短編

望蜀は大輪の如し

 

 宮殿のパーティー会場は、男性方の調子の良い高らかな笑い声と、令嬢達の羽音のように形ばかりは美しい静かな密めきに溢れて、いつも通り窮屈そうだった。そんな広場の中心に、堂々と立つ少女が一人。その佇まいとは裏腹に、彼女の小さな唇から零れる息は、今にも倒れてしまいそうな程にか細く震えていた。

「……いいえ、ちがうの……王女殿下がお声掛けなさらないのも、当然わたしが悪いのよ……お家から出られずに世間知らずでいて、面白い話ひとつ持たないで……身の程も弁えず、期待しすぎてしまったの…………」

 僅かに聞き取れたその言葉はお可哀想な少女の形に誂えたようだけれど、他でもないわたくしを貶めるための陰湿な毒針。王女たるわたくしがすでに彼女の声が届く距離まで歩み寄っていると気が付いていて、知らないふりをしている。この舞台では、如何なる時も園路を決めるのはわたくしに与えられた高貴なる者の権利であり、花々はどれほど美しい色を持ち合わせていたとしても、わたくしの歩みを阻むことのないよう咲くのがしきたりなのだから。
 彼女の清浄潔白さを盲信する周囲のご令嬢たちは、その行為の全てが「病弱で社交に不慣れな、庇護するべき女の子」として固く結びついているらしい。

「ご機嫌よう、エミリエンヌ嬢。鮮やかなドレスが一段と目を引きますわね」
「まあ、カンタレラ王女殿下……! お初にお目にかかりますわ……!」

 弱いお身体に気を使ってそっと声をかけてあげれば、噂の台風の目——エルミーヌは胸の前で手を重ね、わざとらしく目を見開いた。
 毒気どころか、棘ひとつない滑らかな肌。白く清廉な花。聖女のようにお優しく、砂糖菓子のように甘く微笑む。これみよがしに家門の財力を見せつけたエメラルドグリーンの高価なドレスは、植物の葉として、花であるエルミーヌが身につけて当然のもののようだった。
 彼女を心から慕う令嬢達の評価は、上澄みとしては上々。わたくしの心を踊らせるのはきっと沈殿物の方……なのだけれど。
 ぐちゃぐちゃにかき混ぜなければ楽しくない。形良く笑みを浮かべ、エルミーヌの手を取り、きゅっと両手の中に収めた。
 
「エミリエンヌ公は我が王室とは深い縁がありますのに、ご息女であるあなたへのご挨拶が遅れてしまって……此度の催しはお楽しみいただけて?」
「もちろんでございます。このように煌びやかで、王家主催ともなるとまた一入、わたし、まるで光の中にいるようだとおもいましたのよ……」
「エミリエンヌ嬢はこのような場にはこれまでいらっしゃいませんでしたでしょう。ですからわたくし、お気に召していただけるか不安でしたの。……ですが、それも杞憂のようで。嗜好に添ったご様子で安心いたしました」

 年頃の女の子が互いに賞賛を交わし、空気ばかりは和やかだった。しかし、他でもない公爵家の娘へと、意図的に挨拶を差し控えていたこと、その非礼に対する謝罪を一切述べずにいること。そしてまた、当の彼女もその件に関して、わたくしに許しを与えなかったこと。これらが果たして偶然であるか、だなんて言うまでもない。
 屍人のように彼女の脚に付きまとう噂話を仄めかしてみても、エルミーヌの夢見心地な瞳は揺らぎひとつ見せない。或いは、夢見心地なばかりに、かもしれない。
 生まれ持ったその色彩以外は、つくづく公爵とは似ていなかった。最も、出生の真相に関わらず、彼女の有り様が貴族よりも貴族らしいのは否定のしようがない。

「……カンタレラ王女殿下。失礼ですけれど……」

 口を挟んだ貴族令嬢の声は諍いを運んできた気概とは裏腹に、気の毒なほど震えていた。気に止めてもいなかったけれど、エルミーヌを信仰するうちの一人なのだろう。
 自分たちの天使の為に、処刑人の前でこれほどの信仰と誠意を示したのだ。わたくしも相応の振る舞いで遊んであげなくてはいけない。視線をエルミーヌから名も知らぬご令嬢へと滑らせると、蜘蛛の糸に絡め取られ、死を覚悟した憐れな虫のように、顔色が蒼白に褪せていく。興に乗る前に退屈で食らいついてしまいそうだったけれど、エルミーヌの調子に合わせ、甘い笑みを保ったまま言葉を返して差し上げる。
 
「あら、ごめんあそばせ。ゆるしてくださる? だって……ご覧になったでしょう。エミリエンヌ嬢の素晴らしいドレスを……珍かで、誰もが真っ先に目を惹かれると、そう思わなくって? お父様からの愛の証拠、ですわね」
「そうではなくて……! エルミーヌ嬢は社交界に出たばかりなのです。お可哀想に、手が震えてしまって。もう少し……その、楽しいお話をされては……」

 猫のように甲高く張り詰めた声は、肩を包むように手を置いたエルミーヌの細く白い指先によって制された。「大丈夫ですわ」と、耳朶に触れてしまいそうな距離で秘密を囁いた蜂蜜の声が、強ばった令嬢を甘く溶かしていく。緊張が解け、場も弁えず泣いてしまいそうな彼女にふわりと親しげに擦り寄ってから、庇うように華奢な身体で前へと踏み込んだ。
 
「なんてお優しいのかしら……ですけれど、あまり心配はなさらないで。この手の震えだって歓喜によるものですの。だってわたし……」

 純白を証明する手袋が口元をさっと隠す。色付く花を手本として頬が紅潮する。こちらの機嫌を伺うように泳ぐ視線は、どう見ても純粋でウブな少女のようだ。
 背後ではエルミーヌを見守るご令嬢たちが、彼女の幼気な勇姿を心配そうに見守っている。彼女は被害者で、わたくしが加害者。出来上がった舞台であるが故、彼女の次の台詞がこんなにも待ち遠しい。

「その……わたしのような者がこのようなことを申し上げてよろしいのか……とても恐れ多いのですが……王女殿下とお話するのがずっと夢でしたの。階段を下るあなたはまるで地上に舞い降りる天使のように美しくいらっしゃいましたから……引力のように、思わず駆け上がってお声をかけてしまいたくなって。ぎゅっと我慢していたのです」

 ――隴を得て蜀を望む、とはこの事かしら。
 エルミーヌがスカートの下に隠した本心を彼女を愛するたちよりも的確に理解して、品位も無く声を上げて笑ってしまいそうになる。
 一見すれば健気な好意のように聞こえるそれは、紛れもなく、花弁の下に潜む鋭利な棘に他ならない。安易に触れれば血が溢れ、たちまちドレスの裾を汚してしまう。口元を隠したエルミーヌに倣い、金が施された扇を優雅に広げてみせた。
 
「まぁ……ふふ。お上手ですこと。わたくし、たった一言二言言葉を交わしただけで、皆さんがあなたを慕う気持ちを理解いたしましてよ。エミリエンヌ嬢の春の小鳥のように愛らしいお声はいつまでも聞いていたくなりますもの。もっとも……このように大輪の花の如く咲いたスカートでは、鳥籠に納めるには窮屈でしょうけれど」

 それに、と言葉を続ける。彼女が好きな物、嫌いなもの。ドレスの裏地。その全てをこの演者の中でわたくしだけが理解しているだなんて、何とも滑稽なことだ。彼女達より、わたくしの方が狡知なエルミーヌの親友たる人物として、きっと相応しい。
 世辞でも、裏もない、本心からの好意を持ってエルミーヌに語りかけた。

「エミリエンヌ嬢でしたら……どうぞ、お先に声をかけていただいても構わなくてよ。階段を駆け上がるあなたの姿は、きっと可愛らしいもの」
「でしたら王女殿下。失礼でなければ、その……お近付きの印に、エルミーヌと呼んでいただけませんこと? ……殿下の、その甘いお声で呼んでいただきたいのです」
「エルミーヌ嬢……いいえ、エルミーヌ。どうぞ、わたくしのこともカンタレラとお呼びになって」

 恐れ多くも萎むことのない彼女の欲望を甘受する。
 恋人の名を初めて呼ぶように、エルミーヌは目を潤ませて細い声でわたくしの名を呼んだ。甘えるような表情に頬を優しく撫でてあげたけれど——彼女の手は未だ震えている。
 その矛盾に目を付ける前に、運良くお父様の従者の一人が慌ただしく駆け寄り、わたくしへと耳打ちする。その顔は毒を食らったように血の色を失っていた。死と隣り合わせとなった人間では、これが普通の反応なのだ。

「……残念だけれど、エルミーヌ。どうやら寂しがりなお父様が呼んでいるみたいなの。ねぇ、またきっとお話しましょうね。わたくしたちは……もっと、仲良くなれるはずですから」

 そのまま、欲深いままで居てくれさえすれば。わたくしが機会を与えるに相応しい。
 嬉しそうに手を振るエルミーヌを背に、次のお茶会の予定を立てながら、お父様の元へと向かう。

「酷いわ。純粋なエルミーヌ嬢に、なんてことをおっしゃるのかしら……」

 背後からは、緊張の解けた誰かの弱々しいため息と、そんな声が聞こえていた。
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