長いお話 (ひとつめの連載)
春の、ある週末。
隆一とイノランは、全く同じ日取りでのライブ当日を迎えた。
この二人の同日ライブという事で、天気の崩れがどうなるか。皆、気になるところだったが。
とても暖かい、春めいた週末になった。
「雨男パワーがお互いに相殺して晴れたのかも」
イノランのバンドメンバーは、ニコニコしながら軽口を叩いた。
イノランは、ふ…っと分からないくらいの微かな笑みを浮かべて、ライブ会場の窓から外を眺めた。
窓の外は、密集した建物と。週末だから、道行く人もとても多い。
多分、あっちの方向かなと思う。
イノランと隆一は同じ都内でのライブ開催だ。でも、その距離は微妙に離れている。
お手軽に、顔を見に行ける距離ではない。
( 同じ東京都なんだけどね…)
つい先日、久し振りに聞けた隆一の声。声を聞いたらますます会いたくなったのは、仕方のない事だろう。
これはソロの仕事だから、全てを把握して引っ張らなければならないのは、イノランも隆一も同じだ。
プライベートを優先出来ない時はある。
そんな時は、少し寂しくなるけれど。
相手を好きになればなる程、切なくなる瞬間も増えるけれど。
( おんなじ空の下だ)
イノランは遠く向こうにいる隆一に、思いを馳せる。
そして先日の電話の後。
密かに思い付いた、ある考えがあった。
その同じ頃。
都内のホールでは、隆一のライブの最終リハが終了し、後は本番を待つのみとなっていた。
隆一はバンドメンバー達と談笑したり、ウォーミングアップをする合間に。入場前のホールのロビーに贈られた、友人知人、関係者からの花々を眺めていた。
その中には元メンバー達からの花も届いていて、隆一は嬉しそうに微笑んだ。
一言で〝花〟と言っても、それぞれの個性が滲み出ていて、見ているだけで面白い。本人が選ぶ場合も、事務所が選ぶ場合もあるだろうが。妙に的を得ていて、なるほど…と感心してしまう。
隆一はひとつひとつをゆっくり眺めて、立ち止まった。
「イノラン」
当然、イノランからの花も届いていて。隆一はじっと、それを見つめた。
黄色とオレンジで構成された、ひときわ明るい雰囲気の花。初夏の太陽のようにも思えるし、あの日崖の上から見た、オレンジ色に染まった夕暮れの空と海をも思い出す。
( はぁ… )
隆一は思わずため息が出てしまった。
こうしてイノランの片鱗を、日々の中で見つけてしまうと。
今は無理だとわかっているけれど…会いたくて。
自身の左手に光る、彼と繋がる印を見るたび。きゅうっ…と、胸が切なくなった。
( 仕方ないよね… )
これが自分の選んだ生きる道だと。心の中で強く頷く事で、切なさをやり過ごす。それに、それはきっと自分達だけじゃない。もっと会うことがままならない恋人達だっているはず。
自分達は会えずとも、音楽で繋がっている。音楽に身を沈めれば、会えない日々も乗り越えられる。
ーーーーそれでも、つい先日。どうにも限界がきたらしく。
会いたくて、声が聴きたくて、存在を側に感じたくて。
今思えば、実にどうでもいいようなメールを送ってしまった。
最後に付け足した追伸は、隆一の本心で。
送ってから、また、あれこれ悩んでしまった。
イノランも、本番間近の忙しい身。
あのメールのせいで、色々煩わせてしまったら…なんて。後から少し後悔した。
でも、翌朝イノランの声が聞けて。
悩んでいた事は吹っ飛んだ。
イノランの声の端々に、嬉しい気持ちが込められていて。メールを送って良かったと、そう思えた。
まずはライブを、心から楽しむ事だ。
同じ東京の空の下で、彼も頑張っているのだから。
隆一はそっと、オレンジ色の花びらに触れると。思い切るようにロビーを後にした。
一日目のライブが大歓声の中、無事に終わって。
バンドメンバー達と喜びを分かち合う。
明日もう一日あるからケガなど無いようにと確認して、本日は解散となった。
隆一は楽屋でシャワーを浴びて、帰り仕度をしていた。
時刻はもうすぐ22時というところ。
イノランのライブはどうだったかな…なんて、心地良く疲れた頭で考えながら、マネージャーと共に地下駐車場に降りる。
歩きながら、明日の入り時間の再確認などをして、通路を出た時だった。
「あれっ⁇イノランさん?」
突然マネージャーの驚いた声が響いて、隆一は、え?と顔を上げると、そこには。
「どうも、お疲れ様です!」
にこにこと爽やかな笑みをたたえた彼がいた。
隆一もマネージャーも、思いもよらない人物の登場に。一瞬ポカン…と呆気にとられるが。
マネージャーが目を丸くしながら、イノランに近ずいた。
「イノランさん?ライブじゃなかったでしたっけ」
「隆のライブより早く終わる予定だったんで。帰りにちょっと寄りました」
「え?じゃあ、疲れてるんじゃ…」
「心地いい疲れっス!大丈夫!…えっと…」
「はい」
「隆に渡したい物があって。数分だけ今いいですか?」
「もちろん!じゃあ僕先に、車に荷物運んでるから。慌てないでごゆっくりどうぞ」
マネージャーはそう言って隆一から荷物を受け取ると、車の方へと歩いて行った。
イノランは、急な展開に立ち尽くす隆一の手をとると、地下の片隅の自販機やベンチのあるスペースに引っ張って行った。
「イノラン…」
「隆ちゃんお疲れ様。ごめんね、急に。俺もそこでマネージャー待たせてるから、あんま時間かけらんないんだけど…」
「ぁ、うん」
「どうしても、隆ちゃんに渡したい物があって。持って来たんだけど…いいかな?」
「?…なに?」
イノランはジャケットのポケット手を入れると、何かを取り出し隆一の前に手を差し出した。
「隆ちゃん、手広げて」
「う…ん」
首を傾げながら、隆一は言われるまま手の平を開けると。イノランは口元をにっこりさせて手の内の物を隆一に渡した。
「もらってくれたら…嬉しいです」
「え?」
イノランは何となく照れ臭そうで。
そんなイノランを珍しく思いながら、隆一は手の平を見た。
「鍵!」
「…うん」
「ーー…あ…これ、もしかして…」
「そ。俺の部屋の合鍵」
あと下の入口の番号。と言ってそれも隆一に教えた。
「っ …ーー」
「ーーー…なかなか思うように会えないのは仕方ないって、覚悟してたつもりだったんだけど。…やっぱ無理。もっと隆ちゃんと一緒にいたいよ」
「ーーー…」
「仕事から帰って玄関入った時とか。一人で飯食ってる時とか。夜、ベッドの中でウトウト眠くなった時とか。朝、コーヒー飲んでる時とか…とにかくいろんな時にさ。
ここに今、隆ちゃんがいてくれたらなぁ…って。いつも思ってた。
ひとりの時間ももちろん大事だけど、でもそれ以上に、俺の日常にもっと隆が欲しい」
隆一の頬がふわっ …と色付いて。
唇が弓なりになる。
胸の内を惜しげも無く告白してくれる恋人の声に、じっと耳を傾ける。
「毎日いて欲しいなんて言わないよ。隆ちゃんが来たいなって思ってくれた時、来てくれたらいいなぁ…って」
俺はいつでも大歓迎だから…。
そう言って隆一の様子を伺うように顔を寄せてきたイノランに。
「…ン」
隆一は嬉しい気持ちの返事の代わりに、優しく唇を重ね合わせた。
「‼」
思いがけない行動だったのか、イノランは目を見開いて固まってしまう。
隆一は、悪戯が成功したのを喜ぶみたいにくすくす笑うと、今度は嬉しそうに口を開いた。
「ありがとう。俺も、もっともっと一緒に居たいって思ってたよ?すごく嬉しい。ーーー…でも、ホントにいいの?」
「もちろん。あげたいから、あげるんだよ?」
「ーーーーー…ん。」
隆一はコクリと頷くと、自身の左手を眺めながら言った。
「…この指輪も、鍵も。イノランからもらってばっかりだ。俺もイノランにプレゼントしたい」
「いいんだよ、そんな事気にすんな。俺が勝手にあげたくてプレゼントしてんだから」
「ん…でも。合鍵は俺もすぐあげられるし、なにか俺もも一つあげたいな」
「ーーーん。わかった。じゃあ楽しみにしてるね?」
「うんっ 」
隆一がにっこり微笑んだのを見届けると、イノランはちらっと駐車場を気にして向き直った。
「ごめんな隆、俺もう行くね」
「うん、わざわざありがとう!明日のライブもお互い…」
「ぶっ飛んで行こうな!」
「あははっ!そうだね」
ひとしきり二人で声を上げて笑い合うと。ふっと視線が重なった。
「ーーー…」
「………」
「……隆」
「ん…?」
「ーーーー顔見られて、よかった」
「うん」
イノランの手が隆一の肩にかかり、すぐに察した隆一は目を閉じる。
止まらなくなりそうだから…。
温もりを感じ合うくらいの微かなキスをして、すぐに離れる。
それだけでも。ドキドキして、嬉しくて。
ほんの一瞬の触れ合いなのに、満たされて。
明日のライブへのパワーがまた、さらに満ち溢れた気がした。
ライブ二日目。
今日も晴天。
当日の軽いリハも終えて。
イノランは楽屋の鏡の前で、ヘアセットの真っ最中だ。
さっきまでイノランの後ろでは、イノランバンドのメンバー達がギターを弄ったり、お互いの今日の衣装や持ち物の事なんかで盛り上がったり、実に賑やかな様子だったが。
今はそれぞれ本番前の時間を、思い思いに過ごしている。
気付くと楽屋にはイノランだけになっていた。
後ろを振り返ると誰もいなくて。
なんだよ。…とイノランは苦笑い。
急に手持ち無沙汰になってしまって。
やれやれ…と席を立つと、さっき誰かが弄っていたギターを持ち上げて、今度はテーブルのパイプ椅子に腰掛けて思うままに爪弾き始める。
今日やる予定の曲や、最近好きな曲。
思い付きのメロディーなど、次から次へと弾いて。一瞬手を止めると、ギターを抱え直す。
すぅ…と息を吸って、吐いて。それからゆったりと弾き出したのはgravityだ。
だいぶアレンジされているけれど。そのメロディーは、イノランにとっても懐かしい想いが込み上げてくるものだった。
目を閉じれば、あの雨の日の景色が蘇る。
一度は消えてしまいそうになった、二人の約束、あの景色。悩んで、葛藤して、たくさん泣かせて。それでもちゃんと乗り越えられて。今では、二度と消えない写真みたいになって。
綺麗に切り取られて、大切にしまってある。
イノランは。
ギターを弾きながら思う。
( 俺もしかして )
今さら自覚して、急に照れ臭くなって。
相変わらず誰もいないから、隠さずに、大いに照れてギターを弾く。
( 大恋愛してるんじゃないか? )
「よお」
いきなりだった。
聞き覚えのある声が背後からして。
イノランはピタリと手を止めると、勢いよく後ろを見た。
「…J?」
「ぃよぉ。元気?」
いつものちょっと眠た気な目が、どこかニヤリと楽しそうにイノランを見る。
何年振りだろう。久々だから当然だけれど。髪も、顔つきも、ますますワイルドさが増した気がする。
でもイノランは。
ハッとして、いや待て待て。と首を振る。
「…何してんの?」
「何だよ。ライブだってゆーから見に来てやったのに」
Jは言葉とは裏腹に、気を悪くした素ぶりも見せず。奇襲が成功して喜んでいるようにも見える。
「いつコッチ帰ってきたんだよ」
「あー、今日。」
「…は?」
「だから今日だって。ついさっき。空港からそのまま来たもん」
「マジかよ」
「おう」
「ーー…ふぅん」
「…おぅ」
「ーーーーんー…。じゃ、まぁ。…オカエリ」
「ーーーーー」
ニッ。と口元を上げて、不敵ともとれるけれど優しい。そんな笑みを向けるイノランを見て。
Jは一瞬面食らう。
あれ?と思ったから。
でもそれには何も言わず、Jは話題を変えた。
「今日はあれだろ?隆もあんだろ、ライブ」
「そうだよ。あっちは良いの?見に行かなくて」
「あー…うん。あっちはアイツらが行ってっから」
「…アイツら?」
「スギゾーと真矢くん」
「ナニ⁇アイツら隆ちゃんとこ行ってんの?」
その頃。
隆一のライブ会場の楽屋にも来客が訪れていた。
ちょうど衣装を身につけたところの隆一が、客人を見つけて笑顔で駆け寄った。
「スギちゃん!真ちゃん!来てくれたの⁉」
元気だった?と、惜しげも無く嬉しいオーラを振り撒いて。
「ーーーーー」
「ーーーーー」
しかし、二人がなんだか固まっているような。
どうしたの?と、隆一はじっと目を合わせて覗き込む。
茶色の瞳をキラキラさせて。
スギゾーと真矢は、内心惚けていた。
この目の前にいるヴォーカリストは、こんなだっただろうか。
確かに昔から、かわいいタイプだったけれど。いや、今も。当然かわいいのだけれど。
キラキラしていて、艶めいた。
目が離せなくなるような、この様子は何だろう。…と。
だから、つい。
スギゾーは口から溢れてしまった。
「隆さ…。なんかスッゲー綺麗になったね」
「ーーー…へっ⁇」
さすがの隆一もびっくりして。
口を開けて止まっている。
「スギゾー…お前ね…」
「だってそう思わねぇ?」
「思うよ!思うけどさ、隆ちゃん困ってる…ーーーーー」
言葉の途中で真矢の目が一点に釘付けになって、そのまま途切れる。
そんな真矢を訝しんで。
スギゾーはその視線を追った。その先に。
隆一の左手。
薬指に嵌められた、銀に光るもの。
目が離せなくて。
スギゾーはまたしても、つい。
口から溢れてしまった。
「ーーー隆…それ」
「こらっスギゾー!」
「え?」
慌てて止める真矢だったが。
二人の気にするものが左手にあるとわかって。
隆一の頬が、みるみる内に仄かに染まってゆく。
「ーーー…イノ?」
スギゾーの。優しげに伺う、小さな問いに。しばらく恥ずかしそうに俯き加減だった隆一が。いっそう頬を染めて、コク…。と、ひとつ確かな頷きを返した。
「ーー…」
「スギちゃん?」
気落ちしたみたいに、急に言葉を無くしたスギゾーを訝しんで。
隆一は急に心配になって、どうしたの?と目で問いかける。
真矢はそんな様子を見て。
苦笑とともに、隆一に言った。
「さみしーんだってさ、スギゾーは。隆ちゃんがどっかに行っちゃいそうでさ」
「え?」
「うるせー真矢」
「スギちゃん…」
「でも隆ちゃんは、もういるんだもんな?」
「ん?」
「何より大事な人がさ」
な?と、首を傾けて聞いてくる真矢の目は優しくて。
なんか、本当に父親みたいで。
隆一はホッと力が抜けて、うんっ!と頷いてまた微笑んだ。
「スギちゃん」
「ーーーーー隆」
わかってる。
何より応援してたから。
お前らの事。
あんな事故もあって。
きっと計り知れないくらい、辛い思いもしたと思う。
でも、近くで見守る事も出来なくて。
ずっと心配で。
だから、嬉しかった。
幸せそうに。
綺麗に笑う。
お前を見た時。
よかったなぁ…って思ったよ。
でも、どっかで寂しくて。
手の届かない所に。
行ってしまったみたいで。
「スギちゃん」
スギゾーの心の内を見透かしたように、隆一は言った。
「ねぇ、スギちゃん。俺たちはいつだって会えるよ?
スギちゃんと真ちゃんと、Jくんと、イノランと、俺と。
俺、言ったじゃない。諦めてなんかないんだから」
凛とした。
力強い、瞳と声。
最後のライブで円陣を組んだ、あの時の感じが。この場にいる三人の胸に、急速に湧き上がる。
そして、ものすごくシンプルな事だけれど。数年経った今。急に、思う事が出来た。
会おうと思えば、会えるんだ。
始めようと思えば、何かが動き出すんだ。
しばらく隆一を見つめていたスギゾーが。やがて口角をニッと上げると、それが了解の合図だと隆一にはわかって。
そのスギゾーが。
ステージの上で見せる、力強くて美しい、ギタリストの表情そのもので。
隆一は嬉しくて。
輝くばかりの笑顔を二人におくった。
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