長いお話 (ひとつめの連載)
( ………明るい…? )
閉じた瞼の向こう側がほんのり明るく、暖かく感じた。
白い光が瞼の隙間から射し込んで。眩しくて、微睡みそうになりながらも、隆一はなんとか目を開けた。
ひどく身体が気怠くて、目線で辺りを見回すと。
目の前に見慣れた薄茶の髪があって、自分がしっかりと抱きしめられている事に気がついた。
( あぁ…そうだ。俺、昨夜イノランと )
急速に昨夜の事を思い出して、恥ずかしさで唇を噛みしめる。そして自分の身体に散った、無数の赤い痕を見つけて。その行為の激しさが蘇り、隆一はひとりで顔を赤らめた。
目の前で未だ寝息をたてるイノランを、じっと見つめる。
この瞳が好きだな…と、思う。
それから。この髪も、声も、指先も、いろんな表情も…。
( 結局、全部好きなんだ )
ひとりでクスクスと小さく笑っていたら、突然。ぐるりと景色がひっくり返って、横に居たはずのイノランが、上から見下ろしていた。
「っ⁉」
「何をさっきから、かわいいカオして笑ってんの?」
「なっ…なんだ、起きてたの⁇」
「おはよ隆ちゃん」
「ん…、おはよ」
イノランは起き上がると、隆一の腕を引いた。
身体を起こした隆一は、内腿あたりに鈍い痛みがはしり、僅かに顔を顰める。
「…痛い?」
そんな隆一の様子を目敏く見て、イノランは気遣わしげに手を伸ばした。
心配そうな目で見てくるから、隆一は緩く首を振って、微笑んで見せる。
イノランはホッと肩をおろすと、隆…。と、囁いて、隆一を抱き寄せる。
陽の光に透けたイノランの髪が飴色に見えて。とても綺麗で。
隆一は、ぼぉ…と見惚れてしまう。
その髪に触れたくて、そっと伸ばした手が、イノランに捕まった。
そのまま、優しいキスが降って来た。
ちゅ…ちゅっ…と。隆一の額や瞼、頬にたくさんのキスをすると、最後に大切そうに唇を重ねた。
「…んっ」
「…っ」
「ん…っぅ」
すぐに隆一から甘やかな声が漏れて。
イノランは、自制しつつも心が騒めくのを感じる。
イノランの腕に触れていた隆一の手指の先が。気付くと、くっ…と、爪先が食い込んで。
必死に快感を耐えているようで、イノランの心が更に煽られる。
こんな朝から…と自嘲しつつも。目の前に裸の身体の恋人がいて、無視なんて出来る筈なくて。
細々考えるのは止めにして。
既に蕩け始めた隆一に、唇を這わせた。
「ぁっ…だ…めっ」
「だめ?」
「ん…っ…だって」
「ん?」
動きを止めて、隆一の顔を窺い見る。
耳まで真っ赤にして、困ったみたいに眉根を寄せる。潤んだ目はイノランに訴えているようだ。
( また。そんな目で見て )
決壊しそうな理性をなんとか留めて。
イノランは辛抱強く隆一の言葉を待った。
「………明るいの…。恥ずかしいよ」
噛みしめた唇を解いて溢した言葉に。
イノランは思いを巡らせ、そう言えば…と納得する。
そして、ますます心に火がついてしまった。
隆一を抱きしめて、優しく耳元で言う。
「明るい所でするの、初めてだもんな」
「……うん」
「…でも、見たいな。陽の光の中の隆ちゃん」
「っ…」
「ぜったい、綺麗だし。どんな隆ちゃんだって、俺は大好きだよ」
「ーーー…」
「恥ずかしくないから」
しばらく視線を彷徨わせて、いつしか決心したのか。隆一は小さく頷いた。
「ありがと隆ちゃん」
「ん…」
「………隆…」
「ぁっ…」
「隆…」
「ん…ンっ…ゃ…っ」
ほの暗い夜の部屋とは違う。
暖かな陽射しの中で隆一を抱く。
僅かに染まった肌の色、滲む汗や濡れた唇が光って見えて。
やっぱり、とても綺麗で。
イノランは幸せそうに微笑んで、隆一に言った。
「隆ちゃん…っ…綺麗」
あんまり嬉しそうに笑うものだから、隆一もつられて、笑みが溢れる。
そして、見上げたイノランの熱に浮かされた瞳と、キラキラ光に縁取られた髪も、とても綺麗に見えて。
両手を伸ばして、イノランの肩口に絡ませて。引き寄せて、囁いた。
「イノランも…綺麗」
今朝は晴天で、どうやら海獣達も元気に泳ぎ回っているよう。
時折、鳴き声が響き渡る。
でも。2人には聴こえない。
お互いの吐息と声と、軋む音が部屋を充満して。
海獣の歌声に気がつくのは、もう少し先のこと。
シャワーを浴びて、ホテルのレストランで朝食を摂る。
ここへ向かう途中にも思った事だが。
他に宿泊客は居ないのだろうか?
ゆったりとした音楽が聴こえる他、人の声がしない。
レストランの入り口に着くと。
《朝食チケットをお入れください。御用のお申し付けは、このベルを鳴らしてください。》
そう書かれたケースと、イルカの取っ手のベルが置いてある他、スタッフも居ない。
今日の様にとても空いている日は、完璧なセルフスタイルという事だろう。
あまりの気楽さに、2人は顔を見合わせて吹き出した。
海の見える窓辺の席に決めて、それぞれトレーに盛り付けていく。
人が居ないにも関わらず、どの料理からも湯気が立ち昇って美味しそうだ。
「病院でも思ったけどさ、人の作ってくれる食事って美味いよな」
「うん。有り難みがね、じわじわ来るよね」
あれこれ話しながら食事を終えて、食後のコーヒーと紅茶でひと息つく。
隆一はチラリとイノランを伺うと、どこか言いにくそうに切り出した。
「ところでイノラン?…その。なんか、メール返って来た?」
すっかり忘れていたが、昨日自分達は、かなり強烈なメールを送った事を思い出した。
「あ、そうだね。全然メールチェックしてなかった」
そう言ってスマホを取り出すイノラン。その間隆一はゆっくり紅茶を啜っていると、イノランの突拍子もない声で、思わず紅茶を吹くところだった。
「な、なにっ⁉どしたの⁇」
「隆ちゃん…なんか。すごい」
「へ…?」
イノランからスマホを受け取ると、そこには3通の受信メッセージ。
それが。
長い。
「え。…何これ…」
メールタイトルを見ると、〝おめでとう〟やら〝祝〟などが並んでいる。ビッシリと並んだ大量の文字に目を白黒させる隆一から、スマホを取って。
そして、フッと笑った。
「隆ちゃん見てごらん」
隆一はイノランの隣の席に移動し、一緒に画面に目を移す。
《隆へ。
まずは退院おめでとう!
記憶の方はまだ完治ではないみたいだけど。体調の方は、もう完全復活な感じだね。
あの写真を見て、俺はスッゲー嬉しかった。
前々から俺は(多分アイツらも) いつになったら隆とイノは幸せになれんのかな…ってヤキモキしてました。
だってお前ら鈍いんだもん!あんなに近くにいんのに、何で気付かないの?って。そのくせ他人の事には気を遣うから、早くどうにかしてやりたかった。…どうにも出来ないんだけどさ…。
でも、イノがgravityを持って来た時にわかった。2人は幸せになれるって。
ぜってーなれるって。
きっとこれをキッカケに、隆はもっともっといい声で歌うようになるって、俺は確信したから。次に隆の歌を聴くの、楽しみにしてるからな!
イノへ。
まず、隆を無事退院させてくれて、感謝。ありがとう。同じメンバーとして、礼。
隆を綺麗に輝かせる曲は、イノにしか出来ないって思ってる。悔しいけど、もうずーっと前から思ってた。gravityを持って来た時、確信に変わった。
それは努力は勿論、性質だったり、相性だったり、想いだったりするんだと思う。
隆、身体は完治しても、まだ支えが必要な事きっとあると思うから。
前もお前に頼ってしまったけど、隆をよろしく。
なんかあったら、いつでも知らせろよ。 sugizo》
《退院おめでとう‼
隆。元気そうでなにより。キラキラしてるぜお前。
イノ。入院中、隆に付いててくれて、ありがとう。
…あの写真、ちょっと泣きそうになった。
ライブ‼ 2人で来いよ!
J 》
《隆ちゃん、退院おめでとう‼良かったよホントに。
イノ、ずっと隆ちゃんに付いててくれたんだな。どうもありがとう‼
あの写真見て、気分的には神輿担いで世界中を回りたいくらいなんだけどさ。早い話、俺はもう泣きました。
ずーっと前から、イノランはいっつも隆ちゃん見てたし、隆ちゃんはいっつもイノラン見てたもんな。
気づいてなかったのは、多分お2人さんだけです…。
皆んな知ってたし、皆んな祝福してくれるよ。今度、祝酒担いで遊びに行きます‼
ライブやるとき教えてよ!
真矢 》
読み終えて。
しばらく顔を見合わせていた2人は、ついに堪え切れなくなって、声を上げて笑う。
長い文章も、文面も。それぞれだけれど。
良かったって、思ってくれているのが伝わってくる。
離れていても、3人の優しさがわかって、嬉しい。
3人が一同に書かれた、これからの音楽を楽しみに思う言葉。
気合いが入るというものだ。
そして終幕以降、怒涛の日々を過ごして。ここでやっと、思う事が出来た。
終幕は、間違った事では、決してなかったと。
様々な葛藤も、無駄なんかじゃなかったと。
そう思えたのだ。
朝食の後、部屋のテラスから昨日は見られなかったセイウチを見る。
水の中でくるくる回る姿が可愛いと。隆一は大いに喜び、惜しみなく笑顔を向けて来る。
しかしイノランにとっては、セイウチより可愛いのは隆一で。
セイウチに夢中になっている隆一の様子に、大人げなくも、面白くなくて。
嫉妬だ…と思いつつ、止められなくて。後ろから隆一を抱きしめた。
「イノっ?」
どうしたの?と後ろを向いた隆一の唇を、強引に奪った。
「…んっ……ゃ…」
「ん…」
「…ぃのっ…」
性急なキスに、はぁ…と息をついて。
間近にあるイノランの顔を見つめると、視線をずらして気まずそうにしている。
「イノラン?」
どうしたの?と、もう一度聞くと、イノランはぎゅうっ…と隆一を抱いて、小声で言った。
「ヤキモチ。…嫉妬した。」
「え…?」
「………セイウチに…。」
「ーーー……セイウチに?」
「……だって…」
そっと身体を離して、額同士をくっつけ合う。
「そんなかわいい笑顔、振り撒かないでよ」
「ーーー…イノっ…」
「馬鹿みたいな事…言ってるって、わかってるけどさ」
「………」
「隆ちゃん…かわいいんだから、」
もう少し、自覚してよ…。
拗ねた口調で言われて、隆一は呆気にとられながらも、顔が熱くなる。
これだけ愛し合っているのに、不安げな表情を覗かせるイノランに。
隆一はなんだか、とても愛おしくなってしまった。
「セイウチが可哀想だよ?」
「……ん。…だよね」
「…でも、嬉しい。そんなに想ってくれて」
「ん?」
「俺も、イノランだけだよ?」
「ん。」
隆一の胸に込み上げる、暖かな愛おしい気持ち。
何度も伝えている〝大好き〟の言葉より、もっと特別な言葉を言いたくなって、声を出そうとしたら。
「…っ?」
頭の中の片隅で、ギターの弦みたいな、ピンっと引っかかる何かを感じて。
そのまま、言おうとした〝特別な言葉〟は出て来なかった。
( なに?今の…感覚 )
嫌な感覚ではなかった。
それどころか、身体の芯が熱くなるような、感覚。
その瞬間を夢見るような。
大切な約束を、叶えるような。
うまく言えないけれど。
今はまだ、言う場面では無いのだと、その状況ではないのだと。
そう思う事にして。
「隆ちゃん?」
急に黙り込んだ隆一を訝しむイノランに、ニコッと笑って見せて。
大好きだよ。と告げた。
帰りの、昼下がりの車内で。
通り過ぎる高速道路の景色を眺めながら、隆一はぼんやりと考えた。
テラスで感じた、あの感覚が。
忘れられなくて。
それが何なのか。
何を意味するのか、今はわからないけれど。
とても大切な事だと言うのは、漠然とだけれどわかった。
それは大切な。
約束。
記憶の秘密の扉を開ける、鍵になる言葉なのだった。
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