第159代アリス

 ウミガメモドキが去った法廷は、ざわざわとさざめいていた。

 陪審員達が小声で話し合っているのが聞こえる。

「相変わらずウミガメモドキは、肝が据わってるよな」

「女王様に面と向かってあんな口が利けるのは、あいつとアリス位なもんだ」

 ウミガメモドキ、アリスと同等かよ。ちょっと可哀想、なんて思ったのは、アリスには絶対秘密だ。

 ちょっとぽかんとしていた女王は、そんなさざめきに自分を取り戻したらしく、いつもの様にほっそりした拳を振り上げ、直後に振り下ろした。

 しかし自身の前に机が無い為、本来なら拳が音を立てるはずの位置でその拳は虚しく空振りした。

 ……何かいけない瞬間を見てしまった。

 女王が無言でこちらを振り向く。

 俺と周りの陪審員達は一斉に首を捻り、超スピードで「見てないフリ」をした。

 ……アリスはむしろ笑ってたけど。

 女王は裁判官席の脇に付いている階段を優雅に上がり、本来の自分の席に着くと「コホン!」と咳払いで仕切り直した。

 さすがにもう一度アクションを起こすのは、気恥ずかしかったらしい。

「……ウサギ、次の証人を」

 女王が俺に言った。俺はさっきみたいに、病院の待合室風に呼んだ。

 ガチャッ……! 出入口のドアノブが音を立てて回り、蝶番を軋ませてゆっくりと開いた。

 そこから入ってきたのは、燕尾服を着た執事風の男だった。

 フワリとした金髪の男は、半円を描いた腕に続いて綺麗なお辞儀で俺達に挨拶して見せた。

 何だ、その演出は!? どこぞの舞台か!

 男の美しさと、一般的な日常生活を送っていればそうそうお目にかかれない光景に、おれは鳥肌を覚える。

 姿勢を正した男が、口を開いた。

「トカゲのビル参上つかまつりました。女王様、ご機嫌麗しゅう」

 え……コイツがビル?

 女王の執事じゃなかったんだ。……ちょっと残念。執事とメイドは庶民の夢だ。一部の濃い方にはもっと夢らしいけど。

 女王が早速、質問を始める。

「鍵の番人・ビルよ。貴方はわたくしの鍵が盗まれた時、現場にいましたね?」

 そしてビルからの答えは、

「よく分かりかねます」

 ……あれ?

 やたら曖昧だ。女王様へのお返事がそれでいいのか。

 女王は当然怒った。

「きちんと答えなさい。首を斬りますよ」

しかしビルは「ですからきちんとお答えしている様に、よく分かりかねます」と繰り返した。

 女王の苛々が募る。

「分かるのですか? 分からないのですか?」

しかし、

「分かりかねます」

――ブチンッ。
 女王の堪忍袋の緒が切れた音が、聞こえた様な気がした。

 彼女はその場でゆっくり立ち上がると、ニッコリ笑った。

「分かりました。反逆の罪で貴方の首を斬りましょう」

 
 大変だぁぁ~~!?

 
 また首斬り事件に発展しちゃった!

 またスプラッタな事に(前回は際どい所でなってなかったけど)なる!

 俺は今まで面識0の、見知らぬトカゲ(外見は完全に人間)に向かって叫んだ。

「おい、ビルさん! ちゃんと思い出して証言しろって! じゃないと殺されちゃうぞ!」

 見ず知らずのトカゲの生死にすんげぇ焦ってる俺とは正反対に、本人は冷静に答えた。

「だって、本当に知らないんですよ? 私はずっと全ての鍵を見ていましたけれど、いつ無くなったのか分かりませんでした」

「少なくとも、不審者の類は見ていませんよ」と付け足して、ビルはニコリと笑った。

 う……男とはいえ、金髪美人に微笑まれると何だか照れる。

 不審者の類を見ていない、という一言を聞いて、女王の怒りが多少引っ込んだ様だった。

 女王は何事も無かったかの様に着席すると、

「しかし鍵が無くなったのは事実です。ずっと管理していたのにいつの間にかなくなるなんて、有り得ない事でしょう?」

 と冷静を保つ様にしてビルに訊いた。

 そりゃ確かに。

 ずっと目を離していなかった物が、その視線をかいくぐって盗まれるなんて、有り得ない。

 もちろん、一人手に逃げ出したなんて事も有り得ない。

 ビルのその証言は、自分の立場をますます不利にするだけだ。

 女王はビルに向かって更に訊いた。

「チェシャ猫を見ましたか?」

 うわ。めちゃくちゃ個人の名前出しちゃったよ。

 大丈夫? 名誉棄損罪とかにならない?

 しかしビルはその質問にさえも笑顔で答えた。

「いいえ、女王様」

 女王が拳をギュッと握る。あらら、怒ってる怒ってる。

 アリスが俺の肩の上で、おもいっきりあくびをした。

 まぁ、気持ちは分からないでもない。

 消えた鍵の行方は何の進展も見せない。俺の脳裏に『迷宮入り』の四文字が浮かんでは消える。

 すると、しばらく女王と同じ問答を続けていたビルが、突然「あ」と思い出した様に言った。

「見張りを交代した時かもしれませんね。鍵が盗まれたのは」

 ああ、なるほど。交代の時なら、盗まれたのに気付かなかった事にも納得がいく。

 俺が手をポンと打たんばかりに納得した時、突然女王がガタンと荒々しく音を立てて席を立った。

「只今聞き捨てならない言葉を聞きました。陪審員、記録をしましたか?」

 突然女王に話を振られて、陪審員達は完全に不意を衝かれた様だった。

 皆さんハッとして、慌てて手にしている黒板に書き始める。

『只今聞き捨てならない言葉を聞きました。』

 俺には書いている内容バッチリ見えるけど、中央に座ってる女王には書いてる内容が絶対見えないのが幸いだ。

 委員会の書記にだって、そんな記録は許されないぞ。大丈夫か、この陪審員たち。

 俺がそう思ったその時、女王の雷が落ちた。

 机の上に墜ちた女王の拳は語っていた。この馬鹿どもが、と。

「誰がそんなくだらない事を書けと言いましたか? 『鍵が盗まれた時見張りを交代していた』という彼の言葉を聞きましたか? 貴方がたの耳は一体何の為についているのですか。耳も削ぎ落としてあげましょうか」

 おっと、もはや決まり文句を飛び越えて『耳をそぎ落とす』ときた。

 それすなわち、「わたくしを怒らせた者は暗黙の了解で首を斬ります」と言っている様な物だ。

 そして今、彼女は「首を斬った後に耳も削ぎ落としてあげましょうか」と言ったのだろう。

 さっきまで女王との意思疎通なんて全然出来ていなかったのに、段々分かってきたらしい俺。……できれば分かりたくなかったなぁ。

 陪審員達は自分の書き付けた言葉を消し、女王の言った通りの言葉を書いた。

 女王はそれで満足したらしい。

 ビルに再び話しかけた 女王の物腰は、苛立ちの欠片も感じさせなかった。

「見張りを一体誰と交代していたのですか? そもそも、鍵番というのは貴方以外誰もいないでしょう。貴方は鍵番という仕事を……」

 ビルは女王の言葉を遮って、彼女の質問に答えた。

「お言葉ですが女王様。以前から私はこの仕事に不満を感じておりましたもので、勝手ではありますが、自費で代わりの者を雇っておりました」

 それって、この仕事割に合わないって意味だろうか。

 王族の従者も案外大変なんだな。

 ご無礼を。と言ってビルはペコリと頭を下げた。

 女王に次の詮索をされる前に、ビルは雇った人物の名前を言った。

「その時雇った三月ウサギを、只今お連れします」

 さ、三月ウサギだって!?

 俺の戸惑いをよそに、ビルはそそくさと一時退場した。

 俺は肩に座っているアリスに囁く。

「さ、三月ウサギって……あの三月ウサギ?」

 アリスは頬をポリポリしながら答えた。

「そうさなぁ。最近バイト始めたって聞いたし」

 あら、意外と仲がよろしいのね?

 ウサギも生活が苦しいって聞くからなぁ、とアリスは言った。

 え? そうなの?

「お、俺は特にそう思わないけど……」

 俺は言いながら首を傾げた。

 まぁ、そう感じるのは今まで家を持って生活した事無いからかもしれないけど……ってゆーか俺、この世界に来てまだ間もないじゃん!

 いけないいけない。もう5年はこの世界に住んでいる気がする。

 アリスは肩をすくめた。

「そりゃあそうだろ。シロウサギの収入っつったら庶民の羨む所だ。テメェ、嫌味か」

 あ、ごめんなさい。嫌味じゃないです、ごめんなさい。

 アリスが俺に足の裏を向ける。

 止めてくださいよ。貴方そこからだったら、確実に俺の目ぇ蹴る気がする。

 という事は、もしかしてアリスって安月給?

 そんな会話をしている間に、ビルが三月ウサギを連れてまた入ってきた。

 ななな、何でまたお姫様だっこよ!?

 ビルは完璧に、三月ウサギをお姫様の様に抱えている。

 二人とも美形なだけに、男同士といえど絵になっていた。

 しかもビルはパッと見は執事だから、一部の方には更に天国の様な光景だろう。

 いつの間にかしつらえられていた証言台の横の椅子に、ビルはゆっくりと三月ウサギを座らせた。

 俺が心配して「ど、どうしたの?」と訊くとビルはちょっと困った顔で答えた。

「ええ、それが…… 三月ウサギは本日午前に負傷した傷が癒えていなく、女王様には誠にご無礼ながら、椅子に座ったままの証言という形を取らせて頂きたく思います」

 女王が「何故負傷したのですか?」と訊いた。

 三月ウサギが答える。

 今日アジトで見た彼の姿よりも元気が無く見えるのは、怪我のせいか。だから調子悪いんだな。

「……朝、アリスに蹴られたんです、女王様」

 あれま。そういえばそんな事もあったっけ。

 女王はニッコリして、「ああ、アリスの仕業ですか。なら仕方ありませんね」と座ったままの証言を許した。

 アリスは俺の肩の上で「はぁ!? アタシはそんな事した覚えねぇぞ! ふざけんな、クソウサギ!」と叫んだ。

 いや、蹴ってた。俺、バッチリ見てたから。

 女王と俺達に美しい笑みを向けて一礼すると、ビルは踵を返して法廷から去って行った。 

 三月ウサギの尋問が始まる。

「では、三月ウサギ。貴方はあのビルに代わって鍵番をしていましたね?」

 女王が訊くと、三月ウサギは機嫌良く答えた。傷が痛いのか、お茶会の時の元気はない。

 確かに、あのいつも興奮している様なあのテンションでは、傷に響くだろう。

「ああ。ビルちゃんに代わってちょっとだけやってたっスよ。ビルちゃんにお小遣い貰っちゃった」

 また陪審員達がカリカリしだした。

 女王は、そんな陪審員達に記録させる猶予も与えず尋問を続ける。

「では、鍵が盗まれた時、その場にいましたね?」

 三月ウサギは「ヒャハハ!」と笑った。

 しかし俺の記憶にある彼の笑い方より、だいぶ控え目だったので気味が悪い。

 三月ウサギが再び口を開いた。

「鍵が盗まれた時その場にいたも何も、俺が鍵盗んだんだもん」


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