秘密の部屋と、英語ができない魔法使い

 ホグワーツはにわかに慌ただしくなった。ついに行方不明者が出たのである。

「誰か、ウエノの行方について心当たりのある者は、至急、私の所へ申し出てください」

 オーシャンの行方が分からなくなってから次の日の朝、マクゴナガル先生が朝食の席で言った。アンジェリーナがオーシャンの身を心配して泣いている。

 ハリーとロンは顔を見合わせた。二人が知るオーシャンの消息は、「嘆きのマートルのトイレ」へ行くと言っていた時が最後だ。今思えば、オーシャンがいなくなって丸一日経った時点で、先生に相談するべきであった。二人が額を付き合わせて話していると、そこにジニーが現れた。何やら思い詰めた顔をしている。

「やあ、ジニー。どうかした?」

 そうハリーが聞くと、彼女は一瞬ビクッと肩を震わせたが、「ハリー、私…言わなきゃいけないことがあるの」と口を開いた。

 しかしそこにパーシーがクタクタの様子で現れて、ジニーは結局話し出す事なくその場を後にしてしまった。

 ロンが声を荒げた。

「パース、邪魔するなよ! ジニーが話があるって言ってたのに! 秘密の部屋と関係がある話だったらどうするんだ!?」

「あー…いや、ジニーの話なら、大丈夫だ。秘密の部屋とは関係ないよ」

 パーシーがいやにきっぱりと言い切るので、ロンは顔をしかめた。「何でそんなこと分かるんだよ」

 パーシーは僅かにギクリとした。「まあ…その、うん」とかなんとかモゴモゴ言って、食事に集中しているふりをして会話を終わらせてしまった。

 思い切り不審なその様子に、ハリーもロンも肩をすくめていた。

 

 ジニー・ウィーズリーが廊下を音も無く急いでいた。真っ直ぐに向かうのは、「嘆きのマートル」のトイレだった。

 やや乱暴にドアを開ける。マートルが「誰!? 何しに来たの!?」と声を上げたが、ジニーは彼女に目もくれない。

 秘密の部屋に通じる通路の入り口が開いていた。ジニーは冷ややかな目でその暗闇を見下ろすと、迷う事無くその穴へ身を躍らせた。

 暗い通路を歩くと、やがて蛇が彫ってある重厚な扉の前に来た。ジニーの桜色の唇からシューシューと言葉が発せられる。「開け」

 合言葉を聞いた扉が、独りでに鍵を開けてジニーを中へ招き入れた。が、そこには思った通りの先客がいた。

 出迎えたオーシャン・ウェーンの表情が、ジニーの姿を見て曇ったものになった。

「何故、貴女が…?」

 そんなオーシャンの言葉に、ジニーはニヤリと冷ややかな笑顔を返す。オーシャンが見た事の無い、邪悪な微笑みだった。

「これは驚いた。まさかここまで入ってくるとは…。一体どうやったんだ?」

 ジニーの口を借りて、知らない何者かが喋っている。それに気づくと、オーシャンはその口調に僅かに残していた優しさを捨てた。射る様な声で、知らない何者かに答える。

「生憎と、蛇語を操れるのは貴方だけでは無いのよ。貴方は誰? ジニーではないわね。彼女から離れなさい」

 オーシャンが睨み付けると、ジニーに憑いていたものは銀色の幽体の様になって、ジニーの体から離れた。ジニーが力無くその場に崩れ落ちる。その手から、リドルの日記がこぼれて落ちた。

 オーシャンは彼女に素早く駆け寄り、脈と呼吸を診た。浅いが、息は僅かにしている。

「その子はまだ生きているよ。辛うじてだが」

 ジニーの体から抜け出て、そこに立っていたのはトム・リドルだった。オーシャンが入り込んだ日記の中の記憶と変わらぬ姿で、しかし朧気な姿となってそこに存在していた。

 オーシャンは立ち上がって、ゆっくりと杖を構える。

「貴方、ジニーに何をしたの?」

「とんでもない。僕は何もしていない。ちょっと「お喋り」に付き合っていただけだ。尤も、その行為が、自分の魂を僕に与える事になるとは、彼女は分からなかったみたいだがね」

「ジニーに力を分けてもらって徐々に彼女の体を操り、貴方がこの部屋を開けて生徒にバジリスクをけしかけていた…って解釈してもいいかしら?」

「ご明察」

「良かった。では…」

 オーシャンはリドルの日記を拾い上げた。

「早いとこ消えて貰っていいかしら? ジニーから魂を分けてもらったとはいえ、まだ貴方は完全体では無いでしょう? 呪詛を絶つには、元を絶たないとね」

「そんな事で、僕が消えると思っているなら、好きにするといい」

 リドルは言ったが、言葉の魔法使いに嘘は通じなかった。

「媒介している物が無くなったら、消滅するに決まっているでしょう? 強がりは通じないわ。父の仕事を見てきたお陰で、呪術的な事に関しては些かの知識はあるのよ」

 日記を開き、ページを破ろうとしたオーシャンだったが、どんなに力を入れてもページは破けなかった。リドルがニヤリと笑う。

「何を使えば破壊出来るかまでは、教えてくれなかったか?」

 その時突然、背後で扉が開いた音がした。一人分の足音に振り向くと、ハリーの姿がそこにあった。

「オーシャン! ジニー!」

 ハリーは横たわっているジニーに駆け寄り、オーシャン、リドルへと視線を移した。

「オーシャン、一体何があったの?」

「ハリー、思ってたより早かったわね」

「オーシャンがいなくなっただけで学校中大騒ぎだったのに、ジニーまで消えちゃったからホグワーツはパニックだったんだ。ロンとロックハートもそこまで来てる」

「そう。こちらは、トム・リドルがジニーを操って、バジリスクをけしかけていた張本人だって事が分かった所よ」

 ハリーは「トム・リドル…?」とその名を呼び、オーシャンと並んでリドルと対峙した。リドルの目が興味深く、ハリーを見つめている。

「ハリー・ポッター。ジニーから君の話は聞いている。どうやって闇の帝王の手から逃れた?」

「何だって?」

 リドルがこの時を待っていた様に、ハリーに問うた。ハリーからすれば、初対面の人物である。話の流れから、オーシャンが日記の中に入り込んだというトム・リドルその人、そしてそれこそがスリザリンの継承者なのだという事は分かったが、何故このタイミングでこの質問なのか、理解ができない。

「何故、そんな事気にするんだ?」

 ハリーがそう聞けば、「知りたいんだ。何の力も無い赤ん坊が、どうやって最強の闇の魔法使いの手から逃れたのか」と、リドルは熱病にでもおかされている様な、熱心な口調で問いかけてくる。

「何故? ヴォルデモートは、貴方より後に出てきた人じゃないの」

 オーシャンが言うと、リドルはその言葉を噛み締める様に間を置いた。そして一言。

「ヴォルデモートは私の過去であり、現在であり、未来なのだ。ハリー・ポッターよ」

 言ったリドルはジニーの杖を取り上げ、空中に文字を書いた。軌跡は毒々しい火花を残す。

 

 〈TOM MARVOLO RIDDLE〉

 

 リドルが杖をもう一度振ると、その文字は独りでに並びを変えた。

 

 〈I AM LORD VOLDEMORT〉

 

 邪悪な微笑みでリドルはハリーとオーシャンに向き直る。「分かったかね?」

 オーシャンは声を落として、ハリーに囁いた。

「ごめんなさい、どういう事?」

 翻訳が必要なのであった。

 ハリーがヒソヒソ声で、オーシャンに説明する。

「つまり、トム・リドルが後のヴォルデモートだってこと。トム・リドルの本名を並べかえたら、ヴォルデモートになるんだ」

「L、O、R、D、は?」

「卿、だよ」

「卿って何?」

「ミスターみたいなことかな」

「ああ、『麿』的な感じのやつね?」

「『マロ』って何?」

「……ともかく、ヴォルデモートが本名じゃなかったのね」

 オーシャンがそう呟くと、リドルは語った。まるで溜めに溜めかねた台詞を吐き出す様だった。

「俺様がいつまでも汚ならしいマグルの父と同じ名前を使っていると思うか? 答えは、ノーだ。この名前は学生の時から使っていた。もちろん、限られた親しい友人にしか明かしていないが。というか貴様」リドルは杖でオーシャンを指した。

「質問があれば、俺様に直接するのだ」

「というか、友達にペンネームで呼ばせるなんて…恥ずかしい学生時代ね…」

「その様な俗なものとは一緒にしないでもらおう。この名は父からの決別を現す名だ。やがて世界中が口にするのも恐れることになる、俺様の」

「父からの決別を表したなら、『TOM』か『RIDDLE 』を使わなかった方が良いと思うわよ。結局は父親の名前の文字も使って別の名前を作って、I 、A、M 、だけ字余りになっちゃってるんだもの。カッコ悪いわ」

 冷静なオーシャンの指摘に、まだ(日記の中では)年若いリドルは唇を歪ませた。

「貴様は世界一の偉大な魔法使いと言葉を交わす時の礼儀もわきまえていないらしいな…」

「それは違うぞ」リドルの言葉にハリーが反発した。聞き捨てならない言葉を聞いた、とでも言いたげに、リドルの眉がピクリと上がった。ハリーは続ける。

「世界で一番偉大な魔法使いは、アルバス・ダンブルドアだ。みんながそう言ってる」

 リドルの表情が醜悪なものに変わる。

「ダンブルドアは、俺様の記憶に過ぎないものによって追放され、この城からいなくなった!」

「お前が思っているより、ダンブルドアは遠くに行っていないぞ!」

 すると突然、三人の頭上の空間で、炎が燃え上がった。ハリーもオーシャンも、何が来るのかと一歩下がって身構える。

 姿を見せたのは、赤々と燃えるような色をした、鮮やかな一羽の鳥だった。その歌声が不思議な響きで、ハリーとオーシャンの心を癒した。

 鳥はハリーの手に茶色の布の様なものを落とすと、そのままハリーの右肩で羽根を休めた。

 リドルが呟く。「不死鳥…!?」

 ハリーは肩に留まった鮮やかな羽根色をした鳥を見て、「フォークスなのか?」と声をかけた。それに答えてフォークスと呼ばれた鳥が、澄んだ瞳で見つめ返す。 

 オーシャンはハリーの手が握りしめているものを見た。「それは?」

「組分け帽子だ」

 ハリーの手に収まっていたのは、新入生が組分けの時に使う、あの山高帽だった。リドルが高らかに笑いだす。部屋中に、リドルの笑い声が反響した。

「ダンブルドアはさぞかし協力な助っ人を送ってくれたのだな! 歌い鳥に古帽子か!」

 オーシャンもリドルに同感だった。不死鳥はいいが、組分け帽子はこの場において何に役立てればいいのかさっぱりだった。恐らくその点においては、ハリーも同じ思いに違いない。

 しかし、組分け帽子を握りしめたハリーの手がギュッと力を帯びた様にオーシャンには見えた。

 リドルはまだ笑みを浮かべている。「さて、思わぬ邪魔が入ったが…」とハリーに語りかけた。曰く、過去に二回もこの闇の帝王から、どうやって逃げおおせたか。

「それに、貴様だ」

 そこでまたリドルは、杖先でオーシャンを指した。正直、ここで話がこちらに回ってくると思っていなかったオーシャンは、面食らっていた。

「貴様は一体何者なんだ? 服従の呪文を破り、聞いたことの無い呪いを操る。蛇語で閉ざされたこの部屋へ平然と入り込むと思えば、簡単な言葉も読めない。貴様は一体、何なんだ?」

 魔法世界ではごく一般的な日本人が、後の闇の帝王にここまで「理解不能」だと言わせるとは…と、オーシャンは複雑な気持ちになっていた。世界基準からみると、日本ってそんなにクレイジーな国なのかしら?

 ハリーより先にオーシャンが答えた。

「私の名前はオーシャン・ウェーン。特にこれといって特別なところの無い、純日本人の魔法使いよ」

「特別なところなど無い訳が無いだろう! 蛇語を話せないと入れない、この部屋に入るんだぞ! 『秘密の部屋』に!」

「蛇使い検定一級持ってるのよ」

「何だ、それは!?」

 取り乱しつつあったかの様に見えたリドルだったが、ここでオーシャンのペースに乗るのは、危険だと思ったらしい。急に一息ついて平静を装い、ハリーに向き直った。

 ハリーが『母親の愛』が自分を守ったと言った時、リドルは複雑な表情をした。やはり自分こそが偉大な魔法使いだったと勝ち誇っていいのか、という表情だった。

「ほう…やはり、貴様には特別な力は何も備わっていなかった訳だ。『愛』は確かに強力な反対呪文だが…しかし…検定一級って…何だ、それは…」

 どうやら、後のヴォルデモートが混乱しているかなりレアな姿を、ハリーとオーシャンは拝む事が出来た様だ。

 少しの間、リドルは何事がぶつぶつ言いながら、行ったり来たりを繰り返していたが、やがて方針が決まると、一つ音高らかに手を打って、ハリーとオーシャンの二人に向き直った。

「さて、二人とも、少し揉んでやろう。サラザール・スリザリンの継承者、ヴォルデモート卿の力と、有名なハリー・ポッターと哀れな日本人にダンブルドアが送って寄越したその武器とを、お手合わせ願おうか」

 リドルはまた向きを変え、今度は壁に設えられている巨大なスリザリンの顔の石像を見上げた。

「スリザリンよ、ホグワーツ四強の中で最強の者よ。我に話したまえ」

 リドルの発した蛇語を合図に石でできたスリザリンの口がゆっくりと開いた。不気味なシューシューとした息づかいが中から聞こえてくる。ハリーの足が震えていた。オーシャンの心臓の鼓動が速くなる。フォークスがハリーの肩の上から飛び去った。

 ズルズルと滑って、蛇の王が姿を現そうとしている。オーシャンもハリーも咄嗟に目を瞑ったが、バジリスクが床に降りてきた時の振動で、その巨大さを知った。

 リドルがまた蛇語で言う。「やつらを殺せ」

 それが聞こえた時、ハリーとオーシャンの二人とも踵を返して走り出した。まるで、事前に打ち合わせでもしたかのような呼吸だった。

 バジリスクが追ってくるのを気配で感じながら、オーシャンが叫んだ。

「バジリスクってこんなに大きいの!? せいぜいツチノコくらいかと思ってたわ!」

 隣を走るハリーが「What's TSUCHINOKO!?」と聞くが、説明したところで最早言葉が通じなかった。

 壁に行き当たり、二人は追い詰められた。目を固く閉じているが、バジリスクがすぐそこへ迫ってきているのが気配で分かる。

 迫り来るバジリスクにオーシャンは身を固くし、ハリーは縮こまって組分け帽子を被った。今にも毒牙が襲ってくると覚悟したが、なかなかその攻撃は来ない。

 しかし、代わりに突然蛇の尾が脇を掠めた。蛇が苦しげにのたうち回り始めた様で、いてもたってもいられずオーシャンは薄く目を開けてバジリスクの様子を見た。

 バジリスクの片目から、紅の血が迸っていた。フォークスがその頭上を軽やかに飛んでいる。フォークスの嘴が、バジリスクの片目を潰したのだった。

 不死鳥と戯れているバジリスクに、リドルが命令する。

「鳥は放っておけ、あいつらを殺すんだ! 臭いで分かるだろう!」

 とりあえずここは逃げるため、オーシャンは蛇に背を向けた。ハリーの手を取り走り出すつもりで彼を見ると、ハリーはどこから手にいれたのか、見事な長剣を手にしていた。

「何それ、どうしたの!? どこから出したの!?」

 言うが、まだ精神は絶賛混乱中である。日本語の質問は彼に届かなかったが、ハリーも剣を握りしめながら目を白黒させていた。

 剣を数瞬見つめたオーシャンだったが、突然呟いた。「あ、いいこと考えたわ」

 そしてあろうことか遮二無二杖を抜くと、バジリスクを向いて真っ直ぐに構えて呪文を唱えたのである。

「呪いよ、彼の者へ還れ! 鏡の呪法!」 

 バジリスクとオーシャンの間に、魔法で出来た鏡が張られた。辛うじて残っていたバジリスクの、片目の視線が跳ね返る。バジリスクは自分の姿を見て、一瞬で石化してしまった。

「今よ、ハリー!」

 言葉は通じていなかったはずだが、オーシャンが叫ぶと同時にハリーは動かないバジリスクに斬りかかった。口蓋を貫くとどくどくとおびただしい血が流れた。リドルが怒りに叫んでいる。「おのれ、日本人め!」

「やった、ハリー…!」しかしオーシャンが安堵の息を吐いたのもつかの間、剣を抜いたハリーがその場に倒れこんでしまった。手を貸しに近づくと、ハリーの腕が傷ついていることに気がついた。どうやら、蛇の口蓋を貫いた拍子に牙に掠めてしまった様だ。

 リドルは今度は愉快そうに笑い始めた。「詰めが甘いやつだ。バジリスクの毒を受けて生きて還れるものなど、この世にはいない。自分の不運を呪うがいい、ハリー・ポッター!」

「いいえ、それは貴方よ」

 オーシャンはハリーが取り落とした剣を持つと、床に落ちていたリドルの日記に深々と突き刺した。リドルが叫んだ。日記からインクが血の様に流れ出す。

 長い長い悲鳴を残して、リドルは消えてしまった。

 リドルの消えた空間を見つめて、オーシャンは言った。

「また、つまらぬものを斬ってしまったわ」

 鞘が無いのが残念である。
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