第159代アリス

チェシャ猫の縄張りを後にした俺達は、イモムシが居るというきのこの里に向かって歩いていた。

 何だかその名前は超有名菓子をかけ合わせた懐かしさを感じたが、この際気にしない。

 いつも通り道案内をしてくれているアリスに俺が『イモムシ』について訊いてばかりいると、急にアリスはお説教口調になった。

「あのな。勘違いしてる様だから言っとくが、奴の名前は『イモムシ』じゃなくて『イモ=ムシ』だからな。お前は発音が全然違う」

 発音とか気にするタイプなんだ……すごく意外。

 というか、イモムシという名前に発音もヘッタクレもあったものだろうか。

 まぁ、そう言うなら従っておこう。要は外国人をフルネームで呼ぶ感じでいいんだろ?

 俺は実際に会ってからの失礼が無い様に、(だって元の世界に戻れるかどうかがかかってるんだから)歩きながら何度か発音を練習した。

 しばらく歩きながら練習していると、前を歩くアリスが、「よしよし」と頷いた。どうやら合格値に達したらしい。

 その後も暫く歩いて、俺たちはようやく広い場所に出た。

 俺はきのこの里かと思って飛び出したが、「言っておくが、きのこの里はまだ遠いぞ」とアリスに言われてその場にへたり込んだ。

 自分の目でも確認してみるが、鬱蒼とした森の中でぽかりと明いているこの場所には、丸太一本が横たわっているだけだった。

 しかも世界的アニメ映画で、小動物が中から出てきたり森に住む小人が腰かけていそうな、中が大きな空洞になったやつ。

「アリス~、ここでちょっと休もうぜ。俺、疲れた」

 俺がヨタヨタと丸太に近付き腰かけると、アリスは「あぁ!?」と不機嫌を露にした。

「ざっけんな! 誰のためにわざわざアタシがイモ=ムシの所まで案内してるか、分かってるんだろうな!? もうちょっときばりやがれ!」

 そうは言っても、もう無理だ。チェシャ猫の縄張りからここまでは信じられない程歩いた。

 息をついて空を見上げながら、随分広い森なんだなぁ、なんて思った。猫の縄張りから帽子屋のお茶会場所までは、こんなに歩かなかったと思うのだが。

「喉、渇いたしさぁ」

 動こうとしない俺を見て諦めたのか、それとも自分も疲れていたのか。アリスは少しして俺の近くに腰を下ろした。

 俺が休憩を楽しんでいる間、アリスは暇そうにバズーカ砲を自前のエプロンで磨いていた。

 ゆっくり腰を落ち着けた事で疲れが心地よく四肢に広がり、俺の意識はふわふわと漂う様な眠気に支配されつつあった。

 その時。

「誰だ」

 唐突にアリスがよく切れるナイフのような声で周囲の森に向けて言い、冷静な手つきで素早くバズーカ砲を構えた。

 砲口は彼女の目の前の草むらしか捉えていないが、彼女の警戒は広場全体に向けられていた。

 俺は非日常的な緊迫感に、何が起こっているのかも解らない。

「ど……どうしたんだよ、アリス」

 すると、俺が発した最後の音に重なって、背後の草むらから二人分のよく似た声が聞こえてきた。

「『アリス』だってさ」

「本物の『アリス』かな」

「本物さ。そうでなかったら、エプロンを着けている筈が無いもの」

「あぁ、確かに。」

 本当によく似た声だ。うっかり、一人二役で喋っているのかと勘違いしそうになった。

 それにしても、「本物のアリスじゃなかったらエプロンを着けていない」って言い方はどうだろう。

 家庭的な子はエプロン着用で家事の手伝いをするだろうし、何より俺の高校の学食のおばちゃんはどうなる。毎日割烹着だ。

 俺が後ろを振り向くと、草むらが動いた。

 アリスもそちらを向いて、いつでも発砲できる様に狙いを定める。

「おい、ウサギ。今のうちに逃げとけ。捕まると面倒くせぇぞ」

 揺れた草むらから目を離さずにアリスが言った。

 もちろんそうさせてもらいますとも。俺はゴクリと生唾を飲む。草むらの向こうからは既視感ってやつがプンプン臭ってくる。

 ――双子。

 よく似た声のテンポの良いやり取りは、そう昔の事じゃない。俺を頭から食い殺そうとした、鋭い牙の並んだ口が脳裏を過る。

 立ち上がった俺が神妙な面持ちでざりざりと後ずさるのを見て、アリスは口の端を上げた。「……よし、それでいい。……走れっ」

 アリスが言い放つと同時に、俺は180度向きを変えて走り出す。後ろの方で、二匹の獰猛な肉食獣が獲物に飛び掛かり草むらを激しく揺らした音がした。

 で、でも……アリスとは言え女の子を危険に晒しておめおめと逃げていていいのか、俺!?

 そうだよ、こんなの卑怯者のすることだよ。そう言う良心と、でも俺がいた所で、アリスの『狩り』の邪魔になるだけだ、と言う理性が、徐々に俺の足を鈍くする。

 このまま逃げる? 卑怯者になるのか? そう迷っていた俺の耳にアリスと双子の『会話』が聞こえてきた。 

「…あぁ、面倒くせぇなぁ! 双子は双子らしく、そこら辺のウサギ追っかけてりゃいいだろうが!」

「何度も言うけど、僕たちをそこら辺の野蛮な双子共と一緒にしないでよね」

「そうだとも。僕らはウサギなんて食べやしないさ。僕らの大好物はカキだからね」

 そこで俺の足が完全に止まる。

 ……俺、逃げる必要無くない?

 だって彼等の大好物はカキなんでしょ?

 俺は逃げ道を戻って広場に顔をヒョッコリ出すと、アリスに声をかけた。

「あのぉ~……アリスさん?」

 アリスはぎょっとして叫ぶ。

「バカ、戻ってくるな! さっさと逃げ――」

 アリスが言い終わらない内に、俺は勢い良く地面に押し倒されていた。

 誰にって? もちろん、突進してきた双子にだ。

 あぁ、やっぱりアリスの言う通り、戻ってくるんじゃなかった。俺の人生、ここで終わりなんだなぁ。と思ったその時。

「ねぇねぇ、君、シロウサギ? うわぁ、ラッキー! 女王様に誉められるぞ、ダム!」

 …………はい?

「そうだね、ディー? 僕らの暇潰しにもなりそうで、ラッキーだね! 万々歳だね! 世界平和だね!」

 いや、世界平和はどうでしょうか。

 え? っていうか……。

「た、食べないの…?」

 ビクビクして発した俺の言葉に双子――どうやらディーとダムという名前の――は何か近所のおばちゃんがよくする『あら、いやだ』的な仕草をして大爆笑した。

「「アハハ、そんなに食べられたいのぉ? もしかして、自殺志願者?」」

 いやいや、滅相もない!
 っていうか、いくらなんでもハモりすぎだろ。

 一頻り笑った後、ディーが話しかけた(これがディーだと判別できるのは彼等がさっきお互いの名前を呼んでいたお陰で、もし彼等が立ち位置を何度も入れ換えたら、たちまちどっちがどっちか分からなくなるだろう)。

「ねぇねぇ、僕らと一緒に遊ぼうよ!」

 ……は?

「そうだね! アリスは僕らと遊ぶのに飽きちゃったみたいだから、君が新しい遊び相手になってよ!」

「え? ……アハ、何それ。いやいや、何、訳が………」

 

 分かんねぇぇぇぇぇぇ!!

 

『遊ぼうよ』なんてフレンドリーな言葉をかけられ、なんとなく嬉しいやら殺されないと分かって安心したやらで正直拍子抜けした気分で油断していた俺は、叫びも言葉にならなかった。

 だって、なんで双子の彼らは、俺を両側からお姫様だっこしてんの!?

「え、何、ちょっと待って! マジ意味分かんないんだけど、ねぇ!? ってか、 何でこんな前後に揺らすの!?」

 俺の感覚で言えば、言葉通り俺は前後に揺れていた。

 双子達の腕の中という見事な揺り篭に大きく揺さぶられ、俺の視界は地面、木、空が順番に映るのを繰り返した。いや、揺り籠っつーよりこれはあれだ。振り子。

 同時に、何か別の振動に気が付いて、彼らを見ると、揺り籠の二人は俺を抱えて前後に揺さぶりながら、何故か一歩ずつ後ろに下がっていく。

 とても嫌な予感がして、俺はちょっと離れた所にいるアリスに助けを求めた。

「アリス! たっ、助けて! 何か意味分かんねぇけど、マジで嫌な予感が……」

 すると俺の訴えが終わらない内に、アリスは威風堂々と俺に言った。

「私の仕事内容には『シロウサギを助ける』ってのは入ってない!」

 えぇーーーーーーー!? 

「だだだ……だって、初対面では助けてくれたじゃん!」

「あ? あれは、テメェを助けたんじゃなくて、双子を狩ったんだよ。双子を」

「だ、だって、これも双子じゃん!」

 俺は、俺の両サイドから俺を恐怖の揺り篭に乗せる双子を交互に指差した。

 アリスの反論はこうだ。

「それ、女王付きの双子だもんよ。そんなもん狩ったら私が女王に刈られる」

 えぇ、何それ!?

 今まで一緒にいたから逆に気付かなかったのか、アリスってば結構薄情だ。

 そんなんでちょっと泣きそうになっていると、不意に双子達の後退が終わったのが振動の減りで分かった。

 相変わらず前後に揺さぶられてはいるが、それでも上下の微震が減ったのは随分楽だ。

 とか思ってたら、何だか両側から不吉な言葉。

「助走はこれくらいでいいかな?」

「段々勢いもついてきたし、腕も疲れてきたし、これくらいでいいよね。方角は?」

「北にまっすぐ! お城までまっしぐら! 角度は?」

「仰角四十五度、オッケイ!」

 え? 北にまっしぐらって、え? 仰角って…!?

 俺が戸惑っていると、双子は「「それっ!」」と言って、確認した方向へ俺を抱えて前後に揺すったまま走り始めた。

 いや、これはすごい! 天晴れ、見事だ。すごいよ! すごいけどさ!?

 多分この先の運命は、俺が今頭に描いているのと一致している筈だ。

「「せーのっ!」」

 双子が大きく踏み出したのと同時に、一際大きく俺を後方へ振りながら声を揃えた。

 ええっ!? ちょ、ちょっと待っ――。

「「飛んでけーーー!!」」



 ええー!? マジっすか!!

 何でその、大して力もついてない様な細腕でこんな事するかな!?

 ってゆーか、何でその腕でできるかな!?

 俺の体は双子が「飛んでけ」と言ったのに従って、めちゃくちゃ重力に逆らって上へ上っていき、あっという間に森の木々より上の青空の中に飛び込んだ。

「ぎゃー! 待って待ってちょっとタンマー!!」

 とは言ってみるものの、ロケットって急に止まれないものだ。

 どうでもいい事だけど、タンマって死語?

 そんな感じで双子から――ましてやアリスからまでも離れてしまった俺は、しばらく飛行を楽しんだ後、やがて放物線を描いて墜ちていった。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 ベタな叫びと共に墜落すると、頭に衝撃を覚えると同時に世界が暗転した。

――は? 何これ!? え、ちょっと待って!

 ていうか、とりあえず首がとても痛い。折れる。もげる。

 どうやら俺は漫画的な事に、頭から土に埋もれてしまったらしい。

 今は逆になった体を、完全に首で支えているみたい。なるほど、苦しい。

「助けてー!」

 言おうとして口を開くと、鼻孔と口内に容赦無く土が入ってきた。

 今更気付くが、息も苦しい。

 うわ、これって何気にピンチじゃない?

 こんな訳の分からない世界あっても、周囲から見れば、有り得ない位俺の姿は滑稽だった筈だ(実際有り得ない姿ではあると思うし、今の俺の周りには人がいるのかどうかも分からないけど)。

 どうしようかと思案し、助けがこないかという希望的観測にまで行き着いた俺だったが、救いの手は意外にも直ぐに、そしてあっさりと俺にそれを差し延べた。

 突然片足首を掴まれた俺はとても驚いて、口と鼻に一気に土を詰まらせた。

苦しんでいると、ズボッという音と共に視界が一転し、青空と新緑の草原が広がった。

 天地が逆になっているのは、俺が逆さであるからに他ならない。

 ゲホゲホとむせながら首を巡らせて、俺の足首を未だ掴んでいる人を見ようとする。

 どんな形であれ、命の恩人である事に変わりはない。その顔一度拝ませて下さい。

 すぐ横を見ると、恩人と目が合う俺。

 その巨躯は、この世界に来てから初めて出会ったものだった。

 その人はやたら目つきが悪く、

 やたら顔の色も濃くて健康的で、

 顔の方まで筋肉がすごくて、

 右頬に十字傷がある、

 女だった。
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