貴方という秩序
Name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
◆◆◆◆◆
「おはようございます」
感情の一切が排除された冷たい声にうっすらと目を開けると、枕元に立ち、声と同じく冷たい視線をこちらへと投げ掛ける女の姿が視界に映った。しっかりと撫で付け、纏め上げられた長い髪。銀縁のシャープなシルエットをした眼鏡。きっちりアイロンがかけられ、糊の効いたシャツ。夏だというのに、薄くストライプが入っただけの飾り気のない濃紺のパンツスーツを身に纏うソイツは、未だ昨夜の熱が残るこの部屋にあっても汗一つかいておらず、俺はその可愛げのなさに小さく舌打ちをした。
「――もうそんな時間か」
「はい、7時を1分と22秒過ぎております」
「フン……着替える。10分待て」
「かしこまりました」
ベッドから起き上がり、シーツの中から現れた男の裸に動じることもなく、女はマナー教本通りの美しい礼をしてみせる。
(――まったく、可愛げのねェ)
横を通り過ぎ様にその姿をちら、と見やれば、陶器のように白く透き通った項と、ほんのりと赤く染まった耳が目に留まる。コイツにも、少しは恥じらいという感情があるらしい。ヒューマノイドなのではないかと疑いたくもなるような女が見せた僅かな動揺の色に、俺はフ、と小さく笑って寝室を出た。
廊下を挟んで向かい側にあるクローゼットルームへと入る間際、俺ははた、と振り返って、まだ腰を折ったままの女の後ろ姿に呼び掛ける。
「ああ、それと――『ゴミ出し』をしておけ」
「――心得ております」
そう言った俺の視線の先には、訳が分からない、とでも言うように俺達2人を交互に見比べる、上半身をシーツで隠した裸の女。動揺がありありと浮かぶその顔を、俺の優秀な秘書であるみょうじなまえは、相反するように淡々とした表情で見つめる。みょうじが後はお任せを、とでも言うように小さく頷いたのを見届けて、俺はクローゼットルームのドアをパタン、と閉めた。
◇◇◇◇◇
「――と、いうわけですので、早々にお帰り願えますでしょうか。リリカ様」
「な……何なのよアンタ! 何で私の名前……っていうか、『ゴミ出し』って何?! 訳分かんないんだけど!!」
社長がクローゼットルームへと入っていくのを見届けると、寝室のドアを閉め、私はベッドの上で唇を戦慄かせる女に告げる。この場から逃げたい、という意思の表れであろう。女はキングサイズの広々としたベッドの隅に、極々小さく身を寄せていた。必死に虚勢を張ろうと声を荒げる彼女に私は1歩近付き、スーツの左ポケットに手をやる。何が出てくると勘違いしたのだろうか、彼女は可哀想なくらい怯えた表情で私を見た。
「――申し遅れました。私、“バロックワークス社”社長、サー・クロコダイルの秘書を務めております、みょうじと申します」
「……はぁ?!」
私がポケットから取り出したのは、名刺入れ。そして彼女へと差し出したのは、社のマスコットキャラクターであるバナナワニのバナーニくんがプリントされた、この場には到底そぐわない名刺であった。その間抜けさに、彼女は目を丸くして素っ頓狂な声を上げる。そもそもこの名刺は、「こういう時用」に作ったものだ。大概の女達は、この妙にメルヘンチックなバナーニくんのイラストに毒気を抜かれて、呆気に取られたまま、この場を後にする。
だが、このリリカという女は違った。流石と言うべきか、何というか。私が「ただの秘書である」と見るや、その優位性は自分にあると考えたらしい。リリカは私の手から名刺を引っ手繰ると、わざわざ両手で高く掲げて、これ見よがしにビリビリと破り捨ててみせた。
「――ふん。秘書だから、何よ。私はね、『あの』クロコダイルから言い寄られた女なのよ? 昨夜一晩中、愛を囁かれた女よ?! ゴミ扱いされてたまるもんですか!」
私の雇い主であるサー・クロコダイルが社長を務めるバロックワークス社は、国内では5本の指に入る大企業として知られており、海外産の高級葉巻を一とした輸入業や、情報通信業、造船業などを手広く取り扱っている。最近では飲食業にも力を入れており、中でも、「女性店長ならではの視点を活かした店舗作り」が高く評価されている“スパイダーズ・カフェ”は、飲食部門開設からわずか1年で都市圏に100店舗を構えるなどして、社長の手腕共々注目を浴びていた。それ故クロコダイルは、昔不慮の事故で負ったという顔を真一文字に横切る傷や、左手の欠損があっても尚女性からの人気は高く、彼が表紙を務めた月のビジネス誌は通常の倍以上売り上げ部数がアップする、と言われているほどだ。
リリカは「『その』サー・クロコダイルに愛された女」というのを誇示しようとしてか、その体を覆っていたシーツを剥ぎ取ってベッドの上に仁王立ちになった。露わになった裸身は、成程確かに、同性である自分から見ても、見事なプロポーションではある。
だが私は動じることはない。静かに傍らに置いてあったアタッシュケースに手を伸ばすと、ロックを開けて中身を取り出す。そして、得意満面といった様子のリリカの目の前に、手の平サイズの小さな機械を突き付けて、その電源を入れた。
「……!」
機械から流れる、籠った音声。どこか飲食店の店内で録られた物なのだろう、BGMのジャズの音や、食器やグラスらしき音が混じる。だがそれは確かに、甘えた様子で擦り寄る女の声と、煩そうにそれをあしらう男の声を捕らえていた。
女はやがて、酔った、終電がなくなって帰れない、などとみっともなく言い始め、タクシーを呼んでやるから帰れ、という男の声も聞かず、ヤダヤダでもでもだってを繰り返す。揚句タクシーに男を無理矢理引き摺り込み、この人の家まで! と言って運転手と男を困らせ、まんまと男の家に上がり込むことに成功。終いには自ら男を誘い、独り愛を乞う言葉を囁きながら、あられもない嬌声をあげていた。
「――それで、いつ『言い寄られ』て、『愛を囁かれた』のです?」
「…………最ッッッ低……!」
怒りと恥辱で顔を真っ赤にして、リリカは私を睨み付ける。そして私の手からボイスレコーダーを乱暴に奪うと、ベッドから降りて床に脱ぎ捨てられていた服を着、私を押し退けて部屋から出ようとした。
「――お待ち下さい」
「……! 何よ!!」
振り返ったリリカの顔はまさに鬼の形相であったが、私は至って冷静に、ドアノブに掛けられた彼女の手を強く握った。彼女は顔を歪めて痛い、と抗議の声をあげるが、私は構わず、更に手に力を込める。
「――お帰りの前に、返していただけますか? 昨夜盗んだ、我が社の秘匿情報を――“インペルダウン社”の、風間エリカさん」
「……!」
「おはようございます」
感情の一切が排除された冷たい声にうっすらと目を開けると、枕元に立ち、声と同じく冷たい視線をこちらへと投げ掛ける女の姿が視界に映った。しっかりと撫で付け、纏め上げられた長い髪。銀縁のシャープなシルエットをした眼鏡。きっちりアイロンがかけられ、糊の効いたシャツ。夏だというのに、薄くストライプが入っただけの飾り気のない濃紺のパンツスーツを身に纏うソイツは、未だ昨夜の熱が残るこの部屋にあっても汗一つかいておらず、俺はその可愛げのなさに小さく舌打ちをした。
「――もうそんな時間か」
「はい、7時を1分と22秒過ぎております」
「フン……着替える。10分待て」
「かしこまりました」
ベッドから起き上がり、シーツの中から現れた男の裸に動じることもなく、女はマナー教本通りの美しい礼をしてみせる。
(――まったく、可愛げのねェ)
横を通り過ぎ様にその姿をちら、と見やれば、陶器のように白く透き通った項と、ほんのりと赤く染まった耳が目に留まる。コイツにも、少しは恥じらいという感情があるらしい。ヒューマノイドなのではないかと疑いたくもなるような女が見せた僅かな動揺の色に、俺はフ、と小さく笑って寝室を出た。
廊下を挟んで向かい側にあるクローゼットルームへと入る間際、俺ははた、と振り返って、まだ腰を折ったままの女の後ろ姿に呼び掛ける。
「ああ、それと――『ゴミ出し』をしておけ」
「――心得ております」
そう言った俺の視線の先には、訳が分からない、とでも言うように俺達2人を交互に見比べる、上半身をシーツで隠した裸の女。動揺がありありと浮かぶその顔を、俺の優秀な秘書であるみょうじなまえは、相反するように淡々とした表情で見つめる。みょうじが後はお任せを、とでも言うように小さく頷いたのを見届けて、俺はクローゼットルームのドアをパタン、と閉めた。
◇◇◇◇◇
「――と、いうわけですので、早々にお帰り願えますでしょうか。リリカ様」
「な……何なのよアンタ! 何で私の名前……っていうか、『ゴミ出し』って何?! 訳分かんないんだけど!!」
社長がクローゼットルームへと入っていくのを見届けると、寝室のドアを閉め、私はベッドの上で唇を戦慄かせる女に告げる。この場から逃げたい、という意思の表れであろう。女はキングサイズの広々としたベッドの隅に、極々小さく身を寄せていた。必死に虚勢を張ろうと声を荒げる彼女に私は1歩近付き、スーツの左ポケットに手をやる。何が出てくると勘違いしたのだろうか、彼女は可哀想なくらい怯えた表情で私を見た。
「――申し遅れました。私、“バロックワークス社”社長、サー・クロコダイルの秘書を務めております、みょうじと申します」
「……はぁ?!」
私がポケットから取り出したのは、名刺入れ。そして彼女へと差し出したのは、社のマスコットキャラクターであるバナナワニのバナーニくんがプリントされた、この場には到底そぐわない名刺であった。その間抜けさに、彼女は目を丸くして素っ頓狂な声を上げる。そもそもこの名刺は、「こういう時用」に作ったものだ。大概の女達は、この妙にメルヘンチックなバナーニくんのイラストに毒気を抜かれて、呆気に取られたまま、この場を後にする。
だが、このリリカという女は違った。流石と言うべきか、何というか。私が「ただの秘書である」と見るや、その優位性は自分にあると考えたらしい。リリカは私の手から名刺を引っ手繰ると、わざわざ両手で高く掲げて、これ見よがしにビリビリと破り捨ててみせた。
「――ふん。秘書だから、何よ。私はね、『あの』クロコダイルから言い寄られた女なのよ? 昨夜一晩中、愛を囁かれた女よ?! ゴミ扱いされてたまるもんですか!」
私の雇い主であるサー・クロコダイルが社長を務めるバロックワークス社は、国内では5本の指に入る大企業として知られており、海外産の高級葉巻を一とした輸入業や、情報通信業、造船業などを手広く取り扱っている。最近では飲食業にも力を入れており、中でも、「女性店長ならではの視点を活かした店舗作り」が高く評価されている“スパイダーズ・カフェ”は、飲食部門開設からわずか1年で都市圏に100店舗を構えるなどして、社長の手腕共々注目を浴びていた。それ故クロコダイルは、昔不慮の事故で負ったという顔を真一文字に横切る傷や、左手の欠損があっても尚女性からの人気は高く、彼が表紙を務めた月のビジネス誌は通常の倍以上売り上げ部数がアップする、と言われているほどだ。
リリカは「『その』サー・クロコダイルに愛された女」というのを誇示しようとしてか、その体を覆っていたシーツを剥ぎ取ってベッドの上に仁王立ちになった。露わになった裸身は、成程確かに、同性である自分から見ても、見事なプロポーションではある。
だが私は動じることはない。静かに傍らに置いてあったアタッシュケースに手を伸ばすと、ロックを開けて中身を取り出す。そして、得意満面といった様子のリリカの目の前に、手の平サイズの小さな機械を突き付けて、その電源を入れた。
「……!」
機械から流れる、籠った音声。どこか飲食店の店内で録られた物なのだろう、BGMのジャズの音や、食器やグラスらしき音が混じる。だがそれは確かに、甘えた様子で擦り寄る女の声と、煩そうにそれをあしらう男の声を捕らえていた。
女はやがて、酔った、終電がなくなって帰れない、などとみっともなく言い始め、タクシーを呼んでやるから帰れ、という男の声も聞かず、ヤダヤダでもでもだってを繰り返す。揚句タクシーに男を無理矢理引き摺り込み、この人の家まで! と言って運転手と男を困らせ、まんまと男の家に上がり込むことに成功。終いには自ら男を誘い、独り愛を乞う言葉を囁きながら、あられもない嬌声をあげていた。
「――それで、いつ『言い寄られ』て、『愛を囁かれた』のです?」
「…………最ッッッ低……!」
怒りと恥辱で顔を真っ赤にして、リリカは私を睨み付ける。そして私の手からボイスレコーダーを乱暴に奪うと、ベッドから降りて床に脱ぎ捨てられていた服を着、私を押し退けて部屋から出ようとした。
「――お待ち下さい」
「……! 何よ!!」
振り返ったリリカの顔はまさに鬼の形相であったが、私は至って冷静に、ドアノブに掛けられた彼女の手を強く握った。彼女は顔を歪めて痛い、と抗議の声をあげるが、私は構わず、更に手に力を込める。
「――お帰りの前に、返していただけますか? 昨夜盗んだ、我が社の秘匿情報を――“インペルダウン社”の、風間エリカさん」
「……!」
1/8ページ