短編
燃え行く螻蟻による王女様のための
「退屈だわ」
木馬、あるいはほつれひとつ無い人形。持て余した玩具を床に転がすような愛らしさと傲慢を舌先で遊ばせて、高貴な王女様は呟いた。
それは独り言のように、あたし――キティ・ウェストウッドの存在さえもをないようにして。
黄金の光が飛び交う絢爛なパーティー会場にて。階段上に佇むカンタレラさまとその傍らに控えるキティを見上げ、貴族令嬢たちは広間にて、意味深な笑みと共に内緒話に花を咲かせる。多方使用人のようだとか、不吉な鴉のようだとか、流行の移り変わりには敏感でいる割に、代わり映えしない嘲笑をグラスに溶かしているのだろう。
よく回るその舌を熱した細い鉄の棒に巻いてしまうことは容易いけれど、当然で、どうでもいい事だった。足元の虫を気にかける過敏な視覚や、フェアリーテイルの登場人物のように奇特で健気なお口だって、神様とママはキティに与えてくださらなかったのだもの。
「近頃お気に召されていた遊戯は、もう飽きてしまわれたのですか?」
「……わたくし、そのような玩具を持っていたかしら? どれも似たようなもので、誰も彼もつまらないのよね......」
話を投げかけてようやく、カンタレラさまはキティの存在へと意識を向けた。意図的に無視をしているのではないことは知っている。
モノトーンでありながら、装飾に埋もれてしまいそうな程豪華に飾られたドレス。大きな膨らみを保つクリノリンへと優雅に体重を預けたスカート。強制的に視界を独占する、令嬢たちの嗜み。気が付かないはずがなかった。擽られた赤子のような思いに思わず笑みが零れる。それを頭部を覆う何層にも重ねられたレースとリボンで上品に覆い隠すつもりで、漆黒の羽飾りが不吉に揺れて失敗した。
些細なことだった。だって、カンタレラさまにとって、自分は出会った時から居てもいなくても同じことなのだから。その事実は、恋よりも甘くキティの心を震わせる。
蜘蛛の足のような細い腕を曲げ、カンタレラさまは欄干に肘を乗せる。退屈そうな毒の瞳が会場に集まった群衆を見下ろしていた。
「誰より醜悪で愚かしい子ほど、手間がかかって愛おしいの。ただ意地が悪いだけの蟻は、どれほど世話をかけてやっても歴史に爪痕ひとつ残せずに呆気なく死んでいくのだもの」
――例えば今ここに、蝋燭がひとつあるとする。
初めに、誰かの野望が蝋燭に火を灯す。それによりロウが溶け始め、会場に涎を垂らす。汚らしくも強烈で強かな思いが、狙われた誰かの皮膚を焦がす。飛び交う怒号は場を掌握し、死に際のように鋭い声はまるで災害のように大きく会場を揺らす。その揺れにより、手摺に乗せられた蝋燭は為す術もなく、然し諦めることもなく、クリノリンに体重を預けた怠惰で柔らかなスカートに目掛けて落下することを選択する。すると、黄金の交差するこの場所は火の色をより鮮やかに、仰々しい演出で照らし始める。
舞台はやがて終わる。時間が経てば、炭の色が肩を叩き終わりを知らせ、強烈で悲惨な光景はやがて王国史に0.1mmの軽さで国内に影響を与える。
……それはカンタレラさまにとって最も簡単で、呆気なくつまらないこと。蟻が何匹と集まったところで、羽をちぎられた蝶一匹のストーリーに溢れた美しき一生と、どちらが観客の心を揺さぶるかなんて比べるまでもない。
カンタレラさまの欲深さは光をも透かさない。一歩前に出て、同じ景色を眺めた。
「……恐れながらカンタレラさま、エミリエンヌ公のご息女にご挨拶なさってはいかがでしょう。会場の中心にいらっしゃる、金髪に深い緑色のドレスを纏ったご令嬢です」
エルミーヌ・エミリエンヌ。公爵令嬢でありながら近頃社交界デビューを果たした、何かと話題の絶えない人気者。鋭い毒牙を密めたご令嬢たちの中心で、彼女は無垢に微笑み、また堂々と咲いていた。周囲には、社交界では滅多にお目にかかれない彼女の純粋性に惹かれた者たちが円を作っている。
……果たして、それほどか弱い女の子がこの世界で本当にご病気にかからず生き残れるのかしら? 期待を込めてカンタレラさまを見やると、想像通りの意地悪で、可愛らしい笑みがキティを迎え入れてくれた。
「ああ……そうね、それがいいわ。エルミーヌ嬢のおかげで、近頃の社交界は微笑みの飛び交う、随分と和やかで賑やかな空気になりましたもの」
それに、と邪悪に弾んだ声が続ける。
「あなたがそう仰るのなら、わたくしの話し相手として遜色ない子なのでしょう」
それが好意や信頼ではないことを、キティは誰よりもよく知っていた。それでこそ、彼女は理想のお姫さまだった。
童話を読む度に、全てのものから愛されハッピーエンドを迎える主人公より、指先から舌先に至るまで毒を孕んだ苛烈で意地悪な悪役に心を奪われた。可愛らしいお姫様は花のようだと形容されるけれど、悪役は自らの意思で咲き誇り、やがて美しく散る……その有り様はまさに、花の一生そのものだったから。
気高き血に塗れた最後が鋭い棘となり、どれほど幼い心臓を恋の如く酩酊させただろう。
「……いってらっしゃいませ。キティの素敵なお姫さま」
その小さな御御足にキスをするつもりで軽く頭を下げた。彼女はきっと振り向かない。蝶のようにすり抜け、小さくなっていく背を、いつまでも、いつまでも眺めていた。
「退屈だわ」
木馬、あるいはほつれひとつ無い人形。持て余した玩具を床に転がすような愛らしさと傲慢を舌先で遊ばせて、高貴な王女様は呟いた。
それは独り言のように、あたし――キティ・ウェストウッドの存在さえもをないようにして。
黄金の光が飛び交う絢爛なパーティー会場にて。階段上に佇むカンタレラさまとその傍らに控えるキティを見上げ、貴族令嬢たちは広間にて、意味深な笑みと共に内緒話に花を咲かせる。多方使用人のようだとか、不吉な鴉のようだとか、流行の移り変わりには敏感でいる割に、代わり映えしない嘲笑をグラスに溶かしているのだろう。
よく回るその舌を熱した細い鉄の棒に巻いてしまうことは容易いけれど、当然で、どうでもいい事だった。足元の虫を気にかける過敏な視覚や、フェアリーテイルの登場人物のように奇特で健気なお口だって、神様とママはキティに与えてくださらなかったのだもの。
「近頃お気に召されていた遊戯は、もう飽きてしまわれたのですか?」
「……わたくし、そのような玩具を持っていたかしら? どれも似たようなもので、誰も彼もつまらないのよね......」
話を投げかけてようやく、カンタレラさまはキティの存在へと意識を向けた。意図的に無視をしているのではないことは知っている。
モノトーンでありながら、装飾に埋もれてしまいそうな程豪華に飾られたドレス。大きな膨らみを保つクリノリンへと優雅に体重を預けたスカート。強制的に視界を独占する、令嬢たちの嗜み。気が付かないはずがなかった。擽られた赤子のような思いに思わず笑みが零れる。それを頭部を覆う何層にも重ねられたレースとリボンで上品に覆い隠すつもりで、漆黒の羽飾りが不吉に揺れて失敗した。
些細なことだった。だって、カンタレラさまにとって、自分は出会った時から居てもいなくても同じことなのだから。その事実は、恋よりも甘くキティの心を震わせる。
蜘蛛の足のような細い腕を曲げ、カンタレラさまは欄干に肘を乗せる。退屈そうな毒の瞳が会場に集まった群衆を見下ろしていた。
「誰より醜悪で愚かしい子ほど、手間がかかって愛おしいの。ただ意地が悪いだけの蟻は、どれほど世話をかけてやっても歴史に爪痕ひとつ残せずに呆気なく死んでいくのだもの」
――例えば今ここに、蝋燭がひとつあるとする。
初めに、誰かの野望が蝋燭に火を灯す。それによりロウが溶け始め、会場に涎を垂らす。汚らしくも強烈で強かな思いが、狙われた誰かの皮膚を焦がす。飛び交う怒号は場を掌握し、死に際のように鋭い声はまるで災害のように大きく会場を揺らす。その揺れにより、手摺に乗せられた蝋燭は為す術もなく、然し諦めることもなく、クリノリンに体重を預けた怠惰で柔らかなスカートに目掛けて落下することを選択する。すると、黄金の交差するこの場所は火の色をより鮮やかに、仰々しい演出で照らし始める。
舞台はやがて終わる。時間が経てば、炭の色が肩を叩き終わりを知らせ、強烈で悲惨な光景はやがて王国史に0.1mmの軽さで国内に影響を与える。
……それはカンタレラさまにとって最も簡単で、呆気なくつまらないこと。蟻が何匹と集まったところで、羽をちぎられた蝶一匹のストーリーに溢れた美しき一生と、どちらが観客の心を揺さぶるかなんて比べるまでもない。
カンタレラさまの欲深さは光をも透かさない。一歩前に出て、同じ景色を眺めた。
「……恐れながらカンタレラさま、エミリエンヌ公のご息女にご挨拶なさってはいかがでしょう。会場の中心にいらっしゃる、金髪に深い緑色のドレスを纏ったご令嬢です」
エルミーヌ・エミリエンヌ。公爵令嬢でありながら近頃社交界デビューを果たした、何かと話題の絶えない人気者。鋭い毒牙を密めたご令嬢たちの中心で、彼女は無垢に微笑み、また堂々と咲いていた。周囲には、社交界では滅多にお目にかかれない彼女の純粋性に惹かれた者たちが円を作っている。
……果たして、それほどか弱い女の子がこの世界で本当にご病気にかからず生き残れるのかしら? 期待を込めてカンタレラさまを見やると、想像通りの意地悪で、可愛らしい笑みがキティを迎え入れてくれた。
「ああ……そうね、それがいいわ。エルミーヌ嬢のおかげで、近頃の社交界は微笑みの飛び交う、随分と和やかで賑やかな空気になりましたもの」
それに、と邪悪に弾んだ声が続ける。
「あなたがそう仰るのなら、わたくしの話し相手として遜色ない子なのでしょう」
それが好意や信頼ではないことを、キティは誰よりもよく知っていた。それでこそ、彼女は理想のお姫さまだった。
童話を読む度に、全てのものから愛されハッピーエンドを迎える主人公より、指先から舌先に至るまで毒を孕んだ苛烈で意地悪な悪役に心を奪われた。可愛らしいお姫様は花のようだと形容されるけれど、悪役は自らの意思で咲き誇り、やがて美しく散る……その有り様はまさに、花の一生そのものだったから。
気高き血に塗れた最後が鋭い棘となり、どれほど幼い心臓を恋の如く酩酊させただろう。
「……いってらっしゃいませ。キティの素敵なお姫さま」
その小さな御御足にキスをするつもりで軽く頭を下げた。彼女はきっと振り向かない。蝶のようにすり抜け、小さくなっていく背を、いつまでも、いつまでも眺めていた。