第7回戦 王子様は誰?
翌日。私たち生徒会メンバーは演劇部が練習している空き教室へと向かった。
「まったく、1人で勝手に決闘宣言して、水野さんの告白の邪魔もするなんて」
「空気読めなさすぎだよぉ、会長~」
モッチーと美雪に事情を説明すると、2人も呆れた様子だった。
私たちは空き教室に入ると、練習着を身にまとった演劇部部長の春日さんに声を掛けた。春日さんは美雪と同じクラスの女子生徒だ。
「あれぇ、春日ちゃん。そのドレス、どうしたの?」
美雪が春日さんの着ている水色のドレスを見ながら言った。ドレスについているスパンコールが光に反射してキラキラと光っている。
「これね、家庭科部さんが作るの手伝ってくれたんだ。次の劇に使う衣装なの」
「ほえぇ~! なんだかお姫様みたいだねぇ」
「ありがとう! そうなの、次の劇でお姫様役をやることになってね」
春日さんは嬉しそうに笑うと、私たちにドレスを見せるようにその場でくるっと1回転した。
「今日はその王子様役の部内オーディションをする予定だったんだけど、秋元くんから事情を聞いてね。とっても面白そうな対決ね!」
「そ、そうかしら……」
決闘のせいで重要なオーディションの予定をぶち壊して申し訳ない気持ちだ。
「水野さん!」
劇の練習をしていた大和田くんが私に気づいて、近くに来てくれた。
「大和田くんも部内オーディション受けるの?」
「う、うん。でも、僕あまり上手じゃなくて……。1年のときから重要な役とかもらったことないんだ。情けないよね」
「そんなことないわよ。頑張ってね」
大和田くんとそんな会話をしている中、強い視線を感じていた。
「おい、そこ。決闘を始めるぞ」
視線の主は秋元だ。なぜ会話をしているだけで睨まれないといけないのだろう。
「今回の決闘は即興劇だ。とは言っても、テーマがないとできないから、部長の春日さんに考えてもらうことにした」
「考えてきたよ、秋元くん。お題は、部内オーディションにちなんで『王子様対決』なんてどうかな。王子様がお姫様にアプローチするの」
書記の私は教室の黒板にチョークで決闘内容を書きながら、秋元たちの話に耳を傾けた。
「ああ、いいと思うぞ。大和田はそれでいいか?」
「は、はい……」
「でも、それだけじゃつまらないから、このカードに書かれている性格に合った王子様を大和田と秋元くんには演じてもらおうと思って」
そう言って春日さんは、手書きのカードを取り出した。
「5枚くらい考えてきたんだ。例えばね、『ツンデレ』ってカードを引いたら、王子様はお姫様にツンデレでアプローチするの! 即興だから、セリフとか設定は自分たちで考えてね」
「なるほど。でも、お姫様役は春日さんがやるの?」
横からモッチーが聞いた。
「ううん。水野さんにやってもらおうと思って」
「……えっ、私!?」
思わずチョークを書く手に力が入って、チョークの先が砕けてしまった。
「だって、決闘のきっかけは水野さんじゃない。大丈夫、衣装も貸してあげるから」
「えっと……私、演劇の経験がないんだけど」
「大丈夫だって。水野さんは彼らに合わせて動いたり、相手と成り立つように会話をしていればいいだけだから」
そんなこと言われても……。春日さんの今着ているキラキラのドレスを着て人前に立つのも恥ずかしいのに。
「それで、内容はわかったけど、勝敗はどうやって決めるのぉ?」
美雪が春日さんに質問した。
「決まってるじゃない! 大和田と秋元くんの演技が終わった段階で、水野さんにどっちがいいか決めてもらうの!」
「それも私!?」
それは、大和田くんと秋元のどちらかを選ばないといけないってこと? いやいや落ち着いて、私。選ぶのは“演技”が良かった方だ。それなのに、なんでこんなに緊張しているのだろう。
「わ、私は何を基準に彼らの演技を採点すればいいの?」
「そんな採点なんて細かいことはいらないよ。水野さんがドキドキした方を選べばいいんじゃない?」
そ、そんなぁ……。
「じゃあ、水野さん! さっそく隣の空き部屋で着替えましょ!」
「ちょ、ちょっと、春日さん!」
なんで彼女はこんなにノリノリなのだろうか。私は春日さんに引きずられるように、演劇部の練習している教室を出た。
☆ ★ ☆
「わぁー! 夕夏、かわいいねぇ!」
着替えた私を見るなり、美雪が駆け寄ってきた。
「すごい似合ってるよ!」
演劇部の女子部員たちからも声が掛かった。春日さんが髪の毛もパーマをかけたかのようにアレンジしてくれたけど、正直恥ずかしいので早く戻したい。
「男子たちの衣装もあったらよかったんだけどね」
王子様役の衣装はまだ作成途中らしい。
「黒板前を舞台にするから、演劇部員と生徒会のみんなは下がって観ていてね。じゃあ、はじめは大和田から行こうか」
春日さんが大和田くんを舞台の端に呼んだ。
「このカードの中から1枚選んで、そのテーマで私が止めるまで劇を続けて。あと、夕夏ちゃんにはカードを見せないようにね」
「う、うん。わかった」
大和田くんは緊張した様子でゆっくりとカードを引いた。
「準備はいい? それじゃあ、はじめっ!」
春日さんの合図を聞いた大和田くんが、距離の離れている私に向かって声を掛けた。
「姫!」
「は、はい!」
「お待ちください。舞踏会を抜けてどこへ行かれるんですか?」
これは、どういうシチュエーションだろう。舞踏会でダンスを踊っていたけれど、姫が途中で抜けたのかしら。それなら……。
「あの、私早く戻らないといけないの! ごめんなさい」
パッと頭に浮かんだのがシンデレラだ。魔法が解ける前に舞踏会を抜けて慌てて馬車に戻るシーンを想像したが、これでいいのだろうか。
すると、先回りした大和田くん……いや、王子様が私の手を取った。
「こんなに素敵な人に出会ったのは生まれて初めてだ。私はあたなに恋をしているのかもしれない」
客席から女子たちのキャーという歓声が聞こえる。
ど、どうしよう……無理に振り切ったほうがいいの?
「あ、あの……。でも行かなきゃ」
すると、腕をぐっと引き寄せられて、私と大和田くんの距離が近くなる。
「行かないでください。姫、私はあなたが好きです。……私と結婚してくれませんか」
「はい、カット!」
春日さんの合図がかかると、客席は歓声と拍手に包まれた。
「よかったよ、大和田! まさに積極的って感じだった!」
なるほど、大和田くんは『積極的』のカードを引いたらしい。どうりで馬車に戻らせてくれないわけだ。きっと今ごろ魔法は解けてしまっているが、姫を引き留めたことによって、ガラスの靴の持ち主を探す過程をすっ飛ばしてハッピーエンドになっているだろう。
「ごめんね、腕痛かった?」
「大丈夫よ。さすが演劇部ね、上手だったわ」
「本当!? ありがとう!」
劇が始まる前の不安そうな表情は消え、大和田くんは笑顔を見せた。
「じゃあ、次は秋元くんの番ね」
春日さんは秋元にカードを差し出した。彼の表情からは何のカードを引いたのかは読み取れないが、どういうシチュエーションでくるのだろうか。
「引いたね? それじゃあ、はじめっ!」
春日さんの合図を聞いたときには、彼はさっきいた場所からいなくなっていた。
それは一瞬のことだった。同時に女子の歓声と美雪の悲鳴が耳に入る。
「ちょ、ちょっと、秋元……!」
ドンという音とともに、気づいたときには私は黒板を背にしていた。目の前には秋元が立っている。あまりにも一瞬のことだったので、何が起きたのか自分でもわからなかった。
「キャー! 壁ドンだ!」
演劇部の女子の1人が声を上げて、私はようやく自分の置かれている状況に気づいた。
「おい、姫。おまえ、どうしていつもオレから逃げるんだよ」
いやいや、ちょっと待って! これ、どういうシチュエーションなのよ、秋元!? 何のカードを引いたの!?
でも、何か言わなきゃ……。
「えっと……。それは、あなたが意地悪だから、です……」
私はパッと思いついた言葉を口にした。
「は? それは、おまえがオレのこと何もわかってないからだろ、バカ」
この王子様、姫に向かってバカとは何事だ。
次の瞬間、秋元の顔がぐっと近づいた。びっくりして私は1歩下がろうとしたが、壁があるのでこれ以上下がれない。
「ちょっと、秋元! さすがに近いって……」
客席に聞こえない大きさで私は秋元に言った。そんなことも気にせず、秋元は不機嫌そうに話を続けた。
「本当お前ってどんくさいし、不器用だし、パッとしないし、なんで他の男にモテるのかよくわかんないんだけど」
「しっ、失礼な王子ね! 私はもう帰らないといけないの! いいから、そこをどきなさいよ!」
私は秋元の肩を押し返したが、全然びくともしない。手に力が入らないのだ。
「……オレだけを好きになればいいのに」
客席には聞こえないくらいの、本当に小さな声。悲しみ、苦しみ、そんな感情が入り混じった、今にも泣きそうなくらいに震えている彼の声で、ハッと顔を上げた。
秋元の大きな瞳が私をじっと見つめている。本当に目が潤んでいるように見えた。もしかして、本当に泣いてる――?
「え、えっ? ねえ、ちょっと」
――嘘でしょ!? いくら演技とはいえ、ここまでする!?
前方の客席から歓声の声が聞こえる。でも、それ以上に自分の心臓の音が大きい。痛いくらいに心臓が跳ね上がっている。
彼の顔が更に近づく。私は思わず、ぎゅっと目をつむった。
まさか、まさかだけど……このままキスなんてことは――。
「カ、カット!」
春日さんの上がり調子の声が響いた。
秋元は即座に態勢を元に戻すと、私にくるりと背を向けて春日さんの方へ歩き出した。まるで、何事もなかったかのように。
「いや~秋元くん、凄かったね! 観てるこっちがドキドキしちゃったよ!」
「嫉妬深い、ってあんな感じでよかったのか?」
「うん、ピッタリだった!」
春日さんは秋元に拍手をしている。
なるほど、彼は『嫉妬深い』っていうカードを引いたのか。大和田くんと違ってシチュエーションはわからなかったけど、うまく乗り切れて正直ほっとした。ほっとしているのだけど……。
「じゃあ、審査員の夕夏ちゃんに決めてもらおっか」
「え、えっと……」
だめだ、大和田くんのことを考えたいのに、秋元のことが頭でいっぱいになる。さっきのは演技だとわかっているのに、さっきから心臓の音がやまない。
「その……両方よかったと思うわ。だから、今回の勝負は引き分け」
「えぇー! 夕夏の告白の返事はどうなるのぉ!?」
美雪が声を上げた。
―――もう、自分の気持ちをだますのも限界だ。
私は大和田くんの前まで歩いて行った。
「大和田くん。その……返事なんだけど……」
「水野さん、わかったよ。大丈夫、気にしないで」
「……え?」
まだ返事を言っていないけれど、大和田くんは何かを察したように答えた。
「ねえ、彼氏は無理だけど、その……友達になってくれるかな」
「……ええ、もちろん」
私は手を差し出された大和田くんと握手をした。彼の顔は、どこか清々しいように感じた。
その横で、演劇部の女子たちが何かコソコソと話し合いをしている。
「ねえ、大和田。今回の王子様役、あなたにしようと思うんだけど」
「えっ、ぼくが?」
「さっきの即興劇、とってもよかったもの! それに、大和田が演じたシチュエーションで台本を書きなおそうと思うんだけど、いいかな?」
春日さんは大和田くんにそう言うと、大和田くんの表情はみるみる明るくなっていった。
「う、うん! 頑張るよ」
教室内で拍手が起こると、大和田くんは照れ笑いをした。
「ありがとう、水野さん。キミのおかげだよ」
「そんな、私は何もしてないわよ」
「ううん。相手役が水野さんだったから、役にのめりこめたんだよ。本当にありがとう」
そういえば、彼は今まで大役を経験していないって言っていたっけ。
「劇の本番は私も観に行こうと思うわ」
「うん、ぜひ来て!」
こうして即興劇の決闘は幕を下ろした。
☆ ★ ☆
「夕夏ぁ、あれでよかったの?」
私たちは演劇部の練習場所となっている空き教室から生徒会室に移動していた。前を歩く秋元とモッチーは立ち止まった私たちを気にせず、楽しく会話をしながらだんだんとその距離を広げていく。
「……うん。いいの」
大和田くんには申し訳ないけれど、劇が終わった時点で告白は断るつもりだった。彼はいい人だし、断る理由もなかったから、とりあえず付き合ってみようと最初は思っていたけれど。
「彼は別に悪い人じゃないのよ。私に問題があるの」
今までそうかもしれないと思ったことは何度もあった。自分の気持ちに、無意識に重い蓋ふたをしていたのかもしれない。その蓋が外れて、あふれてしまったのだろう。これ以上、自分を騙し通せない。
「ねえ、夕夏。熱でもあるの?」
「……え?」
「顔赤いよ」
……ああ、もう無理だ。自分に素直になろう。ただの友達という肩書きの蓋をするのは、もうやめよう。
――私は、秋元が好きなんだ。
廊下の窓から差し込む日差しで、前を歩く彼がスポットライトで焦点を当てたように照らされている。
「……きっと、夕日のせいだよ」
私は夕日の差し込む窓の方に顔を向けて言った。
「まったく、1人で勝手に決闘宣言して、水野さんの告白の邪魔もするなんて」
「空気読めなさすぎだよぉ、会長~」
モッチーと美雪に事情を説明すると、2人も呆れた様子だった。
私たちは空き教室に入ると、練習着を身にまとった演劇部部長の春日さんに声を掛けた。春日さんは美雪と同じクラスの女子生徒だ。
「あれぇ、春日ちゃん。そのドレス、どうしたの?」
美雪が春日さんの着ている水色のドレスを見ながら言った。ドレスについているスパンコールが光に反射してキラキラと光っている。
「これね、家庭科部さんが作るの手伝ってくれたんだ。次の劇に使う衣装なの」
「ほえぇ~! なんだかお姫様みたいだねぇ」
「ありがとう! そうなの、次の劇でお姫様役をやることになってね」
春日さんは嬉しそうに笑うと、私たちにドレスを見せるようにその場でくるっと1回転した。
「今日はその王子様役の部内オーディションをする予定だったんだけど、秋元くんから事情を聞いてね。とっても面白そうな対決ね!」
「そ、そうかしら……」
決闘のせいで重要なオーディションの予定をぶち壊して申し訳ない気持ちだ。
「水野さん!」
劇の練習をしていた大和田くんが私に気づいて、近くに来てくれた。
「大和田くんも部内オーディション受けるの?」
「う、うん。でも、僕あまり上手じゃなくて……。1年のときから重要な役とかもらったことないんだ。情けないよね」
「そんなことないわよ。頑張ってね」
大和田くんとそんな会話をしている中、強い視線を感じていた。
「おい、そこ。決闘を始めるぞ」
視線の主は秋元だ。なぜ会話をしているだけで睨まれないといけないのだろう。
「今回の決闘は即興劇だ。とは言っても、テーマがないとできないから、部長の春日さんに考えてもらうことにした」
「考えてきたよ、秋元くん。お題は、部内オーディションにちなんで『王子様対決』なんてどうかな。王子様がお姫様にアプローチするの」
書記の私は教室の黒板にチョークで決闘内容を書きながら、秋元たちの話に耳を傾けた。
「ああ、いいと思うぞ。大和田はそれでいいか?」
「は、はい……」
「でも、それだけじゃつまらないから、このカードに書かれている性格に合った王子様を大和田と秋元くんには演じてもらおうと思って」
そう言って春日さんは、手書きのカードを取り出した。
「5枚くらい考えてきたんだ。例えばね、『ツンデレ』ってカードを引いたら、王子様はお姫様にツンデレでアプローチするの! 即興だから、セリフとか設定は自分たちで考えてね」
「なるほど。でも、お姫様役は春日さんがやるの?」
横からモッチーが聞いた。
「ううん。水野さんにやってもらおうと思って」
「……えっ、私!?」
思わずチョークを書く手に力が入って、チョークの先が砕けてしまった。
「だって、決闘のきっかけは水野さんじゃない。大丈夫、衣装も貸してあげるから」
「えっと……私、演劇の経験がないんだけど」
「大丈夫だって。水野さんは彼らに合わせて動いたり、相手と成り立つように会話をしていればいいだけだから」
そんなこと言われても……。春日さんの今着ているキラキラのドレスを着て人前に立つのも恥ずかしいのに。
「それで、内容はわかったけど、勝敗はどうやって決めるのぉ?」
美雪が春日さんに質問した。
「決まってるじゃない! 大和田と秋元くんの演技が終わった段階で、水野さんにどっちがいいか決めてもらうの!」
「それも私!?」
それは、大和田くんと秋元のどちらかを選ばないといけないってこと? いやいや落ち着いて、私。選ぶのは“演技”が良かった方だ。それなのに、なんでこんなに緊張しているのだろう。
「わ、私は何を基準に彼らの演技を採点すればいいの?」
「そんな採点なんて細かいことはいらないよ。水野さんがドキドキした方を選べばいいんじゃない?」
そ、そんなぁ……。
「じゃあ、水野さん! さっそく隣の空き部屋で着替えましょ!」
「ちょ、ちょっと、春日さん!」
なんで彼女はこんなにノリノリなのだろうか。私は春日さんに引きずられるように、演劇部の練習している教室を出た。
☆ ★ ☆
「わぁー! 夕夏、かわいいねぇ!」
着替えた私を見るなり、美雪が駆け寄ってきた。
「すごい似合ってるよ!」
演劇部の女子部員たちからも声が掛かった。春日さんが髪の毛もパーマをかけたかのようにアレンジしてくれたけど、正直恥ずかしいので早く戻したい。
「男子たちの衣装もあったらよかったんだけどね」
王子様役の衣装はまだ作成途中らしい。
「黒板前を舞台にするから、演劇部員と生徒会のみんなは下がって観ていてね。じゃあ、はじめは大和田から行こうか」
春日さんが大和田くんを舞台の端に呼んだ。
「このカードの中から1枚選んで、そのテーマで私が止めるまで劇を続けて。あと、夕夏ちゃんにはカードを見せないようにね」
「う、うん。わかった」
大和田くんは緊張した様子でゆっくりとカードを引いた。
「準備はいい? それじゃあ、はじめっ!」
春日さんの合図を聞いた大和田くんが、距離の離れている私に向かって声を掛けた。
「姫!」
「は、はい!」
「お待ちください。舞踏会を抜けてどこへ行かれるんですか?」
これは、どういうシチュエーションだろう。舞踏会でダンスを踊っていたけれど、姫が途中で抜けたのかしら。それなら……。
「あの、私早く戻らないといけないの! ごめんなさい」
パッと頭に浮かんだのがシンデレラだ。魔法が解ける前に舞踏会を抜けて慌てて馬車に戻るシーンを想像したが、これでいいのだろうか。
すると、先回りした大和田くん……いや、王子様が私の手を取った。
「こんなに素敵な人に出会ったのは生まれて初めてだ。私はあたなに恋をしているのかもしれない」
客席から女子たちのキャーという歓声が聞こえる。
ど、どうしよう……無理に振り切ったほうがいいの?
「あ、あの……。でも行かなきゃ」
すると、腕をぐっと引き寄せられて、私と大和田くんの距離が近くなる。
「行かないでください。姫、私はあなたが好きです。……私と結婚してくれませんか」
「はい、カット!」
春日さんの合図がかかると、客席は歓声と拍手に包まれた。
「よかったよ、大和田! まさに積極的って感じだった!」
なるほど、大和田くんは『積極的』のカードを引いたらしい。どうりで馬車に戻らせてくれないわけだ。きっと今ごろ魔法は解けてしまっているが、姫を引き留めたことによって、ガラスの靴の持ち主を探す過程をすっ飛ばしてハッピーエンドになっているだろう。
「ごめんね、腕痛かった?」
「大丈夫よ。さすが演劇部ね、上手だったわ」
「本当!? ありがとう!」
劇が始まる前の不安そうな表情は消え、大和田くんは笑顔を見せた。
「じゃあ、次は秋元くんの番ね」
春日さんは秋元にカードを差し出した。彼の表情からは何のカードを引いたのかは読み取れないが、どういうシチュエーションでくるのだろうか。
「引いたね? それじゃあ、はじめっ!」
春日さんの合図を聞いたときには、彼はさっきいた場所からいなくなっていた。
それは一瞬のことだった。同時に女子の歓声と美雪の悲鳴が耳に入る。
「ちょ、ちょっと、秋元……!」
ドンという音とともに、気づいたときには私は黒板を背にしていた。目の前には秋元が立っている。あまりにも一瞬のことだったので、何が起きたのか自分でもわからなかった。
「キャー! 壁ドンだ!」
演劇部の女子の1人が声を上げて、私はようやく自分の置かれている状況に気づいた。
「おい、姫。おまえ、どうしていつもオレから逃げるんだよ」
いやいや、ちょっと待って! これ、どういうシチュエーションなのよ、秋元!? 何のカードを引いたの!?
でも、何か言わなきゃ……。
「えっと……。それは、あなたが意地悪だから、です……」
私はパッと思いついた言葉を口にした。
「は? それは、おまえがオレのこと何もわかってないからだろ、バカ」
この王子様、姫に向かってバカとは何事だ。
次の瞬間、秋元の顔がぐっと近づいた。びっくりして私は1歩下がろうとしたが、壁があるのでこれ以上下がれない。
「ちょっと、秋元! さすがに近いって……」
客席に聞こえない大きさで私は秋元に言った。そんなことも気にせず、秋元は不機嫌そうに話を続けた。
「本当お前ってどんくさいし、不器用だし、パッとしないし、なんで他の男にモテるのかよくわかんないんだけど」
「しっ、失礼な王子ね! 私はもう帰らないといけないの! いいから、そこをどきなさいよ!」
私は秋元の肩を押し返したが、全然びくともしない。手に力が入らないのだ。
「……オレだけを好きになればいいのに」
客席には聞こえないくらいの、本当に小さな声。悲しみ、苦しみ、そんな感情が入り混じった、今にも泣きそうなくらいに震えている彼の声で、ハッと顔を上げた。
秋元の大きな瞳が私をじっと見つめている。本当に目が潤んでいるように見えた。もしかして、本当に泣いてる――?
「え、えっ? ねえ、ちょっと」
――嘘でしょ!? いくら演技とはいえ、ここまでする!?
前方の客席から歓声の声が聞こえる。でも、それ以上に自分の心臓の音が大きい。痛いくらいに心臓が跳ね上がっている。
彼の顔が更に近づく。私は思わず、ぎゅっと目をつむった。
まさか、まさかだけど……このままキスなんてことは――。
「カ、カット!」
春日さんの上がり調子の声が響いた。
秋元は即座に態勢を元に戻すと、私にくるりと背を向けて春日さんの方へ歩き出した。まるで、何事もなかったかのように。
「いや~秋元くん、凄かったね! 観てるこっちがドキドキしちゃったよ!」
「嫉妬深い、ってあんな感じでよかったのか?」
「うん、ピッタリだった!」
春日さんは秋元に拍手をしている。
なるほど、彼は『嫉妬深い』っていうカードを引いたのか。大和田くんと違ってシチュエーションはわからなかったけど、うまく乗り切れて正直ほっとした。ほっとしているのだけど……。
「じゃあ、審査員の夕夏ちゃんに決めてもらおっか」
「え、えっと……」
だめだ、大和田くんのことを考えたいのに、秋元のことが頭でいっぱいになる。さっきのは演技だとわかっているのに、さっきから心臓の音がやまない。
「その……両方よかったと思うわ。だから、今回の勝負は引き分け」
「えぇー! 夕夏の告白の返事はどうなるのぉ!?」
美雪が声を上げた。
―――もう、自分の気持ちをだますのも限界だ。
私は大和田くんの前まで歩いて行った。
「大和田くん。その……返事なんだけど……」
「水野さん、わかったよ。大丈夫、気にしないで」
「……え?」
まだ返事を言っていないけれど、大和田くんは何かを察したように答えた。
「ねえ、彼氏は無理だけど、その……友達になってくれるかな」
「……ええ、もちろん」
私は手を差し出された大和田くんと握手をした。彼の顔は、どこか清々しいように感じた。
その横で、演劇部の女子たちが何かコソコソと話し合いをしている。
「ねえ、大和田。今回の王子様役、あなたにしようと思うんだけど」
「えっ、ぼくが?」
「さっきの即興劇、とってもよかったもの! それに、大和田が演じたシチュエーションで台本を書きなおそうと思うんだけど、いいかな?」
春日さんは大和田くんにそう言うと、大和田くんの表情はみるみる明るくなっていった。
「う、うん! 頑張るよ」
教室内で拍手が起こると、大和田くんは照れ笑いをした。
「ありがとう、水野さん。キミのおかげだよ」
「そんな、私は何もしてないわよ」
「ううん。相手役が水野さんだったから、役にのめりこめたんだよ。本当にありがとう」
そういえば、彼は今まで大役を経験していないって言っていたっけ。
「劇の本番は私も観に行こうと思うわ」
「うん、ぜひ来て!」
こうして即興劇の決闘は幕を下ろした。
☆ ★ ☆
「夕夏ぁ、あれでよかったの?」
私たちは演劇部の練習場所となっている空き教室から生徒会室に移動していた。前を歩く秋元とモッチーは立ち止まった私たちを気にせず、楽しく会話をしながらだんだんとその距離を広げていく。
「……うん。いいの」
大和田くんには申し訳ないけれど、劇が終わった時点で告白は断るつもりだった。彼はいい人だし、断る理由もなかったから、とりあえず付き合ってみようと最初は思っていたけれど。
「彼は別に悪い人じゃないのよ。私に問題があるの」
今までそうかもしれないと思ったことは何度もあった。自分の気持ちに、無意識に重い蓋ふたをしていたのかもしれない。その蓋が外れて、あふれてしまったのだろう。これ以上、自分を騙し通せない。
「ねえ、夕夏。熱でもあるの?」
「……え?」
「顔赤いよ」
……ああ、もう無理だ。自分に素直になろう。ただの友達という肩書きの蓋をするのは、もうやめよう。
――私は、秋元が好きなんだ。
廊下の窓から差し込む日差しで、前を歩く彼がスポットライトで焦点を当てたように照らされている。
「……きっと、夕日のせいだよ」
私は夕日の差し込む窓の方に顔を向けて言った。