短編

問1、悪い子は誰?



 チクタクと時を刻むその音は、気まぐれに鳴ったり鳴らなかったりして、酷く不規則だけれど誰もそんなことは気にしない。この幻想くうちゅう庭園で、時間を気にする人は誰もいないのだから。それはわたしにとっても同じことで、それよりも、わたしを弄ぶ目の前の慣れない数字たちを倒すことの方が優先される。
 頭を抱えるわたしの向かいで椅子に腰をかけたリエヴルは、パラパラ漫画のように教材の頁の端を指先で退屈そうに捲る。
 ふと、遠くで駆け回るオールドガーデンに気付き、僅かに表情を揺らして立ち上がった彼を、風に舞う白いジャケットの裾を掴んで引き止めた。リエヴルは怒らなかったけれど、呆れを滲ませて、わたしの隣に座り直した。
 わたしの椅子は一人がけで、そこに席は用意されていなかったけれど、椅子がありそうな場所まで腰を下ろせば、彼の瞳とよく似た、玩具のように赤い椅子が現れた。ここでは、在ると思えば在るのだ。
 
「ファンタジアさ、いつまでそれやってるの? てか顔顰めて何してるの」
「最近ママとパパに宿題を出されているの。……でもこれが全く楽しくないったら!」

 休憩の口実を得れば、待ってましたと言わんばかりにペンを乱雑に置く。投げ捨てられたも同然のペンはコロコロと音を立て、やがて机から呆気なく転がり落ちた。どうか働き者のアリさんが盗んでくれますようにと願いをかけて、拾うことはしなかった。
 大半を白と黒で構成された本に心は踊らない。見渡した色彩豊かな庭園は、数十分睨めっこをしていた教科書よりも鮮明に、簡単に視界に溶け込んでいく。
 ――お友達に話しかけられたのだもの。目が疲れてしまったんだもの。そうでしょう? 椅子に口なし、体重に軋む木の音は都合よく肯定と捉えた。
 
「それ、俺いらないでしょ」
「リエヴルは物知りだから楽しく教えてくれるかと思ったの。違うかしら」
「それなら役不足だな。生憎頭を使うことは嫌いなんだ」
 
 ――嘘ばっかり。だってあなたはいつも……。
 小さな戦争の用意をして、途端にどうでもよくなった。ふぅん。と生返事をして、わたしは椅子から立ち上がる。
 
「おーい、何処へ行く気?」

 くだらなくて重たい荷物を置けば、体は天使のように軽くなる。スキップをするわたしに、リエヴルは声を張り上げた。
 
「とても楽しいところよ。わたしね、常に心を踊らせていてあげないと息してることを忘れてしまいそうになるの。ね、あなたならよくご存知でしょう。それで、そんなわたしが好きでしょう?」

 わたしの確信めいた言葉に、リエヴルは素直に頷いた。頷くことを、わたしは知っていた。
 
「うん、好き。だけどさー、宿題から逃げたら君の両親怒ると思うけど」
「勉強もつまらないけど、それもつまらないわね。騒がしいのは好きだけれど、喧しいのは嫌いなの」

 心配性のパパとママは、わたしをつまらなくする。
 外の世界に出てはダメ、だけれど幻想庭園に必要としないはずのお勉強はしないとダメ。
 この世界で、わたしは永遠に巣立てない雛鳥も同然だった。知るべきことと、知らなくていいこと。何も知らない雛鳥に変わって、彼らは親鳥として、大人として。検分して、仕分けて、与えるのだ。
 
「そうだ」

 ポンと、手袋に吸収された音が鈍く鳴る。
 退屈そうだったリエヴルの顔が途端に子供のように無邪気になると、わたしの胸は高鳴った。
 悪戯好きの子供の発想力は無限大。愉しい事が起こる前触れのような、そんなわくわくした予感はきっと外れない。
 
「君はこれから勉強が出来なくなるはずだ」
「あら……どうして?」
「勉強よりも俺が得意なこと、知ってるだろ?」

 知っている。きっと、全てを知り合っている。
 わざとらしくスカートを揺らして、わたしたちは無垢を装う。
 
「……まぁ! それはいけない招待状ね。だけれど……とってもわたし好みよ!」

 在ると思えば、ここには全てが在る。無いと言えば、無かったことになる。
 不思議の国がわたしたちの味方であることを、誰よりわたしたちが知っている。

「行こう、ファンタジア」

 リエヴルと話す時、わたしはもう一人のわたしを見ているような気分になる。
 繋いだ手は、かつてひとりの人間だったみたいに自然に溶け合った。

「ええ、リエヴル」

 クリスマスの玩具を前にしたみたいに、待ちきれない様子で暗い森を駈けていく。
 とっておきのお茶請けを用意して、招待状を空から撒いたら愉しい時間を始めましょう。
 勉強が出来ないほどの、おかしな問題ティーパーティーを!


2/3ページ