第159代アリス
イモムシが猫に進化を遂げる。なんて、
「まさか、んな事有り得ないって~」
笑って言った俺は女王にキッと睨まれた。
「貴方の常識で物事を言うのではありません」
そうだ。この世界では俺の常識は通用しない。
これはこの世界に来てから、俺自身が嫌というほど体感してきたことじゃないか。でも、だとしても、訳が分からないぞ。
「……でも、俺とアリスはチェシャ猫に教えてもらって……イモ=ムシに会いに、きのこの里に……」
行くはずだった。
まさか、それも全部嘘だったっていうのか?
そうだ。アリス……アリスはきのこの里の場所を――イモ=ムシの居場所まで案内しようとしてくれたじゃないか。
そうだよな? チェシャ猫自身がイモ=ムシだったなんて、そんな事有り得ないんだよな?
そう尋ねようと、アリスを向く。
彼女は女王を向いたまま、ポカンと口を開けて固まっていた。
まずいぞ、何かシリアスな雰囲気になってきた。息が詰まる。
すると、アリスがいきなり叫んだ。
「畜生、あのクソ猫! この私を騙しやがったのか、あのヤロウ~!」
……あぁ、いつものアリスにホッとしている自分がいる。
ちょっと前まで、コイツのやることなすことすべてに、あんなにハラハラしてたのに。
人間って不思議だ。
人間って本当に不思議で、残酷だ。
ちょっと前まで腫れ物扱いだったのに、今や俺はすっかりアリスを頼りにしている。
ごめんな、アリス。
最初はあんなにお前の言動にビクビクしてたけど、今はお前の言葉が一番落ち着くよ。
人間って本当不思議で残酷で、単純だなぁ。
俺がしみじみ思っていると、女王が口を開いた。
「私もあの者の正体に気付いたのは、つい最近の事です。あの者は一切届出というものを提出していなかったのですから」
……やっぱり届出必要なんだ。届出が無かったから、完全に管理できていなかった、と。
こんな危険人物が野放しになっているなんて、知らなかった。
じゃあ、それなら。
「なんで最近になって分かったんだよ、チェシャ猫の正体がイモ=ムシだって?」
俺の質問対する女王の答えは、またしてもすっ頓狂なものだった。
「私は猫が歌うのを一度聞きました」
う、歌……? そんなもので本人確認していいの?
「イモ=ムシが初代アリスと共にいた頃に、歌っていた歌と同じものを、あの猫は歌っていました」
そんな。歌なんてすぐ人の間に広まるものだし、本人確認には使えないんじゃ……。
「アリスもご存じのはずです。『きらきら蜜蜂』」
そのタイトルは、この緊迫した空気の中で異様に浮いていた。
女王に視線を向けられたアリスが、ハッとする。
「『きらきら蜜蜂』……。初代アリスが伝えた歌だよな」
え? 何か可愛いな、初代アリス。
『きらきら蜜蜂』が果たしてどんな歌なのかも気になるが、今はそんな事気にしてる場合じゃない。
なんか隣りで、アリスが燃えてる。そんりゃもう、闘志がみなぎってるって感じ。
「おっし、ウサギ!聞く事はもう無いだろ、行くぞ!」
アリスは突然俺の首根っこ掴んで走り出した。え、嘘!
「行くって何処へ!?」
俺の頭の中の疑問と口から飛び出した質問が、この上ない程シンクロした。
「決まってんだろ! あのバカ猫張り倒しに行くんだよ!」
と、止めに行くんじゃないの!?
あくまでも暴力的なアリスに喉元を締め付けられて、俺は早くも酸欠気味。苦しい苦しい。
高校生男子を一人引っ掴んで走っているのに、アリスの脚は駿足だった。
静かに手を振っている女王や、純白の小さなハンカチを振る公爵夫人達がどんどん小さくなっていく。
「初代アリスを蘇らせたりなんて、誰がするかよ!」
法廷を出て、廊下を突っ切って、城を出て……それでもまだアリスは止まらない。
「ちょっ、アリス! アリスさーん! 何か勢いよく出てきたけど……っ、チェシャ猫の居場所知ってんのかよ!?」
「知らねぇっ!」
一刀両断。
女王様、俺達の旅路はかなり厳しそうであります。
アリスは俺の首根っこ掴んだまま止まらなかった。
野を超え山を越え、足元が水浸しになるのも構わずに小川を横断し、時たま出くわした俺を食おうと襲いかかって来る双子を踏みつぶして……。
……その中にさっき、明らかに違う双子もいた気がするが…………。
そうして到着したゴールは…………。
山菜の匂いがした。
「もしかして……きのこの里?」
こんな訳の分からない世界に来て、これ程分かりやすい場所はなかった。
森の鬱蒼とした木々はここに来て姿を消し、代わりに生えているのは無数のきのこ。
……中毒になりそう。
大きさ、形。色までが様々なきのこが、そこには生えていた。
茶色く、笠がパンケーキの様にフワフワしたきのこ。
俺の腰くらいに笠のある、虹色のきのこ。
何か見るからに怪しいブツブツがある、紫色のきのこ。
何があっても、後者二つは絶対に食べたくない。
そんなきのこの大群の中央に、ポツリと墓があった。
公爵夫人の家にいた時と同じ様に、胸の時計が熱くなる。
俺は自分の胸にある時計を、無意識に握り締めた。
熱い。
呼ばれている。
呼ばれているんだ。こっちの世界に来いよ、って。
誰に?
俺の意識を引き戻したのは、突然叫んだアリスだった。
「ああっ! 居やがったな、猫!!」
チェシャ猫は墓の傍らに、気持ち良さそうに横になっていた。
物陰に隠れてお昼寝なんて、本当に猫みたい。
……銜え煙草だけど。
猫は俺達が見た事無い程リラックスしていて、気持ち良さそうに目を瞑る彼の口から、時折輪っかがプカリと浮かんで散っていく。
その煙は鮮やかに青い。
……体に悪そう。
俺がその場に呆然と立っている内に、アリスはのっしのっしと彼に近付き、無防備な彼を……。
蹴った。
頭を、一回。
チェシャ猫の頭はもげそうな勢いで、後方にのけ反った。
うわぁ~! やっちゃった、噂の危険人物に蹴り一発食らわしたよ、この女!!
一瞬、俺の頭の中で黄色信号と青信号が戦った。
「ヤバい、逃げろ!」ってのと「アリス、頼むからそのままやっつけちゃって下さい!」って言っている俺がいる。
アリスの足元で顔を上げたチェシャ猫の頭から、流血。
その目が、ギョロリ、と睨んだのは、俺。
あれ!? 何で俺の方が睨まれてんの!?
けけけけっ、蹴ったのはアリスでしょう!?
「何で彼なの? アリス、何でなんだよ……君には僕がいるのに……」
ブツブツ呟きながらゆらりと立ち上がるチェシャ猫は、ほとんど病気だ。
俺が恐れおののいていると、流血の猫は叫んだ。
「何でっ……ウサギじゃなきゃ駄目なんだよぉー!!」
ウ……ウサギじゃなくっちゃって……? ウサギって……。
動けない俺の首を、突然見えない力が掴んだ。たちまち何も考えられなくなる。
「うぅっ……!」
白くなりかける俺の頭の中に、チェシャ猫の声が響いた。
「君の為にっ……俺は君が大好きな猫になったのに……っ! 君の為に、俺は猫になったのにっ……!」
チェシャ猫の言葉は、俺に向けられているものじゃない。
チェシャ猫は初代アリスの為に、イモ=ムシという名を捨てて「猫」になったんだ。
「まさか、んな事有り得ないって~」
笑って言った俺は女王にキッと睨まれた。
「貴方の常識で物事を言うのではありません」
そうだ。この世界では俺の常識は通用しない。
これはこの世界に来てから、俺自身が嫌というほど体感してきたことじゃないか。でも、だとしても、訳が分からないぞ。
「……でも、俺とアリスはチェシャ猫に教えてもらって……イモ=ムシに会いに、きのこの里に……」
行くはずだった。
まさか、それも全部嘘だったっていうのか?
そうだ。アリス……アリスはきのこの里の場所を――イモ=ムシの居場所まで案内しようとしてくれたじゃないか。
そうだよな? チェシャ猫自身がイモ=ムシだったなんて、そんな事有り得ないんだよな?
そう尋ねようと、アリスを向く。
彼女は女王を向いたまま、ポカンと口を開けて固まっていた。
まずいぞ、何かシリアスな雰囲気になってきた。息が詰まる。
すると、アリスがいきなり叫んだ。
「畜生、あのクソ猫! この私を騙しやがったのか、あのヤロウ~!」
……あぁ、いつものアリスにホッとしている自分がいる。
ちょっと前まで、コイツのやることなすことすべてに、あんなにハラハラしてたのに。
人間って不思議だ。
人間って本当に不思議で、残酷だ。
ちょっと前まで腫れ物扱いだったのに、今や俺はすっかりアリスを頼りにしている。
ごめんな、アリス。
最初はあんなにお前の言動にビクビクしてたけど、今はお前の言葉が一番落ち着くよ。
人間って本当不思議で残酷で、単純だなぁ。
俺がしみじみ思っていると、女王が口を開いた。
「私もあの者の正体に気付いたのは、つい最近の事です。あの者は一切届出というものを提出していなかったのですから」
……やっぱり届出必要なんだ。届出が無かったから、完全に管理できていなかった、と。
こんな危険人物が野放しになっているなんて、知らなかった。
じゃあ、それなら。
「なんで最近になって分かったんだよ、チェシャ猫の正体がイモ=ムシだって?」
俺の質問対する女王の答えは、またしてもすっ頓狂なものだった。
「私は猫が歌うのを一度聞きました」
う、歌……? そんなもので本人確認していいの?
「イモ=ムシが初代アリスと共にいた頃に、歌っていた歌と同じものを、あの猫は歌っていました」
そんな。歌なんてすぐ人の間に広まるものだし、本人確認には使えないんじゃ……。
「アリスもご存じのはずです。『きらきら蜜蜂』」
そのタイトルは、この緊迫した空気の中で異様に浮いていた。
女王に視線を向けられたアリスが、ハッとする。
「『きらきら蜜蜂』……。初代アリスが伝えた歌だよな」
え? 何か可愛いな、初代アリス。
『きらきら蜜蜂』が果たしてどんな歌なのかも気になるが、今はそんな事気にしてる場合じゃない。
なんか隣りで、アリスが燃えてる。そんりゃもう、闘志がみなぎってるって感じ。
「おっし、ウサギ!聞く事はもう無いだろ、行くぞ!」
アリスは突然俺の首根っこ掴んで走り出した。え、嘘!
「行くって何処へ!?」
俺の頭の中の疑問と口から飛び出した質問が、この上ない程シンクロした。
「決まってんだろ! あのバカ猫張り倒しに行くんだよ!」
と、止めに行くんじゃないの!?
あくまでも暴力的なアリスに喉元を締め付けられて、俺は早くも酸欠気味。苦しい苦しい。
高校生男子を一人引っ掴んで走っているのに、アリスの脚は駿足だった。
静かに手を振っている女王や、純白の小さなハンカチを振る公爵夫人達がどんどん小さくなっていく。
「初代アリスを蘇らせたりなんて、誰がするかよ!」
法廷を出て、廊下を突っ切って、城を出て……それでもまだアリスは止まらない。
「ちょっ、アリス! アリスさーん! 何か勢いよく出てきたけど……っ、チェシャ猫の居場所知ってんのかよ!?」
「知らねぇっ!」
一刀両断。
女王様、俺達の旅路はかなり厳しそうであります。
アリスは俺の首根っこ掴んだまま止まらなかった。
野を超え山を越え、足元が水浸しになるのも構わずに小川を横断し、時たま出くわした俺を食おうと襲いかかって来る双子を踏みつぶして……。
……その中にさっき、明らかに違う双子もいた気がするが…………。
そうして到着したゴールは…………。
山菜の匂いがした。
「もしかして……きのこの里?」
こんな訳の分からない世界に来て、これ程分かりやすい場所はなかった。
森の鬱蒼とした木々はここに来て姿を消し、代わりに生えているのは無数のきのこ。
……中毒になりそう。
大きさ、形。色までが様々なきのこが、そこには生えていた。
茶色く、笠がパンケーキの様にフワフワしたきのこ。
俺の腰くらいに笠のある、虹色のきのこ。
何か見るからに怪しいブツブツがある、紫色のきのこ。
何があっても、後者二つは絶対に食べたくない。
そんなきのこの大群の中央に、ポツリと墓があった。
公爵夫人の家にいた時と同じ様に、胸の時計が熱くなる。
俺は自分の胸にある時計を、無意識に握り締めた。
熱い。
呼ばれている。
呼ばれているんだ。こっちの世界に来いよ、って。
誰に?
俺の意識を引き戻したのは、突然叫んだアリスだった。
「ああっ! 居やがったな、猫!!」
チェシャ猫は墓の傍らに、気持ち良さそうに横になっていた。
物陰に隠れてお昼寝なんて、本当に猫みたい。
……銜え煙草だけど。
猫は俺達が見た事無い程リラックスしていて、気持ち良さそうに目を瞑る彼の口から、時折輪っかがプカリと浮かんで散っていく。
その煙は鮮やかに青い。
……体に悪そう。
俺がその場に呆然と立っている内に、アリスはのっしのっしと彼に近付き、無防備な彼を……。
蹴った。
頭を、一回。
チェシャ猫の頭はもげそうな勢いで、後方にのけ反った。
うわぁ~! やっちゃった、噂の危険人物に蹴り一発食らわしたよ、この女!!
一瞬、俺の頭の中で黄色信号と青信号が戦った。
「ヤバい、逃げろ!」ってのと「アリス、頼むからそのままやっつけちゃって下さい!」って言っている俺がいる。
アリスの足元で顔を上げたチェシャ猫の頭から、流血。
その目が、ギョロリ、と睨んだのは、俺。
あれ!? 何で俺の方が睨まれてんの!?
けけけけっ、蹴ったのはアリスでしょう!?
「何で彼なの? アリス、何でなんだよ……君には僕がいるのに……」
ブツブツ呟きながらゆらりと立ち上がるチェシャ猫は、ほとんど病気だ。
俺が恐れおののいていると、流血の猫は叫んだ。
「何でっ……ウサギじゃなきゃ駄目なんだよぉー!!」
ウ……ウサギじゃなくっちゃって……? ウサギって……。
動けない俺の首を、突然見えない力が掴んだ。たちまち何も考えられなくなる。
「うぅっ……!」
白くなりかける俺の頭の中に、チェシャ猫の声が響いた。
「君の為にっ……俺は君が大好きな猫になったのに……っ! 君の為に、俺は猫になったのにっ……!」
チェシャ猫の言葉は、俺に向けられているものじゃない。
チェシャ猫は初代アリスの為に、イモ=ムシという名を捨てて「猫」になったんだ。