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第4回戦 たすきを繋げ!

「いいのぉ、会長? 意見変えちゃって」
「いいわけないだろ。でも、役員の意見を尊重するのも会長の役目だ」

 私たちは炎天下の中、マラソン大会の廃止を訴えに体育科の先生の元を訪れることになった。
 結局、議題会は秋元が意見を反対から賛成に変え、4人が賛成となり可決された。ここまで素直に意見を変える秋元は珍しく、何かを企んでいるのではと勘ぐってしまう。

「まあ、オレが目立つ場面が少なくなるのは悲しいな」

 この人、ただ自分にスポットライトが当たってほしいだけだったのだ。後々聞いてみると、走ること自体は別に好きでも嫌いでもなかったらしい。目立ちたいがために運動部を押しのけて1位を取る秋元も凄いが。

「いた、安藤先生だ」

 秋元が遠くから指さした先生が、2年生の体育科の先生兼、陸上部の顧問である安藤先生だ。前回見たときよりも一段と肌が黒くなっている。こんな炎天下の中、練習を見ているのだから日焼けもするだろう。

 私たちはグラウンドに足を踏み入れ、安藤先生の元へ向かった。

「よお、秋元。ようやく陸上部に入部する気になったのか?」

 突然の訪問にも関わらず笑顔で出迎えてくれた安藤先生は、フレンドリーで生徒から人気のある先生の一人だ。秋元のヤツ、陸上部から勧誘されているの? しかも『ようやく』と安藤先生が言っているあたり、何度も勧誘を受けているのだろう。

「いや、今日はこいつらも一緒で」

 秋元はそう言って、後ろにいる私たちに目線を移した。安藤先生と目が合った私たちは会釈をする。

「あれ、生徒会も一緒だったか。もしかして、うちの長谷川を取材に来たのか?」

 一瞬、誰かと思ったが議題会前の出来事がパッと思い浮かんだ。美雪が手に取った『志木折だより』のインタビュー欄に載っていた、陸上部主将の長谷川先輩のことだ。

「あー……。それも違う」

 秋元が苦笑いしながら、議題箱に入っていた手紙の内容や議題会で審議した内容を説明した。それを聞いた安藤先生は大きく笑いながら、秋元の肩を叩いた。

「それは無理なお願いだな。志木折中の伝統をなくすと言っているようなものだよ」

 長年続けられている行事であることは確かだ。まあ、私たちもマラソンをなくすことは無理だということは初めからわかっていた。持久走が嫌いな人がマラソンをなくしてくださいなんてお願いは、ただのわがままなのだから。

「じゃあ、提案だけど――」

 そう言って秋元は、これから散々非難されることになる爆弾発言をした。

「陸上部と持久走で決闘して、オレたちが勝ったらマラソン廃止なんてどうだ?」
「はあ!?」

 もちろん、私たちは全くの初耳だったため3人が同じ反応を示した。突然決闘宣言をされた安藤先生も苦笑いしている。

「そこは秋元と陸上部で、じゃないのか?」
「いいや、生徒会と陸上部だ!」
「……その、後ろの役員たちが凄い顔をしているけど」

 凄い顔なんてものではない。完全な巻き込み事故だ。私は今、秋元を地面に埋めたい衝動に駆られている。もしかして、この生徒会VS陸上部の決闘を初めから狙っていたのではないかと思うほど自然な流れだった。いや、完全に事前準備していたに違いない。

「……いいよ。その決闘、受けようじゃないか」

 安藤先生は言う。

「よしきた!」
「いやいや、待ちなさいよ! ちょっと先生、私たちそれ聞いてな――」

 私は走って近づいてきた秋元にぐいと腕を引っ張られ、危うくバランスを崩しそうになった。秋元の顔が近づいた状態で、耳元でささやかれる。

「これを志木折だよりのネタにすればいい」
「なっ……!」

 そう言って秋元は私の腕を離し、安藤先生の元へ戻った。

「とはいえ、素人集団だから練習する時間がほしいんだけど」
「ちょうどいい。こっちも大会があるから、終わって落ち着いた頃にやろう」


☆  ★  ☆


「会長のバカ! なに勝手に決闘申し込んでんのぉ!?」
「そうよ。相手は陸上部なのよ? いくら志木折だよりのネタになるからといって、こんなの勝てるわけない上に記事にしたところで恥をかくのは私たちなんだから!」

 私たちは生徒会室に戻ってきた。生徒会女子たちに散々非難されて耳をふさぐ秋元の横で、モッチーが魂の抜けたような顔をしている。非難する気力すらもないのだろう。

「だーかーらー! 恥をかかないように練習するんだよ」
「信じられなあいっ! わたしの中2の夏休みが持久走の練習になるってことぉ!?」

 美雪が秋元の椅子を脚を容赦なくガンガンと蹴っている。いや、そう考えると本当に信じられない。

「でもよぉ、安藤先生がオレたちが勝てばマラソン大会廃止って約束してくれたじゃねーか。あと柊、オレの椅子蹴るのやめろ。壊れる」
「陸上部に勝つなんて絶対に無理って遠まわしに言われてるのよ。わからないの?」

 生徒会のお遊びに付き合ってあげる程度のノリで安藤先生は承諾したのだろう。相手は長距離で全国大会に出場するレベルの選手もいるくらいに強い。向こうが手を抜いても余裕で勝てるはず。
 美雪はようやく秋元の椅子を蹴るのをやめて自分の席に座った。

「はあ~。わたしの中2の貴重な夏休みを犠牲にしてまで、マラソン大会をなくしたいとは思わないよぉ」

 来年の今頃は受験勉強に明け暮れているだろう。そう考えると美雪の言う通り、好き勝手に夏休みが楽しめるのは中学2年生のこの時期のみだ。

「志木折だよりのネタ提供とは言いつつ、結局あんたがやりたいだけでしょ」
「何言ってんだ! 生徒会全員の絆を深めるためには、もってこいの決闘じゃねーか」
「逆に溝が深まってるけどねぇ」

 美雪はそう言って、遠い目をしているモッチーを見た。絆を深めるやり方なんて、他にいくらでもあると思うが。

「よし! じゃあ、さっそく明日から練習だな。体操着持って来いよ」


☆  ★  ☆


「おーい、春樹! いつまで日陰で休んでるんだよ」

 秋元の声がグラウンドに響く。
 翌日、午前中にグラウンドの一角を貸してもらうことになった私たちは、持久走の練習をすることになった。この日の気温は30℃越え。雲一つない快晴だ。外に出ているだけでも蒸し暑さで滝のように汗が出てくる。運動部はいつもこんな炎天下の中、毎日練習をしているのかと思うと本当に凄い。

「こんな暑い中、走りたくないよ。第一、マラソン大会は冬じゃないか」
「冬に中止の決定だと急すぎるだろ。決めるなら夏のうちじゃないと」

 安藤先生にマラソン大会の廃止を交渉に行ったきり、秋元とモッチーの仲は少し険悪になっていた。それもそのはずだ。持久走が生徒会で一番嫌いであろうモッチーが、秋元の勝手な判断で決闘をすることになり、こんな蒸し暑い中、持久走の練習をすることになるなんて地獄以外の何物でもない。秋元を恨むのも当然だ。

「やめなさいよ、秋元。別に無理に参加にしなくてもいいじゃない。マネージャーとかはダメなの?」

 私はモッチーをグラウンドに引き戻そうとしている秋元を止めに行った。

「議題会で決まった以上、生徒会全員で走らないとダメだろ」
「そうだけど……」
「わかったよ、じゃあ練習を見てればいい。その代わり、決闘本番は参加しろよ」

 秋元はモッチーにそう吐き捨てるように言うと、その場を離れた。

 その後も練習は休憩を取り入れつつも続け、ついに私の水筒に入っていたスポーツドリンクはすべてなくなってしまった。

「はあ。飲み物、多めに持ってくればよかったな」
「なんだ。お前の、もうなくなったのか?」

 隣で水分補給をしている秋元に声を掛けられた。

「オレの飲むか? まだあるけど」
「余ってるの?」
「まあな。暑いのはわかってたし、多めに持ってきた」

 そう言って秋元は、自分が飲んでいた水筒を私に差し出した。

「……は?」
「なんだよ、飲まないのか?」
「え、いや……。その」

 いやいや! それ、秋元の口つけた水筒じゃん! 多めに持ってきたって、別でペットボトルとかあるのかと期待していたら、まさか自分が飲んだものを差し出すなんて!

「い、いらない。やっぱり、喉かわいてない」

 私は秋元から差し出された水筒を断った。秋元はまんざらでもない顔をしているが、冗談じゃない。一応、私も女子なんだけど。秋元が飲んだものを私が飲めば――。これ以上考えるのはやめた。気持ちを切り替えて、暑さにうなだれる美雪と練習に参加する。

 しかし、秋元から水分を断ったことで後悔する出来後が起こった。

「……地震?」

 私は走っている足をピタリと止めた。地面が揺れているような、船酔いのような、ふわふわとした感覚に気持ち悪さを感じた。いや、違う。揺れているのは地面ではない。自分だ。
 そう思った瞬間、身体のバランスが保てなくなり、私は地面にしゃがみ込んだ。

「夕夏ぁ!」
 前を走っていた美雪が私を振り向き、駆け寄ってきた。続いて秋元、階段に座って練習を見ていたモッチーも来た。

「ほら見ろ。水分取らないからこうなる」

 秋元の声が聞こえる。気遣いの言葉一つもないのかと思ったが、言い返す元気もないので言葉には出さないでおいた。

「水野さん、大丈夫? 夏休みだけど保健室開いてるから――」
「オレが連れていく」

 モッチーの言葉を押しのけて、秋元は私と同じ目線まで姿勢を落とした。

「ほら、乗れ」
「別に、歩けるわよ」

 私は立ち上がろうと思い、両足を踏ん張ったが力が入らなかった。

「バカか。こんな状態で無理だろ。おまえらはオレが戻るまで休憩してていいぞ」

 秋元は美雪とモッチーにそう言うと、私は無理やり秋元の背中に乗せられた。

「重っ」
「うるさいわよ」

 私は背負われている状態でガシガシと秋元の足を蹴った。

「なんだよ、元気じゃねーか」

 私と身長が同じくらいで細身の秋元だが、私を背負って歩けるほどの力があるのは、やはり男子だからなんだろう。


☆  ★  ☆


 体調不良で保健室にお世話になるのは、入学してから初めてかもしれない。

「……なるほどね。それで、生徒会はいつから運動部になったのよ」

保健室に到着した秋元が事情を説明すると、先生は呆れながらも出迎えてくれた。保健室の先生とも仲良く話しているあたり、秋元の顔は広いようだ。生徒会長だからというのもあるかもしれないが。

「軽い脱水症状だから、とりあえず飲み物を飲んで座っているといいわよ」

 私は保健室のベッドに深く腰掛けると、常温の経口補水液を少しずつ口に含んだ。体中に染みわたるような感覚で、船酔いのような違和感も次第になくなっていった。

「それにしても涼しすぎる……。この保健室のクーラー、生徒会室にほしいんだけど」

 秋元はクーラーの真下で風を直に受けている。

「それは無理ね。蒸し暑い保健室なんか、身体が休まらないわよ」
「だって、扇風機なんて全然涼しくないし」

 私はまたクーラーの設置で決闘をするとか言い出すのかと思い、内心ビクビクしていた。しかしそのようなことはなく、秋元は視力検査をしたり、雑誌を読んだりと、家にいるときのような自由さで涼しい保健室を満喫していた。もしかして、自分が涼みたかったから私を率先して保健室に運んだのでは?

「落ち着いたらしばらくベッドで寝てるといいわよ、水野さん」

 しばらくして先生が様子を見に来ると、そう言われてカーテンが閉められた。炎天下の中で長時間練習するのは控えるようにと、先生が秋元にアドバイスをしているのが聞こえる。私は足をベッドに乗せ、横になった。

「じゃあ、オレは戻るから」

 落ち着いたらグラウンドに来いよと付け加えて、秋元は保健室を出ていった。まだ練習するつもりなのか。

 秋元が去って静かになった保健室の天井を見上げながら、私は秋元から水分を貰わなかったことを後悔していた。あの時に飲んでいれば、保健室にお世話になることも、秋元に背負って運んでもらうこともなかったかもしれない。後で運んでもらったお礼を言わなくてはと思った。

 しかし、なぜ素直に水筒を受け取らなかったのだろうと考えた。秋元はただの友達だ。別に間接キスとか、いちいち悩む必要はなかったのではないか。たかが、こんなことで意識しているなんて。

 ―――これじゃ、まるで私が秋元のことを……。

 いやいや、そんなはずない。彼は小学生から仲良くしてきた友達にすぎない。秋元は私に水筒を差し出したとき、全然気にしている様子はなかった。意識しているのは私だけだ。でも、何でこんなに悔しいのだろう。そんな疑問を胸に、私は眠りについた。
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