第159代アリス

「つ、追放……? 追放されたって……」

 空中で笑う猫に向かって、俺は呟く。

 何で? 何で? 追放って、追い出されたって意味だろ?

 お前はちゃんと、この城から(多分)ほど近い森に住んでいるじゃないか。

「森に……住んでいるんじゃなかったのか…?」

 俺が呟くと、猫は「う~ん」と悩んだ仕草で首を捻った。

「『棲みついている』ってゆーのが正しいかな」

「俺、届出してないからさぁ」。あはっ、と笑うチェシャ猫。

こんなデタラメファンタジーっぽい世界でも、届出は必要なんだ…………。

 女王は、落ち着きを取り戻して、腕組みをして空中の猫を睨みあげた。

「……届出をしなくとも、お前が私の国の空気を吸う事さえ不快です。さっさと舌を噛み切って、五臓六腑を巻き散らしてから出て行きなさい」

 もしもぉーし!? 女王、残虐度上がってますけどー!?

 チェシャ猫は、狂喜を宿した目を輝かせて言った。

「ほざくがいいさ! 今に俺がアリスを目覚めさせる! この世界から消えて無くなるのはお前らだ!」

 猫が高らかに笑いながら、その場でクルリと回転する。

 すると魔法の如く、彼の体は消えた。余韻も残さず、まるで最初からいなかったかの様に。

 後に残ったのは、怒りに顔を歪ませた女王と呆然とした俺、公爵夫人に三月ウサギや小さいアリスに陪審員の方々、それに法廷に反響した猫の笑い声だった。

「何て事…………」

 口を開いたのは夫人だった。彼女は涙を浮かべて、その場に崩れてしまう。

「我が家族に代々伝わる……飼い猫がまさかあんな…………」

 公爵夫人……気持ちは分かるけど、気をしっかりと……いや、待て。今何て言った?

「家族に代々伝わる猫? そんなに長生きだったのかよ、あいつ」

 泣き崩れている公爵夫人に訊くと、不意に頭の上に降ってきた微かな衝撃と何かが乗った様な重みと同時に、質問の答えが返ってきた。

 どうやら、未だミニマムサイズのアリスだ。 

「アイツはこの国で、女王と並んで唯一『初代アリス』の頃に生きていた存在だ」

 へぇ…………それって意外とレアじゃね?

 ……ん? ちょっと待て。今のアリスが159代目でその前のアリス達は確か50年で結構入れ替わってて、今のアリスが結構長続きしてるんだから…………

 …………

 
 アイツ、いくつ!?

 
 50年前は一体何代目のアリスだったか知らないけど、とりあえず今の159代目という数字から推測するに、初代アリスの頃に生きていた女王とチェシャ猫ってもう100歳はとっくに行ってると思う。

 あ、だから女王、「こんなに『アリス』に困らせられるのは久しぶり」だって言ってたの?

 という事は、初代アリスもこの法廷に来たって事?

 俺が考えていると、頭皮が酷く痛んだ。

 どうやら俺の頭の上に乗っているアリスが、俺の髪を引っ張っているらしい。

「痛っ! 痛ィタタタタ痛いよ、アリス! 抜ける、抜ける!ごっそり抜けるから!」

 すると今度は、罵倒の嵐。

「うるせぇ、テメェの毛根事情なんか知るか! そんな事より、何をボサッとしてるんだ! 猫追い掛けて、絞め上げるぞ!!」

 なななな、何ですって!?

「は、はいっ!?」

 俺の脳味噌では、残念ながら今の言葉の意味を処理できなかった。

 意味が分かりません、アリスさん。

「物分かりの悪ぃウサギだな。あの猫を追い掛けるんだよ! じゃないと本当に初代アリスが蘇っちまうぞ!」

 今までにも増して理不尽な展開に、俺は自分でもびっくりする程腹を立てて怒鳴った。

「悪ぃな、物分かり悪くて! でも俺は、この世界について知らないも同然だし、事の重大さなんて全然分からないの! 『初代アリスが蘇る』って事から意味が分からねぇんだ! いっつも意見を押し付けるだけじゃなくて、ちゃんと理由を説明してくれたっていいだろ!?」

 アリスは俺が反論してくると思っていなかったらしい。彼女は口をつぐんだ。

 黙りきってしまったアリスに代わって、女王が俺に答える。

「……そうですね。この国の事情も知らぬ者にシロウサギは務まりません。良いでしょう。貴方の質問に私が答えます」

 俺の頭の中は今、処理出来ていない情報が山積みだ。このままだと、その内パンクしてしまう。

 処理の方法を教えてくれるコンピュータを、俺の頭は必要としていた。

「まず、何を知りたいのですか?」

 女王が尋ねる。

 俺の口から、質問が波の様に溢れ出ようとするが、俺は落ち着いて確実に問題を消化して行こうと思った。

「……まず、初代アリスと、そいつが蘇る事がどういう事なのか知りたい」

「初代アリスは、とても凶悪なアリスでした。今のアリスにとても良く似ていました」

 アリスに似てる…………んだ。

 何だ、ちょっと緊張しちゃったじゃん。アリスに似ているんなら、そんなに恐くも……………。

 いや、ちょっと待て、落ち着け俺。よく考えろ。

 ずっと俺の隣にいたアリスは確かに「凶暴」だが、今女王言ったキーワードは「凶悪」だぞ、「凶悪」。

「凶々しく悪いもの」、だ。

 でも凶悪って言われたって、どうも具体的なイメージが持てない。

 現代日本でだって、「凶悪犯罪」よりは突発的な「凶暴な犯罪」の方が遥かに多いと、俺は思う。

 てか俺の中で一番凶悪なイメージが、アリスだ。

「凶悪って、どの様な……」

「初代アリスは、我が国が誇るトランプ軍隊を全滅させ、この世界を支配しようとしていました」

 ぐ……軍隊全滅!? こっ、恐ぇぇ!!

「長い戦いの末に我が国が辛くも勝利し、アリスとその仲間をこの国から追放する事に成功しました」

 全然アリス(159人目)に似てないじゃん! いくらなんでもそこまでしないよ、アリス(159人目)はっ!

 そんなとんでもない人物が、この世界にいたなんて!

「……ということは、『蘇る』って……」

 スッ、と目を閉じて、自身にもその事実を言い聞かせる様に女王は言った。

「そして私は、初代アリスを固く封印しました。……まぁ、眠りながらにアリスが見た夢のせいで、双子がこの世界に蔓延る様になってしまったのは事実ですが……。チェシャ猫が持っていたのはその封印を解くための唯一の鍵なのです」

 双子って……俺達ウサギの事が大好物な?

「そもそも、この国に双子はディーとダムの二人しか存在しなかったのです。ウサギを食べる狂暴な双子は、初代アリスが今現在も見ている夢によって新しく生まれたものなのです」

 こ、恐……。恐ろしいな、初代アリスの夢の力。

 そもそも、夢に見た物が現実世界に現れるってどうよ……? しかもあんな怪物が。

 俺は、以前俺を頭から食おうとしたあの双子の大きな口を思い出して、ゾッとした。

 身震いした俺を睨みつけて、女王は言い放つ。

「もし本当に初代アリスが蘇ったら……そんなものでは済まされませんよ」

 その言葉に俺はごくりと唾を飲んだが、俺は体感した恐怖以上の恐怖は想像できない不器用な人間なんです。女王様、許して下さい。

「2代目以降のアリスは、双子に食い殺されたり、ディーとダムに遊び回された末におかしくなったり、この世界に馴染めなかったり……誰も長くは続きませんでしたね」

 ちょっと待て。あんたは軽くスルーしようとしてるが、俺は聞き捨てならないぞ。

 お前んとこの双子は、アリスの気がふれる程遊んでも気が済まないのか?

 ちょっと突っ込もうかとも思ったが、そんなアリス達の末路なんて知ったら俺も戻れない気がするのでやめておく。

「158代目……先代のアリスは違いました。彼女は気高く、私に引けをとらない凛々しさと美しさを持っていました」

 …………この女王がこんなにベタ褒めするなんて…かなりすげぇんだ、先代のアリスって……。

 っていうか、すがすがしいくらいナチュラルに今自画自賛したね、しましたね?

「先代のアリスは、世の中に蔓延っている双子の排除を自らの使命としました。その意思は、今のアリスに継がれています」

 へぇ……こうやって聞くと、アリスって正義の味方っぽいかも。ちょっとかっこいいと思ってしまう。

 すると、頭の上のアリスが言った。

「今、初代アリスに蘇られると、アタシと先代がやってきた事なんて、意味が無くなっちまう」

 俺はそんなアリスに手を差し出す。

「そうだよな。双子でさえ狂暴なのに、その上凶悪なアリスに蘇られたら、状況は振りだしに戻るんだもんな」

 俺の手に逆らうことなく、アリスはそれにピョンと飛び乗った。

 肩に座らせると、今までに見たことの無い真剣な眼差しで、アリスは言った。

「振りだしどころか、最悪だ」

「アリス、分かっていますか? 貴方にしかできない事ですよ」

 真剣な顔で見つめあい、女王はアリスに言った。

 俺が何が何だか分からない間に、アリスは「あたりめぇだ」と挑戦的に言ってちょっと固く笑った。


「……気を付けなさい」

 
 パチン。

 女王が指を一つ鳴らすと、俺の肩が急に沈みこんだ。

 よろめいて転倒しそうになるが、なんとか体制を立て直して肩にいるアリスを支える。

 アリスのサイズは、急に元に戻っていた。

 俺がアリスの顔を見上げると、彼女も俺を見下ろしていた。

 いつもの野生的な笑い方が、そこにあった。

 アリスは俺の頭をがしっと掴むと、俺を突き放す勢いで軽く跳んで、女王の隣に着地する。

 突き飛ばされた俺の体は、今度ばかりは耐えきれずに後ろへとよろめいた。

 「ゎわっ……」

 ドン、と誰かの逞しい胸板に突っ込んだ俺。

 っていうか『誰か』とか言うまでもないよ。この中で逞しい胸板とか言ったら、100%公爵夫人じゃん。

「ご…ごめんなさ……」

 ぶつけた顔を摩りつつ夫人の顔を見上げる。

 彼女の顔は真っ青で、両目は丸く見開いていた。

 こんな夫人は、見たことがない。

 てゆーか、ぶっちゃけ怖い。

 自らの胸に飛込んできた俺を、以前の様に抱き締めるどころか、額のあたりを鷲掴みにされて、俺はぞんざいに横の方へ放られた。

 何か、皆の冷たいあしらいに少々ショックの俺。

 秘かに落ち込んでいる俺の事などアウト・オブ・眼中な公爵夫人は、女王に向かって敬意も忘れていた。

「ちょ、ちょっと待って!? 初代アリスがいたのなんて、何百年も前の話でしょう? そんな先人を、何でウチの猫が蘇らせるのよ!」

 それもそうだ。

 夫人の言う通り、何百年も前に生きていた人物に、チェシャ猫は何の義理も無いはず。

 俺も不思議そうな顔をして女王に向き直ると、女王の答えが返ってきた。

「チェシャ猫はこの数百年の間、ずっと偽りの名を使っていました。彼がアリスと共にいるころに使っていた名は…………」

 女王がたっぷりととった間によって、全員に緊張が走った。

「イモ=ムシ。それが、以前の彼の名です」
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