長いお話 (ひとつめの連載)
顔合わせの会食を終えて、ほろ酔い加減で3人は外に出た。
隆一の思惑通り?すっかり打ち解けたイノランと葉山と共に。ユニット始動への意欲と計画を膨らませて、今夜は解散となった。
まだ今なら終電に間に合うという葉山を見送って。
隆一とイノランは夜の街路樹の並木道を、ゆっくりした足取りで進んで行った。
明日はお互い、早い時間から別々の仕事があるから。
一緒にいたい気持ちはもちろんあるけれど、今夜はそれぞれタクシーで帰る。
それならせめて…と。少し先にあるタクシー乗り場まで足を延ばして、夜の散歩をすることにした。
夕方よりも風が強くなって。
ざわざわ揺れる街路樹の葉から、夜の匂いがする。
それがしっとりと心地よくて、隆一は深呼吸をした。
落ち着く。
…でも、心の奥では、ドキドキして落ち着かない。
隣にイノランがいるだけで。
実はこうして2人でいるのは、割と久しぶりだった。
お互いソロ活動も並行して行っているから。もしかしたら5人で行動していたルナシーの時よりも、オフが重なる日は少ないのかもしれない。
それでも一緒に並んで歩くなんて、何度だってしているのに。
隆一は、ちらっと横を盗み見る。
何とも涼しい顔で歩くイノラン。
いつもと変わらないように見える。
( …俺だけなのかな )
イノランは顔色ひとつ変えない。
隆一は悔しいような、複雑な気持ちになってしまって、俯いて唇を噛みしめる。
「ーーー…」
隆一が俯いたのを気配で感じたのか。
今度はイノランが横目で隆一を見る。
唇をきゅっと噛みしめているのを見て、僅かに微笑んでため息をつく。
そして力無く揺れていた隆一の右手を捕まえて、手を繋いだ。
「!」
隆一がぱっと顔を上げたのがわかったけれど、何も言わず。でも心の中では、隆一のわかりやすい反応を愛おしく思いながら言った。
「葉山君、いいね。すげえ良い子だなっていうのわかったし。音楽好きなんだなっていうのも伝わってきた」
「う…ん!そうでしょ?イノラン、絶対気に入るなって思ったもん」
「彼と音楽やるの楽しみ」
「うんっ!」
「…あと」
「ん?」
「こないだ隆ちゃんが言ってた通りだった。ーーー…ホントに、茶色くてでっかいリスだった」
ふっ…と。イノランはようやく隆一に笑顔を見せる。
隆一はそれだけで嬉しくなって、さっきまでのシュン…とした心は何処かに行って。お返しの笑顔をイノランに向けた。
恋人の笑顔だけで、気分が一気に変わってしまう自分に、(安上がりだなぁ…)と隆一は思いつつ。でも嬉しいものは仕方ないと、開き直ってにこにこする
。
でもそれは隆一だけではない。
イノランだってそうだ。
「隆ちゃん」
「なに?」
「…葉山君、隆ちゃんのこと好きだよね」
「?」
「見てて分かった。すげえ隆ちゃんの事、ちゃんと見てるし…好きなんだなって」
「…でもそれは」
「わかってる。葉山君と俺の、隆ちゃんへの〝好き〟は違うって。葉山君は、隆ちゃんをすごく慕ってる」
「…ん」
「でもーーーー…ちょっと妬けた」
もう十数メートル先に、タクシー乗り場のライトが光っている。
眉を下げて、じっとイノランを見つめる隆一。
イノランは繋いだ手を引いて、街路樹の陰に身を潜ませた。
「ーーー…イノラン」
「ん?」
「あの……もしかして、それで…?」
それでずっと黙りこくって、歩いていたの?と、面と向かって聞いてはいないけれど、そう思えて。
引き合いに出されて、葉山にとても申し訳ないけれど。
……くすぐったい…。妬いてくれたことが、嬉しくて。抑えられなくてくすくす笑ったら、何笑ってんだよ。と、抱きしめられる。
ぎゅっと腕に力が入って、そういえばこうして抱き合うのも、いつ振りだろうと考える。
「なんか…久しぶりだな」
「うん…」
「…やっぱダメだ。こうやって隆に触ってないと…だから変なヤキモチやいたりすんだよな」
「そうだよ、葉山っち可哀想」
セイウチにも嫉妬してたことあったよね?と隆一が責めた声音で言うと、途端に項垂れるイノラン。
「…だってさ」
「ん…」
「そういうもんじゃないの?…好きだから」
「ぅん?」
「独り占めしたいって。全部欲しいって…」
「…うんっ」
「隆。目、瞑って」
「…っ 」
我慢出来ないみたいに、深いキスをされて。よく考えれば、ここは人通りもあるのに。
でも、イノランの舌先が隆一の口内を掻き回す度、甘い声が溢れていく。
「ン……っはぁ…」
水音をたてて唇が離れると、目を開けた先のイノランの、バツの悪そうな苦笑が視界に入る。
隆一はイノランの頬をぎゅっと抓ると、もう一度唇にキスをして言った。
「葉山っちと、仲良くしてね!」
タクシー乗り場でイノランと別れると、隆一を乗せたタクシーは深夜の街を走り出す。
アルコールも少し入っているから、一人になった途端、急速に眠気が襲ってきた。
閉じてしまいそうな瞼を何とか持ち堪えて、外の景色に目を向ける。
深夜と言えどもネオンの明るい街並み。
週末のせいか車もそこそこ多い。
赤信号で止まった車内から、何げなく外を見ていたら。
ギクリと。隆一の身体が強張った。
タクシーからは、まだ遠いけれど。
目視が出来る位置に、見つけてしまった。
あの日以来避けていた、事故が起こった場所。
隆一は慌てて視線を反対側にずらして、見ないようにする。
信号が変わって、タクシーが動き出す。
幸いその場所は通らず、手前の交差点で曲がったけれど。
眠気が一気に醒めてしまった。
あの場所からすっかり遠ざかると、隆一はホッと息をつく。
退院前の診察で、隆一は主治医に聞かされていた。
事故のあった場所を訪れる場合は、初めは一人で行かない方が良いと。
特に隆一は稀なケースだから、どんな想定外な反応が起こるとも限らないから慎重に。
そう、アドバイスをもらっていた。
診察に付き添っていたイノランも、その言葉に頷いて。
無理はしないで、一緒にゆっくりやって行こうと確認し合った。
そんな事があったから、過敏になっているのかもしれないが。
急にとても心細くなって、ぎゅっと手を握りしめる。
こんな時、脳裏に浮かぶのはやっぱり彼で。さっき別れたばかりのイノランに、会いたくて堪らなくなる。
(イノランっ…)
心で彼を呼んで。…でも考えて、首を振る。
(さっき、おやすみって言ったところなのに…)
(……頼ってばっかりだ、イノランに)
隆一は眉を寄せて、自嘲気味に笑みを溢す。
(こんなだから、駄目なのかもしれない。)
(もっと強くなって踏み込まないと、思い出すなんて無理なのかもしれない)
車窓に映った隆一の表情から笑みが消えて。その視線はもう見えない、通り過ぎた場所に向けられていた。
……………………
今日はソロの取材と撮影。
隆一はマネージャーと共に撮影スタジオに赴いていた。
顔見知りのカメラマンと談笑しながら先に撮影を済ませ、休憩を挟んで取材。これから発売予定の新曲と、ソロ活動のこれからについて。
和やかに終わって、帰り仕度をしている時だった。相手方の同行スタッフが言った一言に、隆一は動きを止めた。
「ユニットの話聞きました!皆んなもう興味津々ですよ。もう少しかたまったら、是非特集組ませて下さい!
イノランさんとの色んなエピソードとか、葉山さんとの事も是非!」
嬉しそうに話すスタッフを前に、隆一は何とか平静を保とうと自身を繕った。
スタッフには何の悪意も無い。
ただ、新しいユニットを紹介したいと。馴染みの雑誌だから、善意で直接隆一にも言ってくれたのだろう。
悪意どころか、他意もあるはずが無い。
隆一の件はルナシーメンバー以外知らないのだから当然だ。そもそもこんな事態になっているなんて、考えもつかないだろう。
イノランとの記憶が無いなんて。
以前のイノランとのエピソードなど、読み、聞き知った、後から取り入れた情報しか、今の隆一には無い。
そんなもの隆一にとっては、偽りのものと同じだった。
それを、同じ時間を過ごした真実のエピソードとして語るなど、隆一は許せなかった。
猶予は無い。
誤魔化し通せる時間は、もう僅かだ。
綻び出したら、止まらないだろう。
自分だけの問題では無いと思った。
影響は、他のメンバーにも及ぶ。
もちろん周囲にも。
迷惑はかけられない。
そして何より彼に。
取り戻したい。
取り戻してみせる。
雨の水族館で誓った言葉を、改めて心に刻む。
隆一は決意して、踏み込む勇気を奮い立たせた。
渇望するのは、イノランとの記憶。
待っていて。
必ず、思い出すから。
もうすぐ夕方という頃。
隆一は仕事を終えると、家まで送るというマネージャーの申し出を断って、ひとり撮影スタジオを後にした。
まだ明るい道を歩きながら、隆一は前方を見据えて、どこか険しい表情だ。
隆一は決意していた。
数年の間、ずっと自分なりにあれこれ考えて来たけれど。
大きな進展も無く今日まで来た。
きっと無意識に、ブレーキをかけていた部分があったのだと思う。
主治医にもらった言葉も押し退けて、その向こうを見ようとする事は。
いけない事なのかもしれない。
それでももう隆一には。
これしかなかった。
これに賭けるしかなかった。
それに不思議と。
そうしようと、決めた途端に。
怖いものなんか、何も無くなった。
大好きな人との事を取り戻せるかもしれないと思ったら。
どんな事だって出来ると。
時折イノランの顔が脳裏に浮かぶ度、振り切るように頭を振る。
(ごめんなさい、イノラン)
心配させてばかり。
きっと頼ってばかりでは駄目なんだと。
イノランには言わずに。
あの日以来行かなかったあの場所へ、行こうと思った。
………………………
「お疲れ様でーす!」
イノランが仕事を終えたのは、陽が傾いた頃だった。
ラジオ収録と、その後スタジオに寄ってスタッフ達と新曲の制作だ。
この後飲みに行こうかと誘いがあったが、車で来ていたし何となく今日は早く帰ろうと思い。また誘ってね、と手を合わせてスタジオを出た。
煙草を取り出しながらスタジオの駐車場に降りて行く。出入口に備え付けの喫煙所で一服してから帰ろうと、ベンチに腰掛けて火をつける。
ふー…。と紫煙を細く吐いて、薄暗くなった空を見上げる。
慌ただしい時間は何も考えずにいられるけれど。
こうして一人になると、どうしても考えてしまうのは隆一の事だ。
イノランにとって隆一は。
もう好きとか嫌いとか。そんな言葉だけでは片付けられない、特別な存在になっていた。
この数年の間で、その想いは深く深くなって。
これほど愛おしい存在を、イノランは知らない。
というか。もうこの人生において、隆一以外考えられなかった。
その彼が、最近どこか揺れている事は。イノランの大きな心配事だった。
隆一の心を占めている問題が、自分に関わる事だと知っているから。嬉しくもあり、反面。複雑だ。
何でも言って欲しいし、力になりたい。支えたいし、頼って欲しい。
けれど…頑固な面を持つ恋人だから。そうそう、すんなり上手くはいかない。
(なんであんなに頑ななんだか…)
口元を歪めて苦笑いを溢しつつ、頭に描くのは隆一の笑顔。
(あれはもう…反則だよな)
溢れんばかりの笑顔を振り撒いて、名前を呼んでくれたら。もうそれだけで幸せいっぱいになれる。
「………」
その笑顔を守ってやりたい。
ずっと側で笑っていて欲しい。
それがイノランの願いだった。
だから近頃の、思い詰めた隆一の顔を見る度、辛かった。
「…もういいよ」
必死な姿を見る度、切なくなった。
「隆…もう、いいから」
思い出せなくたって…
pipipi...pipipi…pipipi…
唐突に、イノランのスマホが鳴り響く。
イノランは煙草を灰皿に押し付けながら、スマホを取り出した。
「⁉」
画面に出た発信元の名前に、イノランは眉を顰めると。
強張った顔付きで通話をONにした。
「はい。…はい!先生お久しぶりです。ーーーーー…はい。ーーーはい、……ーーーーーーー………え?…ーーーーーーー…はい、はい。……わかりました、すぐ行きます。…はいっ …じゃ後程、失礼します。」
通話を切ったイノランは、すぐさま車に乗り込んでエンジンをかける。
苛立ったようにアクセルを踏み込むその表情は険しくて。
夕闇の中、いつか通い慣れたあの病院へ、イノランは車を走らせた。
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