長いお話 (ひとつめの連載)
外の世界が明るくなった気配で、イノランは目を覚ました。
数回ぱちぱちと瞬きをすると、意識がはっきりするのが分かって。
イノランはぐるりと周りを見回した。
「イテッ…」
結局あのまま隆一の側で眠ってしまっていたようで。ずっと同じ姿勢だったからか、身体に痛みが走った。
麻酔がきれている筈の脚は、思った程痛みもなく。グッと足の裏を地に着けても、昨日のように力が入らないという事は無くて、イノランはホッと息をついた。
時計に目をやると、朝の6時半だ。
窓の外は昨夜の大風が嘘のように、穏やかに晴れ渡った、冬の空で。
今ここにこうしている事が、夢の事だったように思えてくる。
室内を見渡すと、昨夜とは印象が違って見えた。もっとも昨夜は、混乱していたところもあると思うけれど。
陽の光が差すだけで、とてもあたたかく感じる。
白い壁。白いカーテン。白い天井。
そして、白いベッドの上。夕べから同じ体勢のまま、すやすやと安らかに眠る隆一。
イノランは顔を綻ばせると、語り掛けるように囁いた。
「今日は、目を覚ましてくれるかな?」
声が聴きたい。大きなその瞳を見つめたい。
髪に手に唇に触れて、笑顔が見たい。
話してあげたい事が、たくさんある。
「隆ちゃん…」
やわらかく指を絡めて。
誘われるままに、唇を重ね合わせて、耳元でそっと。
「がんばれ、…」
あたたかい病室の中、2人きり。
病院独特の薬品の匂い。
規則正しく落ちる、点滴の色。
2人の身体に巻かれた、包帯の白。
窓の外の冬空。
やわらかな陽差し。
あともう少ししたら、朝の検温と、朝食の時間。
それから少ししたら、あの賑やかな3人が、やって来るだろう。
それまでは。
このどこか目眩のするような、甘美にも思える2人の時間を。
緩やかにおちる瞼とともに。
イノランは再び寄り添ったまま、微睡みはじめた。
……………………
イノランは検温と朝食を済ませ、特にする事も無く。
相変わらず、隆一の傍の椅子に座る。
髪に、肌に触れ。じっとその寝顔を見つめる。
思えば昨夜からこの繰り返しだったが。全然飽きたりしないのが、不思議だった。
寧ろ今までの、駆け抜けるように進んだ日々を思うと。
今のこのゆっくりと流れる時間が、とても贅沢なものに感じられた。
…♪~♬♪~…♪…
つい口から、メロディーが溢れる。
起こすといけないから、その声は微かなものだが。
隆一を見ていたら、新しい音楽が生まれたのだ。
(ふふっ)
こんな時でも音楽が付いて回る自分に微笑して、思いつくままに口ずさむ。
隆一を想うと、色々な感情が生まれる。
希望、絶望。光、闇。苦しみ、歓び。
切なさ。冷たさ。あたたかさ。
愛おしさ。
そのどれもが、愛情と共にあるものに思えて。
その移ろいゆく。
日々、刻々と変化する感情が、イノランの心を潤してゆく。
音楽の源になる。
( 好きだから )
どんな苦い感情に支配されたって、結局。帰結するのは、ただひとつの事なのだ。
とりとめなく考えながら、ぼんやりしていると。数回のノックの後、メンバー達が入って来た。
中に入るなり隆一が眠っているのを確認すると、スギゾーと真矢が声のボリュームを下げて、イノランに声を掛けた。
「ようー、はよ。」
「おはよ。みんな早いね」
「もう気になって仕方ねえよ。俺、超寝不足。お前ちゃんと寝たか?」
「ちゃんと寝てるよ」
「脚は?どうよ」
「麻酔きれたけど、あんま痛くない」
「そっか、良かったなあ」
「ヒマだろ。ギターも触れねーしさ。色々持って来たよ、本とか」
「ありがとー!スギちゃん。ーーーでも何かヒマって訳でもないってゆーか。回診とかって、結構あるんだなって。三食しっかり食えって言われるし」
「ははっ、マジで?」
「うん。…あとは隆のこと眺めてるし…。飽きないし。」
ぽつり呟いたイノランの言葉にスギゾーと真矢は。ポカンとした表情で、イノランを凝視する。
「ん?なに?」
「…や。…うん、何ていうか…」
「?…なんだよ」
「……お前ホントに、隆のこと好きなんだな」
「??……好きだよ?」
即答かよ!そう言うと2人は、眩しげに目を細めた。
「良いねぇ。なんか羨ましいね」
うんうんっ。と感慨に耽る真矢。
「りゅうー~!お前すっげえ愛されてんだぞ?…って、J ‼ 何さっきから隆のこと見てんだよ」
ここに来てから、じっと隆一を見続けるJに、スギゾーがすかさずツッコミを入れると。Jは視線を離さず呟いた。
「だってよぉ、コイツさ。」
「何だよ?」
「隆ってさ。こんな、かわいかったっけ?」
「あ?」
「………」
「オイオイJ、何言ってんの」
「だって仕方ねーじゃん、今気付いたんだからさ。見てみろよ」
「えぇー?」
「あんなぁJ。隆はずーーーっと前から可愛かったの‼ 今さらなぁ、なに言って……」
Jに言われて隆一を覗き込む2人。そしてそれを、静かに傍観するイノラン。
「………」
「………」
「 な?」
じっと見たまま動かなくなった2人に、Jは勝ち誇ったように言う。
寝顔なんて、実はあまりじっくり見た事が無くて、気付かなかったのかもしれないが。
それにしても。
「宇宙的だな」
「はあ?またイミわかんねー事を」
「何でわかんねーんだよ!超可愛いって事じゃねーかよ!」
「だったらそう言えばいいだろが‼」
「わかれよ!何年いっしょにいんだよ!」
「オマエの○○的なんて、わかりたくねーっての ‼」
「んだとぉ!」
「やめろって!ここ病院だろ!この部屋にも2人患者がいんだろが」
相変わらずの言い争いを真矢が止めるという。いつもの成り行きの傍で。
イノランは静かに隆一を眺めていて。その見つめる瞳に、愛おしさが溢れているのに、3人は気が付いた。
「何だよ…そんな姿見せられちゃ…さぁ…」
ちょっかいも出せないじゃん。と苦笑いのスギゾー。
それを見ていたら、切ない気持ちになって、つい感傷的な事を言ってしまう。
「早く、目覚ますといいな」
「うん…」
コンコンと扉がノックされ、看護師が入ってくる。
「河村さん、点滴の交換です」
薬液を付け替え、バイタルチェックをし始める。
「麻酔はもうきれているので、そろそろ目を覚ます頃だと思います。今は点滴に痛み止めも入っていますが、もし目覚めてすごく痛がっていたら、すぐ知らせて下さいね」
そう言って看護師が出て行く。
もうすぐ目覚めるかもしれない。
隠しきれない期待で、胸の辺りがざわめいた。
あんな事を経験したから。それに比べたら待つ事位、なんでもないけれど。
それでも。
…はやく、目覚めてほしい。
急く気持ちを、ぐっと鎮めた。
隆一の前髪がパサリと目を隠していたから、梳いてやろうとイノランが手を触れた時だった。
隆一の瞼が、僅かに震えて。
ゆっくりと、目が開く。
数回瞬きをした後、しっかりと目を開けた。
「…隆?」
イノランが伺うように声を掛けると。
隆一の瞳が、傍のイノランを捉える。
まだぼんやりした眼差しで、しばらくイノランと視線を合わせている隆一。
「隆ちゃん」
イノランはもう一度、名前を呼んだ。
捉えたままの視線は、外れなくて。イノランも応えるように、隆一の目を見つめる。
3人のメンバー達から見たら、感動の目覚めのように見える、この光景。
でも。
イノランは気付く。
何か違う…と。
目覚めた隆一に、微笑みかけたいのに、上手くいかない。それどころか、頭の中で警鐘が鳴って。
首筋が、キン…と強張るのがわかる。
妙に冴え渡った頭で、瞬きするのも忘れて。
イノランは息を詰めてもう一度、彼の名前を呼んだ。
「隆…ちゃん…?」
隆一の瞳が、急に潤む。
表情が欠落したみたいに、見つめる先は変わらずに。
次々と涙がこぼれる。
はらはらと、止まる事を、忘れたように。
声も出さず。
何はともあれ。
涙を拭いてあげようと、イノランがそっと手を伸ばすと。
隆一は、くっ、と眉を寄せて、唇を震わせた。
「ーーーーーー…っく…っ……ぅ…」
ついに嗚咽を洩らして泣き出した隆一は。それでもイノランから目を逸らさずに、口を開いた。
「………わかん…ない……」
「………え?……」
「わからないっ…よ…」
「……りゅ…」
「……あなたは……だれ?」
アナタハ ダレ ?
「……え。…」
隆一の言葉が、繰り返し、頭に響く。
言われた意味が、すぐに理解出来なくて。その言葉の文字のカタチだけが、ぐるぐるとイノランの頭を駆け巡って。何度もその意味を反芻した、その後に。じわじわと脳に染み込んで、ようやく、その意味を理解する。
「…隆ちゃんっ?」
あなたは、だれ?
〈君は俺の事を、忘れてしまった。〉
……………………
隆一は精密検査を受けた。
ガラス片を浴びた際、頭部にも多くの傷が付いたが。それが記憶を失う程の、強力な衝撃になったかといえば、そうでも無く。
大きな打撃を受けた形跡は無かった。
院内の、様々な診療科の検査と診察を受けた隆一は、病室に戻る頃には疲れ果てていた。
隆一と入れ違いで、看護師に呼ばれるメンバー達。イノランも車椅子に乗り、4人で別室に赴いた。
隆一の主治医がそこに居て。数枚の資料と画像を広げながら、話を始めた。
白髪の混じった、どこか優しげで、ゆったりとした雰囲気の医師で。
気の昂ぶる4人は、ホッと息を吐いた。
「長い検査で、お待たせしてすみません。彼もよく頑張りました。
ーーーーーーーーーーーさて。…では、結果ですが。」
同じタイミングで、4人がゴクリと喉を鳴らす。
「部分的な記憶障害と、結論付けます。身体的損傷は多数ありますが、先の説明の通り、一番重傷なもので左腕。10日程度で完治するものです。
外的な理由での記憶障害ではなく、心因的なものと考えます。
部分的という言葉を使うのは、全てを忘れてしまっている訳では無いという事です。
あらゆる情報を元にテストをしました。私的な生活、人間関係。ミュージシャンという事で、職業、音楽に関する事など様々ですが、彼はちゃんとわかっていました。彼を取り巻く日常、手掛けた楽曲、今までの歩み、自分自身の事。スラスラと答えてくれました。」
ここで言葉を区切ると。医師はゆっくりと、イノランに視線を向けた。
「井上さん。彼と一緒に事故に遭われた、イノランさん」
「ーーー…はい。」
「…彼は、あなたに関する記憶を、失くしています」
イノランはとても静かな目で、医師の視線を受け止めて。そのまま、言葉を発する事は無かった。
医師の眼差しが、何の分け隔てもなく穏やかなものだったのが。
それだけが、今は救いだった。
穏やかな医師の声だけが響く室内に、静かに言葉を受けるイノラン。
静寂が流れる。
そんな様子に、居たたまれなくなったJが、声をあげた。
平静を失っているのが、声と表情に滲み出る。
「あのっ…。え、…どういう事ですか?コイツの事だけって…」
「酷ですが…言葉の通りです。
イノランさんの名前から出逢い。今までに至るまで、イノランの作り上げる音楽についても」
「そんなっ…何で⁉」
「J、落ち着け」
「落ち着いてられるかよっ!だって知ってんだろっ、イノと隆がどんだけお互い大事に想ってるか。百歩譲ってさ、イノの事だけ憶えてるってんならまだ分かるよ‼ 救われるよ‼ーーーなのにっ…」
「 Jっ…」
医師に掴み掛かりそうな勢いのJを、スギゾーは強引に手を引いて座らせる。
「ーーーーーっっ」
カタカタと震えるイノランの身体を、真矢が宥めるように、手を回す。
そして激情を必死に抑えた声で問いかけた。
「隆が目を覚ました時、アイツ、イノランを見て泣いてました。ーーーそれってどういう意味があるんでしょうか⁉
本当に全部忘れてたら、あんなにならないんじゃないかなって…。なんかもう、見ててこっちまで辛くなった。
…ホントにイノの事だけ、それだけ記憶を無くすなんてあるんですか⁉」
イノランを宥める為に回された真矢の手は震えていて。
恐らくイノランが問いただしたかった事を、代弁するように訴える。
医師はそんな4人の様子を見て小さく頷くと、静かに話し始めた。
「検査には私も立ち会いましたが、その時も彼はずっと泣いていました。イノランさんについての質問をした時“もどかしい”と言いました。
『名前も、どんな人なのかも、彼の奏でる音も何もわからないのに、すごく大切な人だっていうのは分かる。彼を想うと胸が苦しくなって、涙が止まらない。』と。」
「ーーーーーーーーーー…っ」
ここまで話すと、医師はふっ…と微笑みを浮かべた。
「河村さんを見ていて、思いました。
記憶は確かに失くしてしまったかもしれない。ーーーでも、イノランさんと今まで築き上げた、その時々で生まれた心や感情は、彼の中に残っていると」
でなければ、あんなに涙を流すなどあるだろうか、と。そう呟く医師の言葉に、イノランは目を見開く。
そんなイノランに、医師は優しい眼差しを向ける。
「一過性のもので、何かの拍子に記憶を取り戻すか。それとも、このままか。事故がキッカケになったかもしれないが、記憶を失くす程の本当の原因は何か。
それは正直、私にもわからない。彼にだってわからないでしょう。
ただ過去の事例で、突然元に戻るという患者さんも見ている。…だから、希望は無くさないで下さい。
そして何より彼は、あなたの事が大切だという、ある意味一番大切なものは、失くさずしっかり持っている」
ポタリ…。
イノランの瞳から滴が落ちる。
隆一の、花が咲くような笑顔が、脳裏に浮かんで広がっていく。
「どうか、目の前の悲愴感だけに囚われないで。彼に寄り添って、残ったものを、育ててください」
〝一番大切なものは、失くさず…〟
その言葉が、イノランの中で、ずっと響いていた。
……………………
4人が病室に戻ると、隆一は眠っていた。起こさないように、隆一のベッドの周りに寄って、各々椅子に座る。
泣き腫らして赤くなった目元と、涙の跡が痛々しくて。皆、行き場のないもどかしさと切なさに、支配される。
スギゾーが俯いて呟く。
その目は潤んで、隆一を正視出来なかったのかもしれない。
「隆…どうしたんだろうな。ーーーあんなにさ、幸せそうに…笑ってたのに……何があったんだろうな」
皆、無言で同意して。
イノランへと視線を移す。
とても静かな表情で、隆一をじっと見つめていて。
取り乱したり、慟哭したりは無いけれど。その目は寂しそうに揺れていて。
昔の人形のようだったイノランを、思い出させるものだった。
口元を泣きそうな子供のように歪ませて、Jが言った。
「イノ…オマエ、大丈夫か?」
大丈夫な訳ないのに、それしか言葉が見つからなくて。Jは己に舌打ちをする。
しばらく沈黙が流れて、どれくらい経っただろう。
イノランがポツリと言った。
「大丈夫じゃないよ」
「……わりぃ…」
あまりに当然の事しか言えなかった事にJは俯いてしまう。
するとその後、イノランが言葉を続ける。その声は、意外にも明るさを含んでいて、3人は顔を上げた。
「でもね、俺…隆と約束したから。
どんな事があっても、2人で乗り越えようって。ーーーーー何があっても、側に居る…って」
隆一から目を逸らさず。イノランは決意のように、自分に言い聞かせるように話す。
「先生も言ってたでしょ?
隆ちゃん、一番大切なものは、きっと失くして無いって。ーーー俺も、それを信じる。信じて、側にいる。
…また、始めっからになっちゃうかもしんないけど。それでも、いい」
「ーーーーーイノ…」
「隆を、愛してる。これくらいの事で、しょげてらんない」
そう言って、3人の方を向いたイノランは、晴ればれした表情で、ニッ…と笑った。
隆を、愛してる。
そう言った、イノランの表情が。
強さと優しさで満ちていて。
3人は思わず、驚いて見返してしまう。
いつの間にこの男は、こんなに頼もしい笑顔を見せるようになったのか。
堂々と愛を口にするイノランが、とても眩しくて。先程までの重たい空気は霧散して。いつしか、明るい空気が広がっていた。
目を細めながら、真矢が言う。
「…イノ…すごいよ。ーーーーーうん、ホント。…すごい」
どうしてそんな、強くいられんの?と問われて。イノランは隆一に視線を戻して言った。
「今度は俺が、助ける番だから。ーーーだから。俺はブレない。手を離さないって、さっき、決めた」
生きて、ここにこうして居てくれるだけで。それだけで、今は充分だって思えるから。
「⁉」
スギゾーの手が伸びて、イノランの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。びっくりして見上げると、目を潤ませて、口をへの字に噛みしめるスギゾーがいた。
そんな姿に、イノランは可笑しくなってしまう。
「なに、スギちゃん。泣きたいの俺の方なんだけど」
「そうだよな!そうなんだけどさ…ホント、泣けてくるっ!オマエら2人、愛おしすぎる!」
ついに泣き出したスギゾーを目の当たりにして、Jが呆れたように笑う。
「ほんっと、騒がしいやつ!」
「でもさ。なんか大丈夫じゃないのって思ったよ。今の2人見ててさ」
そう言って、今度は真矢がイノランの頭をぐしゃぐしゃに撫で回す。
「もうっ…髪ぐしゃぐしゃなんだけど」
ブツブツと非難を口にしながらも、イノランを纏う空気は穏やかで。
それが、本心からのものなのか。無理をしているものなのかは、分からないけれど。
隆一を見つめる瞳に、迷いも哀しみも。もう無くなっていた。
……………………
「さてと、じゃあ俺ら帰るな」
Jは腕時計をちらっと見て立ち上がる。
いつの間にか、随分と遅い時刻になっていた。
「うん、明日は仕事あんでしょ?」
「まぁな。俺もそろそろ向こう行く準備しないとなんねーし。」
「ん。」
「日本にいる間は、なるべく顔見にくるからさ。スギゾーもそう言ってたし、真矢くんもライブ回り始まるけど、まぁコッチに居るからな」
「無理しないでいいよ」
「んー…。でも、安心したわ。」
「ん?」
「オマエすっげえ良い顔してるしさ。2人で居りゃ、大丈夫だよな?」
「ーーーーーー当然。」
ニッ、と不敵な笑みを浮かべるイノランに。Jは親指を立てて、口の端を上げた。
「おらおらオニーサン達、帰んぞ!呑みに行くぞ!」
Jに追い立てられて、あれよあれという間に引きずり出されて行く年長者2人。
これからきっと、また夜の街に繰り出すのだろう。かけがえのない存在だと再認識した途端、別れの時が来てしまう。
3人は。イノランと隆一の話をしながら、残り少ない共にいられる時間を、楽しむのだろう。
…………………
急に静かになった病室で、イノランは盛大にため息をついた。
( 正直、疲れた。 )
今日は本当に、色々な事があったから。
イノランの感情も。上がったり下がったり上がったり…。
短時間で、考える事も多くて。
混乱したり、絶望したり…
でも。その中でも見つける事ができた、小さな光。
その光は、どんなに巨大な黒い影にも負けない。
今は小さいけれど、強く輝く光。
『残ったものを、育ててください』
医師から貰った言葉が、身に染みる。
イノランは隆一のベッドに、コテン…。と頭を預ける。隆一と距離が近くなって、息遣いがすぐ側にある。
それだけで、たまらなく嬉しい。
そっと手を重ねると、隆一の指先が反応して。僅かに、握り返してくれて。
離れたくないって、言ってくれてるみたいで。
嬉しくて…
嬉しくて
何度も、隆一の名前を呼んだ。
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