長いお話 (ひとつめの連載)












ソファーの上で抱き合ったまま、二人は離れずに。
互いの温もりを感じて、他愛ない話を戯れあいながらして。
いつの間にか、朝を迎えていた。



隆一は寝転んだまま、明るくなった室内で窓越しの朝陽に左手を翳した。
白く輝く薬指の銀色が、隆一の瞳をキラリと眩ませる。

翳していた隆一の左手の横から、イノランの手が伸びて。そっと指輪に触れると、隆一の手を捕まえた。




「よく似合ってる」



イノランは満足そうに指輪の嵌まった隆一の指を眺めると、引き寄せて口付けをした。



「……なんか不思議だね。夢みたい」

「ん?」

「イノランから指輪を貰うなんて」

「え…あんま嬉しくない?」

「違うよっ …嬉しいの!嬉しすぎて思考が追い付かないだけーーーーー…すっごく嬉しいよ?ありがとう」

「良かった。ーーー……いつ渡そうかって、まぁ、タイミングをね?買った日から窺っててさ」

「そうだったの?」

「そうだよ。だってせっかく渡すなら、カッコよく渡したいじゃん」

「ーーー…で、あのタイミングに?」

「一生忘れないでしょ?あんな場面で渡されたら」

「ふふっ…うん!」



くすくすと顔を見合わせて微笑み合うと、間近で視線が重なって離せなくなる。


「ーーー…」



ギシっ…と音を立てて、イノランは隆一の上に覆い被さって閉じ込めた。
唇を寄せて囁く。



「ーーー…隆…」

「イノランっ …」

「仕事までまだ時間あるよ」

「…もっ…何度目?」

「何度だってしたいよ。愛し合ってんなら」

「…うんっ」

「誰にも遠慮なんかしない。この愛は、俺たち二人だけのものだろ?」




「ーーーー…っ …」



イノランの言葉に、隆一は目が潤む気がして、ぎゅっとしがみ付くと。
幸せそうに目を閉じて、自分からキスをする。



「ン…っ …」



「ーーー…りゅうっ…」


絡まる唇は深くて、離れられなくて。
イノランの指先は、再び隆一の身体を弄り始める。



「ーーーーーぁっ…っァ…」



気持ちいいよっ …と。喘ぎ混じりに、囁かれた隆一の声が、イノランの頭を突き抜けて。
もう止まらない。



「愛してる…っ 」



幾度となく伝えられる愛の言葉と、隆一の濡れた声に溺れて。
時間いっぱいまで、二人は求めて与え合った。



















……………………



「隆一さん、ペース速いですね」



間も無くソロアルバムの製作〆切を控えて。いつものスタジオで、葉山は傍らにいる隆一に声をかけた。
自らギターを弾きながら譜面と睨めっこをしていた隆一は、ちょっと手を止めて葉山を見やった。



「そう?何かいっぱい出てくるんだよね、メロディー」

「もう完成形に近いのが、アルバム二枚分は揃いましたよ」

「そんなに出来てたっけ?」

「はい、かなり」

「そっかぁ…二枚組にしちゃう?アルバム」

「ぇえ⁉今からですか~⁇」



冗談だよ~!と笑う隆一につられて、葉山も笑顔になる。





隆一が疲れ果てていたあの日から、もう一週間が過ぎようとしていた。
あの時はまだ付き合いのそれ程長くない葉山の目から見ても、隆一は抜け殻のようで。
とてもではないが、見ていられなかった。本人はいつも通り、気丈に振る舞っていたつもりだろうが。

どこかぼんやりして。心ここに在らず、といった感じで。
時々ふとした瞬間に目に付いてしまう、寂しげな目とか。
表面だけの笑顔とか。
きっと自分や周りの人間では、どうにも出来ないだろうという事が、すぐにわかって。

自分にわかるということは、スタッフ達も何か感じているのでは…と。葉山はそれとなく聞いてみた。
するとやはり、皆、何となく違和感は感じていたようだった。

このままでは新作アルバムどころか、彼の歌声にも影響がでてしまうのではと危惧してしまった。

どうしたらいいのか。
迷っている時、葉山の脳裏に彼…イノランの顔がチラついた。

ああ…そうだ、彼ならば。隆一と長い時間を共に過ごして来たイノランならば、大丈夫かもしれない。

葉山はとても良い、最適な考えに思えて。彼に連絡をとってみようと思った。












ところが、彼が現れた。

葉山が連絡を入れる前に。
まるで何かを知っていたように。

イノランが現れた時の隆一の表情と、二人が対峙した時の雰囲気で。
葉山は瞬時に察知した。

二人の間に何かがあったのだと。
その結果が、今の隆一なのだと。ーーーそしてそれを解決する為に、イノランが現れたのだと。

葉山は。半ば強引に、隆一を彼に託した。


隆一の歌声が、大好きだったから。
イノランに、全てを委ねた。


翌日、葉山の願い通り…それ以上に元気な様子で戻って来た隆一に。
葉山も、きっとスタッフ達も安堵した。
大量の土産物を抱えてきた隆一は、小さな紙包みを葉山に手渡した。




「これ。葉山君にって、イノランが」

「イノランさんが?」

「なんか、パーキングエリアで買ってたよ?」

「?…何だろう」



カサカサと開けてみる。
隆一も興味があるようで、覗き込んでくる。
出てきたのは、ふかふかの…


「リスだ」

「可愛いね」


手のひらに乗るくらいの、リスのぬいぐるみのキーホルダー。
チェーンに付いた小さなプレートには。
〝thank you ‼〟

イノランからのメッセージなのだろうか。

thank you…。何か礼を言われる事をしただろうか…?
うーん…と思いを巡らせながら、ツンツンと指先でリスをつつく隆一を眺めていたら。


その時に。目に入ってしまった。
昨日までは確かに無かったはずの、隆一の左手に銀に光る、所有の証。ーーー愛の証。

葉山はそこから目が離せなくなったけれど。
じっと見つめて、不審に思われるといけないから。すっ…と、視線をずらす。


「……」


葉山の頭に有り得ない考えが浮かび、慌てて打ち消す。…が、どうしても、その考えが戻ってくる。
それがどう考えても、一番しっくりくる考えだった。



「葉山っち?どうかした?」



急に黙ってしまった葉山に、隆一は首を傾げて問いかける。
うまい返答が思いつかず、当たり障りのない返事なんかをしてしまう。



「いえ、イノランさんにお礼言っておきます」

「うん!イノランねえ、葉山っちの事すごくいい子だって、気に入ってたみたいだよ?」

「いい子…かどうかは分からないですけど…僕もイノランさんが良い人だって思いました」

「ーー…格好いいでしょ?」


微笑んで呟いた隆一を見て。葉山は決定的に確信してしまった。
その隆一の瞳は、今ここにいない想い人を切なく思い描く者のそれで。
無意識に溢れたであろう、沁み入るような笑顔に。


葉山にはわかってしまった。
隆一とイノランが、単なるメンバー同士だけではないという事が。


今は隆一もイノランも、ソロ活動の方が忙しい時期だ。だが、本格的にユニットが動き始めたら、常に三人で顔を合わせる事になるだろう。
葉山は小さくため息をついた。

あの二人はプロだから。仕事中に人目も気にせず…なんて事は無いとは思う。しかしどう考えても2:1。
どう身の置き場を確保すればいいものか。
まさかこんな事で悩むとは、葉山は思ってもいなかった。

しかしそんな葉山の悩みを知ってか知らずか。隆一より先にアルバムを世に送り出したイノランは、仕事の合間を縫っては隆一と葉山の元へ顔を出すようになった。
イノランが二人の方へ来れば、無理なく三人が揃い、ユニットの打ち合わせが出来る。

イノランが訪れるようになって、はじめの内は葉山の心中は落ち着かないものだった。

ところが。

二人に変わったところは、全くもって見当たらなくて。
近寄り難い空気感などは感じられず。
いつしか葉山は、自分の考えていた事は、単なる思い過ごしだったのでは…と思うようになった。手掛ける曲数も増え、葉山はこの事への関心が次第に遠のいて行った。

しかし、油断している時にこういう事が起こるものだ。

その日葉山は、別件の仕事で夕方から抜けなければならなかった。
この日も訪れていたイノランと隆一に挨拶をすると、葉山はスタジオを後にした。
外に出たところで、フト忘れ物に気付いた。明日でも良かったが、まだ目の前だから…。そう思って。
今出た建物に引き返す。
再び入り口を潜り廊下を進むと。
先程までいた部屋から、アコースティックギターの音色と、彼の歌声が聴こえてきた。

部屋に入るのが何と無く憚られて。
そっと僅かな隙間から覗いてみる。
葉山の良心が痛んだが、目の前のささやかなミニ ライブへの誘惑は、断ち切れなかった。

その向こうの光景に、息をのんだ。



夕陽のオレンジの光が射し込む室内で。イスにゆったりと座って、ギターを爪弾くイノランと。
光射す窓辺に寄りかかって歌う隆一。

その音色はどこまでも優しくて。その歌声は、甘く密やかに紡がれて。
音色と歌声が、出逢った事に歓喜しているような…。

イノランが隆一に微笑みかける。
気付いた隆一も、花のような笑顔を向ける。
イノランはギターを置くと、歌う隆一にそっと近づく。
二言三言。何か話すと、イノランは隆一の頬に手を添える。
はにかんだ隆一が、ゆっくり目を閉じて。唇が重なった。
離れて、また。今度は、深く深く…


長いキスをして見つめ合った二人の、あまりに幸せそうな、愛に溢れた雰囲気に。
葉山はまるで映画を観ているような…すっかり感化されて、切ない気持ちになってしまった。

そっとその場を去って、葉山は歩きながら思う。
やはり…というよりも、応援したい気持ちでいっぱいだった。
だって、たった一度目撃してしまっただけでも分かるくらい。相思相愛な二人。


「幸せをお裾分けされてしまった」


熱くなった顔に当たる風が心地良い。

今日は帰りに。大切な人に花束を買って帰ろうか…と。
葉山はそんな事を考えながら、薄暗くなった道を急いだ。












イノランの後を追うように、隆一もアルバムを世に出し。そのキャンペーンやら取材やら、次に控えたライブの打ち合わせやら。毎日が忙しない。

イノランはといえば、ライブの準備期間に入り。三人のユニットは、暫しの待機期間となった。

隆一とイノラン。とてもではないが、二人でゆっくり会う時間など取れるはずも無く。電話すらままならなかった。


イノランが家に帰り着いたのは、日付が変わったあと。
疲れきった身体を何とかもたせ、部屋に入ると倒れ込むようにソファーに沈んだ。



「はぁー…」


大きなため息をついても、気に掛けてくれる相手はここには居らず。
そのさみしさに、またひとつため息。

そういえば、ちっともメールチェックもしてなかったと、スマホを取り出す。
何やら色々来ているメッセージをぼんやり眺めていると。
イノランの目がパッと見開いた。


「隆ちゃん!」


《イノランこんばんは!


元気?無理してない?

俺は今日はライブのセットリストを考えてきたよ!

終わって、帰る時にね。
空にものすごく大きくて、まん丸な月が出ていたよ。

イノラン見た?

しばらく見ていたら、美味しそうで、お腹が空いたので。
夕飯を食べて、今日は早めに休みます。

明日はリハ。頑張るね!
イノランも、頑張ってね!

おやすみなさい。


追伸…イノランと見たかったな。美味しそうな月 …隆一 》



「りゅうーーー…もう何だ…この可愛いのは」



何度も読み返していると、無意識に顔が緩んでくる。



「……美味しそうな月?」


イノランは立ち上がると、カーテンを開けて夜空を見回す。
すると横に並ぶ建物の上に、大きな丸い月。
イノランは窓を開けると、じっと月を眺めた。

所々オレンジがかった大きな黄色の円。ぽってりとして柔らかい、お菓子みたいで、甘い匂いが漂ってきそう。
ーーー確かに美味しそうかもしれない。触ったらフワフワしてそうだな…。


うーん…。と考え込んで、イノランはハッとした。

この月は隆一みたいだと。

髪に触るとフワフワ。
柔らかくてぽってりした肌触り。
首筋に顔を埋めると、いい匂いがして。思わず舐めたりすると、甘い声が止まらない。



そんな事を思いながら月を見ていたら、恋しくなった。


「あーーー…会いたいよー…」


情けない声と一緒に苦笑いが溢れる。
思った以上に隆一が欠乏しているらしい。今ここに隆一が居てくれたらどんなに良いだろう。


音楽は二人を繋ぐもの。
だから妥協なんてしない。
時間だって惜しまない。
ーーーでも、それには隆一という力の源が必要だ。


もう寝ているだろうな…と思いを馳せて。
取り敢えず返信はしておこうと、また、うーん…と考える。
そしてさっき月を見て思った事を、そのまま送る事にした。

明日目覚めて、このメールを見て。
隆一はどんな反応をするだろう。
喜んでくれるだろうか。
それとも…



( ドン引きされたらどうしよう )



そんな様子も想像して、イノランはひとりくすくす笑った。















アラームで目が覚めた。

手を伸ばして目覚ましを止めると、イノランは起き上がって大きく伸びをした。



キッチンでコーヒーを淹れながら、朝のニュースをちらちらを眺めて。
クローゼットから、今日の服を取り出す。
天気予報の声を聞きつつ、コーヒーを一口飲んで、部屋の中を見回した。


( 隆、起きたかな )


( 今ここに、お前がいればいいのに )



瞬間、テーブルに置いたスマホが鳴り響いた。
ディスプレイには隆一の文字。
イノランは目を細めて電話に出た。



「おはよう隆ちゃん」

『おはよう!ねぇ、何?あのメール』

「隆ちゃんが教えてくれた月の感想だけど?」

『……嘘ばっかり』

「隆ちゃん…」

『なに?』

「ーーー…照れてる?」

『ーーーーー…恥ずかしいよ』

「ははっ」

『ーーー』

「ーーー」

『……ねぇ』

「ん?」

『…最近会えてないね』

「ん…俺、会いたくてしょうがないよ」

『ふふっ …俺も』

「隆ちゃんのライブも行きたかったな…」

『重なっちゃったね、ライブ。』

「次はさ、ずらそうな」

『うん!見に行きたいもんね』

「うん」

『ーーー…イノラン』

「ん?」

『ーーーーー…』

「……隆?」

『ーーー…声聴けてよかった』

「ーー…うん、俺も」

『ーーもう出るから。…じゃあ、またね?』

「ん…ありがとな、隆」

『うん』



ばいばい、と通話を切って。イノランはしばらくスマホ片手に立ち尽くす。
たった今聴けた声を反芻して、緩んでしまう顔をそのままに。

声を聴いたら。
ますます会いたくなった。






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