第一章 calling you

page.4 揺らめく少女・エトワール ①



 I


 
  チケットを手にライブ会場へ足を運んだエルヴィンは、やや落ち着かない面持ちのまま、指定された席へと静かに腰を下ろす。
 これまで舞台には幾度となく足を運んでいたものの、アイドルの公演を目にするのは初めてのことであった。身の置き方が分からず、浮いていないことを確認するように周囲に視線を彷徨わせる。変装のつもりでフードを目深に被りサングラスをしたけれど、自分の身分がバレて大事に至ってしまうのではないか……そんな懸念に穏やかではいられない。
 ふと、隣から啜り泣くような掠れた音を拾う。それに限らず、開演を待つ彼女のファンであろう人々は、皆それぞれにその顔に苦悶の色を浮かべている。その姿は救いを待つ信者を連想させた。
 ……この人々を、救うのか。たった十六歳の女の子が。彼女が背負った重圧にエルヴィンが息を飲むのと同時に場内の照明が落ち会場が暗転する。やがてオープニングが流れると、真っ暗な夜に満ちた空間でスポットライトの光を一身に背負った少女が、広いステージでただ一人、一番星のように輝いていた。

 公演終了後、招待された楽屋へと案内されるがままに足を運ぶと、アイドル衣装から簡素で品のあるデザインの黒いワンピースに着替えたスピカがエルヴィンを出迎えた。日頃華やかなアイドル衣装に包まれた彼女ばかりを見ていたエルヴィンが見慣れない格好に珍しいと声を洩らすと、スピカはライブ後の後はファンに会うことがないから普段はこんなものだと苦笑した。チャーリーも招待したけれど、ファンの身でとんでもないと泣きながら帰ったそうだ。子供のような複雑な泣き顔が嫌という程鮮明にエルヴィンの頭によぎった。
 
「来てくれてありがとう。ライブはどうだった? 貴方に宣言してから新たにインスピレーションが湧いたっていうか、指標が定まったっていうか。ライブの構成も少し変えてみたのよ」
「とても良い公演だった…………」
「やだ、号泣じゃないの」

 ライブの映像を脳裏に浮かべ突如号泣し始めたエルヴィンにスピカはぎょっとして、テーブル越しにハンカチーフを差し出しかける。しかし、ファンからの頂き物であったことを思い出して躊躇していると、すかさず控えていたリズが部屋に置かれたティッシュを手渡した。
 エルヴィンがリズの手をそっと制し、持ち歩いていた自身のハンカチーフを取り出すと、そこにあしらわれた赤色の刺繍にスピカは目を細め凝視する。……潰れたトマトにしか見えないが、装飾を施したのがアプリコットだとするならば、彼女が好きだという林檎だろうか。貴族の彼が拙くも真心の込められたプレゼントを愛用している様子は微笑ましい。
 顔を合わせた時から赤く腫れた目が目立っていたが、この様子ではどうやら公演中にも泣いていたようだ。しばらくして呼吸が落ち着いた頃、小さく鼻を啜ってようやくエルヴィンは口を開いた。
 
「まず、一曲目は君の定番曲らしいね。僕だとは気が付かなかったようで、公演終了後に君のファンが気さくに教えてくれたよ。万人が受け入れ安い曲調が僕のような新参者でも世界観に没頭できてよかった」

 前半はマーチング衣装や風船のような舞台セットが青空の背景に映えて鮮やかな印象を受けた。後半のバラード数曲でハープを演奏していたことの多才さにも驚かされた。照明が落ちてからはプラネタリウムに切り替わり、色とりどりのステージセットから全く新しい舞台を作り上げた技術が素晴らしい。後半で着ていたの純白のドレスは星々に囲まれたステージの中でまさに一番星のように感じられた。アンコールの曲では人々に寄り添うような歌詞が散りばめられていて、スピカらしい応援歌だった……と、エルヴィンが一通りの感想を語り終えるまでに数十分が立っていた。

「……何故そんなに震えているの?」
「構成の拘りを汲み取ってくれたことがあまりに気持ちが良くて……ふふ、ありがとう。 まさかあなたが泣くほど感動してくれるだなんて、招待した甲斐が有るってものだわ」

 アイドルとして活動する中、スピカはこれまでも交流イベントなどで直接感想を耳にしてきた。だけれど、何度経験してもこうして熱の篭った姿を見るのは胸に染み入るものがあって。演出やセットの細部の意匠を余すことなく拾ってくれるのは几帳面なエルヴィンらしい。
 芸術鑑賞の場において意見交流に慣れているエルヴィンは概念的要素に散らばる言葉を的確に置き換え感想を述べるのは得意な方ではあるが、それを抜きにしても、彼が生き生きとした様子で語る姿を見れば十分に楽しめたことは明白だろう。
 空気を一新するように、スピカは軽く背を伸ばしてパイプ椅子に座り直す。
 
「それで、考え方は変わった?」

 どこか期待するような彼女の言葉に、エルヴィンは決まりが悪そうな表情を浮かべる。そもそもこの招待状は、彼らが歩み寄り、理解し合うためのチケットだったのだから。
 
「……正直に言うと、自分がどうしたいのか分からないんだ。たくさんの事が絡まりあって、雁字搦めになっているようで。君の言い分も、この歌が今のミスタに必要であることも理解しているつもりだよ。でもね、出来ることなら誰にも犠牲を払って欲しくなんかない。……君が国の現状や役割に誠意を持って取り組む姿を見れば、理解する他ないようだったけれど」

 エルヴィンは立ち上がると、胸元に手を添え、彼女の活動に対し賛辞と敬意を込めて「招待してくれてありがとう」と深く頭を下げた。
 等しく不条理なこの世界で、平等に不幸が降り注ぎ辛酸を嘗める思いをした人々の中で、誰か一人が犠牲を引き受けることが正しいだなんて思わない。だけれど、そんな世界で自らの役割を受け止めた彼女の崇高な決意を否定するのであれば、それに足る対案と決意が必要なのだと。意志を持ちステージに立つ彼女はそれほどの説得力を持ち合わせていた。
 スピカはただ、「そっか」と一言零し、まだ迷いを払拭しきれないエルヴィンを否定することは無かった。

「そうだ、君の歌……王宮の庭園で出会った時にも感じたけれど、靄が晴れるという言葉が相応しいかな。心が安らいで、晴れやかな気分だったよ。歌うことで発動するとはこの事だったんだね」
「ええ、私の歌声には精神作用の効果があるそうよ。私はアイドル以外にはなれないし…… 天職コーリングとはまさにこの事ね」
「演奏技術に置いても目を見張るものがあったし、流石音楽一家であるブライト家の娘だね。……また話をしたいものだ」

 弾かれたようにスピカが立ち上がり、ガタン、と椅子が地面に強くぶつかる音が部屋に響いた。
 突然の事にエルヴィンがスピカを見上げると、強い衝撃に頭を打たれたような、冷静さを失った彼女がいた。喉元に迫った感情を必死に飲み込みながら、どこか縋りたい様な様子で、スピカは言葉を絞り出した。
 
「私の家族のこと、知ってるの?」
「……何度か顔を合わせた程度は。引き取ったという娘さんと君が結びつくまでには、時間がかかったけれど」
「そう……そうよね。アイドルになるまで屋敷にこもっていたから、家同士の関わりだとか、社交には疎くて」

 平然を装い、大きな音を立ててごめんね、となんでもないように笑う。再び腰を下ろすと、ギィ、と軋む椅子の音が、どこか力無く鳴った。だけれど、彼女の瞳に浮かんだ縋るような影を見過ごせるほど、エルヴィンは無関心ではいられない。
 踏み込むことは、それほどリスクのあることだと思う。人を救える希望を含むのなら、等しく傷付けることもあるだろう。それはきっと、天秤に釣り合うはずだ。それでも、あの日スピカはエルヴィンに伝えた。知り合おうと、知らなければいけないということを。他でもない彼女がエルヴィンにそう教えてくれた。
 
「……何かあったのだろう」
「え? なにもないわ」
「そうかな、本調子ではないように見えるのだけれど」
「大きなライブは久々だったから……疲れてしまったのかも。ちょっぴりね。だけど、私アイドルだもの。疲労程度で弱音なんて吐いていられないわ」

 自己犠牲を愛とするスピカとそれを歪と見倣すエルヴィン。その相容れぬ性質から衝突することはあれど、スピカの笑みは僅かな光さえも受けて堂々と輝く刃のように毅然としてエルヴィンの目に映っていた。目の前の彼女も、さして変わらない笑みを浮かべている。だけれど、エルヴィンは彼女の強靭な精神の結晶化のような瞳の先を想像する。――たとえば、偶像の仮面に埋もれて息が出来なくなってしまっているのなら? 見知らぬふりをして、少女の拍動がそっと、静かに鳴りやんでしまったのなら。

「図に乗らないで欲しいね。僕は君のファンじゃない」
「……はい?」

 唐突に投げられた刺々しい言葉に、スピカは訝しげにエルヴィンを見つめる。そんな視線を気にも止めず、エルヴィンは徐に立ち上がり、スピカの隣へと座った。
 彼女が歩み寄ってくれるのならその全て受け止めると、そんな思いが伝わるようにと祈って。
 
「でもね、仲間だろう。だから……心配しないで、話してご覧」

 スピカはどんな時も偶像だった。
 大きな試練に痛嘆する最中、笑い方さえ忘れかけた人々のために、いかなる時も陰りのない歌声と笑顔を世界に響かせてくれた。光の喪失が進む世界の絶対的な光でいてくれた。それは、同じく役割と運命を授かった仲間の前でさえも。
 そこに至るまでにどんな決意があったのか知り得ることはなくても、少なくともエルヴィンの知るスピカは偶像であることに矜恃と使命を抱いていた。だからこそ、その仮面を崩すことで起こり得る彼女の逡巡もほんの僅か、小指の先くらいは理解出来ているつもりだ。
 だけれど、酷いじゃないか。エルヴィンは稚拙な怒りにも似た気持ちで、口を結ぶ。
 ――誰より痛みを分かち合えるのは、同じ試練を背負う僕らコーリングなのに、管理人も、スピカだって、僕を一人にしないのに。君たちはその優しさで僕を遠ざけてひとりぼっちじゃないか。これではまるで似た者どうしの不器用な意地の張り合いじゃあないか!
 
「お願いだから、どうか一人で背負わないで」

 ――ああ。これは、あの日アプリコットに伝えたかった言葉だ。記憶に染み付いた後悔が過り、自嘲する。頬でも抓ってやりたいほど。
 エルヴィンの真摯な願いに、スピカの清冽な瞳が大きく揺れる。その姿はまるで普通の、十六歳の少女だった。少女は恐れるように口を開く。震えて、細く空気が漏れて。ただの少女としてやっと形にした声は、なんだかひどく不格好に思えた。
 
「……この間、貴方の宮殿にお邪魔した日に、チャーリーの歌を聞いたの。……歌っている時の彼、心から楽しそうだった」

 思いがけない名前に、エルヴィンは不思議そうに小さく首を傾げる。スピカは下を向いて、自身の両腕を抱きしめるように抱いた。強がって、震えを収めるために握った袖には強くシワが寄せられている。

「それで気が付いたの。もう、いつからかははっきりと覚えていないけれど、最近のライブ……歌っていて、楽しいだなんて思ってなかった。私はアイドルだから、偶像だから。それがステージの上で生きることを選んだ私の責務で、使命だからって」

 俯いたまま、スピカは静かに言葉を続ける。マイクを通したように明るく響き渡っていたスピカの声は、今は取りこぼしてしまいそうな程、儚く消えてしまいそうだった。独白を零すように。あるいは、空気に交じって消え入るみたいに、聞かなかったことにして欲しいとでも言うように。
 
「私、いつから責任感で歌っていたのかしら?」
「……役割の、代償?」

 管理人から再三聞かされていた言葉が、ふとエルヴィンの脳裏を掠める。
 どれほど大切に抱いていた物でさえも無慈悲に奪われる果てしないコーリングの代償。本来管理人により定められた頻度で役割を使用する他のコーリングとは違い、例外であるスピカは毎日のようにステージに立ち役割を果たしていた。先に役割を賜ったエルヴィンよりも遥かに早い段階で代償を受けるのは当然なのだろう。
 一度発露した感情が留まることはなく、顔を上げたスピカは、今にも泣きだしそうな顔をしていた。
 
「どうしようエルヴィン、私大切なことを忘れていたの。忘れちゃいけないことを忘れたの」
「スピカ、落ち着きなさい」
「だって歌は! ……私にとっての歌は、兄さんたちとの大切な思い出なの……」

 悲嘆を叫ぶような声が、静寂を守っていた控え室に重く、長く響いた。


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