長いお話 (ひとつめの連載)
「お、J」
手術室の待合所で、落ち着かない風情でソファーに座るスギゾーと真矢。
そこにJがやって来て軽く手を挙げると、2人の向かい側に腰をおろした。
「イノ、どう?」
「ん。目ぇ覚めた。身体怠いっつってたけど、ちゃんと動けて、話せてたし」
「そっか。良かった」
「まぁ…ちょっと、見てらんねーくらい、おちてるけどな」
「ありがと J。話してくれたんだな」
「ああ…」
「…今は?眠ってんの?」
「いや。……少しだけ、ひとりにしてくれって。………多分…泣いてる。」
「………そっか。」
落ち着いた照明の下、手術中のランプだけが存在感を主張する待合所で 。
3人は、何を話す訳でもなく。ただ時が過ぎるのを待つ。
というか、それしか出来なかった。
3人にとっても、この出来事は突然すぎて。はい、そうですか。と、簡単に受け入れられるものでは到底無かった。
フト。スギゾーが、独り言のように呟いた。
「隆って、すごいよね」
2人は黙って、スギゾーの独り言に耳を傾ける。
「ーーー…助けたいって、もちろん思うと、おもうよ。ーーーーーー………けど。やっぱりどっかで。一瞬でも、迷うと思う。
相手の身代わりになったら、相手の助かる確率は、上がるよね。…でも、心は苦しめるじゃん。きっと、今のイノみたいにさ。ーーーーーでも、助けなかったら、奇跡でも起こらない限り、助けられない。
ーーーそういう、超短い制限時間付きの選択肢にさ。隆は瞬時に、答えを出したんだよな。」
スギゾーの独り言に2人とも、小さいけれど強い頷きを返す。
「隆ちゃん、すっ飛んでったもんなぁ…。迷いなんか無いみたいにさ」
「マジで。アスリート並みの、あの脚の速さ」
ずっと黙っていた真矢とJも、同意するように口を開く。
「イノを苦しめようが、自分が血まみれになろうが、隆はそんな事、問題じゃないんだろうね」
「うん。何か、結束…じゃねーな。…絆。強そうだもんな」
そうだな、と。それぞれが同意の頷きをしたタイミングで。前触れ無く、突然手術室の扉が開き、執刀医が出て来て3人に声を掛けた。
「終わりました。これから術後の処置をして、病室に移します。
破片でできた傷は百数十カ所。全てガラス片は取り除きました。心配していた筋に達するものは、左腕一カ所。これも深部までは行っていなかったので、傷の回復後の経過観察とリハビリで元に戻ると思います。
ーーーーーあと喉についてですが。内視鏡検査の結果、声帯に及ぶ心配は無いと判断しました。ガラス片を浴びた時、地面側を向いていたのが、不幸中の幸いだったと思います。」
医師の説明に、3人は心からの安堵のため息を洩らす。
「ありがとう、ございます ‼」
心からの感謝だった。
「俺先に行ってイノに伝えてくるわ。アイツ死にそうな顔してっから」
「ん、頼む。ーーー…あと、隆この後、イノと同じ病室行くから」
「へ⁇マジで?」
「イノのベッドの隣スペース空いてたでしょ?さっき同室に出来ないか聞いてみたんだ」
「良いって?」
「おう、だってその方が良いでしょ」
スギゾーの気遣いにJはニヤリと笑うと、足早に歩いて行った。
Jが病室に戻ると、イノランは上体を起こしていた。じっと真っ暗な窓の外を見つめる表情に、先程の狼狽した様子は無くて。でも、感情の読めない顔をしていて。
Jは殊更明るい口調で声を掛けた。
「イノ!隆、無事に終わったぜ!」
Jの言葉に、ゆっくりと声の方に顔を向けるイノラン。
「経過観察とリハビリもちっとは必要だけど、深い傷じゃねえって。…あと喉も、大丈夫だってさ」
「っーーー…」
イノランが、深い安堵のため息をつく。
「……良かったっ…隆ちゃん」
「ああ、ホントに良かったよ」
ぐいっと袖口で目元を擦ると、やっとイノランはJに向かって、微かな笑みを見せた。
「隆の所に行きたい」
「ん?ああ…ーーー」
「…さっき、立とうとして、うまくいかなかった。力、入んなくて」
「はぁ⁉ナニお前、歩く気だったのかよ?傷が開くっつーの‼ 大人しくしてろ!」
「………だって。…」
叱られた子供みたいに俯いた、イノランの様子を見て、Jは可笑しくなって、口元が緩んでしまう。
すると。
ナニ笑ってんだよ。と、ジロリと睨まれた。
「あのな、お前の横空いてんだろ?そこ、これから隆が来るってさ」
「え?」
「スギゾーがさ。掛け合ってくれたらしいぜ?同室にしたい…ってさ」
「……そっか」
「ん。」
「ーーーーー…J。」
「ん?」
「…サンキューな。…色々」
「ーーーおう」
Jは口角を上げると、気にすんな。と、イノランの頭をポンと叩いた。
「あとで、あの2人にも言っとく」
すると。
俄かに廊下が騒がしくなって、ガラリと扉が開かれる。
スギゾーと真矢が入って来て、そのすぐ後に、医師と1人の看護師がベッドと共に入って来た。
隆一が眠っている。
イノランの横にベッドが設置され、横向きに寝かされた隆一が、ちょうどイノランの方を向く形になった。
テキパキと、点滴が付けられる様子を、イノランはじっと眺める。
包帯だらけだ。
その身体を見て、思う。
特に傷が深かったという、左腕は。
痛々しい程の処置がされていて。
もし、隆一が助けてくれなかったら、今頃は自分の腕がああなっていたのだと、息をのむ。
それと同時に胸に湧き上がる感情は。
どうにもならない、やるせなさ。
それから、言い尽くせない感謝と。隆一が、生きていてくれる事への喜び。
隆一が目を覚ましたら、どう伝えよう。
考え付く限りの言葉を、言うだろうか。それとも。
言葉なんて、意味を成さなくて。ただただ、抱きしめることしか、できないだろうか。
それは、今はまだわからないけれど。
ただ1つ、わかっている事。
隆一が、命を懸けて守ってくれたもの。
ギターを弾くこと。音楽を、愛すること。
今まで以上に、大事にしたい。
そして、最愛の恋人を、もっともっと愛しんであげたい。ーーーこの両手で。自分の持てる、心と身体、全てをつかって。
「ーーーっ⁉」
「よいせ…っと」
突然。Jはイノランを持ち上げると、隆一のベッドの傍にある椅子に座らせた。
「 J 」
「ここのが、隆に近いだろ」
ニッと笑うJ。
見回すと、スギゾーと真矢。
「イノこれ。入院に要りそうな物、ウチの奥さんがさっき持って来たから、使ってな」
真矢が手渡してくれた荷物は、着替えとか色々。
彩さんにまで、手借りちゃったんだ…と恐縮する。
「真ちゃんありがとう、彩さんにも、よろしく伝えてね」
「あとスギちゃんも。なんか、掛け合ってくれたって」
「ん?ああ…まぁな」
「ありがとう」
イノランが順に礼を言うと。
スギゾーが照れた表情を浮かべた。
「……礼…言いたいのは、寧ろ俺らかな?」
「ん?」
小さい声で聞き取れ無くて、イノランが聞き返すと。スギゾーは少し考えて、何でもねえ!と笑う。
「なに?」
「早く、良くなれよー」
スギゾーは何かを誤魔化す素振りで、イノランと隆一の頭を、子供にするみたいに撫でた。
スギゾーは、ここ最近ずっと。
この歳下のギタリストとヴォーカリストが。無意識だろうけれど、5人の最後が、ひび割れたままで終わらないように。そんな雰囲気を、つくってくれている気がしてならなかった。
…結果、とても心安らいでいるじぶんを自覚していた。
だからせめて、力になりたかった。
………………
時計を見ると、もうすでに日付が変わっていた。
メンバー達は、一旦家に帰ろうと、立ち上がる。
「明日また来るからさ。ゆっくり、休めよ?」
「うん、ありがと」
「1人でベッドに戻れるか?」
「へーき。サンキュ」
「お前も術後の怪我人なんだから、程々にして、ちゃんと寝ろよ」
「ん。わかった、ありがとね」
ようやく顔を綻ばせるようになったイノランを。メンバー達は心配そうに病室を後にする。
カラカラ…パタン。と扉が閉まると。
イノランは、ため息をついた。
急に、静かになる。
聴こえるのは、イノランと隆一の僅かな呼吸の音。
イノランはじっと、隆一を見つめる。
そして、そっと手を伸ばして、隆一の頬に触れた。
ほのかに体温を感じる。
それだけで、泣きたくなるほど安心して。目元が熱くなる。
規則正しく上下する胸や、息遣い。
とくん…とくん…と、触れたところから伝わる鼓動。
ここで確かに、生きていてくれる隆一。
つい昨日の夜、初めて重ねた肌は。
今は、包帯の下に隠れているけれど。
知っている。この身体。
どんなことになったって、求めてやまない、最愛の人。
生きていてくれて、本当に良かった。
固まった血液が、取りきれずに。
隆一の唇を僅かに染めていて。
イノランは、顔を寄せる。
そっと血液を拭うように、舌先で唇をなぞって。そのまま、しっとりとキスをする。
熱を分け与えるように。
悪い魔法から、覚ますように。
されるままにキスを受けた、隆一の唇は。それでも、薄く紅く色づいて。
凍てつく寒さの屋上で、初めてした、
隆一とのキスを思い出す。
イノランは、堪らない気持ちになって、ふんわりと隆一を抱きしめた。
口に残る、血の味も。
隆一の匂いも、鼓動も。
愛おしくて、愛おしくて…。
一筋の涙が、イノランの頬を伝う。
「ありがとう。隆ちゃん」
命をまもってくれて。
生きていま、ここにいてくれて。
「大好きだよ」
愛してる。
君を。
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