短編
あなたのための造花
皆は言う。あたしのお姉ちゃんは、かみさまみたいな人だって。
皆は言う。あの子はなんでもないみたいに世界を救う、ヒロインだって。
そしたらお姉ちゃんはこう言うの。「それはあなたを愛してるから」。
桃色の瞳に灯火のような熱を浮かべて、そう言ったの。
女の子らしい桃色のネグリジェの光沢とふたつに結ばれた長い髪が、彼女の動きに沿って夢のような波を打つ。
アンティーク調のベッドに枕やクッションを敷き詰め、彼女はそれに背を預けて本の世界とこちらの世界の境界を繋いでいた。サイドテーブルにも、いくつかの本が積まれている。
あたしが部屋に来るまでの、お姉ちゃんの夜のルーティン。
「今日は何読んでるの?」
「全て外国の口承文学ですよ」
本を愛おしそうに眺める横顔の、その視線があたしに引き継がれる瞬間が好き。
そこには名残惜しさなんて一つも滲んでいなくて、あたしはお姉ちゃんに大切にされているって感じられるから。
「面白い?」
「ええ、大切に語り継がれてきたお話ですから。興味深いですね」
読みますか? と、積み重ねていた本の一冊をあたしに差し出す。
それを受け取ろうとして、空中で手を止めた。代わりに、遠慮のない動作でお姉ちゃんの隣に座る。触れたのは肩なのに、胸の当たりがずっと暖かい。
「んー、えー……と。お姉ちゃんに読んで欲しい。面白かったやつ教えて」
「ふふ、では、絆ちゃんが好きそうなお話にしましょうね」
自身が特別面白いと感じた話はないのだろう。
お姉ちゃんの見る物語の世界に優劣は存在しない。得た知識を自分の中に取り入れるだけ。彼女は単なる読み手ではなく、膨大な情報をただ受け止める、本棚や図書館のようだった。
「……ううん、やっぱ今度で。今日もお姉ちゃんの作ったお話が聞きたい」
あたしの膝に布団をかけながら、お姉ちゃんはごく自然に、新しい物語をオルゴールのようにいつまでも聴きたくなるような可愛らしい声に乗せて紡いだ。
あと一歩の勇気を失って後ろ向きになる度、お姉ちゃんはいつも一つ物語を贈ってくれた。弱虫なあたしの手を引いて、勇敢な物語の世界へ出迎えてくれた。
なんて事ないように与えてくれるその全てが、どれほどあたしを救っていたか、きっとお姉ちゃんは知らない。
君が語って、綴る物語が、あたしの全て。
君が居れば産毛を撫でるただの夜風だって愛しい世界の一部。
微かに揺れるドライフラワー、天蓋のベッド、花と鳥の春のモビール、彩り溢れるパレットのような本棚。
それはあたしの部屋にひとつとしてないもの。だけれど、君の持つ物はなんだってあたしの特別。だって、君はあたしのヒロイン。
だからね、あたしはそれを手放すの。
「絆ちゃんはどんなお花が好きですか?」
その問いに、すぐに答えを返すことは叶わなかった。
頭を悩ませるふりをして、目の前にあった薔薇の名を適当に口にしたら、「春薔薇、見に来れて良かったですね」って、お姉ちゃんは満足そうに微笑んだ。
薔薇の種類だとか解説だとか、あたしにはよく分からない。だけれど、お姉ちゃんの言葉に耳を傾けるこの時間が永遠になればいいのに、漠然とそう願った。
あたしは植物を自ら愛でるような感性は持ち合わせていなくて、お姉ちゃんの好きな花しか知らない。お姉ちゃんの好きな花が、あたしの好きなもの――だった。今までは。
春風にきらりと舞うツインテールが、あたしにとっての春の人が、どんなに美しく花開いた彼らよりもあたしの目を惹きつける。
「絆ちゃんが好きなものなら、一層特別に思えます。だって……」
貴方は私のヒロインだから。
咲き誇る薔薇に背を向けて逃げ出したい衝動を、無理やりあげた口角の影に隠した。
彼女の手から、口から、生み出されるものの全てを、花弁が散りゆくように一つずつ手放していく。その度に、継ぎ接ぎの愛をはめ込んだ。決して悟られる隙を作らないよう、完璧を装って。
だって、今度はあたしがお姉ちゃんのヒロインなんだから。
皆は言う。あたしのお姉ちゃんは、かみさまみたいな人だって。
皆は言う。あの子はなんでもないみたいに世界を救う、ヒロインだって。
そしたらお姉ちゃんはこう言うの。「それはあなたを愛してるから」。
桃色の瞳に灯火のような熱を浮かべて、そう言ったの。
女の子らしい桃色のネグリジェの光沢とふたつに結ばれた長い髪が、彼女の動きに沿って夢のような波を打つ。
アンティーク調のベッドに枕やクッションを敷き詰め、彼女はそれに背を預けて本の世界とこちらの世界の境界を繋いでいた。サイドテーブルにも、いくつかの本が積まれている。
あたしが部屋に来るまでの、お姉ちゃんの夜のルーティン。
「今日は何読んでるの?」
「全て外国の口承文学ですよ」
本を愛おしそうに眺める横顔の、その視線があたしに引き継がれる瞬間が好き。
そこには名残惜しさなんて一つも滲んでいなくて、あたしはお姉ちゃんに大切にされているって感じられるから。
「面白い?」
「ええ、大切に語り継がれてきたお話ですから。興味深いですね」
読みますか? と、積み重ねていた本の一冊をあたしに差し出す。
それを受け取ろうとして、空中で手を止めた。代わりに、遠慮のない動作でお姉ちゃんの隣に座る。触れたのは肩なのに、胸の当たりがずっと暖かい。
「んー、えー……と。お姉ちゃんに読んで欲しい。面白かったやつ教えて」
「ふふ、では、絆ちゃんが好きそうなお話にしましょうね」
自身が特別面白いと感じた話はないのだろう。
お姉ちゃんの見る物語の世界に優劣は存在しない。得た知識を自分の中に取り入れるだけ。彼女は単なる読み手ではなく、膨大な情報をただ受け止める、本棚や図書館のようだった。
「……ううん、やっぱ今度で。今日もお姉ちゃんの作ったお話が聞きたい」
あたしの膝に布団をかけながら、お姉ちゃんはごく自然に、新しい物語をオルゴールのようにいつまでも聴きたくなるような可愛らしい声に乗せて紡いだ。
あと一歩の勇気を失って後ろ向きになる度、お姉ちゃんはいつも一つ物語を贈ってくれた。弱虫なあたしの手を引いて、勇敢な物語の世界へ出迎えてくれた。
なんて事ないように与えてくれるその全てが、どれほどあたしを救っていたか、きっとお姉ちゃんは知らない。
君が語って、綴る物語が、あたしの全て。
君が居れば産毛を撫でるただの夜風だって愛しい世界の一部。
微かに揺れるドライフラワー、天蓋のベッド、花と鳥の春のモビール、彩り溢れるパレットのような本棚。
それはあたしの部屋にひとつとしてないもの。だけれど、君の持つ物はなんだってあたしの特別。だって、君はあたしのヒロイン。
だからね、あたしはそれを手放すの。
「絆ちゃんはどんなお花が好きですか?」
その問いに、すぐに答えを返すことは叶わなかった。
頭を悩ませるふりをして、目の前にあった薔薇の名を適当に口にしたら、「春薔薇、見に来れて良かったですね」って、お姉ちゃんは満足そうに微笑んだ。
薔薇の種類だとか解説だとか、あたしにはよく分からない。だけれど、お姉ちゃんの言葉に耳を傾けるこの時間が永遠になればいいのに、漠然とそう願った。
あたしは植物を自ら愛でるような感性は持ち合わせていなくて、お姉ちゃんの好きな花しか知らない。お姉ちゃんの好きな花が、あたしの好きなもの――だった。今までは。
春風にきらりと舞うツインテールが、あたしにとっての春の人が、どんなに美しく花開いた彼らよりもあたしの目を惹きつける。
「絆ちゃんが好きなものなら、一層特別に思えます。だって……」
貴方は私のヒロインだから。
咲き誇る薔薇に背を向けて逃げ出したい衝動を、無理やりあげた口角の影に隠した。
彼女の手から、口から、生み出されるものの全てを、花弁が散りゆくように一つずつ手放していく。その度に、継ぎ接ぎの愛をはめ込んだ。決して悟られる隙を作らないよう、完璧を装って。
だって、今度はあたしがお姉ちゃんのヒロインなんだから。