✳︎どっちが誘ったことになるんやろうか


 組再建のためにシノギを削り、昼は地域住民に挨拶回りで好感度を上げ、休日は経営店の帳簿と睨み合う。周囲に不安を与えぬよう笑顔は絶やさず、常にフラットに飄々と。24時間頭をフル回転させ一手二手先を読む。そして、丑三つ時はたった一人で闇に身を投じる。それが翠石依織の日常である。

 「若」「カシラ」「兄貴」――。
家族のゴキゲンな笑顔は自分の活力だ。

そう、もともとは「みんなご機嫌になればいい」そう願っただけで、地位や名声なんかに興味はなかった。翠石なんて大層な名前を貰ってしまったなぁとぼんやりと振り返る。
 あの頃は若かったし、若頭なんて呼ばれることを素直に嬉しいと感じていたが、組が崩壊していざトップに立つとなると、その責任の重さに押しつぶされそうなのも本音だった。オヤジが生きていたら。なんて思うこともあるが、立ち止まって泣いたりしてもなんの解決にもならない、何一つ蘇ったりしない、だから涙は見せない。

 でもせめて『あいつ』が隣にいてくれたなら……いや、やめよう。依織は浮かんだエゴをかき消すように重たい頭を左右に振った。ありえない妄想に耽ったところで体力を削られるだけなのだから。

 「はぁ、疲れた」
 誰にでも聞かせるわけでもなく一人呟く。こんな冷たい雨の日は裏家業に出かけるのが尚更億劫になってしまう。低気圧のせいだろうか。今日は調子が出ないから、とっとと済ませて
しまおうと事務所のソファから重たい腰をあげた、その時。
携帯が電波を受信して小さく震えた。

 『今から飲まないか』

 無駄を一切排除した文面に思わず口角が緩む。彼は直接話せば彼はもっと饒舌なのに、文面がシンプルなのは単純に機械オンチな性格を思わせて面白おかしい。それにしても、普段は自分から飲みに誘うことがほとんどだから、旦那の方から誘いが来るなんて珍しい。何か折り行った話でもあるのだろうかと首を捻る。旧友の悩み相談事を聞くのも大切だ、今後いい情報提供者として利害関係が一致することもあるだろう。と、二つ返事で「了解」と返信をした。これは、ビジネスである。それ以上でも、以下でもない。と、己に言い聞かせておく。

 だから、妙にめかし込んだ旦那が黒い外車でエントランスに現れた時は拍子抜けした。
 「旦那ぁ。なんや、その格好」
 「うるせえ。お前、その羽織置いてけよ。飲みに行くって言ってるだろ」
 羽織は『翠石』であるための装備である。それを脱ぐことは自分を縛る枷を取り外し、翠石からただの一人の男に成り下がることを意味する。それはまるで裸にされるような羞恥心と恐怖があった。けれども、普段よりもめかし込んだ旦那の、あまりにも「ええ男やん」と言いたくなるような、今からデートにでも行きますというような装衣に不釣り合いに思えた。
「うーん、ほな、ちょっと待っとってくれる?」
 一旦自室に戻り、ちょっと悩んだ後、羽織をストンと脱ぎ捨てた。旦那と話すのはビジネスだと言い聞かせたばかりだというのにもう、裸にさせられてしまった。つくづく阿保らしいと思いながらも、シャツとジャケットに着替える指は踊り、鼓動は期待で早まってしまっていた。






 車に揺られて到着した先で、依織はぽかんと口を開けた。

「は?なんやここ」
「マスターが俺の知り合いなんだよ」
「いや、そうじゃなくて。超高級五つ星ホテルやんか」
 煌々とそびえ立つ高層ビルは繁華街の安い雑居ビルの輝きとは一線を引いて上品に輝いていた。建物のてっぺんは雲を突き抜けそうなほどで、見上げていると首が痛い。旦那はうろたえる俺を無視して、ほら入るぞと、まるで女をエスコートするかのように手を引いて、重厚な扉を開いた。


 中に足を踏み入れると、分厚い絨毯にふわりと靴底が沈み、まるで雲の上にいるみたいだった。ほとんど間接照明だけのムーディーな空間に、静かにジャズピアノのBGMが流れている。海外産アロマは嗅ぎ慣れない官能的な香りを放って、鼻から脳に広がる。狡猾なほど計算されていると思う。入った瞬間に脳を蕩けさせるような空間に、この色男と来たらどんな女だって落とせるのではないかと思ってしまう。極め付けに、目的のバーは地上を遥かに離れた30階にあった。ガラス張りのエレベーター内からは美しい夜景が見下ろせて、光の速さで小さくなっていく街並みを眺めていると、どこか違う世界に連れていかれる様で胸が躍った。

 エレベーターを降りた瞬間、広々とした空間に佇むピアノと、大窓から見下ろせる夜景をバック備えられたバーカウンターが目に飛び込んできた。いまからプロポーズでもするんですかといった雰囲気に圧倒される。オヤジにもいろいろと連れ回されたが日本料亭が多かったから、こんな海外テイストな洒落た空間は不慣れだった。目を回している自分をよそに、旦那は颯爽とバーカウンターに腰掛ける。上品にスーツを着込んだバーテンダーが小さくお辞儀をしたのを見て、知り合いというのは本当だったんだと思った。

「依織、何飲む?」
 革表紙のずっしりと豪華なメニューを手渡されて、恐る恐ると中を開くと、なにやら英単語が並んでいる。全てカクテルの名前なのだろうが見慣れない。しかも値段も書かれていない。

「わ、わからん」
「俺がおすすめのやつ頼んでやるよ、どんなのがいい?」
「うーん、爽やかで、甘くなくて、強いやつ」
「ふは、後悔するなよ」
 そうして運ばれてきたのはまさに自分のイメージ通りの酒だった。ひと舐めすると、爽やかな柑橘系のリキュールでまとめられたドライな味わいと、ツンと脳を突くようなキツいアルコールが舌先に沁みる。自然と頬が緩み、美味しい…と、感嘆のため息を漏らすと、俺の見立てがいいから、と旦那が満足そうに笑った。

 このカクテルの名前はこうで、所以はこうで、レシピはこうで、と楽しそうに語る彼の横顔に、そういや旦那ってバーテンダーだったなと当たり前のことを今更思った。
自分の中の旦那は、いつもあちこち怪我だらけの、荒っぽい、翠石組時代の少年で止まっている。ほんま、暫く見ん間にええ男に成長したと思う、て言うか今日何回ええ男って思ってんねん。きっと折り入った話があるのだから気を引き締めていかなくては。だって、これはビジネスであるので。

「旦那はノンアルでええの?」
「車で来たからな」
「意味わからんよ、飲み行こう言うたのは旦那なのに」
「まぁ細かいこと気にすんな」
「で、相談事ってなんやぁ」
「ないぜそんなの、別に」
「え?」
 繰り広げられたのは悩み相談でもパラドックスライブのきな臭い話のどれでもなかった。旦那はメンバーの話すらしなかったし、こちらも家族の話はしなかった。本当にただ淡々と日常のこととか、好きな音楽のこととか、思い出話なんかを永遠と繰り広げた。二人とも上機嫌に頬を染めてほにゃほにゃと笑う。なんだこれ、これじゃただのデートみたいやんか。


 そうしているうちにニ杯、三杯、四杯と酒が進んでしまい、くらりと脳が揺れはじめた。視界がぼやけて瞬く夜景が滲む。吸って、ふぅと吐く息が熱い。いおり、と自分の名前を呼ぶ旦那の形のいい唇をついと眺めてしまい、その視線を無理矢理逸らして、意味もなく空のグラスをマドラーでかき混ぜた。

「依織、もう一杯飲むか?」
「ん、ああ、じゃあ、ギムレット」

 今、キスしたいとか、そんなこと思ったか、俺。
旦那が灰皿を手繰り寄せて紙タバコに火をつけて、口付けて、ふぅと紫煙を吐き出すその仕草にすら、妙にあてられてしまう。ああ、随分とアルコールが回ってきてしまったようやわ、情けない。胸元を指先でぱた、と煽ると、ほてった体に送られる風が気持ち良い。はやく、この熱を冷やさなくてはと焦る。そうこうしているうちにギムレットがカウンターに差し出された。手元に寄せて、こくり、と嚥下すれば、トドメのように酔わされる。

「ん、ふ…これ、旦那の作るやつよりうまいわ」
「お前なぁ」
「はは、嘘、やて」
 バーのマスターに聞かせる話でもないので、ぐっと匋平の耳元に唇を寄せ内緒話をするように、こしょりと囁いた。
「旦那がぁ、作ってくれるほうが、美味いよぉ」
アルコールで蕩けた語彙はひどく舌ったらずだった。旦那の肩がぴくりと揺れて、耳の先まで赤く染まっている、のは、赤みを帯びた間接照明のせいだろうか。

「離れろ、近い」
「んん、今更やんかぁ」
 重たい頭をくたり、と旦那の肩に預ける。ああ、旦那の香りや。懐かしい。甘い香水と苦いたばこの香り。心地ええな。しかし、腕時計の針が0時を越えようとしているのが目に止まり、夢見心地から一気に現実に引き戻された。そう、この時間はいつもたった一人で裏家業に勤しみ疲れ果てている、そんな時間だ。昔の男と高級な酒を嗜み、戯れ合っている場合ではないはずだ。あの時、大切なものを守れなかった不甲斐ない自分に、このような幸せな時間を送る資格など―――。

なにしとるんやろ、俺。冷やに手を伸ばす。一旦は掴み損ねたグラスをもう一度目はしっかりと握りしめて、こくこくと飲み干した。どうにかこの蕩けた頭を冷やしてくれますように。

「旦那、そろそろ帰らんとあかんわぁ」
「……そうか。楽しかったか?」
「おう、こんな笑ったん、久々やった」
 楽しかった、純粋に。こんなに解放的な気持ちになったのは久しぶりだった。アルコールで弛緩しているだけではなく、彼の隣で子供ようにはしゃげば、ふわふわと身が軽くなっていくのを感じる。楽しかった、ありがとぉな、と繰り返す俺を、匋平がよしよしと子供をあやす様に頭を撫でつけるから、少しだけ後ろ髪を引かれる気持ちになってしまい旦那の表情を見ないよう瞼を伏せた。つい欲が出そうになってしまうのだ。もっと、この時間が続けばいいのにと。

旦那が会計を済ませてホールの前に二人で立ち、エレベーターの到着を待つ。階数を知らせるボタンはまだ低層階にいる。
ぴかぴかに磨かれたエレベーターのドアは二人を映して、隣に立つ匋平よりもカジュアルな装いの自分が少しだけむずがゆい。

「驚いたわぁ、まさか旦那がこんなけったいな場所に連れてきてくれるとは思わんかったから。先に言ってくれれば俺だってもう少し勝負服で来とったのに」
「依織は何を着てても綺麗だ」
「……へ?」
 イタリア人でも歯が浮くようなセリフをストレートに言われて、顔に火がつく。何か言い返そうとしたが蕩けた脳ではなにも考えられず、僅かに開けた口からは情けなく、ぁ、と意味のない母音しか漏れなかった。

「今日ここにいた、誰よりも綺麗だ」
阿保、そんなことあるか。ドレスアップしたモデルのような美女だって、金髪のお姉ちゃんだってごろごろいたのに。けれども、旦那はそちらには目もくれず、燃えるような瞳で俺を真っ直ぐ見据えている。
だから、そんなに、見つめるな、あかんく、なる、やろ。
ぱっと顔を逸らしたが、匋平が頬を包み、優しく引き戻される。指先が、乱れた前髪をそっと救って耳にかけた。耳の先に触れる指先、頬に添えられる大きな手の、温度が、あつい、熱い、触れているところ、ぜんぶ。煮立って、ぐつぐつして、とろけてしまいそう。ホテルの少し薄暗い照明が角膜を柔らかく照らして蝋燭の炎のように優しく、ゆらゆら、揺れて。あかん、このままではここでキスしてしまうかもしれないと、匋平の胸を押して離れようとした瞬間、力強く俺の腕を引き、ぎゅ、と腕の中に閉じ込められる。

「ちょ、だん、な…、人が」
 すっぽりと旦那の腕の中に収まって、肌と肌が密着する。ばくばくと鼓動がうるさい。この拍動は、俺のものか、旦那のものか。離せと身じろぐと拘束の腕をさらに強くされた。
「実は、部屋とってあるんだ。
駐車場は地下、部屋は最上階。
エレベーターのボタンは、依織が、押せ」




やられた、と思った。
選択肢が、委ねられている。
このまま帰るか、一晩を共にするか。

『せっかくこんないいホテルの部屋を予約された手前、断れなかった』『酔っていて、どうかしてた』なんて、数々の言い訳を用意しつつも、俺が人のせいなんかにできない性格をわかっているのなら、尚更ずるい。それに終電だってある時間だ。つまり、帰るも帰らないも俺次第なのだ。
一体、どういうつもりだ、この極悪人は。
 けれども「どうしたい?」と囁く声がぶるぶると震えている、揺らいでいる。旦那が純粋に言葉遊びに興じているわけでないことが伝わってくる。本気だ。本気で、問われている。
「…酔った勢いでホテルとかガキじゃねえか」
「28なんてガキだって西門に言われる」
 美酒であっても、理性を吹き飛ばし、欲に負けてしまえば躾のなっていないただの動物に成り下がってしまう。終電はまだある。家族が待っている。無断で一晩家を開けたらきっとみんな心配するだろう。復讐を放り出して、昔の男と色惚けに耽る俺を見損なうだろうか。

「俺、翠石組の若頭やで?」
「お前は、依織で、それ以外の何者でもない」
 なにか言い返そうとした口は、はく、と唇を瞬かせるだけだった。何重にも重ねた城壁は、その声で、依織、と名前を呼ばれるだけでぶち破られてしまった。熱い視線にほてらされて、一枚いちまい、優しく脱がされて行く。羽織も、着物も、帯も、ぜんぶ、湿った薄皮一枚まで捲られて、子供のままの自分が顔をだす。
 そもそも、飲みに行こうと誘われて、車で迎えに来られた時点でこうなるだろうことはわかっていたはずだ。羽織を脱がされ、高級ホテルに連れて行かれて、与えられた酒を全て飲み下して、抱きしめられて。
どうしたい?俺はどうしたい?

どうしたいか、なんて、そんなの。
「朝まで、匋平と、いたい……」


エレベーターのボタンを、『上』へと。







「っ、ぅぁ、んっ、ぅ」
シーツの上に汗が散る。二重の意味で、やられたと思った。

 こちらは酒を飲んでいるから、くたって全身に力が入らない。一方、匋平は素面だから行為に全く容赦がなかった。
 震える声で、なぁどうしたい?なんて聞いてきたしおらしい男はどこにもいない。ベッドの中では何一つとして俺に選ばせることなんかしなかった。シーツに縫い付けられたままただ快楽を与えられる。与えられ過ぎて、器から溢れて溢れ出すのに、なおも与え続けられている。いや、だめ、むり、と泣いて縋っても許されず、好き勝手体を弄ばれて、抵抗したいのに圧倒的な力の差があって、逃げても逃げても強い力で引き戻されて、また泣かされて。今日、何回意識をトばされそうになっていることか。
バーではあんなに優しかったのに、獣かよ。

「あっ、ふ、……ん、うぅ」
 みちり、と音がしそうなほど、匋平の怒張がキツい胎内に押し込まれている。ローションなのか自分の精液なのかよくわからない液体の滑りを借りて、浅いとこまで引き抜ぬかれては、前立腺を掠めながらまた乱暴に入ってくる、長いストローク。抽挿のたびに高められる射精感。額にも背中にもびっしょりと汗をかきながら、匋平の背中に爪を立てて快感の海に呑まれ続けている。つらいのに、やめてほしいのに、気持ちいい、もっとして欲しい、はやく、また、イきたい、熱い子種をぶちまけたい、体と感情がバラバラに引き裂かれていく前後不覚の状況にちりちり焼かれるような興奮を覚えてしまう。

「も、ぉ、ぁっ、い゙っ、また、くる、あっ、ぁ、だめ、また、イく」
「おら、イっちまえ」
「――、あ゙ッ」
 どちゅん、と一気に奥まで穿たれる。喉を反らせて、だくだくと精液をぶちまけて、ほとんど痙攣のように体を震わせる俺を、腕ひとつ分上方から匋平が嗤っている。酒に酔うと感度が落ちるし、勃たなくなるというのは常識だけど、俺の体は余すことなく快感を拾いつづけて反り上がり、精液を垂れ流し続けている。それは、この男が相当手練れているせいか、あるいは、俺が相当淫らだからか。

「あ゙あ゙っ、よ、へぃいッ…むり゙っ!むり、もう、やめ」
「もうへばったのか?まだいけるだろ」
「うぁ、っ、」
 左足首を掴まれて片足を肩に担がれると角度が変わり、さらに下腹部が密着する体勢になってしまう。直腸の生理的なカーブが緩まって、このまま真っ直ぐ穿たれれば易々と奥まで届いてしまうだろうと予想し、依織はひ、と小さく悲鳴を上げた。
いつもは正常位の状態で体重に任せて杭を打ちつけても、最奥の扉を叩いて寸前で引き返した匋平だったが、今日は遂にそこをこじ開けようとする意思が伝わる。

「ひ、…な、なぁ……おく、だめ、駄目だって、これ以上は」
「あ? 駄目じゃねぇだろ」
 すでに腹の中は匋平を受け入れてぱんぱんだ。この先なんてない、怖い、これ以上は、知らない、だって、行き止まりのはずだ。入っちゃいけないところを、こじ開けられて、知らないところを踏み荒らされたら、どうなってしまうかわからない。だめ、入ってくるな、暴かないで、これ以上、ダメにしないで。重たい頭をシーツの上で転がして、いやいやと子供のように主張する。けれども、腹の奥底は疼いていて、欲しい、はやく、来て、もっと奥まできて、ここまで全部埋めて、と寂しがる。ここに、秘密の火薬庫があるから、はやく火をつけて、と。きゅうきゅうと匋平を締め付けながら奥へ誘うように蠕動している。

「あ゙、も、もっと、もっとぉ、ぁ、奥、ふかい、のっ、ぁ゙ぅ、ほしい、」
「若のご要望とあらば」
「ぁ゙っ、ふぅ、ぐ、あ゙、あ、ふ、ざけんな、このっ悪趣味」
「てめぇ。いま締まりやがったな、誰のこと考えてんだ。今からもう、俺のこと以外、なんも考えらやれなくしてやる、から、」

ぐちゅん、とローションの下卑な音が大きく響き、思い切り押し込まれた亀頭が、奥の、さらにその奥の入り口をぶち抜いた。

「――――、あ゙」
 快感なんて、生優しいものじゃない。ばちん、と目の前に火花を見た。ぶっトんで、滲んで、目を見開いているのに視界が真っ白で。こんなの、脳に後遺症が残ってしまう。

「――ひ、ぅ……、……」
 一瞬トんでしまった意識が、まだ、完全に降りてこないにも関わらず、容赦なくそのまま前後に揺さぶられる。結腸口にカリ首をひっかけながら、直腸壁をめくりあげるようなストロークに悲鳴をあげる。暴力的な快感にのたうつ。

 くぷ、くぷ、とローションがいやらしい水音を立てて泡立つ音にさえも快感として拾って鼓膜を犯されて。沈む。溺れる。こんな快感、知らない、怖い、恐怖でしかない、けど、何度も何度も突き上げられるうちに、だんだんと気持ちよくなって。気が触れそうだ、なんとか、しがみつかなくてはと、はく、はく、と陸に上げられた魚のように酸素を求めて、髪を振り乱してシーツを逆手で手繰り寄せて。

「ぅ゙あっ、や、あ、あっ、あ゙んっ」
「はっ、あ゙っ、気持ちいいだろッ……いおり、なぁ、もう、それだけッ考えてろ」
匋平の声にも余裕がなく、絶頂への階段を駆け上がっているのを感じ、その事実すら快感に拍車をかける。

「ん、ぁ、ああ゙、気持ちぃっっ、ゔん、気持ちぃ、ぃ」
「一緒にいくか、いお、り」
「っは、ぁっ、ようへ、い、っ、ぅ、く、イ、ぃ゙、っ――ッ」
 もう、気持ちいい意外なにも考えられなくなってしまった。匋平、ようへい。うわ言のように名前を繰り返し呼ぶ。腹の上に滴り落ちて煌めく汗のひとつぶ一粒まで勿体無いと思ったりなんかして。これでもかと与えられて、満たされて、壊されて。吸っていた息を、吐き出せと。

 でも、朝が来たら終わると、ちゃんと、わかっているから。朝が来たら、たばこの残り香を洗い流して、始発電車で、一人で、帰るから。子供たちや善が起きる前に門をくぐろう。
そしてまた、羽織を翻し、鮮やかに。
ほなね、と、舞台を降りる幕引きのその時まで
『翠石依織』を完璧に演じてやろう。

 きっとできる。

 息を吐く場所を知ってしまったので。

だから、せめて今だけは、手を離して、真っ逆さまに。





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