第159代アリス

「な……に、それ……」

 チェシャ猫が窃盗?

 ――そんな。いくらなんでも、チェシャ猫はそんな事する奴には見えなかっ、

「チェシャ猫は女王様の大事な『鍵』を盗んだケロ!」

 ……………………あれ?

「鍵?」

 蛙の発言に目をパチクリさせている俺を余所に、夫人がそこに食い付いた。

 蛙が頷いたのを確認してから、いぶかしげにこちらを見る。

 ああっ、止めて! 疑いの眼差しを向けないで、夫人! 恐いから、恐いから!

「? ……どうしたケロ?」

 俺の方を見ている夫人に、蛙がきょとんとして訊いた。夫人が蛙を振り返り、口を開いた。

「蛙ぅ、犯人が違うわよ。犯人はここにいるシロウ……」
「わーーーーーーーー!!」

 コショウの匂いが口から思いきり入るのも構わず、俺は絶叫して夫人の言葉を遮った。

 こんな訳の分からない世界でただでさえ困っているってのに、更に訳の分からない疑いなぞかけられてたまるかっ!

 そ、そうだよ! 俺のはやとちりかもしれないじゃん!

 いくら盗まれたのが鍵だからといって、俺達がチェシャ猫に持っていった鍵と同じ物とは限らないじゃん!

「へ、へぇ。鍵なんて、大変な物が盗まれたんだねぇ。と、ところでさぁ、それって、どんな鍵だったのかなぁ? いやぁ、俺、鍵にすごく興味があってさぁ」

 我ながら、すんげぇ胡散臭い嘘だ。自分で言ってて哀しくなってくる。予想通りの表情を見せる蛙に、俺は少しでも信ぴょう性を上乗せするために口から出まかせを続けた。

「お、俺の夢はぁ、……世界一かっこいい鍵を造る事でさぁ!」

 胡散臭さ、ここに極まる。

 自分でも「あっちゃぁ~」とか思ってたら、蛙は驚くほど目を輝かせていた。

「それは素晴らしい夢だケロ! 我輩、その夢応援するケロ! 分かった、特別にあの鍵の素晴らしいデザインを教えてあげるケロ!」

 ……やっぱりこの世界の住人って、何か変だ。

 しかしこれは俺の無罪を夫人にアピールするチャンス! 

 俺は蛙が語りだした鍵の特徴を一言一句逃すまいと、耳に神経を集中させた。

 

 が……

 
 何で聞けば聞くほど、特徴がピッタリ合ってるんだよぉぉ~~~~!!

 蛙の言葉を聞いていく内に青ざめていく俺の顔を見て更にいぶかしむ夫人の視線が痛い!

 あぁ、見ないで、見ないでぇぇ!

 俺は思わず夫人から顔をそらし、後ろを向いた。

 どうしよう。お、俺はどうしたらいい……?

「……シロウサギちゃん?」

 低い声と共にそっと触れられ、びくんっ、と俺の肩が跳ねる。

 こっ、恐い恐い! 下手なお化け屋敷より恐い!

「どうしたの? こっちを向いてその可愛い顔を見せて?」

 て、低音の猫なで声出して、何が「可愛い顔見せて」だよぉ! 恐い! 絶対向かねぇ!

 なんか何気に俺、ピンチじゃない?

 心なしか俺の肩にかかる手に、力が込められてきた様な気がするし。

 あぁ~、恐い、恐いよ! 助けて誰か!

 恐怖に両目を固く瞑ると、今まで忘れていた金時計の存在を急に思い出した。胸の辺りで、熱を放っている。

 ん? 熱?

 ぎゅっと握ると、確かに熱い。なんか、風呂に例えると、丁度いいお湯位。

 だからそれが突然けたたましい音で鳴り出した時なんか、びっくりしたってもんじゃなかった。 

――ジリリリリリリリリリリリリリリリリ………!!

「うわ!?」

 俺の胸にある時計から発せられる音が、隣のホールにまで反響する。

 当然、音源のすぐ上に位置する俺の耳をつんざいて、頭をガインガイン言わせている。

 時計を外して遠くに放り投げれば早い話なのに、今の俺に何故かその考えは浮かばなかった。

 ただ、耳を堅く塞いだ。

 それなのに何故か蛙と夫人の言葉が、やけにはっきりと聞こえた。

「金時計が鳴ったケロ!」

「裁判だわ!」

 ――裁判?

 ……そうだ。俺は……シロウサギは裁判へ行かなくちゃ。

 俺はけたたましい音を煩わしく思いながらも、突然、ポカンと、そう思った。

 今まで思った事もない事を、どうして突然そう思ったのか分からない。

 ただ、時計が「裁判に行け」と言っている様な感覚があった。

 すると、突然周りの風景がガラガラと音を立てて崩れ出した。

 豪華な部屋の壁、シャンデリアなんかが崩れていく。

 崩れた場所は、真っ白な空間となって眩しい白を俺達の目に焼き付けた。

 そういえばコショウの匂いもしなくなってきた。風景と一緒に空気から剥がれ落ちていっている様だ。

 ……って、こんな通常で考えたら絶叫もののシチュエーションなのに、何で俺は大して驚きもせずに受け止めちゃってんだろう。

 俺は白くなっていく空間にただ浮かんで、ただ静かな目でその空間を見つめている。

 胸元の金時計はもうすっかり静かになって、何事も無かったかの用に再び時を刻み始めた。

 そして白い空間にもまた変化が訪れる。

 崩れていく空間から一拍遅れて、空間がゆっくりと再構築され始めた。

 空白に新しいピースをがはまっていく……って、ベタベタな表現使うなぁ、俺も。

 再構築されていく空間は、夫人の邸宅と全く違う風景だった。

 夫人の邸宅は白を基調とした涼やかで優雅な感じのする空間だったが、ここは全然違う。

 邸宅のホールが3つは入るであろう大広間にいつの間にか変化している。

 両側の白い壁に沿って垂れる縦長の幕は、赤と黒の市松模様で、上と下の部分にそれぞれ白い帯が入っており、その中にトランプの4つのマークが入っている。

 ハート、クローバー、ダイヤ、スペード。

 その両壁の前には階段状の席が建っており、左右合わせて100人近い人が座っている。

 その全員が、小さな黒板を手にスタンバっていた。

 俺は前を向いた。

 俺の前にあったティーテーブルは無くなり、俺の座る位置が床から急上昇していく。

 途端に目の前に机が現れる。

 左右に広く延びている机で、俺の60㎝くらい隣にもう一つ席が用意してあり、そのまた60㎝隣にもう一つ席が用意してあった。どうやら、かなり大きな机だ。

 遠くなった床には、俺の座る机まで延びる赤い細長い絨毯が敷いてあって、俺の机と入り口の間の丁度真ん中に、背の低い木造の格子柵があった。

 このシチュエーション、もしや……。

 次の瞬間「静粛に」という声が聞こえてきた。

 俺の隣――中央の席を見ると、やたら美人なお姉さんがこの広間に集まる一同を見下ろしている。

「静粛に」なんて言う必要、今は無いのに。

 何故なら、この会場の全員が貴方の美貌の虜になってしまっているからです。

 これは俺の心の口説き文句でもなんでもなくて、事実、本当の話だ。

 いつの間にか揃っていた会場の人間(経験上そうかどうかも怪しいが、とりあえずパッと見そう見えるので、人間としておこう。)は全員、壇上の女性に首ったけな様子で、目をうっとりさせて女性を見ていた。

 息をする以外、ウンともスンとも口から音は出ていない。

 女性はゆったりと笑って、黒い長髪をなびかせた。

 なんとも穏和な感じのお姉さんだ。

 これが大人の魅力という奴か。ずっと見ていたら、魂を抜かれてしまいそうな美しさ。

 そしてお姉さんはスッと優美な仕草で手を上げ、

 華奢な手で拳を握ると、

 それを目の前の机に振り下ろした。

 ――ゴッ!!

 
 …………え?

 会場の、バケツをひっくり返した様な静けさを確認して、お姉さんは先程と変わらぬ穏和な顔で振り下ろした拳を、やはり同じ顔をして引っ込めた。

 彼女が拳を振り下ろしたそこには、煙を吹いたクレーターが出来ている。

 そしてやはり同じ顔のまま、女性は口を開いた。

 声は、コロコロと鳴る鈴の様。

「静粛にと言ってるでしょう。私を見る視線が煩いわ。首を斬りますよ。」

 あれぇ~~~!?

 会場中がぞっとした。俺はあまりのギャップに泡を吹きそうになる。

 そんな会衆の事など気にかけず女性は柔らかに宣言した。

「では、これより裁判を始めます」

 …………裁判…………。

 
 …………裁判?
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