短編

なんてずるい人



 その日の新聞販売店には長蛇の列ができていた。周辺の住民だけではなく、上質な服を身にまとう恐らく魔道士と見える身分の高い人までもが道を埋めつくしていて、なんともアンバランスな光景に平民は好奇心を隠さず、不躾にも野次馬の様に視線をジッと列に向けている。
 さらに驚くべきことはその新聞の内容だった。"あの"テナ家が結婚を発表したという。テナ家は皇太子のお相手候補も出るほどの優れた魔法士一家であり、その長子であるエドワードは端正な顔立ちとその気品溢れる振る舞いが社交界では有名だった。
「感情を表に出さず無愛想にも見える彼だけれど、女性への気遣いは欠かさないの。ああ見えてとてもお優しいお方なのよ」「あの人に微笑みを向けていただけたら、きゃあ。なんて幸福なことかしら!」などと女性の間では勝手にロマンスの相手にもされるほどで、新聞販売店の周りからはすすり泣く声や顔色を悪くして付き人に寄りかかる人も見られた。
 ああ、きっとあの人の妻は幸せなのでしょうね。ロマンスに生きる夢見る乙女達は、そう信じて疑わないのである。
 

 

 一方妻に迎えられたリベラ家の長女、アデルは自室の窓から澄んだ空に向かって、ほんの小さなため息をついていた。 
 エドワードとの結婚は乙女達が夢見た恋愛結婚ではなく親同士の決めたスピード婚であったため、親睦を深める間もなく夫婦となった二人は最低限夫婦としてのお役目を果たすだけのがらんどうの日々を続けていた。アデルが声をかけても会話が弾むことも無く、きっと嫌われているのだろうとさえ思った。周りにたくさん女の子がいた彼の事だ。あの乙女達の周りに、好きな女の子のひとりやふたりいたのかも知れないと。
 燃えるような恋などしなくてもお互い格式高い魔道士一家の代表として、パートナーとしては良い関係を築けると信じて疑わなかった分、先行きの見えない不安に襲われてしまう。アデルは今度こそ「はあ」と大きくため息を出して、はしたないと顔を顰めた。



 
 そんな二人の関係に変化が訪れたのは待望の第一子、ルイスが産まれてからだった。「大切な跡継ぎなのだからなるべく使用人の手は借りず、私達で育てて行きたい」そう言ったエドワードに同意し、彼らは共にする時間が増えていった。
 そうなれば当然見える面も広がるもので、一つ例を挙げるならば何事もスマートにこなすエドワードは子育てに関しては大変苦戦していた。困った顔をしてたまにこちらに目線を寄越すが、助けを求めることはしなかった。しかしアデルが子守りを変わってやると、不快そうにすることも無く眉毛を下げて「ありがとう」と申し訳なさそうに感謝を告げた。
 これを見たアデルはなるほど、きっと彼は人との関わり方が分からない、不器用な人なのだろうと思った。そう気付けば、途端に目の前の彼が可愛く思えた。ついでに言うとアデルが幼い頃に拾ってきて両親に三日三晩怒られた実家の大型犬にも似ていたので、余計に。だからアデルはそんな夫の代わりに自分から素直になってみることにした。リベラ家の長女としてでは無く、アデル・テナとして。エドワードの唯一の妻として。
 
「エドワード様。ご都合がよろしいのでしたら、夕食は共にいたしませんか」
 
 数年間の夫婦生活で初めての誘いにエドワードは驚いたように振り向き、口篭る。それはアデルに礼を欠く行動はしないよう、懸命に言葉を選んでいるように見えた。
 
「正直な所、貴方のことを冷たい方なのだと思っておりましたわ。ですが子育てをするようになって、知らないエドワード様をたくさん見て、誤解に気付けたのです。お互い言葉が足りないばかりに、これまで寂しい時間を過ごしてしまったように思えます。ですからこれからでも、関係性を改めていきませんか?」
 
 実家では活発で両親の頭を悩ませた彼女本来の屈託のない笑顔を浮かべれば、エドワードはその一際輝くペリドットを真っ直ぐ見つめ返し、徐に口を開いた。
 
「私はアデルが好きです」
「え?」
 
 あまりに突然の告白にポカン、と口を開いたまま動かないアデルに気が付かないのか、エドワードは一歩近付いて、優しく彼女の手を取った。

「私も貴方と子育てをしていく中で、知らない貴方をたくさん知ることが出来ました。どこまでも優美な女性だと思っていましたが、ルイスに向けていた、先程のような無邪気な笑みを初めて見た時、心臓が掴まれたような心地でした。嬉しいお誘いありがとうございます。是非、これから夕食は共にしましょう」
 
 いや、夕食だけでなく、朝食も、昼食も。許された数だけ、愛おしいあなたの傍で。使用人に夕食の準備を伝える彼の言葉をぼんやり聞きながら、アデルは染まった頬の赤さにはまだ気付かず、不器用な彼は意外とストレートに言葉を伝えるのだなと、また新たな発見をするのだった。
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