短編

I affirm your fantasy.


 
 20××年。死者も蘇り踊り出す世界。おとぎ話に足を踏み入れる夢見の世界。墓荒らしと大差のない幻想くうちゅう庭園だなんて電脳空間がこれほどまで容易に世間に受け入れられたのは、ままならない現実に耐えかねた人々により繰り返される暴動の末、倫理も秩序も喪失し、現実世界その物が大きな墓場のように成り果てたからなのだろう。
 アリスの後を追って眠りの底に横たえ、夢の世界で目を覚ました私もまた、その限界に達した内の一人というだけの話だ。
 太い幹が幾重にも連なったアーチをくぐり抜けると、庭園と呼ばれるメインエリアに出迎えられた。人々は点在しているものの、花は蕾ばかりでひとつとして咲いてはいない。パンジーなんかが植えられていそうな花壇には、見た事もない形状の花茎が煉瓦に顎を預けて脱力している。白塗りの看板に「庭園」なんてクレヨンで子供が力任せに書いたような文字で表記されて、やっとそれが一つのエリアなのだと理解できたほどだった。
 誰一人として知る者がいない世界に、歩いても歩いても、見頃は終わりでした、残念でした。だなんて告げるように気力を失った花々。途端に、ここでさえ自分の居場所なんてないのだという虚しさが、胸を静かに支配した。
 ――帰ろう。一度遊びに行くつもりで、二度と帰ってこなかったなんて話も聞くくらい、のめり込んでしまう人もいると聞いたし。私は今日、息抜きのつもりでここにやってきただけなのだから。
 なんとか初めにくぐり抜けた木のアーチまで辿り着くと、そこで初めて、ゲートが鏡の姿を成していることに気がついた。
 そこに映し出されていたのは、生まれ持った色彩や輪郭とはまるでかけ離れた、アニメの世界にでも出てきそうな自分自身の姿だった。初めて体感する非現実への喜びに、大きく感情が高鳴っている。
 ——そう、まさに、こんな姿で生まれたかったと思ってた!
 
「ばあ」

 突如、嫌味のない爽やかな音が耳元で小さく破裂して、反射的に身体が強ばった。見慣れない自分の容姿に夢中で、鏡に映る人影にさえ気が付けないほどに視野が狭まっていたらしい。
 鏡の中で、赤い瞳と視線が重なる。金髪の好青年が愉快そうにこちらを見つめていた。

「君、庭園に来たのは今日が初めてだろ」

 青年が私の様子を気にも留めずにごく自然に会話を始めたので、戸惑いながらも恐る恐る身体の向きを改める。
 白兎のシルクハットがぴょんぴょんと揺れて、私の言葉へと耳を傾けていた。

「分かるさ、そんなに鏡に惚れ込んでいたら、誰だって。さっきだって、底の見えない穴に落ち続けている時みたいに視線が彷徨っていたしね」

 口ぶりから察すると、季節外れの庭園に落胆していた様子までもを、何処からか見ていたようだった。意地悪……なのだろうか。それにしては、無邪気な子供にもよく似た、屈託のない笑顔だと思う。
「名前は?」と問われ、まだ決まっていないのだと答えると、彼は不思議なほどにぴったりな名前を与えてくれた。
 幻想庭園では現実の容姿や名前を持ち込むことを禁じられている。その変わりに、付け替えられるアクセサリーと同じように毎日改名する人もいると、どこかで聞いたことがあった。だけれど、以前から名乗っていたかのように心地の良い響きのこの名前は、またこの地に足を踏み入れることがあっても付け替えることはないだろう。

「俺はリエヴル。幻想庭園のガイドだと思ってくれてもいいぜ。俺以上に庭園を愛して、知り尽くしたやつなんて他にいないだろうから」

 案内をしながら、リエヴルは堂々とそう言い放った。実際の所、ぐるぐると方向感覚を簡単に奪うほど広大な庭園であるにも関わらず、彼が道に迷う様子は一瞬たりとも見受けられなかった。
 地図のような物はあるのかと聞けば、「マップ? そんなものないよ。じゃあどうしたらって……君の心が踊る方へと歩くだけさ」と、さも当たり前のように返されてしまった。
 これまで地図らしき物を広げている人は見かけなかったし、場を和ませるための冗談という訳でもないのだろう。
 
 陽気と陰気が入り交じるネオンのエリア、一癖も二癖もありそうな人々に連れられお化けまでもが集まってきそうな不気味な深い森のエリア、サーカス団が高らかに呼び込みを行っていた賑やかな遊園地のエリア、そしてヘンゼルとグレーテルを連想させるメルヘンなお菓子のエリアを巡り終えたところでふと、赤子の笑い声にも似た、愛しく可愛らしい声がリエヴルの名前を呼んだ。
 ファンタジア、そう呼ばれた少女を一目見た瞬間、この子を愛さずにはいられない——そんな、あやふやだけれど確かな予感が頭に過ぎった。
 まるで恋を注射したみたいに甘く染まった頬と、色を揃えた桃色の瞳。縦に撒かれたツインテールには無垢を約束するかのような大きなリボンが結ばれている。母の手に信頼と期待を委ねて、鏡を手に大人しく椅子に座る彼女の姿を容易に想像することが出来た。柔らかく波打つ純白のエプロンドレスでさえ、少女を象徴する彼女の装いに最も相応しい。このような感情を、人は一目惚れというのだろうか。
 時が止まってしまったかのように彼女を見つめるだけの人形となった私の様子に気がついて、ファンタジアはスカートの裾をそっと持ち上げて、お姫様の真似事のような可愛らしいカーテシーを披露した。
 
「こんにちは、リエヴル。そちらの素敵な方はあなたのお友達?」
「やあ、ファンタジア。今日初めて不思議の国に落ちてきた赤ん坊さ。優しくしておやり」

 リエヴルが私の背を軽く押すと、ファンタジアは嬉しそうに瞳をきらめかせて、宙ぶらりんの私の手を取った。

「ねえ、入口のアーチを抜けた先にある庭園はご覧になったでしょう? わたし、あそこが面白くって最近のお気に入りなの。だって隠れん坊も追いかけっこも宝物探しも出来ちゃうんだもの。でもね、一番背の高い花には気軽に話しかけてはだめよ。だってあの子、いつでも女王様気取りなんですもの。仲良くしたいなら背の低い花を選んだ方がいいわ。項垂れてる子なんか、いいかもね。その分内気だからね、ちょっとだけ頑張ってあげないといけないわ」

 身振り手振りを織り交ぜて小さく跳ねながら言葉を紡ぎ続けるファンタジアの様子は実に微笑ましく、その小さな背丈から見た世界を懸命に伝えようと、きいてきいてと母親の周囲を駆ける子供の姿を重ねた。
 気が付けば、疎外感も緊張も随分と解されている。「見頃じゃなかったのか、お花は見られなかった」とできる限り優しい声で伝えると、ファンタジアの中で何が引っかかったのか、小首を傾げて不思議そうな眼差しを私に向けた。

「外の世界では、そういうこともあるのね?」

 その言葉に、今度はこちらが首を傾げる番だった。
 ファンタジアの発言はまるで、現実の世界を知らない人のように聞こえたからだ。
 こちらが言葉の意味を読み解こうとするのを待たずに、ファンタジアはリエヴルの元へと駆け寄り、何かを耳元で囁いた。

「ああ、今なら庭園のエリアにいると思うけど」

 辛うじて聞き取れたリエヴルの言葉の意味も分からないまま、ファンタジアは再度私の手をあたたかい手できゅっと握って走り出すと、更に理解に苦しむ言葉を残した。
 
「おかしな赤ちゃん、急ぎましょ! 人喰いキノコが退屈して眠ってしまう前にね」

 次の瞬間、私は凶悪な口の形にカサを開いたキノコの食道を滑り落ちていた。これは奇怪な出来事どころの話ではない。
 胃液に溶かされてこのままどろどろに溶けてしまうのではないかと恐怖に侵食され目を強く瞑っていると、突如新鮮な空気に迎えられ……同時に、空中に放り出された私の体を誰かが優しく抱きとめる。身を丸ごと預けてしまいたくなるほどの、誘われるような香気が私を包み込んだ。
 ぽすりと頭が背後のその人に当たったので、相当身長が高いのだろうと見上げると、自分より頭一つ分以上もある長身の女性が、同じように私の顔を覗き込んでいた。驚いて離れようとすると、逃がさないと言わんばかりにぎゅっと強く抱き締められる。菫から抽出した液を落としたようなふわふわの長髪に身にまとったチュチュ、柔らかな素肌がぴったりと触れあう。それらがあまりにあたたかくて、年甲斐もなくお母さんに甘えているようだと、思わず感じてしまった。

「オールドガーデン! あなたに会いに来たのよ」

 名前を呼ばれてやっと、オールドガーデンは私の体を離した。
 にっこりと見た目よりも幼く笑ったかと思えば、唐突に私たちに背を向けて走り始める。察していたのか慣れているのか、ファンタジアもその背中を追いかけてあっという間に視界から遠のいてしまった。
 先程のファンタジアの言葉を思い出し、彼女に何かしらの用があったのではと気を揉んでいると、少し遅れてリエヴルが口を開けたキノコのカサから飛び出した。視認出来ないほどに遠のいたオールドガーデンの距離では音なんて聞こえるはずもないのに、彼女はどこからか戻ってきてリエヴルの元へ嬉しそうに駆け寄った。
 私の時よりも力いっぱいに抱きしめられたのか、少し苦しげなリエヴルも、じゃれつく大型犬を宥めるように、彼女の甘えに応じて満更でもなさそうに笑っている。
 
「……きみ、すこし疲れてしまったのかな」

 どこからともなく響いたその声は、それは澄み切っていて、美しかった。もし星が瞬く音に耳を澄ませたなら、きっとこんなふうだと誰もが頷いてしまうほどに。
 「ここにいるよ」と声が導くままに視線を落とせば、いつ隣にやってきたのか、オーバーサイズの外套に身を包んだ小さな男の子が、淡い星の光を閉じ込めた金髪を揺らして私を見上げていた。
 美しい声に気を取られていたが、初めに話しかけられたことを思い出し、首を横に振る。本当は少し疲れが滲んでいたけれど、案内を申し出てくれた二人に申し訳がないような気がして。
 屈んでごらん、と言う少年の言葉は不思議と従いたくなるような魅力を宿していた。その通りにすると、幼い手のひらには見合わない包容力を持って、良い子を褒めるみたいに頭を撫でてくれた。

「いいんだよ。この子たちは元気いっぱいだものね。二人は加減してやってね。この子は庭園に来るのは初めてなのだから」
「違うわ、スターリィロード。この子ね、お花が咲いていなければ見頃じゃないだなんて、おかしなこと言ったのよ」
「ああ……ごめんね。庭園の花は気分屋で、時々、とっても意地悪くなるんだ」

 上手く想像がつかないけれど、二人が語る花は現実世界で私が目にしてきた花々とは、全く別物なのだと言っても差し支えないのだろう。足を運んだエリアに私がこれまでの人生で培ってきた常識など、何処にもありはしなかったのだし。

「そうでしょう! それで、オールドガーデンを連れていけば、お花が開いているところを見せてあげられると考えたのよ!」

 名前を呼ばれたオールドガーデンが、任せて! と言わんばかりに手を掲げた。喋れないようだけど意味は理解しているのだと考えていたら、突然抱き上げられ、体が宙に浮いた。いや、これは、担がれる……の方が、きっと表現に即している。
 次に何が起こるのか予測がつかない不安に思わずスターリィに手を伸ばす。するといってらっしゃいという意味なのか軽く手を振り返される。その瞬間、ジェットコースターを思わせる速度でオールドガーデンが勢いよく走り出した。
 身長が2m近くもあるとはとても思えないほどに優雅で軽やかで素晴らしいフォームだと、感心せずにはいられない。
 私を担いでさえいなければ。
 しかし次の瞬間、恐怖なんて吹き飛んで、感嘆の声を漏らしてしまうほどの景色が私を出迎えた。
 庭園にて慎ましく閉じていたはずの蕾たちが、走り抜けるオールドガーデンと追いかけっこをするみたいに、波にも似た動きで次々に花開き始めたのだ。
 隅から隅まで走り終えるとオールドガーデンは私を優しく地面に降ろしてくれた。
 咲き誇る花を間近で見ようと顔を近付けると、ぷい、とそっぽを向かれてしまった。それぞれに意思を持っているという他ならない証拠だ。
 オールドガーデンが叱るジェスチャーをして頬を膨らますと、花は私に向けて詫びるように頭を下げた。
 追いついたリエヴルが「面白いだろ?」と自慢げに私の表情を覗きこむ。

「懐柔する手もあるぜ、見てな」

 そう言うと、リエヴルはポケットに手を入れて何かを探りだした。包み紙を開いて桃色の飴を取り出すと、花に向かって放り投げる。すると、大きくて白い一輪が見事それを花弁を閉じてキャッチした。
 水族館のショーを思い出して拍手をしていたら、みるみるうちに花の色が飴と揃いの桃色に染まった。リエヴルへと茎を伸ばすと、甘えるように擦り寄った。
 ポケットからもうひとつ飴を出して渡してくれたので真似てみると、また別の一輪が見事に掴んで、私に甘えてくれた。
 ——あの時、帰らなくてよかった。非日常の世界が時間も忘れてしまうほどに楽しいだなんて、知らなかった。
 時間……そう、時間!
 明日になれば、現実は否応なく巡ってくる。幻想庭園に永遠には居られない、そんな当たり前のことを、どうしてすっかり忘れていたのだろう?
 慌ててリエヴルに時間を尋ねると、何故だか呆れを含んだような態度で、懐中時計をこちらへと差し出した。

「今何時って、君が決めればいいんじゃない。時計は言うことを聞かない物だ。ある時は止まっているし、次の瞬間には進んで、追いかければ巻き戻ってる。それでいい、規則的に刻まれる秒針ほどつまらないものはないだろう?」

 規則的じゃない時計はただのイカれたジャンクだろうと言いかけて、言葉に出来なかった。リエヴルの気さくな笑みが突如、不気味で得体の知れないものに思えてしまったから。
 「試しに彼女たちに聞いてみる?」すれ違った双子と見える少女たちにリエヴルが時間を問うと、片方は「朝」、片方は「夜」と答えた。

「じゃあさー、現実軸の時間を仮に正常と捉えたとして、君は何時に帰りたかったわけ? 夕方頃、へぇ」

 するとリエヴルは、懐中時計の針の隙に指を差し入れて、ぐるぐると強引に時間をずらし始めた。

「じゃーん。今は午前十時。じゃ、これで帰らなくていいね。だって、本当は帰りたくないんだろ?」

 どきりと、不意をつかれた心臓の軋む音が大袈裟に響いた。
 いつの間にか、周囲にはファンタジアも、オールドガーデンも、スターリィもいない。

「ここに居ればもう君に苦しくて、怖い思いをさせるやつは誰もいない。朝日が眩しくてカーテンを締め切ることも、夜の暗闇に襲われることもない。楽しいことだけをして、何も考えないで、思い描いた幻想の中に生きることが許される」

 鍵穴に時計の針を差し込まれる感覚がした。庭園で過ごしていくうちにいつの間にか形になってしまった、少し針を捻ってしまえば簡単に空いてしまう禁断の箱に。
 開けて欲しいのだと叫ぶなんとも脆く儚い南京錠が、合わないはずの針に形を重ねていく。
 薄ら笑う彼の泥沼のような笑みと甘言に呑まれ口を開こうとしたその時、リエヴルが音を立てて懐中時計の蓋を閉めた。秒針を追いかけ回っていた視界が、正常に戻り、慄いた。
 自分はなんてことを口に出そうとしていたのか!

「……なーんてね、冗談さ。んー……と、外は今は十九時頃じゃあないかな」

 再度時計を開けば、確かリにエヴルの言った通りの時刻を指し示していた。
 予定よりも随分と時間が超過してしまった事や、迷子にならないかと気遣い、心配から鏡がある場所まで送り届けてくれたリエヴルは、出会ったばかりの時と同じ親切で優しい人だった。先程交わした言葉と、視線と、時間の全てが嘘であったかのように。
 それでも……きっとこの人は帰らない。
 そんな予感がして、鏡まで辿り着く前に、アーチの前で「さようなら」と告げた。

「またね。君とまた会える日を待ってる、いつまでも」

 そして私の予想通り、リエヴルがアーチをくぐることは決して無かった。
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