短編
まことしやかに薔薇は詠う
「優雅な時を過ごしていらっしゃるのね」
「……ごきげんよう、ミーシャ。あなたも紅茶の一杯くらい共にしてくださらない? たまにはゆっくりお話したいわ」
王宮に作られた庭園。国花として特別丁寧に手入れが施されたこのローズガーデンは、薔薇と称される二人の王女に良く似合っていた。
自身を支持する令嬢達と共に小さな規模のお茶会を開催していた赤薔薇の妹――アイシャを一瞥して、青薔薇の王女、ミーシャがかけた言葉は酷く冷えきったものであったが、大きな運命によって拗れてしまった姉との仲を修復したいと考えるアイシャは希少な対話の機会に素直に喜びを感じていた。
人によっては冷水のように感じる冷静な表情も、値の張る楽器だって負けてしまいそうな美しい声も、歳を重ねる度に磨かれ、見蕩れてしまう。これ以上の幸せがないとでも言うように、アイシャは日に照らされた花のように美しい笑みを浮かべた。それにミーシャが返すものは、小さな溜息であったが。
「そうね、それも素敵だけれど……あたくしたちにそんな時間がおありかしら? ……いいえ、切羽詰まっているのはきっとあたくしだけね。アイシャは皆様に大層期待されていらっしゃるようですもの」
暇なのだと馬鹿にするような一言にこれ以上関係が拗れてはいけないと、アイシャは反発することなく、場を収めようと気にしていないと伝えるように曖昧に笑う。
ミーシャほど賢くは無いものの、アイシャとて矜恃を持ち、国を背負った王女である。勉強を怠ったことは無いし、社交の場を掌握するほどには口が回る自信だってある。だからこそ、ミスティルに選ばれたのだから。しかし、敬愛するミーシャの前では、会議で意見を述べるよりも喉が重たく感じた。この一言が二人の関係を取り返しがつかない所まで追いやってしまうのではないかと、首を絞めあげられるように失敗を恐れた。
「わたしたちはまるでいない物扱いですわね」
一人言のように落とされた言葉は悪意に満ちている。――エリザ嬢。アイシャに憧れている令嬢がいるのだと、推薦によって初めてお茶会に招いた令嬢だった。ミーシャに腹を立てているようで、その眼光は鋭く敵意に溢れている。
人選を失敗したかしら、とアイシャがエリザを止める前に、ミーシャはエリザに向けて、薔薇の刺繍が施されたスカートを揺らし一歩足を進める。それはまるでアイシャに向けて止めるなと、そう言っているようで。アイシャは思わず口を噤んだ。
「まあ、失礼いたしました。大切な妹と親睦を深めてくださっているようで……姉として、ありがとう存じますわ。だけれど、先に挨拶をすべきはあたくしではなく貴方達ではなくて?」
その言葉を皮切りに焦ったように家名を口にする令嬢達とは違い、エリザが毅然とした態度を崩すことはない。「高貴な方に求められる前に挨拶など、厚顔無恥も甚だしいですから」と、ミーシャの包み隠さない物言いにも堂々言葉を返している。
「殿下は社交場にはあまりお顔を出してくださいませんから。その分、わたしたちの間ではお噂が絶えませんのよ」
「皆さんミーシャのことが気になっていらっしゃるそうよ。わたくしも知っていただきたいわ、ミーシャがどれほど知的で聡明な人か……」
内心、アイシャは腹立たしくて仕方がなかった。この令嬢は何より大切な姉を、ミーシャを嘲るつもりなのだと。誰より優れた知性を持ち、平静を保つ姉がそこらの令嬢に名誉や心を傷つけられることなどないと分かっていても、気が気ではない。
これ以上余計な口を開かないように、とアイシャが会話の軌道を変えようとするも、火のついたエリザが言葉の意図を察することは無かった。
「ええ、ですから気になりますわ。そちらの殿方とはどんなに楽しいお話をされていらしたのですか?」
「……あぁ、宰相と議員の皆さんが集まっていらしたものですから。少しでも知見を得ようと、政策について少しばかり意見を交わしておりました」
「少しだなんて、謙虚な御方だ。殿下が王族としてお生まれになっていなければ、この宰相の座は貴方の手にあったでしょうに」
「宰相様はお優しいんですのね」
国随一の頭脳を持つ相手に認められ、対等な会話をしていることが気に入らなかったのだろうか、ありえないと馬鹿にする意図だろうか。エリザは明らかな嘲笑を洩らす。
「ええ、あたくしったら流行りの話題なんかには疎いものですから、ご令嬢達とのお話にはどうもついていけないの。……そうだわ、貴方もお時間をいただいて彼らとお話してみては? 大丈夫よ、心の広い大人達ですから、きっと丁寧に説明してくださるわ」
「ミーシャ王女殿下!」
再三相手を軽んじて冒涜する意図を隠そうともしなかったエリザは、ミーシャのからかいに声を荒らげる。親に甘やかされてきたのか、堪え性はないようだった。
王族に対する下劣な行動にとうとう耐えきれなくなったアイシャが「エリザ嬢」と冷えきった紅茶を頭からかけるように声をかけると、正気になったエリザからみるみる血の気が引いていく。超えては行けない一線に足をかけてしまったのだと、漸く気がついたようだ。
初めから大人しくしていればよかったのだと。アイシャに彼女を庇ってやるつもりは更々ない。
「……一秒さえ惜しいの、ミスティルであるこのあたくしに、このような場で無意味な時間を過ごさせるおつもりではないでしょうね?」
「わ、わたしはアイシャ王女殿下を支持いたします。民を蔑ろにするあなたに……まともに政が務まるとは思えません」
「どうぞ、お好きなように」
「エリザ嬢」
「……はい」
風が吹く度に甘い香りが春を誘うようだと、お茶会の初めに二人は笑ってそんな話をした。日が落ちたからだろうか、エリザは微かに吹く風すらも肌寒く感じて、薄いショールを手繰り寄せる。
「もう、宮廷へは足を踏み入れないでちょうだい」
「アイシャ様!」
アイシャ王女殿下は聖母のように慈悲深く、愛に溢れた微笑みを称える御方なのだと誰もが口にした。しかし今エリザの目に映るアイシャの瞳からは感情が伺えず、心が凍りつきそうなほど冷えきっている。まるで……ミーシャのように。
手遅れだなんてことは無いはずだと、一縷の希望に縋り、エリザは上質な生地が傷むことも厭わずアイシャの前に膝をつく。
「どうか……どうかご容赦くださいませ、わたしはどうしても、赤薔薇のあなたさまに王位についていただきたくて……忠誠心のあまり感情的になってしまったのです」
「ええ、わたくしたちは神様より王の素質を認められた、王族でも殊に高貴で尊い誠の薔薇です。これは王座と命……いいえ、それぞれの愛をかけた、誰にも手出しは許されない姉妹喧嘩なのですわ」
膝をつくエリザを見下ろし、後光と威厳を背負うその姿は暖かな王女・アイシャではなく、神聖で高貴なミスティル・アイシャと呼ぶに相応しく、彼女の言葉が絶対であり覆らないことを知らしめた。
とめどなく流れるエリザの涙を優しく指の腹で拭ってやり、アイシャは膝を曲げて真っ直ぐに視線を交わす。
「そして、わたくしが争いの末散った場合、あなた方が仕える王は他でもないミーシャよ。忠誠心を持たない臣下をこの宮廷に入れる訳にはまいりませんわ。……あまり、理性的ではいられないようですもの。そうね、領地で息を潜め、ひっそりと暮らすくらいが……あなたにお似合いなのではないかしら」
「では宰相様、帰路もどうかお気を付けてくださいまし」
馬車の前まで見送りをしてくれたミーシャに宰相は小さく腰を折り礼を示す。背を向けようとして、宰相は頭に残る疑問を空気を探るようにして口に出した。
「……失礼であれば、何事も無かったかのよう聞き流していただいて構わないのですが」
「では、そのまま何事も無いことにしてくださいませ」
あまりの反応に宰相が転けそうになると、ミーシャは珍しくくすくすと小さく笑った。その笑顔は、アイシャと重ねるほどによく似ている。
……度々ミーシャと宰相は政治について意見を交わす機会があった。その度、より良い案を幾らでも挙げられるはずの、誰より優れた彼女が過去の政策について掘り下げようとする行為が引っかかっていた。――彼女には不必要のその行為は、まるで誰かのために、噛み砕いて資料をまとめているようだと、そう考えるに至ったのだけれど。忠実な臣下として、彼は何も言うまいと口を閉ざす。
「ねぇ……あたくしの愛する赤薔薇は、あなたの目にも気高く、優しく……美しく、咲いていたかしら」
彼女が述べる精一杯の答えに、宰相は静かに頷きを返した。
「優雅な時を過ごしていらっしゃるのね」
「……ごきげんよう、ミーシャ。あなたも紅茶の一杯くらい共にしてくださらない? たまにはゆっくりお話したいわ」
王宮に作られた庭園。国花として特別丁寧に手入れが施されたこのローズガーデンは、薔薇と称される二人の王女に良く似合っていた。
自身を支持する令嬢達と共に小さな規模のお茶会を開催していた赤薔薇の妹――アイシャを一瞥して、青薔薇の王女、ミーシャがかけた言葉は酷く冷えきったものであったが、大きな運命によって拗れてしまった姉との仲を修復したいと考えるアイシャは希少な対話の機会に素直に喜びを感じていた。
人によっては冷水のように感じる冷静な表情も、値の張る楽器だって負けてしまいそうな美しい声も、歳を重ねる度に磨かれ、見蕩れてしまう。これ以上の幸せがないとでも言うように、アイシャは日に照らされた花のように美しい笑みを浮かべた。それにミーシャが返すものは、小さな溜息であったが。
「そうね、それも素敵だけれど……あたくしたちにそんな時間がおありかしら? ……いいえ、切羽詰まっているのはきっとあたくしだけね。アイシャは皆様に大層期待されていらっしゃるようですもの」
暇なのだと馬鹿にするような一言にこれ以上関係が拗れてはいけないと、アイシャは反発することなく、場を収めようと気にしていないと伝えるように曖昧に笑う。
ミーシャほど賢くは無いものの、アイシャとて矜恃を持ち、国を背負った王女である。勉強を怠ったことは無いし、社交の場を掌握するほどには口が回る自信だってある。だからこそ、ミスティルに選ばれたのだから。しかし、敬愛するミーシャの前では、会議で意見を述べるよりも喉が重たく感じた。この一言が二人の関係を取り返しがつかない所まで追いやってしまうのではないかと、首を絞めあげられるように失敗を恐れた。
「わたしたちはまるでいない物扱いですわね」
一人言のように落とされた言葉は悪意に満ちている。――エリザ嬢。アイシャに憧れている令嬢がいるのだと、推薦によって初めてお茶会に招いた令嬢だった。ミーシャに腹を立てているようで、その眼光は鋭く敵意に溢れている。
人選を失敗したかしら、とアイシャがエリザを止める前に、ミーシャはエリザに向けて、薔薇の刺繍が施されたスカートを揺らし一歩足を進める。それはまるでアイシャに向けて止めるなと、そう言っているようで。アイシャは思わず口を噤んだ。
「まあ、失礼いたしました。大切な妹と親睦を深めてくださっているようで……姉として、ありがとう存じますわ。だけれど、先に挨拶をすべきはあたくしではなく貴方達ではなくて?」
その言葉を皮切りに焦ったように家名を口にする令嬢達とは違い、エリザが毅然とした態度を崩すことはない。「高貴な方に求められる前に挨拶など、厚顔無恥も甚だしいですから」と、ミーシャの包み隠さない物言いにも堂々言葉を返している。
「殿下は社交場にはあまりお顔を出してくださいませんから。その分、わたしたちの間ではお噂が絶えませんのよ」
「皆さんミーシャのことが気になっていらっしゃるそうよ。わたくしも知っていただきたいわ、ミーシャがどれほど知的で聡明な人か……」
内心、アイシャは腹立たしくて仕方がなかった。この令嬢は何より大切な姉を、ミーシャを嘲るつもりなのだと。誰より優れた知性を持ち、平静を保つ姉がそこらの令嬢に名誉や心を傷つけられることなどないと分かっていても、気が気ではない。
これ以上余計な口を開かないように、とアイシャが会話の軌道を変えようとするも、火のついたエリザが言葉の意図を察することは無かった。
「ええ、ですから気になりますわ。そちらの殿方とはどんなに楽しいお話をされていらしたのですか?」
「……あぁ、宰相と議員の皆さんが集まっていらしたものですから。少しでも知見を得ようと、政策について少しばかり意見を交わしておりました」
「少しだなんて、謙虚な御方だ。殿下が王族としてお生まれになっていなければ、この宰相の座は貴方の手にあったでしょうに」
「宰相様はお優しいんですのね」
国随一の頭脳を持つ相手に認められ、対等な会話をしていることが気に入らなかったのだろうか、ありえないと馬鹿にする意図だろうか。エリザは明らかな嘲笑を洩らす。
「ええ、あたくしったら流行りの話題なんかには疎いものですから、ご令嬢達とのお話にはどうもついていけないの。……そうだわ、貴方もお時間をいただいて彼らとお話してみては? 大丈夫よ、心の広い大人達ですから、きっと丁寧に説明してくださるわ」
「ミーシャ王女殿下!」
再三相手を軽んじて冒涜する意図を隠そうともしなかったエリザは、ミーシャのからかいに声を荒らげる。親に甘やかされてきたのか、堪え性はないようだった。
王族に対する下劣な行動にとうとう耐えきれなくなったアイシャが「エリザ嬢」と冷えきった紅茶を頭からかけるように声をかけると、正気になったエリザからみるみる血の気が引いていく。超えては行けない一線に足をかけてしまったのだと、漸く気がついたようだ。
初めから大人しくしていればよかったのだと。アイシャに彼女を庇ってやるつもりは更々ない。
「……一秒さえ惜しいの、ミスティルであるこのあたくしに、このような場で無意味な時間を過ごさせるおつもりではないでしょうね?」
「わ、わたしはアイシャ王女殿下を支持いたします。民を蔑ろにするあなたに……まともに政が務まるとは思えません」
「どうぞ、お好きなように」
「エリザ嬢」
「……はい」
風が吹く度に甘い香りが春を誘うようだと、お茶会の初めに二人は笑ってそんな話をした。日が落ちたからだろうか、エリザは微かに吹く風すらも肌寒く感じて、薄いショールを手繰り寄せる。
「もう、宮廷へは足を踏み入れないでちょうだい」
「アイシャ様!」
アイシャ王女殿下は聖母のように慈悲深く、愛に溢れた微笑みを称える御方なのだと誰もが口にした。しかし今エリザの目に映るアイシャの瞳からは感情が伺えず、心が凍りつきそうなほど冷えきっている。まるで……ミーシャのように。
手遅れだなんてことは無いはずだと、一縷の希望に縋り、エリザは上質な生地が傷むことも厭わずアイシャの前に膝をつく。
「どうか……どうかご容赦くださいませ、わたしはどうしても、赤薔薇のあなたさまに王位についていただきたくて……忠誠心のあまり感情的になってしまったのです」
「ええ、わたくしたちは神様より王の素質を認められた、王族でも殊に高貴で尊い誠の薔薇です。これは王座と命……いいえ、それぞれの愛をかけた、誰にも手出しは許されない姉妹喧嘩なのですわ」
膝をつくエリザを見下ろし、後光と威厳を背負うその姿は暖かな王女・アイシャではなく、神聖で高貴なミスティル・アイシャと呼ぶに相応しく、彼女の言葉が絶対であり覆らないことを知らしめた。
とめどなく流れるエリザの涙を優しく指の腹で拭ってやり、アイシャは膝を曲げて真っ直ぐに視線を交わす。
「そして、わたくしが争いの末散った場合、あなた方が仕える王は他でもないミーシャよ。忠誠心を持たない臣下をこの宮廷に入れる訳にはまいりませんわ。……あまり、理性的ではいられないようですもの。そうね、領地で息を潜め、ひっそりと暮らすくらいが……あなたにお似合いなのではないかしら」
「では宰相様、帰路もどうかお気を付けてくださいまし」
馬車の前まで見送りをしてくれたミーシャに宰相は小さく腰を折り礼を示す。背を向けようとして、宰相は頭に残る疑問を空気を探るようにして口に出した。
「……失礼であれば、何事も無かったかのよう聞き流していただいて構わないのですが」
「では、そのまま何事も無いことにしてくださいませ」
あまりの反応に宰相が転けそうになると、ミーシャは珍しくくすくすと小さく笑った。その笑顔は、アイシャと重ねるほどによく似ている。
……度々ミーシャと宰相は政治について意見を交わす機会があった。その度、より良い案を幾らでも挙げられるはずの、誰より優れた彼女が過去の政策について掘り下げようとする行為が引っかかっていた。――彼女には不必要のその行為は、まるで誰かのために、噛み砕いて資料をまとめているようだと、そう考えるに至ったのだけれど。忠実な臣下として、彼は何も言うまいと口を閉ざす。
「ねぇ……あたくしの愛する赤薔薇は、あなたの目にも気高く、優しく……美しく、咲いていたかしら」
彼女が述べる精一杯の答えに、宰相は静かに頷きを返した。