短編
世界平和、その秘密
「お姉さんたちってさぁ、よく二人じゃなきゃダメーなんて言ってるけど、別にアリアベル様は一人だっていいんじゃないの」
「なんで?」
なんでって。少年は少し言いにくそうに神殿の床に視線を地面に落として、恐る恐るアリアに向き直した。アリアの瞳は眺めているとどうにも緊張してしまうからだ。子供っぽいけど大人びていて、親しみやすいけど関わりづらい。彼女はそんな不思議な少女だった。
「口を尖らせてないでさ、言ってご覧。あ、怒ってるなんて思ってないよね?私は気になるだけなんだ。当たり前のことが第三者からどう見えてるかだなんて、興味深いことでしょ」
「……いや、やっぱいい。多分、嫌な気分にさせるから。今怒ってなくても、聞いたら怒るかもしれないし」
「怒るなんて効率の悪いことしないよ。私、いつも笑顔でしょ」
アリアが鼻同士が当たりそうなほどにずい、と近付いて、少年の視界に神聖な瞳が広がった。人間は何かと理由をつけて無駄な言い訳を並べることを彼女はよく分かっている。現に少年も今、誤魔化そうとしていたのを彼女の瞳に阻止された所だ。アリアの深い深海のような特殊な瞳の前では、嘘を付けば天罰があたる気さえした。それほど神秘的で、吸い込まれそうな瞳だった。
「だ、ってアリアベル様が出来ない事といえば、神力が使えないことくらいでしょ。この国の発展にはほとんどのことで根本に貴方の存在があるし……一人だってじゅうぶんに、他の人間とは比べられないほどの才能がある。それって本当に『二人じゃなきゃダメ』なの?」
少年が小さく息を吸ったのを確認して、アリアは定位置へ戻った。相変わらず笑ったままで、少年の瞳を、表情や顔色の変化を、落ち着かないのだろうか、小さく動く手足を、静かに見つめている。永遠に思われた沈黙は、アリアの無邪気な笑い声によって破れた。無意識に息を止めて居た少年は、「これ、からかわれてたんだな」と大きなため息をつく。汗でじっとりと濡れた手が気持ち悪かった。
「ふふ。人間に理解できないのは当然のことさ。私達は二人でひとつ。大切なものを半分ずつ捨てて、ひとつになるために不完全になった。まず一つ、これが私達が二人でなければならない理由」
首を傾げた少年に、アリアが「じゃあ、君達にとって私達が二人でなきゃいけない理由も教えてあげる」と言うと、少年の体を風が優しく撫で、ぐんと宙に浮いた。未だ摩訶不思議とされる力、魔法だ。
「今この時、私は君が『降ろしてくれ』と言ったとして、聞いてあげると思う?餓死しないようご飯を与えて、生きて無事に返してやると、思ってる?」
「おろ……さないと困るだろ」
「誰が?」
「…………僕、だけ。ああ、降ろさないね。アリアベル様はそれができる人だもの」
「そうだね。じゃあ、マリアがいたら?」
「アリア?」
緊張感が漂う場には相応しくない、子守唄のように、心にじんわりと染み渡るような聖母の囁き。マリアの声だ。少年はそれに酷く安堵し、同時にアリアの底知れなさに身震いをした。
「ねぇ、マリア。この少年をどう思う?可哀想なことに私に弄ばれているよ」
「そうね、アリア。遊んでいるわけじゃないのなら可哀想だわ。降ろしてあげてくれる?とびきり優しくよ」
「はあい」
マリアが「お願い」をすると、少年はあっさりと、そしてとびきり優しく地面に降ろされた。
「わかった?少年。どれだけ早くて便利な乗り物だって、ブレーキをかけられないと危ないでしょ。凶暴な動物も飼い慣らせる人がいたら安心するよね。あと、平凡な人間は世界平和、好きでしょ?」
ねぇ、この国に手を差し伸べたのは全て、マリアがいるからなんだよ。耳元で囁かれた声が頭から離れない。全ての国民は困難が我々を襲ってもアリアベルという救世主が平和をもたらすと盲目的に信じている。しかしそれはマリアが居てこその、あまりにも不安定な未来だ。
……もしも、マリアがいなくなってしまえば、帝国はどうなるのだろう。不確かな明日を想像して、少年は自らが描く世界平和というものについて、思考を巡らせてみるのだった。
「お姉さんたちってさぁ、よく二人じゃなきゃダメーなんて言ってるけど、別にアリアベル様は一人だっていいんじゃないの」
「なんで?」
なんでって。少年は少し言いにくそうに神殿の床に視線を地面に落として、恐る恐るアリアに向き直した。アリアの瞳は眺めているとどうにも緊張してしまうからだ。子供っぽいけど大人びていて、親しみやすいけど関わりづらい。彼女はそんな不思議な少女だった。
「口を尖らせてないでさ、言ってご覧。あ、怒ってるなんて思ってないよね?私は気になるだけなんだ。当たり前のことが第三者からどう見えてるかだなんて、興味深いことでしょ」
「……いや、やっぱいい。多分、嫌な気分にさせるから。今怒ってなくても、聞いたら怒るかもしれないし」
「怒るなんて効率の悪いことしないよ。私、いつも笑顔でしょ」
アリアが鼻同士が当たりそうなほどにずい、と近付いて、少年の視界に神聖な瞳が広がった。人間は何かと理由をつけて無駄な言い訳を並べることを彼女はよく分かっている。現に少年も今、誤魔化そうとしていたのを彼女の瞳に阻止された所だ。アリアの深い深海のような特殊な瞳の前では、嘘を付けば天罰があたる気さえした。それほど神秘的で、吸い込まれそうな瞳だった。
「だ、ってアリアベル様が出来ない事といえば、神力が使えないことくらいでしょ。この国の発展にはほとんどのことで根本に貴方の存在があるし……一人だってじゅうぶんに、他の人間とは比べられないほどの才能がある。それって本当に『二人じゃなきゃダメ』なの?」
少年が小さく息を吸ったのを確認して、アリアは定位置へ戻った。相変わらず笑ったままで、少年の瞳を、表情や顔色の変化を、落ち着かないのだろうか、小さく動く手足を、静かに見つめている。永遠に思われた沈黙は、アリアの無邪気な笑い声によって破れた。無意識に息を止めて居た少年は、「これ、からかわれてたんだな」と大きなため息をつく。汗でじっとりと濡れた手が気持ち悪かった。
「ふふ。人間に理解できないのは当然のことさ。私達は二人でひとつ。大切なものを半分ずつ捨てて、ひとつになるために不完全になった。まず一つ、これが私達が二人でなければならない理由」
首を傾げた少年に、アリアが「じゃあ、君達にとって私達が二人でなきゃいけない理由も教えてあげる」と言うと、少年の体を風が優しく撫で、ぐんと宙に浮いた。未だ摩訶不思議とされる力、魔法だ。
「今この時、私は君が『降ろしてくれ』と言ったとして、聞いてあげると思う?餓死しないようご飯を与えて、生きて無事に返してやると、思ってる?」
「おろ……さないと困るだろ」
「誰が?」
「…………僕、だけ。ああ、降ろさないね。アリアベル様はそれができる人だもの」
「そうだね。じゃあ、マリアがいたら?」
「アリア?」
緊張感が漂う場には相応しくない、子守唄のように、心にじんわりと染み渡るような聖母の囁き。マリアの声だ。少年はそれに酷く安堵し、同時にアリアの底知れなさに身震いをした。
「ねぇ、マリア。この少年をどう思う?可哀想なことに私に弄ばれているよ」
「そうね、アリア。遊んでいるわけじゃないのなら可哀想だわ。降ろしてあげてくれる?とびきり優しくよ」
「はあい」
マリアが「お願い」をすると、少年はあっさりと、そしてとびきり優しく地面に降ろされた。
「わかった?少年。どれだけ早くて便利な乗り物だって、ブレーキをかけられないと危ないでしょ。凶暴な動物も飼い慣らせる人がいたら安心するよね。あと、平凡な人間は世界平和、好きでしょ?」
ねぇ、この国に手を差し伸べたのは全て、マリアがいるからなんだよ。耳元で囁かれた声が頭から離れない。全ての国民は困難が我々を襲ってもアリアベルという救世主が平和をもたらすと盲目的に信じている。しかしそれはマリアが居てこその、あまりにも不安定な未来だ。
……もしも、マリアがいなくなってしまえば、帝国はどうなるのだろう。不確かな明日を想像して、少年は自らが描く世界平和というものについて、思考を巡らせてみるのだった。