第一章 calling you

page.4 揺らめく少女・エトワール ③



 Ⅳ


 
 それからは目眩く間に話が進んだ。
 家族の手を借りながら初めて書き上げた曲はきっと色褪せることのない生涯の宝物になる。素直になりきれない等身大の姿を綴った歌詞はまだ照れくさくて、幾重にも重なったパニエで可愛らしく仕上がった衣装を纏う自分は、どこか余所行きの顔のようにおかしく感じてしまう。けれど、そんな違和感もこれから直ぐに馴染んでいくのだろう。
 毎日が御伽の魔法にかけられた気分だった。

「いよいよ明日が初めての舞台だね」
「そうね」

 夜中に尋ねてきたスピカに、エスは待っていたと言うように手を引いて、テラスまでエスコートする。
 大事な日に風邪をひいてはいけないからと、自分が肩にかけていた外套をさも当たり前のようにスピカに掛けてやる。大きな厚手の生地にすっぽりと包まれたスピカは、安心したようにありがとう、と礼を返した。
 不思議なほど、空いっぱいに星が満ちた美しい夜だった。スピカは星に詳しくないから、エスの神話や逸話を交えた語りを、心地良い彼の声に身を委ね、ただ耳を傾ける。
 エスが柵に肘を置き、体重を預ける。じっと覗き込まれたスピカは不自然な視線に眉をひそめて、機嫌を損ねた猫のような顔で眼鏡のレンズを塞いでやろうと手を伸ばした。じゃれ合うように戯れているとふと、妹を安心させるためのどこまでも穏やかな兄の音色で、スピカの名前を呼んだ。
 
「緊張が溶ける魔法、教えてあげようか」
「……兄さんてば、全部お見通しなのね」
「ええ、兄さんだもの」

 そう言うと、エスは一等明るい光を放つ星に向けて指を指す。
 
「星に手を伸ばして」
「……こう?」

 スピカはぎこちない動きで、両手で星をそっと手のひらに乗せるように、手を伸ばした。
 
「うん、そうして手のひらに包んだら……飲み込んで」

 なあにそれ。なんて聞かずに、ただエスの言うままに手を口元に運んだ。こくりと、嚥下する音が鳴る。
 
「これでスピカには星が宿った。明日は世界の誰よりあなたが輝くのだろうね」
「ふふ、なんて子供っぽいの」
「嫌いじゃないでしょう」

 子供だましのおまじない。それなのに素直に緊張は解れてしまって、肩を震わせてスピカはおかしそうに笑った。
 とっておきの魔法にかけられて、スピカは憧れたステージへ向けて、大きく足を踏み出した。



 
「奏でたい音を忘れたら、自由な音を奏でることが叶わなくなったとしたら。私はもう兄さんが好きだと言ってくれた歌は歌えない」

 全てを吐露するように、スピカは嗚咽を交えながら、途切れる声で胸の内を明かした。
 塞き止められていた感情の蓋から止めどなく本心が溢れていく。エルヴィンがその違和感に気付かないままであったのなら、きっとこの先も、誰にも悟られないよう、完璧な仮面の奥に隠して一人で抱えていたのだろう。
 
「避けられないことだと覚悟していたわ。けれど、私、歌を好きにさせてくれた兄さんたちを忘れてしまうことが、想像よりも……ずっと怖いの」

 継ぎ接ぎだらけの記憶を繋いで語る。次の記憶を澱みなく紡げるのだろうか、そんな不安から、彼女にしては辿々しく言葉を選んでいた。
 
「……スピカが偶像になったのはどうして?」

 エルヴィンの唐突な問いに言葉がつまり、咄嗟に答えることは叶わなかった。
 強くなりたかった。誰も自身を揺るがすことのできぬように。その理由が、今のスピカには思い出せない。
 
「コーリングの役割は、心の底からの強い祈りが反映されるはずだ。……君にもあったんじゃないのかな、そんな祈りが」

  命に満ち溢れるこの世界で、彼らが役割を賜ったことには意味がある。
 役割には、切実な祈りが色濃く反映される。絶対的な力を持つものの願いが独善的であってはならず、世界のためにその身を賭す確かな決意に神様が答えたのだと伝えられてきた。それは、スピカも例外ではない。
 あるはずなのだ。可憐で可愛いアイドルになりたいという願いを叶えた少女が、その先で星に目一杯手を伸ばした切なる祈りが。
 スピカは記憶を探るが、その表情は冴えない。芳しくない様子のスピカを見て少しの間考え込んだエルヴィンは、スピカにとある提案をした。

「僕がスピカの記憶を見ても不快に思わないかい?」
「構わないけれど……それは、いったいどうして?」
「......管理人に怒られないといいのだけれど」

 そう言って、エルヴィンは静かに瞼を閉じる。次に目を開いた時、彼の手には一冊の本が置かれていた。
 
「君の目の前に居るのが記録のコーリングだということを忘れていたようだ。さぁ、君の口から僕に教えて。神様が見た、スピカの気高い覚悟を」

 そういって、エルヴィンはその本を大切な物に触れるような優しさでスピカに差し出した。
 震える手で、スピカは微かにその本に触れる。その刹那、忘れていた記憶は、急速に色を取り戻し彼女の脳を鮮やかに駆け巡った。



 Ⅴ
 


「今なんて言ったの?」
「……詳しい情報はまだ届いていませんが、例の自然災害に、ご主人様達が巻き込まれた可能性があると……」
 
 アイドル活動にも慣れた頃、世間に影を差していたのは、後に"ミスタ崩壊"と呼ばれる未曾有の大災害だった。
 初めは小さな地震から、それを引き金にして津波、地割れ、山崩れ……思いつく限りのあらゆる災害が、人ひとり逃さんと言うばかりに世界各地で頻繁に発生する地獄絵図。誰かが想像する閻魔だってこんな惨事を見舞うことは無いだろう。
 国民は、いずれクロックフィールドにも到達するであろう被害に恐れを抱いたまま毎日を過ごし、国全体が陰鬱な空気で包まれていた。
 国外に住む伯母から演奏会の誘いを受けて、家族全員が外国へと足を運んだのは、一ヶ月ほど前のことだ。
 勿論スピカにも招待状が届いたけれど、目前に控えた自身の公演の日程をずらす訳にも行かず、欠席の旨を伝えた。どうか気にせず会いに行って欲しいと笑顔で送り出したばかりだというのに、どうして。
 何も無かったよと、変わらぬ笑顔で戻ってきて欲しい。寂しかったの? なんてからかったって構わないから、いつものように私を安心させて欲しい。愛してやまない音を聞かせて欲しい。そんな祈りを何度も星空に向けて捧げた。
 それが一週間、一ヶ月、二ヶ月と続いて、大切なものがもう戻らないことを知る。
 新たなコーリングがクロックフィールドを襲った例の災厄を食い止めたと国民に希望の兆しを見せ、新たな英雄譚が誕生しようとしているでさえ、楽器が保管された部屋で、スピカは小さく蹲っていた。今は弾く勇気がなくても、こうしていれば、家族の音に包まれている気がして。

「父さん、母さん、兄さん……ねぇ、私がまた立ち上がれると思う? そんなに強くないって、強がりなばかりだって、本当は知っているくせに」

 与えられたものは、またこうして奪われる。掴んだはずの道標が手のひらから零れて、迷子になる。今度はもう、手を引いてくれる人はいない。
 そのはずなのに。一際輝くその星の囁きが、確かにスピカを呼んだ気がした。

「……一番星」

 夕食に手をつける気にもなれず、静寂に包まれたエスの部屋のバルコニーに足を運ぶ。見上げた空に浮かぶひとつの光に、いつしか見蕩れていた。
 どれほどそうしていただろうか。時間が経ち、やがて空は星に満ち、覆い尽くされる。いつしか、一番星の隣はたくさんの光で溢れている。そうして、ひとりじゃないことを知る。とめどなく流れる涙で星空がぼやけても、もうひとりじゃないことを、忘れることなど、出来やしない。

「一番星になりたいなぁ……」

 家族を失い、孤独になった今も、孤独になりきることは出来ない。これまで彼らに与えられた全てが、スピカの耳に賑やかに鳴り響いている。
 
「聞いてくれる? こんな状況で新しい夢ができたの。笑ってしまうほどに、無謀なことよ」

 涙を拭い、彼方の空に語りかける。

「必ず、世界を照らす星になるわ。だって、誰も私から音を奪うことはできないんだもの」

 世界は今、同じ暗闇に立たされた人々で溢れている。
 ――なら、今度は私が誰のことも孤独になんてさせない。そっと寄り添う星のようになろう。明日を見失わないための、導となる光のような、そんな存在になろう。
 あの日のように、一等眩しい星へと手を伸ばし、飲み込んだ。星の形をした大切な記憶、そして新たな夢が喉を通り、胸へと溶けていく。
 その時、闇夜を照らす燦然とした光がスピカの体を優しくを包み込んだ。祈りに答えるように、光芒は手を差し伸べて少女を迎え入れる。
 そうして、春の夜空に偶像のコーリング、スピカは生まれた。


 

 忘れたくなかった家族との思い出と決意。ぼやけていたそれらの輪郭が形を取り戻していく。
 
「そうよ。星のようなアイドルになりたいんじゃない。あの時、星になるって決めたの」

 自分を一人にさせない家族の存在があったから立ち上がれた。その家族との記憶までもが奪われようとした時、初めて孤独への恐怖心がスピカの身を覆い尽くした。暗がりに閉じ込められて、世界にひとりぼっちだと泣く子供のように。
 だけれど、それが地続きの人生であることを知ったなら。自身がコーリングである限り、輝きを失わない限り、夢も、旋律も何一つ歪むことは無い。あの日飲み込んだものの全てを奪われることは無いのだろう。
 
「スピカ、君が何度大切な記憶を忘れてしまったとしても、僕が探してきてあげる。いつでも語ってあげよう。だから……頼って欲しいんだ。……僕らは仲間なのだから」

 エルヴィンが差し出した手を、スピカはぎゅっと握った。照らすのではなく、照らされたようにはにかんで。家族にはこんな風に笑いかけていたのだろうと、かつての彼女を想起させるあどけなさの残る笑顔だった。
 運命的な仲間との出会いを大切にして、どうか一人にならないで欲しい。
 いつか、エルヴィンに向けてアプリコットはそう言った。だからこそ、孤児だった彼女のため血縁関係にあるスピカを連れていけば彼女は一人にならないと、そう信じた。だけれど、産みの親に見捨てられた彼女達は運命を共にする相手を自ら選びとった。「絆ぐ」ということは、歩み寄って差し出した手を、そっと握り返して貰うことなのだと。互いが互いを選択する事なのだと。そんな当たり前のことを今になって理解する。
 人生で何度、アプリコットに大切なことを教えてもらうのだろう。エルヴィンは、記憶の中で踊るように駆ける無邪気な最愛の妻の姿を思い浮かべた。
 
「ありがとう。けれど、私きっともう揺らがないわ。どれだけの月日が流れて、私が覚えていられるものが役割だけになったとしても、世界で一番眩しく輝いてみせる」

 エルヴィンが意識をスピカへと戻した時、既に少女の面影は何処にも無く、偶像に相応しい一等星の輝きを持ったアイドルだけがそこに立っていた。

「……でも、そうね。私のことを、ちゃんと見ていて。また下を向いていたなら貴方が叱ってちょうだいな。ほら僕が合ってた、なんて皮肉みたいに笑って。喧嘩でもしましょう」

 冗談めいた言葉でからかって、スピカは悪戯な顔を浮かべた。それに。スピカは心の中で、くすりと笑う。
 どうしてこんなにもたくさんの星に溢れた世界で、孤独だなんて思えたの?
 今日のステージからの景色を思い浮かべる。自身の音に、たくさんの音を返してくれた星々の姿を。きっと孤独に寄り添うことは、同時に誰かに寄り添われているということなのだ。


 

「すっかり遅くなってしまったわね。引き止めてごめんなさい」
「気にしないで。またライブにも足を運ぶよ」

 会場を出ると空の色はすっかり深く染まっている。時刻は既に二十二時を指していた。
 会場から近いホテルに宿泊するスピカとは違い、エルヴィンは自身の家に帰宅する。それは毎日欠かさずアプリコットにおやすみを言うためで、それ以外の理由は無いが、必ず欠かすことの出来ない日課でもある。
 
「……ねぇ、エルヴィン!」

 簡単な別れの挨拶を済ませて背を向けたエルヴィンを、スピカは引き止める。
 
「エルヴィンの大切な人……アプリコットの話、また今度聞かせてちょうだい! あなたの大切な思い出、私も覚えていたいわ!」

 それは素敵なお誘いだと。表情を緩ませた直後、強い頭痛にエルヴィンの表情が大きく歪んだ。
 異変に気付いたスピカが手を伸ばした時には遅く、意識が遠のき、エルヴィンはその場に倒れ込んだ。


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