第159代アリス

 チェシャ猫からの預かり物らしいどこぞの鍵を持ち、俺とアリスは帽子屋のアジト(?)を後にした。

 俺が帰ろうとすると、何故かとても残念そうに俺の足にしがみついて離れなかった三月ウサギに、アリスが一発蹴りを見舞ってノックアウトさせた。三月ウサギ、可哀想。

 アリスを吹っ飛ばした後、ネムイズミ君は俺達が帽子屋から鍵を預かるのを見届けると、三月ウサギに背中を預けて眠ってしまった。

 「どうしたの?」と聞く俺に、帽子屋は、「力仕事の後には寝ちゃうのよねぇ、そいつ」と答えた。

 力仕事で疲れるのは分かるけど、それにしても急激な睡魔が彼の体内に潜んでいるんだなと俺は思った。

 
 チェシャ猫の縄張りに帰る道すがら、俺はアリスに尋ねた。

「何で鍵なんて、帽子屋がチェシャ猫から預かってたんだろうな?」

 前を歩くアリスの肩がピクッと動いた。

 まずい話題を選んでしまった。話を変えなくては。帽子屋達から離れてからというもの、帰り道で俺が「帽子屋」と口にすると、アリスは激怒するのだった。

 そんな訳で、アリスと帽子屋の仲が何故こんなに悪いのかは、分からず仕舞いだ。

 俺は急いで代わりの話題を探すと、アリスの鉄拳が飛んでこない内にすかさず口にした。

「そ……そういえば、ネムイズミ君って意外に強いよなぁ。俺、びっくりしちゃ――」

 ――ゴッ!

 俺が言い終わらない内に、アリスの鉄拳が彼女の左側の木にめり込んでいた。俺は悟った。これも選んではいけない話題だったんだという事を。

 アリスは自分の肩越しに振り返って、異様にぎらつかせた目で俺を睨んだ。

「…………ネズミが、どうした?」

 自ら死を選択する俺ではない。

 アリスの問いに首がもげそうな程左右に何度も振って答え、何も聞かなかった事にして下さいとアピールした。

 アリスは狂気に満ちた一瞥でそんな俺を見ると、何事も無かったかの様に歩きだした。どうやら、見逃して貰えたようだ。

 俺は後について歩きだしたが、さっきよりアリスとの間に距離を開けて歩くように努めた。

 チェシャ猫の縄張りに着くと、俺やアリスが呼んでもいないのに猫はまたもや俺の前にヒラリと舞い降りた。

「ご苦労様。じゃあ早速、預かり物を出してもらおうか」

 俺がポケットから出した鍵を渡すと、チェシャ猫はそれを色々な角度から眺めてウットリした。その鍵には、マタタビでも練り込んであるのか?

「ったく……お前が使いの内容言わないから、こっちは大変だったんだぞ」

 アリスが頭を掻きながら文句を言うと、チェシャ猫は首を傾げた。「大変だった?」

 何気無い会話から、俺は思わず普段友達と会話する時の様に、帽子屋のお茶会であった事を説明しようとした。

「そうなんだよ~。帽子屋が物凄くつっかかる言い方してきてさぁ、アリスがそれにキレて帽子屋をぶっ飛ばそうとしたら、ネムイズミ君に…」

 その後の言葉は、陥没したかと思う様な頭蓋骨の痛みと共に飲み込んでしまった。アリスに叩かれた頭が、バズン! と肩の辺りまで沈んだ。

 痛みで声を上げる事もできない俺に、憤然とアリスが言う。

「ウサギぃ、余計な事は言わない方が身の為だって、さっき学んだばかりじゃなかったか!?」

 俺は叩かれた部分を手でさすりながら「はい、そうですね……」と言ったが、痛みに負けて、声にはならなかった。

 するとチェシャ猫がおかしそうに身をよじって笑った。

「またかい、アリス? またネズミちゃんにやられたの? 懲りないねぇ」

 ど……どうして分かんの!?

 アリスは肩をがっくりと落とした。

「ハァ………」

「そしてシロウサギ君は、あんなに強いアリスが何でネズミちゃんに吹っ飛ばされたか、とっても気になっている。違うかい?」

 またまた大当たり! 一体何で!?

 俺の疑問などよそに、チェシャ猫が何故俺達の考えている事が分かるかより先に、チェシャ猫はネムイズミ君の強さについて話し出した。

「簡単な事だよ。ネズミちゃん――君はネムイズミ君って呼んでるのかな? 彼はこの世界で一番強いから」

「え……い、一番!?」

「そ。ネズミっていう種族は一番強いから、アリスよりもずっと強い。驚いただろう? 彼は実はネズミなんだよ」

 いや、彼がネズミだって事は薄々気付いてたよ。だって君達、モロにネズミって呼んでんじゃん。

 俺はそれより、ネズミがこの世界で一番強いって事実に驚きだ。

 ネズミってのは、猫に弱いもんなんじゃないだろうか。

 あ、猫……。

 俺はふと思った疑問をチェシャ猫にぶつけた。

「お前ら猫はネズミより強いのか?」

 チェシャ猫は一瞬キョトンとしたが、次の瞬間声を上げて笑いだした。

「アハハハハ、まさか! 俺達猫はネズミとはとっても仲が良いんだよ! それ以前に、猫は皆とっても温厚だからね。喧嘩なんてした事無いさ!」

 それは知らなかった。まるで有名アメリカアニメの主人公達の関係を覆すような発言。人知れず度肝を抜かれた心地だ。

 その時突然背中に衝撃が走った。アリスが俺の背中をバシンと平手で打ったのだ。息が止まるかと思った。

「何だよ、アリス!」

 俺が怒りを露にして言うと、アリスの方は牙でもむき出さんばかりの気迫で俺を怒鳴りつけた。

「馬鹿ウサギが! アタシ等が何の為にクソ帽子屋のトコに行ったのか、忘れたわけじゃねぇだろうな!」

 あ、そうだった。それにしても、馬か鹿か兎のどれかにして頂きたい。

 俺は当初の目的を思い出して、チェシャ猫に掴みかかった。

「鍵は持ってきただろ! 俺がシロウサギを辞める方法、教えろよ!」

「あれ、思い出しちゃった?」

 猫は俺を見てキョトンとして言う。危うく、タダ働きとなる所だった。油断できない奴だ。思い出させてくれて、ありがとうアリス。

 俺の顔を見て、チェシャ猫は「アハハ、冗談だよ」と言って笑ったが、その人なつっこい笑顔にも騙されてはいけない。

「この猫……」
 アリスが頬を引き攣らせて呟く。

 そんなアリスにも動揺する事無く、チェシャ猫は「冗談だって言ってるじゃないか」と尚も笑った。更にアリスの頬が引き攣る。

「テメェの冗談なんざどうでもいい!さっさと教えやがれ!」

 アリスの怒鳴り声に、森の枝で羽根を休めていた小鳥が何羽か空に羽ばたいた。

「うん、それはね……」

 柔和な笑顔を崩す事も無く、腕組をして脚を交差させるチェシャ猫。

 そのもったいぶった様な仕草が、焦っている俺としてはすごく癇に障る。

 アリスがいつでも怒鳴っている気持ちが、今分かった。俺も、今すごく怒鳴りたい気分。

 更にもったいぶったチェシャ猫が、森の静けさを楽しむ様に辺りが静寂に包まれた。

 俺は何となく嫌な予感がして、動悸がドキドキ言いっぱなしだ(こんなくだらないオヤジギャグを思ってみても、誰も突っ込んでくれるわけでもなし)。

 一回交差した脚をゆっくりと戻して、同じ速度で反対に交差させてチェシャ猫は再び口を開く。

 
「それはね……」

 
 ごくり。俺は息を飲んだ。

 
「俺は知らないんだぁ」

 
 ……………は?

 
 アハッ、と笑って、チェシャ猫は悪びれも無く言った。

 俺が目を点にしていると、アリスが顔を赤くして怒鳴った。

「じょ、冗談じゃねぇぞ! 思っクソ詐欺じゃねぇか、この詐欺ネコ!」

 チェシャ猫はそんなアリスを抑える仕草で「落ち着いてよ、アリス」と言った。

 ふざけるな、これが落ち着いていられるか。

「確かに君達の方に、些か誤解が生じてしまう言い方をした俺のミスだ。謝ろう」

 チェシャ猫が腰を曲げてお辞儀をしたので、彼の額が彼を見上げたアリスの額に迫る。

 しかし、そこはさすがのアリス。タイミングを見計らって背中を思いきり反らせたかと思うと、反動を使っての見事な頭突きを猫に見舞った。

「い、痛っ、痛ぁっ!!」

 猫は衝撃で尻餅をついて、そのまま地面でのたうちまわった。

 アリスの方はというと、大の猫(?)が痛がって苦しんでいる衝撃を生み出したにも関わらず、屁でもないとピンピンして怒りを剥き出しにしている。どうやら強烈な石頭らしい。

「ふっざけんな、クソ猫……! このまま塵にしてやっから覚悟しろ!!」

 背中のバズーカに手をかけたアリスを見て、俺が止める間もなく、チェシャ猫は弁解を始める。やはりバズーカは恐いらしい。

「た、頼むっ、頼むから止めてくれ、アリス! 俺がシロウサギ君の引退に関する情報で知っているのは、『イモ=ムシが知っている』。それだけなんだ!」

「何だと?」

 バズーカから手を放して、アリスは訊いた。

 チェシャ猫の目を覗き込む。その目がうるんでいる。

 信じて下さいと懇願しているのか、額の痛みがまだ引いていないのか。

「……本当なんだろうな」

 俺は警戒して訊く。やっぱり油断ならない猫だ。

 アリスがちょっとだけ俺を振り向いた時だった。チェシャ猫は素晴らしい瞬発と跳躍力を見せると、一言だけ残して森の中へ逃げて行った。
「本当だよ!」

「あっ、待て!」と俺は言ってみるが当然遅い。大体、待てと言われて待つ筋合いは無いのに、人ってどうして逃げようとする奴に向かって『待て』なんて言っちゃうんだろう。

 俺は仕方なく溜め息を吐いて、チェシャ猫の縄張りを後にしてアリスと共にイモムシの所へ向かう事にした。

 縄張りを去り際、アリスが森の木々に背を向けて呟いた。

「もしこれも嘘だったら………この森ごとお前を丸焼きにしてやっからな」

 チェシャ猫の心情を表したかの様に、森全体がざわりと揺れた。
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