長いお話 (ひとつめの連載)








懐かしい思いで、イノランは再び口元に笑みを浮かべた。


あの日からだった。
隆一と居る時、隆一の事を考える時だけに現れる。
イノランが、ずっと昔から心の中にあった、正体不明の???の存在が、はっきりと判ったのは。


隆一に恋をしていた。
好きになっていた。
きっと隆一を、初めて見た時から。

自覚した、その事実の大きさに。
自分自身、衝撃を受けると思いきや、イノランはとても素直に、むしろ喜びをもって受け入れた。

出会ってから今までの年月の長さに、もったいない…と苦笑いを漏らすと共に。
急に世界が潤んだように、煌めき始めたような、そんな感覚に。
イノランは驚きと感激に、胸を震わせたものだった。


ずいぶんと冷えてきた外気を吸い込んで、ふう…と吐き出す。

終幕が決まってから、イノランの心が晴れない。その理由は。

隆一と一緒に、居られなくなる事だった。


終幕したって、元メンバーである事に変わりはないんだから。
会おうと思えば会える、とか。
音楽を続けていれば、会う機会だってあるはず、なんて。

そんな単純な考えでは、もう納得出来なくなっていて。

考えれば考えるほど、頭の中はぐちゃぐちゃになって。
正直、この感情をどう片付けたらいいものか、自分はどうしたいのか。
わからなかった。


時計を見ると、そろそろ休憩が終わる時間で。イノランは溜息をつきながら、屋上を後にした。





スタジオに戻ると、隆一が声を慣らしていて。イノランが入って来た時に、一瞬ホッとしたような顔をしたのを、イノランは見逃さなかった。

何となく辺りを見回すと、また何か不穏な空気がながれている。


近頃は、楽屋も別々。あまり話もしない状態になってしまっているから。
こんな長時間のレコーディングで、ずっと顔を突き合わせていると、重い空気が充満しても仕方がないのかもしれない。

こんな状態の今だから、スタッフもどこまでメンバーに介入していいのか躊躇っているようだった。

それでも時間は待ってはくれない。
レコーディングを終わらせなければならない。

隆一がブースの中へと入って行く。
扉を閉める前、ほんの一瞬メンバーの方を見た、隆一の瞳が。

〝終わりだよ?最後だよ?
こんな終わりでいいの?〟

そう、訴えているようで。
イノランは隆一から、目が離せなくなって。
これからたった一人で、最後の歌を歌おうとする隆一に、苦しい程に胸が締め付けられて。

イノランは言った。



「隆の歌、聴こう?」



隆一の伸びやかな声無くして、どうルナシーの曲を作り上げるのか。

フロントマンとして、常に外と内の間にいてくれた隆一。
心無い言葉も、様々な負の感情も、一番その身に受けてきたのではないだろうか。
それでもいつだって、音楽で魅せたいと。何でも無いように笑って、和ませて、綺麗な声を響かせてきた。

だから。今のこの、隆一を慮ってやれない状況が、悔しかった。







隆一から目を離さずに、静かに、穏やかに声を発するイノランに。
そこに居た全員が、その静かな横顔を凝視した。


ガラス越しに視線を交わし合う2人の表情が、フッと微笑みによって緩んだ。


ーーーいいよ。思い切り、歌いな。

ーーーうん、後悔しないように、歌うね。

ーーー…ちゃんと、見てるよ?

ーーーうん!ありがとう、イノちゃん。


声にならない、気持ちの交流が。隆一の心を奮い立たせる。

4つの音が絡み合って、カタチ作られた音の波が、隆一の声を迎え入れる。
声という命の宿った音は。
キセキの音楽になる。
ルナシーという唯一無二の音楽に。


ーー…でも、終わりにしよう…。




最後の残響が消えて、そっとヘッドフォンを外した隆一の頬に。
一筋の滴が伝い落ちるのを見た。

隆一はぐいっと袖で目元を拭うと、いつものにっこりした笑みで、メンバー達に「どうかな?」というように視線を投げかけた。


イノランはチラリと周りを見回すと。どうにも皆、声を発せずにいるようで、そんな様子に苦笑いをこぼして。
隆一の方を向き直ると、「最高!」と親指でサインを送った。

それを見た隆一が、満面の笑みを向ける。イノランもそれを受け取るように笑顔を向けた。

途端にスタジオの空気がふわりと動き出す。張り詰めたものが、ゆるゆると解けていく。

ブースから出て来た隆一にメンバー達が駆け寄った。先程とは違う柔らかな雰囲気で。

「隆、良かったよ」

「…いいんじゃん?」

5人の中で大きなスギゾーとJが、どこか照れ臭そうに言う姿に、隆一はなんだか可笑しくなって。つい笑ってしまった。

真矢がイノランに声をかける。

「ありがとね、イノ。俺もなんか、うまく言えなくてさ」

「いやいや。最後くらい、真ちゃんにはラクさせてあげないと!」

いつもいつも真ちゃんに助けてもらってるよ。
そう言ってニヤリと笑うイノラン。



動き出したメンバーの雰囲気に、スタッフ達も息をつき、ホッとした様子で。詰めの作業に入る為、慌ただしくなるスタジオの中で。
いつ来ていたのか、隆一が、イノちゃん。と、袖をくいくいと引っ張った。

「隆ちゃん」

どした?と問い掛けてやると、隆一はジッとイノランの目を見て言った。

「さっき、ありがとう」

そして、少しだけイノランの耳元に顔を寄せると。内緒話をするみたいに囁いた。

「見ててくれたから、安心した。嬉しかったよ?」


イノランはその瞬間、すぐに理解が追いつかずポカンとしてしまう。が、時間の経過と共に、すごく特別な言葉を言われた事に、ようやく気がついた。
隆一の顔を見たら、どこか恥ずかしそうにはにかんでいて。

クラリ…と目眩がした。
こんな感覚が、隆一を見て起こるなんて。こんなの初めてで。
いつしかイノランは、自分の心臓がドキドキと高鳴っているのを、自覚した。







ドキドキと高鳴る鼓動が、やけに大きく聴こえる。


この騒ついた胸の内が、隆一にバレないように。イノランは必死で、何か言わなければと、口を開いた。

「俺…役に立てたんだ?」

「うん。」

「良かった」

「…うん。」


珍しく多くを語ろうとしない隆一。しかし離れる気配は見せず。
袖の端を掴んだ手は、いまだそのままで。
妙に余裕の生まれたイノランは、こっそりと隆一をじっくり眺めてみた。

まず思うのは、小柄だなぁ…という事で。いや、自分だって大きい方では無いけれど。
どこか中性的なところがあるのかもしれない。
ステージにいる時は、あんなに力強いのに。

そして目を惹く艶やかな黒髪。
今は前髪を無造作におろしていて、それがまた、あどけなさを出している。

後はもうキリがなかった。
睫毛長いな…とか
瞳が潤んで仔犬みたい…とか
口元ってこんななんだ…なんて。

今までずっと一緒いたのに。
ずっと見てきたはずなのに。
なぜか、そのどれもが新鮮で。
ふいに、頬に目がいって、なんだか無性に触れたくなって。
さっき涙が伝っていった、その白い頬に。
そっと指先で触れてみた。


びくりとした反応が、伝わってきた。
一瞬驚いたような目でイノランを見た隆一。
そんな様子に、イノランの中に庇護欲が湧いて。指先から手のひらに移して、頬を包むように撫でると、次第に気持ち良さそうに、隆一が瞼を閉じた。

ドキンと。またイノランの鼓動が跳ねた。

周囲の音が急に遠くなって。
今ここに2人きりになったような。そんな錯覚に陥ってしまう。

胸の内で、今だ行き場に悩んでいる、隆一への想いが騒めきだす。

目の前には無防備な隆一。
どうしたって目がいってしまう、その赤味を帯びた唇に。
触れたい、と。
キスをしたいと、思っている気持ちが確かにあって。
頭の端で。ああ、やっぱりこういう意味で隆一が好きなんだ…と。妙に納得したりして。
吸い寄せられるように、そっと顔を近付けた時だった。

スタジオ内に響き渡る大音量の音で、イノランはハッと我に返った。
どうやらスタッフが音量を間違えたらしく、すみません!と声が聴こえる。

我に返ったイノランの眼前で、隆一の驚愕の表情と、向かい合わせになった。
大きく瞳を開いて、口は半開きになって。そしてさっきまで白かった頬は、今は真っ赤で。

そりゃそうだよな…と隆一を見て自嘲する。
目を開けた瞬間に、こんな近くにいたら。何をされようとしてたか…なんて、すぐわかるだろうし。
どうフォローしたものか…と悩み始めたイノランに。
隆一は頬を染めたままニコッと微笑むと、掴んでいた袖をそっと離して。

パタパタと、スタジオから廊下へと出て行った。





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