短編

美美しき変態
 


「手首が震えて、お茶の揺らぎが忙しないわ。ベアトリス」
「そうは言っても……お、大人用のティーカップって……随分とおもたい……のねっ」

 そうね、なんて同調も重さも伴わない返事がその場に落とされる。聞いているのは、私と、お花たちと、かくれんぼをしてる虫たち。向かいに座るカンタレラは、私よりも小さくて繊細な薔薇の棘のような指先で、大人用に製作されたティーカップを優雅な所作で平然と持ち上げる。植物がそよそよと音を立てる静謐な空間に、私の持つカップだけがソーサーと喧嘩をして、かちかちと相応しくない音を立てていた。もう、諍い事は好ましくないのに。やめてったら!
 カンタレラ・アンジェリカ・セリュジエ――隣国・アトロファネウラに生を受けた、とっても可憐な王女様。同い年なのに知性も、品性も、美貌までもが備わった、完成された姫君。彼女は何時も私の先を行くから、私は白い項を見つめてる。それでも、一方的に焦がれ、切ない視線を送るばかりでは無いことも知っていた。
 小指を結んだ。それは大人から見たら可愛らしい子供の手遊びで、紐を引っ張れば簡単に解かれる蝶々結びの形をしてる。でもね、大人はまだ気付いていないわ。蝶々結びだって、一本のリボンから生み出されるのでしょう。
 魂を分かつ双子のように、片羽となって。あの日から私とあの子は一匹の蝶になった。どちらかの翅が破けてしまえばもう二度とまともに羽ばたくことの叶わない、静かに息絶えるだけの運命を辿る、最も儚く高貴なる蝶になったの。
 だから、ガゼボの作る影の下に彼女が留まっているのは私がいるから。花々の傍が似合う彼女だから、まるで悪いことをしてるみたい。特別感、高揚感、優越感、愛着、執着。覚えたばかりの言葉たち。王女として――じゃなくて。彼女に向ける感情に相応しい言葉を知りたくて、辞書を引いて知った、子供に見合わない重たい言葉。

「一度カップを置いて。いつも気負いすぎていると思うの。親指と、人差し指、それから中指で支えて……薬指と小指は添えるだけ。いつもしていることよ。気楽にして持ち上げてご覧なさいな」
「ええ……分かったわ」

 こんな器一つにすら、自身の生まれ背負った立場の重責を感じていた。期待に応えなくては。応えたい。王女として、愛する父に、母に、民に。そして、約束を交わしたあなたに。外圧に押し負けないための義務感ではない。私がそう在りたいと願ったから。であれば、この胸の焦燥は何処を指しているのかしら。
 ああ、ほら、どうして持ち上がってくれないの! 心ばかりが成熟して、幼く居る利口な身体がもどかしい。カンタレラの溜息に滲む意味に思考を巡らせて、心臓が冷えてしまいそうになるほどに。指先に力を加えると同時に、カンタレラが口を開いた。


「……良き王女になろうと、二人で約束を交わしたでしょう。あなたの言う良き王女は――いったい、何を指していたかしら」
「……気高く、賢く、隙がなく、欲を持たず。民を愛すること……」
「そうね。それは、まだ未熟なあなたのことでも、わたくしのことでもないわ」

 そんなはずない。気高くって、賢くって、隙がなくって。無欲で。出会った時から何に動じることもなく、背を伸ばし、優雅な曲線を描き、踊るように、はためくように生きる人。そんなあなたが未熟なはずがないと、わたしは言葉にすることができない。

「生まれつきの異常なの。片方の翅が形成されていないのよ……だけれど、だからこそベアトリスがいるのでしょう。あなたの傍に、わたくしがあるように」

 民を見るときの、彼女の冷ややかな瞳を知っている。様々な感情を持って自身を見上げる彼らに、愛どころか関心さえ持つことができないカンタレラの決定的な欠陥。
 器だけが最高級品として作り上げられた彼女と、中身だけが並々と満たされた粗悪品の私。それこそが、私たちが惹かれ合い、約束を交わした理由だった。
 「それに、手首だけが大人になったって仕方がないでしょう」なんて、すまし顔で皮肉を言うところは、ちょっとだけ憎たらしいけれど。お国柄も愛嬌ね。翅は今も対称を保っていると、カンタレラなりに伝えてくれている。体温が上がって、身体が活性をを取り戻していく。
 もう冷えきってしまったお茶を飲もうとするのはやめた。身近な温もりに甘えたくなったから。

「ねぇ、椅子を隣に置いてもいいでしょう?」
「まぁ。高潔な王女様、か弱いお姿をどなたかに見られてしまってもよろしいの?」
「意地悪はいやよ!」

 こういうとき、私は一際強く羞恥を感じる。ひとつもふたつも大人びた彼女の掌で呆気なく転がされて、そんな彼女に追いつこうとしている私があまりにも必死で、鳥の親子みたいなんだもの。
 短く息を吸って、吐いて、カンタレラが肩を震わせてる。私だけが見られる幼くって一番可愛らしい彼女の笑顔を見逃したくはなくって、赤いままに顔を上げた。それだけじゃない。彼女もそんな私が見たかったはずだから見せたの。
 膝に置かれていたしなやかな手を取って、細い指を絡める。満たされるはずで、身体の一部をもがれるような、痛々しく、それ故に愛足り得る行為。
 手の甲に浮き出た血管までもが翅脈のように美麗な私の片割れ。一つの蝶であるはずの私たちは、別々の国の、別々の個体として生を受けた。魂の宿る心臓だけが癒着しているから、狂おしいほどに焦がれてやまない唯一の人。

「帰りたくない、とは思わないけれど……離れたくないわ」
「わたくしだって、離したくないわ」

 繋いだ手に込められた力は、証明のため。彼女の精一杯。なんて弱々しい力。ティーカップどころか、今も身にまとっているはずのドレスにだって押し潰されてしまいそう。でもカンタレラは凛と立ってる。それを私は知っている。だから、信じてる。疑いようも無いほどに、私たちは一つだった。
 だって、ほら。彼女が次に口を開く時紡ぐ言葉を、私だけは知っているの。

「ベアトリス。わたくしたち、何処に行っても、何があってもずっと一緒よ」
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