第9回戦 生徒会長のキミへ
秋元が入院している志木折総合病院は志木折市内でも大きな病院の1つだ。
ある日の放課後、私はバスに乗ると完成した袋に入った千羽鶴を膝の上に乗せて、空いている一番後ろの椅子に座った。本来だったら隣に2人座っているはずなのだが……。
美雪とモッチーは用事があるからゴメンと言って、生徒会室にも寄らずに帰ってしまった。こんなに偶然、しかも2人そろって直前になって用事があると言われるとは思わなかった。
――結局、私1人で秋元に会うのか……。
彼の元気な顔を見たい気持ちもあるけど、ちゃんと顔を見て話せる自信はない。千羽鶴を渡して、さっさと帰ろう。
私は通学バッグの中から、くしゃくしゃになった1枚の折り鶴を取り出した。結局、上手に折れないまま千羽鶴の仲間入りをすることはなかった“それ”をお守り代わりにコートのポケットに入れた。
バスを降りて病院まで歩くと、志木折総合病院の小児科病棟まで足を運んだ。それにしても、広い病院だ。ここに来るのは5歳以来だけど、また広くなった気がする。
私が天井から吊り下げられている道案内の看板を見ながら歩いていたときのことだった。
「わっ、ごめんなさい!」
誰かにぶつかって、とっさに私は声を上げた。目の前には、小学校低学年くらいの小さな男の子が立っていた。パジャマを着ているので、ここに入院している子供なのだろう。
彼は誰かから逃げるように、あっという間に私の目の前を走り過ぎていった。
「ごめんなさいね、大丈夫だった?」
後ろから走ってきた看護師さんが私に声を掛けてくれた。
「大丈夫です。こちらこそ、よそ見をしていてすみません……」
「あの子、薬が嫌いだからっていつもあんな感じなのよ」
看護師さんが困ったように深いため息をついた。看護師さんも大変だ。
「あら、千羽鶴?誰かのお見舞いかしら」
私が手に持っている大きな袋を見ながら看護師さんは言った。
「はい。同級生のお見舞いです」
「それなら、受付でその子の名前を言ってもらえれば病室を教えてもらえるわよ」
私は教えてもらったお礼を言って頭を下げると、看護師さんは逃げた男の子の元へと速足で向かっていった。
あの男の子、今にも泣きそうな顔をしていたな。逃げ出すくらい辛い治療なのかしら。
―――秋元も、あんな感じだったのかな。
そう考えると、胸が締め付けられるような思いだ。
「あの、秋元拓海くんのお見舞いに来たのですが……」
受付に着いた私は、持ってきた千羽鶴の入った袋を見せるように言った。
「秋元くんのお友達ですかね」
「はい。同級生です」
「ごめんなさいね。秋元くんは今、ご家族の方の面会しか許可が下りていないんですよ。治療で免疫力が下がっているから、風邪がうつると悪化しやすいんです」
せっかく来てくれたのに、と看護師さんは付け加えた。
「……え?」
頭が真っ白になった。
「千羽鶴はこちらでお預かりして、あとで秋元くんにお渡ししますね。きっと喜ぶと思いますよ」
そう言って看護師さんは笑うと、私は千羽鶴の入った袋を渡した。
「……よろしくお願いします」
私は頭を下げると、受付に背を向けて歩き出した。
……これで、よかったのよね?
私は受付から少し離れた、壁側にある長椅子に座った。
秋元に会わずにほっとした。でも、どうしてこんなに悲しい気持ちなのだろう。不安な気持ちがぬぐえない。もしも、彼と一生会えなかったら――。
「もしかして、夕夏ちゃん?」
はっとして顔を上げると、そこには制服姿の女性が立っていた。紺色のブレザーに赤色のネクタイ。志木折高校の制服だ。
「そ、そうです」
「やっぱり! 志木折中の制服着てるから、そうかなって思ったんだ」
一瞬誰かと思ったが、よく見るとすぐにわかった。目元が、彼にそっくりだ。
「拓海のお見舞いに来てくれたの?」
「はい。でも、断られちゃって……。受付に千羽鶴を渡してきたところです」
「あー……。来てくれたのに、ごめんね」
秋元のお姉さんだ。書庫で見た卒業アルバムの写真とは違って髪が伸びていたから、一瞬誰かわからなかった。
私は小学6年生のときに秋元の家の近所だからという理由で、学校の配布プリントをよく彼の家まで届けに行っていた。インターホンを押すと、秋元のお母さんかお姉さんが出てプリントを受け取ってくれていたっけ。あれから、もう2年も経つのか。
「せっかくだから、少し話そうよ。夕夏ちゃん、何飲みたい?」
そう言って秋元のお姉さんは、自動販売機の前まで移動した。
「えっ、いや。そんな……大丈夫ですよ」
「残念、もうお金入れちゃった!」
笑顔で私を振り返った姿に私もくすっと笑った。ああ、笑った顔も彼にそっくりだ。
私は温かいミルクティーを選ぶと、秋元のお姉さんから受け取った。
「あの……お姉さんは、よくお見舞いに来るんですか?」
「そんなに、かな。基本は母親が毎日来てるよ。父親は夜遅くまで仕事だから、休日に来てるみたい。あと、お姉さんじゃなくて花音でいいよ」
花音さんは話を続けた。
「拓海が病気になってから、うちの母親は仕事を辞めたんだよね。あいつは毎日来られるのを嫌がってるけど」
嫌がっている姿が想像できてしまう。少し面白おかしく感じた。
花音さんは缶コーヒーを買うと、私の隣に座った。
「……拓海くん、元気ですか?」
「日によっては調子悪いときもあるけど、今日は元気そうだったよ」
「……そうですか」
私は肩を落とした。いつも元気な秋元が苦しんでいる姿は想像できないし、想像したくもない。早く彼の笑っている顔を見て安心したい。
「でも、昔からあんな感じで再発しては入院って感じだから、あいつも慣れてるよ。拓海のこと、心配してくれてありがとね」
花音さんは私にそう言うと、手に持っている缶コーヒーを飲んだ。
「ねえ、拓海は学校でどんな感じなの? 暴れてない?」
「あはは。えっと……」
「……その感じだと、大暴れって感じね」
私の表情から察したのか、花音さんは苦笑いした。
「小6のときに入院していたじゃない? そのときに学校ものの漫画を読んでて、あいつはその楽しい日常に憧れていたんじゃないかと思うの」
漫画を貸すんじゃなかった、と花音さんは頭を抱えている。確かに決闘ばかりしたがるのも、漫画による影響だと考えれば納得がいく。
「騒がしいですけど、毎日楽しいですよ」
「本当? まともに相手してると疲れるよ。ほどほどにね」
さすが家族だ。弟のことをよくわかっている。
「ねえ。せっかく来てくれたんだし、拓海と話していきなよ」
「えっ、でも面会は……」
「扉越しなら大丈夫でしょ。家族と話すのも飽きてるから、拓海も喜ぶと思うよ」
花音さんは缶コーヒーを飲み干すと立ち上がった。
「じゃあ、これからバイトがあるから失礼するね。あと、あいつにバイトやってること言ってないから内緒にしておいてくれると助かるな」
「そ、そうなんですか?」
「うん。オレのせいで家計が~って拗ねると思うから」
そっか。お母さんがお仕事やめているから、花音さんもバイトをして稼いでいるんだ。弟想いのいいお姉さんだなぁ。
私は手を振る花音さんに頭を下げると深呼吸をして心を落ち着けた。
――よし、秋元の病室へ行こう。
ある日の放課後、私はバスに乗ると完成した袋に入った千羽鶴を膝の上に乗せて、空いている一番後ろの椅子に座った。本来だったら隣に2人座っているはずなのだが……。
美雪とモッチーは用事があるからゴメンと言って、生徒会室にも寄らずに帰ってしまった。こんなに偶然、しかも2人そろって直前になって用事があると言われるとは思わなかった。
――結局、私1人で秋元に会うのか……。
彼の元気な顔を見たい気持ちもあるけど、ちゃんと顔を見て話せる自信はない。千羽鶴を渡して、さっさと帰ろう。
私は通学バッグの中から、くしゃくしゃになった1枚の折り鶴を取り出した。結局、上手に折れないまま千羽鶴の仲間入りをすることはなかった“それ”をお守り代わりにコートのポケットに入れた。
バスを降りて病院まで歩くと、志木折総合病院の小児科病棟まで足を運んだ。それにしても、広い病院だ。ここに来るのは5歳以来だけど、また広くなった気がする。
私が天井から吊り下げられている道案内の看板を見ながら歩いていたときのことだった。
「わっ、ごめんなさい!」
誰かにぶつかって、とっさに私は声を上げた。目の前には、小学校低学年くらいの小さな男の子が立っていた。パジャマを着ているので、ここに入院している子供なのだろう。
彼は誰かから逃げるように、あっという間に私の目の前を走り過ぎていった。
「ごめんなさいね、大丈夫だった?」
後ろから走ってきた看護師さんが私に声を掛けてくれた。
「大丈夫です。こちらこそ、よそ見をしていてすみません……」
「あの子、薬が嫌いだからっていつもあんな感じなのよ」
看護師さんが困ったように深いため息をついた。看護師さんも大変だ。
「あら、千羽鶴?誰かのお見舞いかしら」
私が手に持っている大きな袋を見ながら看護師さんは言った。
「はい。同級生のお見舞いです」
「それなら、受付でその子の名前を言ってもらえれば病室を教えてもらえるわよ」
私は教えてもらったお礼を言って頭を下げると、看護師さんは逃げた男の子の元へと速足で向かっていった。
あの男の子、今にも泣きそうな顔をしていたな。逃げ出すくらい辛い治療なのかしら。
―――秋元も、あんな感じだったのかな。
そう考えると、胸が締め付けられるような思いだ。
「あの、秋元拓海くんのお見舞いに来たのですが……」
受付に着いた私は、持ってきた千羽鶴の入った袋を見せるように言った。
「秋元くんのお友達ですかね」
「はい。同級生です」
「ごめんなさいね。秋元くんは今、ご家族の方の面会しか許可が下りていないんですよ。治療で免疫力が下がっているから、風邪がうつると悪化しやすいんです」
せっかく来てくれたのに、と看護師さんは付け加えた。
「……え?」
頭が真っ白になった。
「千羽鶴はこちらでお預かりして、あとで秋元くんにお渡ししますね。きっと喜ぶと思いますよ」
そう言って看護師さんは笑うと、私は千羽鶴の入った袋を渡した。
「……よろしくお願いします」
私は頭を下げると、受付に背を向けて歩き出した。
……これで、よかったのよね?
私は受付から少し離れた、壁側にある長椅子に座った。
秋元に会わずにほっとした。でも、どうしてこんなに悲しい気持ちなのだろう。不安な気持ちがぬぐえない。もしも、彼と一生会えなかったら――。
「もしかして、夕夏ちゃん?」
はっとして顔を上げると、そこには制服姿の女性が立っていた。紺色のブレザーに赤色のネクタイ。志木折高校の制服だ。
「そ、そうです」
「やっぱり! 志木折中の制服着てるから、そうかなって思ったんだ」
一瞬誰かと思ったが、よく見るとすぐにわかった。目元が、彼にそっくりだ。
「拓海のお見舞いに来てくれたの?」
「はい。でも、断られちゃって……。受付に千羽鶴を渡してきたところです」
「あー……。来てくれたのに、ごめんね」
秋元のお姉さんだ。書庫で見た卒業アルバムの写真とは違って髪が伸びていたから、一瞬誰かわからなかった。
私は小学6年生のときに秋元の家の近所だからという理由で、学校の配布プリントをよく彼の家まで届けに行っていた。インターホンを押すと、秋元のお母さんかお姉さんが出てプリントを受け取ってくれていたっけ。あれから、もう2年も経つのか。
「せっかくだから、少し話そうよ。夕夏ちゃん、何飲みたい?」
そう言って秋元のお姉さんは、自動販売機の前まで移動した。
「えっ、いや。そんな……大丈夫ですよ」
「残念、もうお金入れちゃった!」
笑顔で私を振り返った姿に私もくすっと笑った。ああ、笑った顔も彼にそっくりだ。
私は温かいミルクティーを選ぶと、秋元のお姉さんから受け取った。
「あの……お姉さんは、よくお見舞いに来るんですか?」
「そんなに、かな。基本は母親が毎日来てるよ。父親は夜遅くまで仕事だから、休日に来てるみたい。あと、お姉さんじゃなくて花音でいいよ」
花音さんは話を続けた。
「拓海が病気になってから、うちの母親は仕事を辞めたんだよね。あいつは毎日来られるのを嫌がってるけど」
嫌がっている姿が想像できてしまう。少し面白おかしく感じた。
花音さんは缶コーヒーを買うと、私の隣に座った。
「……拓海くん、元気ですか?」
「日によっては調子悪いときもあるけど、今日は元気そうだったよ」
「……そうですか」
私は肩を落とした。いつも元気な秋元が苦しんでいる姿は想像できないし、想像したくもない。早く彼の笑っている顔を見て安心したい。
「でも、昔からあんな感じで再発しては入院って感じだから、あいつも慣れてるよ。拓海のこと、心配してくれてありがとね」
花音さんは私にそう言うと、手に持っている缶コーヒーを飲んだ。
「ねえ、拓海は学校でどんな感じなの? 暴れてない?」
「あはは。えっと……」
「……その感じだと、大暴れって感じね」
私の表情から察したのか、花音さんは苦笑いした。
「小6のときに入院していたじゃない? そのときに学校ものの漫画を読んでて、あいつはその楽しい日常に憧れていたんじゃないかと思うの」
漫画を貸すんじゃなかった、と花音さんは頭を抱えている。確かに決闘ばかりしたがるのも、漫画による影響だと考えれば納得がいく。
「騒がしいですけど、毎日楽しいですよ」
「本当? まともに相手してると疲れるよ。ほどほどにね」
さすが家族だ。弟のことをよくわかっている。
「ねえ。せっかく来てくれたんだし、拓海と話していきなよ」
「えっ、でも面会は……」
「扉越しなら大丈夫でしょ。家族と話すのも飽きてるから、拓海も喜ぶと思うよ」
花音さんは缶コーヒーを飲み干すと立ち上がった。
「じゃあ、これからバイトがあるから失礼するね。あと、あいつにバイトやってること言ってないから内緒にしておいてくれると助かるな」
「そ、そうなんですか?」
「うん。オレのせいで家計が~って拗ねると思うから」
そっか。お母さんがお仕事やめているから、花音さんもバイトをして稼いでいるんだ。弟想いのいいお姉さんだなぁ。
私は手を振る花音さんに頭を下げると深呼吸をして心を落ち着けた。
――よし、秋元の病室へ行こう。