第159代アリス
「……え~と……」
俺は言葉を失っていた。
目の前の彼女が女性だと分かったのは、俺の頭の上(彼女から言うと下ね。)にはっきりと分かる両の胸の膨らみがあったからだ。
男の大胸筋にしては、育ちすぎている。
彼女は俺の足首を持ったまま、軽々と俺を高く持ち上げて、もう一方の手で頭(彼女の手のでかさと言ったら、俺の頭を軽々包み込んでしまう位だ。)を支えてその場で楽な姿勢にしてくれた。
つまり、お姫様だっこ。
「またかよ!」
俺がそんなつもりも無いのに一人ツッコミすると、彼女は俺をじっと睨んだ。
あ、いや、ごめんね? すいません。
君に喧嘩売ってるとか、そういう事じゃないから。だから殺さないで?
彼女の睨みの威力と言ったら、自然とそんな言葉を俺の脳内から招き出すのだ。
彼女は口を開いて声に出した。
そんりゃもう、思いもしない言葉を。
「かぁわいい~~!!」
――あれぇぇぇぇぇ!?
思いもよらない彼女の叫び(というより表現的には雄叫びに近い)に、俺の頭の中は疑問府でいっぱいだ。
え? ちょっと、何これ、痛っ、痛いんでちょっと待って下さい!
俺の頭が痛いとか、いかつい体格の彼女が「かわいい」なんて言葉を口にするのはイタイ程似合わないとかそんな差別的な事を言ってるんじゃなくって。
彼女は俺に強烈な羽交い締めを見舞いながら、心なしか少し凹凸のある顔を俺のそれに押し付ける様にして頬擦りしてきた。
ちょっと待って、圧死する圧死。
っていうか、その前に背骨ポッキリと折れるから。
「い……いや、あの………お姉さ…奥さん?」
俺がカタコトで話しかける。まずはこの苦しみからの脱却をしなければ。こんな状態で言葉を発するのも、かなり辛いが。
とりあえず目の前の彼女を「お姉さん」と呼ぶのも何となく気が引けて、「奥さん」と呼んでみる。
これは何気に正解だった。彼女の腕の力が緩む。
「あら、悪いわね。こんなに可愛いとは思ってなかったから、抱き締めちゃった。あたくし、4代目公爵夫人のもとへようこそ。シロウサギちゃん?」
公爵、夫人…………?
…………。
……………はあ。
いや、歓迎される覚えも無いけど。
とりあえず、地面を自分で踏みしめさせて頂けるとありがたい。
「た、助けてくれてありがとう。とりあえず、降ろしてくれない?」
歓迎なんてされちゃったり羽交い締めまがいの抱擁なんてされても、陸上競技に使用するための薄い筋肉しかついてない俺には、女だというのに(偏見まるだしの言い方だけど、だってそうだろ?)逞しすぎるこの女性は軽く驚異だ。そんなつもりも無いのに、声がちょっと引き気味になる。
そんな態度の俺にでさえ、彼女は目を輝かせた。
「しおらしい~、可愛い~!」
ええっ!? しおらしいか、今の!?
彼女は俺を地に降ろしてくれるどころか、さっきよりきつく(抱き)締めた。
痛い痛い。愛が(多分)痛い。
公爵夫人と聞くからには清楚でか弱い感じなのに、この人ってば超怪力。
しかも喜び方が完全に夫人ぽくない。
この数々の彼女の反応にはかなり覚えがあるぞ。
俺が空を飛ぶ前はおろか、この世界に来る前は、はすごく身近にこういう喋り方をする人種がうようよいたっけ。「女子高生」という。
この夫人もその内、「ウケるんですけど~」とか「マジウザイんだけど」とか言い出さないか、ちょっと心配なんですけど。
やがて俺が苦しそうな事に気付いてくれた公爵夫人は、「あら、ごめんねぇ」と言いつつ俺を放してくれた。
ようやく自分の足で地面を踏みしめる事ができて、安堵する 俺。
「それにしてもアナタ、何でこんなところに埋まってたわけ?」
「いや~、何だか訳分からん内に気付いたら空を飛んでた次第で」
公爵夫人の問いに頭を掻き掻き、俺は答えた。
切迫感の欠片も無い返答だったが、夫人ったら
「まぁ~、それは大変だったわねぇ」
とか言っちゃう。今更だがやっぱりこの世界の住人って、何か変だ。
「シロウサギがまさか空を飛ぶなんて、思ってなかったでしょ~? シロウサギって言ったら、地を走るものだものねぇ」
いやいやシロウサギじゃなくとも、誰だってこんな展開は予想してなかったと思いますよ?
まぁ、あの、今思うと、人って空飛べるんだな、と思いました、ハイ。
何はともあれ、掘り出してくれてありがとう。
礼を述べると公爵夫人は「まぁまぁ、もうそろそろお茶の時間だし、私のお家でゆっくりしていって。積もる話はそれからという事で」と言ってくれた。
出会ったばかりで積もる話なんて別に無いが、イモ=ムシの居場所を目指そうにもアリスという道案内を無くした俺は、とりあえず夫人の厚意に甘えることにした。
* * *
通された家は、俺みたいな庶民には一生縁の無かった様な豪邸だった。
屋主のちょっとした親切心でシャンデリアが眩いホール付きの豪邸にあがれちゃうんだから、案外 豪邸って庶民の夢物語でもないかもしれない。
それにしてもこのホールに充満している香りのすごいこと。
鼻につんと来るこの香りの正体は、多分俺がラーメンやなんかを食べる時に愛用するアレだと思う。
夫人に訊いてみると予想は見事にあたった。
「ああ、この香り? ウフフ、その通りコショーよ。よく分かったわね。この高級品の香りが分かるなんて、アナタもしかして上流階級の生まれ?」
コショーって上流階級御用達なんですか! そりゃ知らんかった!
じゃあ一般的な家庭の台所は、全て上流階級の仲間入りって事か。
コショーの匂いにくしゃみを耐えながらホールを歩くと、テラスに着いた。よかった、空気が新鮮。
俺と夫人は向かい合って席に座り、給仕がお茶を運んでくると俺の身の上話をさんざんさせられた。
こんな世界に来る前は、ごく普通の高校生だったこと。部活をサボって爺ちゃんの家に行ったこと。
目が覚めると可愛らしい化けの皮を被った双子に食われそうになったこと。アリスに助けられたこと。他にも、他にも。
チェシャ猫に鍵を渡した件になると、夫人は突然俺の語りを遮った。
「ちょっと待って。鍵を渡した? 何の鍵?」
「さぁ、知らね」
それから凄腕の殺し屋みたいな顔をして何かを考え込んでしまった公爵夫人と俺の耳に、豪華な玄関のノッカーの音が聞こえてきた。続いて男の精悍な声。
「第4代目公爵夫人、窃盗の容疑で出頭命令が出ている! 大人しく出てくるケロ!」
ケロ!?
俺は聞こえてきた内容よりむしろ、唐突なその語尾の方が気になって、思わず腰を浮かせた。
「え!? い、今、ケロって……ケロって!」
「どうしたのよ? 蛙がそんなに珍しいの?」
ああ、やっぱり蛙なんだ……。
「か、蛙が呼びに来るなんて変わったパーティでもあるんですか……?」
訊いた俺に返ってきたのは、果てしなく面倒臭そうな答えだ。
「アンタ今の聞いてなかったの~? 出頭命令よ。裁判の。蛙が来たら裁判の合図。これ常識でしょー?」
そりゃあ知らなかった。ごめんなさい。
「でも窃盗容疑っておかしいわね。そんな短絡的犯行で行う事のできる事で容疑かけられる覚え無いわよ?」
じゃ、じゃあ綿密に計画の練られた伝説級の犯罪とかだったら容疑かけられる覚えあるのね?
……何か突然この夫人が恐ろしく見えてきた。
「じゃ、じゃあ冤罪って奴っすかね?」
「そうかしらね~? 変な話だわ~」
夫人は頬杖をついて首を傾げた。
そんな話をしているうちにも、ノッカーの音は続く。
夫人は全く取り合う気など無いらしい。「うるさいわねぇ」とお茶をすすっている。
その内ノッカーの音が止んだかと思うと、すすり泣きが聞こえてきた。
俺はなんだか可哀想になってきて、公爵夫人に進言した。
「あ、あの……そろそろドア開けてやっても、いいんじゃないっすか……?」
「ん~、シロウサギちゃんてば優しいわねぇ~。そんなシロウサギちゃんに免じて、開けてやろうかしら」
公爵夫人は頬に手を置き、俺をうっとりと眺めて言った。
いやぁ、優しいってわけじゃないんですが。ただ、何となく人として………。
夫人は両手をパンパンと叩いた。
乾いた音に導かれて従者が出てきて礼をした。あ、良かった。ちゃんとした人間の従者だ………。
「シロウサギちゃんがこう言ってるから、開けてやんなさい」
夫人が玄関の方を指差して従者に命じた。従者は返礼して玄関へ歩いていく。
少し待つと、従者に連れられて、目を拭いつつしゃくり上げながら今まで玄関の外で待っていたのであろう「人」がやって来た。
…………。
ななな…何で肌だけ緑色な訳!?
すぐそこまで近づいてきたその人は、人間の完璧な緑色の肌の人間の姿をしていた。
まるっきり蛙なケロケロ声で、その人は役目を果たそうと一生懸命喋り出す。
「うぅ……公爵夫人に、しゅっ…出頭命令だケロ。このっ、女王様からのっ、書状にっ、目を通すケロ」
あーあー、可哀想に。バッチリ泣いちゃってるよ。ケロってまた言ってるし。
書状を差し出した両手には、よく見るとしっかり水掻きが。やっぱり蛙なのね。
「はいはい。ったく、面倒臭いわねぇ」
渋々といった感じで、夫人は蛙から書状を受けとった。
俺は人のプライベートな物を覗くのはいけない事だと分かっていたが、夫人が突然大声を上げたので、気になって思わず覗いてしまった。
その書状の書き出しはこうだ。
『第4代目公爵夫人殿。当方においては窃盗の犯行疑わし。よって神聖なる法廷へ出頭されたし』
……なんか変な詩みたいな公文書だな。
後ろから夫人の顔を覗き見ると、彼女の顔は再び凄腕の殺し屋へと変わっていった。半分くらい世紀末覇者も入ってる気がする。
恐いから、恐いから!!
「これ、どういう事?」
恐い顔で書状を睨みながら夫人は蛙に訊いた。
その声には静かな怒りが……もっと言うと憤怒というか……もういいや。相手が女性だからって、表現をオブラートに包むのはよそう。
ぶっちゃけ言うと、かなりドスが効いている。
そんな夫人に臆する事無く、蛙は胸を張って答えた。
「当方の飼い猫が働いた窃盗の罪で、夫人には法廷に立ってもらうケロ!」
ふぅん、夫人、猫なんて飼ってたんだぁ……猫が窃盗働くなんて、世も末だなぁ……とか思いつつ俺は書状の方へ目を戻した。
夫人が凝視している、下の一行に目を通す。
最後の文は、こうだ。
『なお、窃盗犯チェシャ猫が未だ行方不明のため、当方の出頭を要するものである』
俺は言葉を失っていた。
目の前の彼女が女性だと分かったのは、俺の頭の上(彼女から言うと下ね。)にはっきりと分かる両の胸の膨らみがあったからだ。
男の大胸筋にしては、育ちすぎている。
彼女は俺の足首を持ったまま、軽々と俺を高く持ち上げて、もう一方の手で頭(彼女の手のでかさと言ったら、俺の頭を軽々包み込んでしまう位だ。)を支えてその場で楽な姿勢にしてくれた。
つまり、お姫様だっこ。
「またかよ!」
俺がそんなつもりも無いのに一人ツッコミすると、彼女は俺をじっと睨んだ。
あ、いや、ごめんね? すいません。
君に喧嘩売ってるとか、そういう事じゃないから。だから殺さないで?
彼女の睨みの威力と言ったら、自然とそんな言葉を俺の脳内から招き出すのだ。
彼女は口を開いて声に出した。
そんりゃもう、思いもしない言葉を。
「かぁわいい~~!!」
――あれぇぇぇぇぇ!?
思いもよらない彼女の叫び(というより表現的には雄叫びに近い)に、俺の頭の中は疑問府でいっぱいだ。
え? ちょっと、何これ、痛っ、痛いんでちょっと待って下さい!
俺の頭が痛いとか、いかつい体格の彼女が「かわいい」なんて言葉を口にするのはイタイ程似合わないとかそんな差別的な事を言ってるんじゃなくって。
彼女は俺に強烈な羽交い締めを見舞いながら、心なしか少し凹凸のある顔を俺のそれに押し付ける様にして頬擦りしてきた。
ちょっと待って、圧死する圧死。
っていうか、その前に背骨ポッキリと折れるから。
「い……いや、あの………お姉さ…奥さん?」
俺がカタコトで話しかける。まずはこの苦しみからの脱却をしなければ。こんな状態で言葉を発するのも、かなり辛いが。
とりあえず目の前の彼女を「お姉さん」と呼ぶのも何となく気が引けて、「奥さん」と呼んでみる。
これは何気に正解だった。彼女の腕の力が緩む。
「あら、悪いわね。こんなに可愛いとは思ってなかったから、抱き締めちゃった。あたくし、4代目公爵夫人のもとへようこそ。シロウサギちゃん?」
公爵、夫人…………?
…………。
……………はあ。
いや、歓迎される覚えも無いけど。
とりあえず、地面を自分で踏みしめさせて頂けるとありがたい。
「た、助けてくれてありがとう。とりあえず、降ろしてくれない?」
歓迎なんてされちゃったり羽交い締めまがいの抱擁なんてされても、陸上競技に使用するための薄い筋肉しかついてない俺には、女だというのに(偏見まるだしの言い方だけど、だってそうだろ?)逞しすぎるこの女性は軽く驚異だ。そんなつもりも無いのに、声がちょっと引き気味になる。
そんな態度の俺にでさえ、彼女は目を輝かせた。
「しおらしい~、可愛い~!」
ええっ!? しおらしいか、今の!?
彼女は俺を地に降ろしてくれるどころか、さっきよりきつく(抱き)締めた。
痛い痛い。愛が(多分)痛い。
公爵夫人と聞くからには清楚でか弱い感じなのに、この人ってば超怪力。
しかも喜び方が完全に夫人ぽくない。
この数々の彼女の反応にはかなり覚えがあるぞ。
俺が空を飛ぶ前はおろか、この世界に来る前は、はすごく身近にこういう喋り方をする人種がうようよいたっけ。「女子高生」という。
この夫人もその内、「ウケるんですけど~」とか「マジウザイんだけど」とか言い出さないか、ちょっと心配なんですけど。
やがて俺が苦しそうな事に気付いてくれた公爵夫人は、「あら、ごめんねぇ」と言いつつ俺を放してくれた。
ようやく自分の足で地面を踏みしめる事ができて、安堵する 俺。
「それにしてもアナタ、何でこんなところに埋まってたわけ?」
「いや~、何だか訳分からん内に気付いたら空を飛んでた次第で」
公爵夫人の問いに頭を掻き掻き、俺は答えた。
切迫感の欠片も無い返答だったが、夫人ったら
「まぁ~、それは大変だったわねぇ」
とか言っちゃう。今更だがやっぱりこの世界の住人って、何か変だ。
「シロウサギがまさか空を飛ぶなんて、思ってなかったでしょ~? シロウサギって言ったら、地を走るものだものねぇ」
いやいやシロウサギじゃなくとも、誰だってこんな展開は予想してなかったと思いますよ?
まぁ、あの、今思うと、人って空飛べるんだな、と思いました、ハイ。
何はともあれ、掘り出してくれてありがとう。
礼を述べると公爵夫人は「まぁまぁ、もうそろそろお茶の時間だし、私のお家でゆっくりしていって。積もる話はそれからという事で」と言ってくれた。
出会ったばかりで積もる話なんて別に無いが、イモ=ムシの居場所を目指そうにもアリスという道案内を無くした俺は、とりあえず夫人の厚意に甘えることにした。
* * *
通された家は、俺みたいな庶民には一生縁の無かった様な豪邸だった。
屋主のちょっとした親切心でシャンデリアが眩いホール付きの豪邸にあがれちゃうんだから、案外 豪邸って庶民の夢物語でもないかもしれない。
それにしてもこのホールに充満している香りのすごいこと。
鼻につんと来るこの香りの正体は、多分俺がラーメンやなんかを食べる時に愛用するアレだと思う。
夫人に訊いてみると予想は見事にあたった。
「ああ、この香り? ウフフ、その通りコショーよ。よく分かったわね。この高級品の香りが分かるなんて、アナタもしかして上流階級の生まれ?」
コショーって上流階級御用達なんですか! そりゃ知らんかった!
じゃあ一般的な家庭の台所は、全て上流階級の仲間入りって事か。
コショーの匂いにくしゃみを耐えながらホールを歩くと、テラスに着いた。よかった、空気が新鮮。
俺と夫人は向かい合って席に座り、給仕がお茶を運んでくると俺の身の上話をさんざんさせられた。
こんな世界に来る前は、ごく普通の高校生だったこと。部活をサボって爺ちゃんの家に行ったこと。
目が覚めると可愛らしい化けの皮を被った双子に食われそうになったこと。アリスに助けられたこと。他にも、他にも。
チェシャ猫に鍵を渡した件になると、夫人は突然俺の語りを遮った。
「ちょっと待って。鍵を渡した? 何の鍵?」
「さぁ、知らね」
それから凄腕の殺し屋みたいな顔をして何かを考え込んでしまった公爵夫人と俺の耳に、豪華な玄関のノッカーの音が聞こえてきた。続いて男の精悍な声。
「第4代目公爵夫人、窃盗の容疑で出頭命令が出ている! 大人しく出てくるケロ!」
ケロ!?
俺は聞こえてきた内容よりむしろ、唐突なその語尾の方が気になって、思わず腰を浮かせた。
「え!? い、今、ケロって……ケロって!」
「どうしたのよ? 蛙がそんなに珍しいの?」
ああ、やっぱり蛙なんだ……。
「か、蛙が呼びに来るなんて変わったパーティでもあるんですか……?」
訊いた俺に返ってきたのは、果てしなく面倒臭そうな答えだ。
「アンタ今の聞いてなかったの~? 出頭命令よ。裁判の。蛙が来たら裁判の合図。これ常識でしょー?」
そりゃあ知らなかった。ごめんなさい。
「でも窃盗容疑っておかしいわね。そんな短絡的犯行で行う事のできる事で容疑かけられる覚え無いわよ?」
じゃ、じゃあ綿密に計画の練られた伝説級の犯罪とかだったら容疑かけられる覚えあるのね?
……何か突然この夫人が恐ろしく見えてきた。
「じゃ、じゃあ冤罪って奴っすかね?」
「そうかしらね~? 変な話だわ~」
夫人は頬杖をついて首を傾げた。
そんな話をしているうちにも、ノッカーの音は続く。
夫人は全く取り合う気など無いらしい。「うるさいわねぇ」とお茶をすすっている。
その内ノッカーの音が止んだかと思うと、すすり泣きが聞こえてきた。
俺はなんだか可哀想になってきて、公爵夫人に進言した。
「あ、あの……そろそろドア開けてやっても、いいんじゃないっすか……?」
「ん~、シロウサギちゃんてば優しいわねぇ~。そんなシロウサギちゃんに免じて、開けてやろうかしら」
公爵夫人は頬に手を置き、俺をうっとりと眺めて言った。
いやぁ、優しいってわけじゃないんですが。ただ、何となく人として………。
夫人は両手をパンパンと叩いた。
乾いた音に導かれて従者が出てきて礼をした。あ、良かった。ちゃんとした人間の従者だ………。
「シロウサギちゃんがこう言ってるから、開けてやんなさい」
夫人が玄関の方を指差して従者に命じた。従者は返礼して玄関へ歩いていく。
少し待つと、従者に連れられて、目を拭いつつしゃくり上げながら今まで玄関の外で待っていたのであろう「人」がやって来た。
…………。
ななな…何で肌だけ緑色な訳!?
すぐそこまで近づいてきたその人は、人間の完璧な緑色の肌の人間の姿をしていた。
まるっきり蛙なケロケロ声で、その人は役目を果たそうと一生懸命喋り出す。
「うぅ……公爵夫人に、しゅっ…出頭命令だケロ。このっ、女王様からのっ、書状にっ、目を通すケロ」
あーあー、可哀想に。バッチリ泣いちゃってるよ。ケロってまた言ってるし。
書状を差し出した両手には、よく見るとしっかり水掻きが。やっぱり蛙なのね。
「はいはい。ったく、面倒臭いわねぇ」
渋々といった感じで、夫人は蛙から書状を受けとった。
俺は人のプライベートな物を覗くのはいけない事だと分かっていたが、夫人が突然大声を上げたので、気になって思わず覗いてしまった。
その書状の書き出しはこうだ。
『第4代目公爵夫人殿。当方においては窃盗の犯行疑わし。よって神聖なる法廷へ出頭されたし』
……なんか変な詩みたいな公文書だな。
後ろから夫人の顔を覗き見ると、彼女の顔は再び凄腕の殺し屋へと変わっていった。半分くらい世紀末覇者も入ってる気がする。
恐いから、恐いから!!
「これ、どういう事?」
恐い顔で書状を睨みながら夫人は蛙に訊いた。
その声には静かな怒りが……もっと言うと憤怒というか……もういいや。相手が女性だからって、表現をオブラートに包むのはよそう。
ぶっちゃけ言うと、かなりドスが効いている。
そんな夫人に臆する事無く、蛙は胸を張って答えた。
「当方の飼い猫が働いた窃盗の罪で、夫人には法廷に立ってもらうケロ!」
ふぅん、夫人、猫なんて飼ってたんだぁ……猫が窃盗働くなんて、世も末だなぁ……とか思いつつ俺は書状の方へ目を戻した。
夫人が凝視している、下の一行に目を通す。
最後の文は、こうだ。
『なお、窃盗犯チェシャ猫が未だ行方不明のため、当方の出頭を要するものである』