プイと顔を背けた隆一。
でもこういう時のイノランは、思いの外諦めが悪い事も、隆一にはよくわかっていたから。
暫くだんまりしていたけれど、イノランの催促する視線に耐えきれず、渋々口を開いた。




「…俺だけじゃなくて…イノランにも持ってて欲しいなって…」

「え…?」

「ーーーーー恋人の印」

「…隆」

「なんか…一緒につけるなんてーーー嫌かなって思ったけど…」

「ーーー」

「いいかな……?…」




不安げに揺れる隆一の表情。
嫌なんて、そんな事あるはずないのに。

小さな事でもばかみたいに悩む。
些細な喜びでも胸いっぱいになる。



( 隆もそうなんだな )


つい昨日、今更自覚したこと。
自分は今、大恋愛中だと。

隆一を見ていたら、同じなんだと。
イノランは嬉しくなった。










遅い朝食の後、二人で出掛けたアクセサリーショップ。
イノランが好きそうな大振りなデザイン物は敢えて避けて。
隆一の指に嵌る物とちょっと似たデザインの、シンプルな銀色のリング。

これいいね。と、イノランと隆一、同時に指差した物。

ラッピングされた綺麗な箱を大事そうに持っている隆一がかわいくて。
イノランは隆一の腕を掴むと、昼時を過ぎた人気の無い、大きな噴水と並木の遊歩道のある公園へ進んだ。


木々のなかにベンチが点在し、その内のひとつに腰掛ける。
木漏れ日が綺麗で、二人の上にも木々の模様が零れ落ちる。

ここへ寄り道した意図を隆一はすぐ理解して、小さな箱を開いてイノランに見せた。




「もらってください」

「よろこんで。隆ちゃんありがとう。……つけてくれる?」



隆一はもちろん!とニッコリ笑うと。指輪を台座から外し、イノランの左手をとった。



「なんか恥ずかしいね」

「大丈夫だって、誰も見てない」

「…そうじゃなくて…」

「ん?」

「…恋人同士だよ?」



隆一ははにかんで、イノランの薬指に指輪を嵌めた。
この後する事はただ一つだ。

イノランはその左手をじっと見つめると、そのままその手で隆一の顎を掬ってキスをする。
ずっと愛していくよ。…と想いを込めて。



ずっと前から二人は恋人同士だったけれど。それは二人の間にだけ存在した約束。
こうして形あるものに想いを結んで。
誰からもわかってしまう形で、恋人同士になって。

恥ずかしくて、嬉しくて。
でも、お互いの存在に、もっともっと相応しい自分になりたいと、二人とも同時に同じ事を考えていた。





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