長いお話 (ひとつめの連載)
相変わらず止む気配の無い。
酷い雨の中、2人は水族館敷地内のホテルへと歩く。
ここの水族館は、広い敷地内に様々なアトラクションや鑑賞施設が点在する。
2人が宿泊するホテルの目の前には、教えられた通り。海獣達が居る獣舎の他、ショーを行う大きなプール。実際に海辺の生き物と触れ合える、人口の砂浜とタッチプールなどがあって。
夏場などは家族連れやカップルで、賑わうのだろうと思う。
辺りはもう真っ暗で。
チェックインしたのは、夜9時を少し過ぎた頃だった。
「うわー!おっきい」
イノランがフロントで手続きをしている間、隆一は興味津々にキョロキョロと見回して。
ラウンジの横に居た、大きな。隆一の背と大差無い位のペンギンのぬいぐるみに目を輝かせた。
(ふふっ…)
カードキーを受け取ったイノランは、ペンギンに夢中の隆一を見て、思わず顔を綻ばせた。
隆一はペンギンを撫でたり、手を掴んで握手をしてみたり。果ては抱きついてみたり。
成人男性がすることか!とツッコミたくなる行いだが。
それが隆一相手だと、困った事にかわいくて仕方なくて。
恋は盲目とはよく言ったものだ。と、イノランは妙に感心してしまった。
「隆ちゃん行くよ」
「あ、うん!」
2人の部屋は3階の獣舎側。
イルカやセイウチの見える部屋だ。
部屋に入った途端。
苦笑いのイノランと。キラーン˚✧と音が聞こえそうな程、喜び全開の隆一。
「みてみてっイノラン‼全部!イルカとペンギン!タオルも寝間着も、カーテンも!可愛いね」
「…まぁ、隆ちゃんが嬉しいなら…何よりだよ」
ひと通り部屋を物色して満足した隆一は、早速ソファーで寛いでいるイノランに言った。
「イノラン、肩、濡れてるよ」
「ん。傘ひとつだったしね。明日には乾くよ」
「靴も結構濡れちゃったね。一日雨の中に居ると、やっぱり少し冷えるね」
「隆ちゃん先にシャワー浴びといで。この上さらに風邪なんかひいたら大変だ」
「いいの?俺先で」
「…じゃあ、一緒に入る?」
俺は大歓迎だけど?と、ニヤニヤした顔で言われて。隆一は顔をバッと赤くして「ばかっ!」と言い放ってバスルームに駆け込んだ。
残されたイノランは、可笑しくて、ひとりで肩を震わせた。
熱い湯を浴びながら、隆一はほっと息をつく。
冬場の雨は、やはり冷たくて。
じわじわと末端から冷えていた身体が、だんだん解れていくのがわかる。
「…………」
湯を浴びながら、隆一はそっと自分の心臓に手をあてる。
「ーーー…」
どきどきと、いつもより速い鼓動。
その理由はわかっていた。
病院の中とは違う外の日常で、今日一日、イノランの側に居て。
ひとつの傘の下、指先が触れ合うくらい、呼吸すらわかるくらい近くで過ごして。
抱擁もキスも、何度もして。
その度に。
イノランの、隆一を見つめる瞳が。
ずっと求めていた。
おそらく、退院したての隆一を気遣ってなのだろう。口には出さないけれど。隠していても、伝わってくる。
あんなに側に居れば、気付いてしまう。
抱きたいって。欲しいって、思っていることくらい。
「………………」
イノランの事は好きだ。それだけは、声を大にして言える。
でも。ここでもやっぱり、記憶を失くした事が隆一を戸惑わせる。
以前の自分は、イノランとどう接していたのか。
どんな話をして、どんな事をして、どんな事を考えていたのか。
そして、どんな風にイノランを愛して、愛されていたのか。
イノランは前も今も。全然変わらないと、言ってくれたけれど。
隆一にとっては、覚えていない事実に変わりはなくて。
どうしても、不安が顔を覗かせる。
ホテルを勧められた時、断る事だって出来たはずだ。イノランも、隆一がNOと言えば、どんなに時間がかかっても、帰る選択をしただろう。
でも隆一は、2人で滞在する事を選んだ。
躊躇いが大きかったら、そうはしなかったはず。だからきっと、この決断は正しかったのだと思う。
イノランと一緒に居たかった。
この、雨に閉ざされた海辺の部屋に。
聴こえるものは、波と雨の音。
そう考えると、世間と隔絶された病室と大差無いな…と。ひとり、笑みを溢す。
でもきっと圧倒的に違うはずだ。
制限も何も無い今。自由だ。
自分の心のままにすればいい。
日常も、音楽も、この恋も。
直感に従った行動は、きっと間違わない。
「大好きだから」
この気持ちだけあればいいんだ。
隆一が上がると、イノランはテレビをつけて、ぼんやり画面を眺めていた。
「イノラン、先にありがとう」
「ん。あったまった?」
「うん。イノランも入っておいでよ」
「そうするね。…にしても、隆ちゃん似合うね。そのカッコ!」
イノランは、隆一が着ているイルカ・ペンギン柄の寝間着を指差して、くくっ…と笑った。
隆一は頬を膨らませると、ベッドに置いてある、もう一着をイノランに押し付けた。
「イノランだって!これしか無いんだからね」
イノランは受け取った寝間着を仕方なさそうに眺めて、ハイハイ…と浴室に消えた。
バタン。とバスルームのドアを閉めた途端、イノランは力無くしゃがみ込み込んで、盛大なため息をついた。
「はぁー……。ヤバイなぁ…」
この状況において、いきなり無防備な姿を見せ付けられたイノランは。平静な態度を崩さなかった自分を褒めてやりたかった。
風呂上がりの温かな身体で、いつもよりあどけなく見えて。
イルカとペンギンが視界にチラつかなかったら、すぐにでも手を伸ばしていたかもしれない。
今回の遠出は、あくまで隆一の羽を伸ばしてあげる事が目的だから。
ずっと、隆一に触れたい気持ちはあったけれど、我慢するつもりだった。
でも、何度もキスをするうちに、イノランの心に火がついてしまった。
ホテル滞在をあっさり決めた隆一に、正直イノランは驚いていた。
だが、あまりのはしゃぎ様に、これは純粋に喜んでいるだけなのかも…と。小さく落胆もした。
(まぁ…昔から天然なヤツだからな、隆は)
今頃シャチと遊びながら、セイウチを探しているかもしれない。
(隆の喜んでるところが見られるだけで、幸せなはずなんだけどな)
欲張りだ…。そう自嘲気味に呟いて、思い切りよく立ち上がった。
「隆ちゃん、出たよ~」
タオルで髪をガシガシ拭きながら浴室を出ると。先程までテレビが点いて明るかった部屋は、通路とベッドサイドの明かりだけで、ほんのり明るい程度になっていた。
( …歌声? )
部屋に足を進めると、ほんの少し窓が開いて、雨と波の音がする。
そしてその音に混じって、歌声が聴こえた。
窓の端に寄りかかるようにして、暗い夜の海を見つめながら、隆一が口ずさんでいる。
イノランはじっと、そのメロディーに耳を澄ます。
聴いたことの無い。耳を凝らさないと、雨と波の音に掻き消されそうな、美しく甘い歌声。
ルナシーの時でさえ、こんな声で歌った事は無いのではないか。
イノランは時が止まったように、その歌声に聴き入った。
先に話し掛けたのは隆一で。窓を閉めて、少し残念そうに言った。
「今夜はセイウチは、小屋の中みたいだよ?」
ハッとしたイノランに、隆一は優しく微笑む。
「そっか……。この雨じゃあね」
「でも明日は会えるかもしれないし」
「そうだね」
沈黙が流れる。
上手い言葉が出てこなくて、焦る。
隆一も俯いて、どこか所在無さげだ。
「ね。隆ちゃん、今の歌、ソロの?」
沈黙を破ったイノランの言葉に、隆一は緩く微笑んで首を振った。
「これはね、曲にはしない」
「すげえ綺麗だった、今の。曲にしないの?」
「しないよ。今のは即興。ーーー皆んなに、聴かせたい歌じゃない」
「え…?」
「………イノに」
「………」
「…………イノランだけに…聴いて欲しかった」
そう言いながら、恥ずかしそうに上げた隆一の視線と交わって。
その瞳から、目が離せなくなった。
薄暗い部屋でもわかる、隆一の。
ゆらゆら光が滲む瞳。
イノランは、やっと抑え付けていた心の熱が、急速に広がっていくのを感じる。
「隆ちゃん」
ゆっくり近づいて、隆一の前で立ち止まる。
すると。触れてもいないのに、隆一の匂いと体温が感じられるようで、目眩がしそうだ。
「俺の為に、歌ってくれたの?」
「うん。…だって…」
「……だって?」
こくり。と、イノランは喉を鳴らす。
「イノランしか…見えないから」
隆一の両腕が、イノランの首元にやんわりと絡みつく。
「……イノラン…」
「ーーー…」
「イノラン…」
「ーーーーー」
「イノラン…………」
触って…?
身体に、電流が走ったみたいだった。
「んっ………っ…ふ……」
「っ…は…」
「…っン…」
「隆…ちゃんっ…」
窓辺に立ったまま、隆一を抱きしめて重ねた唇。今日何度目かのキス。
苦しそうな息遣いが聞こえて、唇をそっと離す。
「…隆ちゃん」
名前を呼ばれて、隆一はイノランを見つめる。肩で息をしながら、頬を上気させて、蕩けきった表情を向ける。
「っ隆ちゃん…」
「……ん」
「…いいの?俺もう、止まんないよ?」
「いいよ。ずっと…待たせちゃった」
「隆…」
ぎゅうっ…と抱いて、噛み付き合うようなキスをして。そのまま、ベッドに倒れ込んだ。
唾液が溢れるのも気にならないくらい、夢中でお互いの口内を犯すと。重ねた隆一の指先に、力がこもる。
イノランは布越しに、隆一の胸を弄る。もうすでに先端が硬くなっているのがわかって、指でさらに刺激する。
「ぁっあッ…」
直接ではない、布越しの感覚に。快感でゾクゾクと身を震わせて仰け反る隆一を見て、イノランは嬉しそうに囁いた。
「隆ちゃん…かわいい」
イノランの視線が向いているのが分かる。恥ずかしくて、どうにかなりそうで。必死で手で顔を隠そうとするけれど、手首を掴まれてしまって、それも叶わない。
「や…っ」
「…隠さないで、見せてよ」
「やっ…だ、やだ…イノっ…」
「俺しか…見てないよ?」
涙を溜めて、首を振る隆一を、安心させたくて。唇で涙を吸い取って、薄っすらと目を開いた隆一に、微笑んであげる。
「隆ちゃん…こわい?」
「ーーーっ…」
「隆ちゃんが辛い事は、絶対しない。ーーー気持ちよく、なって欲しいよ」
「イノラっ…」
「それにね隆ちゃん。俺たち、はじめてじゃないよ?」
「ーーーぇ…?」
「俺と隆ちゃん、セックス出来たんだよ?初めてだったけど…気持ち良くて、超幸せだった」
「……」
「こわくないよ」
「イノラン…」
「な?」
「ーーー……うんっ」
隆一は、やっと笑顔を浮かべて、イノランに縋り付く。
2人共服を全て脱いで、もう一度抱き合う。どちらも鼓動が、すごい速さで。
自分の身体が、自分のものじゃないみたい。
イノランは隆一を横たえて、丁寧に舌を這わせる。
指先一本一本、キスをして。左腕の傷痕を、なぞるように舐める。
鎖骨を通って、胸を吸って、軽く先端に歯を立てた。
「ぁんっ」
「ここ?」
「…っん」
隆一のいい場所を見つけると、執拗に攻め立てる。
「あっ…ァ…ん…」
「気持ちいい?」
隆一がコクコクと頷くのを見て、イノランは口角を上げる。
そして、隆一の脚を撫でながら言った。
「隆ちゃん、今、何も持って無いから」
「んぅ?」
「入れるとき痛くさせるの嫌だから。少しだけ、我慢してくれる?」
「…?」
イノランはそう告げると、隆一の脚を抱えあげた。
いきなり全てを曝け出す格好にされて、恥ずかしさと不安感で、隆一は身体を強張らせてしまう。
「やっ…イノ…」
「大丈夫、痛くしない。…それに」
「…?」
「…隆ちゃん、超かわいい」
隆一の後孔に、イノランは舌を這わせる。慣らすように舌先を差し込むと、隆一から甲高い声が出る。
滴る程じゅうぶんに唾液で濡らすと、イノランは隆一を見下ろした。
涙でぐちゃぐちゃになった顔は、頬が真っ赤に染まって。切なげに寄せられた眉と、震える噛み締めた唇。
それでも、視線だけは、イノランから離れない。
ハアハアと、荒い呼吸の隆一が。
イノランに手を伸ばす。
伸ばした指先が、イノランの腕に触れる。繋いだ視線がふっと緩んで、隆一は、にっこり微笑んで言った。
「いいよ」
もう、こわくないよ。
隆一の小さな囁きに、イノランは身体が粟立つのを感じて、頷いた。
「ん…俺も…。も、限界」
再び手を重ねて、ぎゅっと指先を握り込む。安心させてあげたくて、キスをして。力が緩んだ時に、イノランは自身でゆっくり、隆一を貫いた。
「んっ…ぁっ……ン…」
「隆っ…隆…ちゃん」
「ぁあ…ンっ…いのっ…」
突き抜ける快感と幸福感で、頭が朦朧とする。
気持ち良すぎて、幸せで。泣けてくる。
「りゅっ…一緒に、」
「あっ…ぁんっ、あっ…ぁっ…」
「隆ちゃんっ…大好きだよ」
最奥を愛した瞬間、2人で放って。
まだ熱い身体を抱きしめる。
すぐに離れるのが嫌だったから、繋がったまま唇を重ね合わせる。
そうしたら隆一も背中に手を回してくれて、離れたくないって言っているみたいだ。
「しあわせ…」
「ん?」
「イノラン…大好き」
「ん…。ありがと」
目を合わせて、ふふっ…と笑う。
その笑顔に、イノランの心がまたドキン…と跳ねる。
繋がったところを、ぐっと軽く突くと。隆一が小さく喘ぐ。
気を良くしたイノランはにこにこと嬉しそうに言った。
「もっとさ。しよっか」
「ーーー…っ 」
「もっと、愛してあげる」
「イノ…ラ…ン」
うんっ…と隆一が頷いたら、イノランは満面の笑みでその身体を抱え上げる。
隆一の匂いと湿った熱い肌。止まらない声と隆一の全てが。
イノランを魅了してやまない。
でもきっと、根底にあるものは、シンプルなただひとつのこと。
それさえあれば、何でも出来る。越えられる。
「好きだよっ …」
この気持ちひとつで、どこまでも翔べるんだ。
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