※ひらがなor漢字名推奨
後編
Name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
声を上げた雪櫻に構うことなく、クロコダイルは黙って包帯を替える。左手の鉤爪も使いながら包帯を器用に巻いていくその様を、雪櫻は身動ぎも出来ずにただ見守っていた。ベッドに寝かされていてあまり周囲の様子は窺えなかったが、漂う薬品の匂いなどから察するに、どうやらそこは医務室のようだ。
「その傷は」
唐突に声を掛けられて、ビクリ、とありありと分かる程に動揺してしまう。クロコダイルは構わず続けた。
「うちの社員にやられたものではなさそうだが。誰にやられた?」
「……」
答えるべきか否か、悩んでいるうちにクロコダイルは包帯を巻き終えて、キャビネットにそれをしまいに立ち上がる。雪櫻も、痛む腕を抑えながらゆっくりと体を起こした。隙を付いて、閃光弾で目眩ましをして逃げようかと思ったが、懐を探っても銃は見当たらない。辺りを見渡すと、机の上に自分の愛銃を見つけた。マズいことになった、と雪櫻は必死に思考を巡らせた。
「オイ。誰にやられたのかと聞いている」
「……海軍の女海兵に」
再び、クロコダイルが尋ねる。この質問には答えても問題はないだろう、と判断し、雪櫻は口を開いた。クロコダイルはちら、と雪櫻の方を一瞥すると、特徴的な笑い声をあげる。
「クハハハ、男の取り合いでもしてやられたのか?」
「――っ! そんなんじゃ……!!」
何故かスモーカーの顔が脳裏に浮かんで、雪櫻は赤くなって反論する。クロコダイルは、その一瞬の動揺を見逃さなかった。
「――成程、図星か。けしからんな」
「……何それ。アンタには関係ないことなんだから、どうだっていいでしょ」
否定するのも面倒で、雪櫻はつっけんどんに返事をする。そんな彼女にクロコダイルは向き直り、尊大な態度で言った。
「関係なら大アリだ。これから口説こうとしている女が、別の男のことを考えている――こんな不愉快なことはない」
「……は?」
突然のことに、雪櫻の頭は混乱する。目の前の海賊が何を言っているのか理解が追い付かない。そんな彼女をよそに、クロコダイルはベッドの縁に腰掛ける。スプリングの軋む音に、雪櫻は心臓が跳ね上がるのを感じた。
「雪櫻――お前が、欲しい」
「――っ?!」
顔が熱を帯びていくのが分かる。クロコダイルの右手が伸びてきて、雪櫻の頬を優しく撫でた。ビクリ、と肩を震わせて、彼女は目を逸らす。クロコダイルの目は名前の通り、鰐のそれのように見つめた者を捕食する。視線で噛み付かれ、貪られる感覚に、雪櫻は背筋が粟立つのを感じた。クロコダイルの顔が近付いてくる。本当に噛み付かれてしまうのではないか、そんな風に感じられて、雪櫻は思わずギュッと目を瞑った。
「――うちの組織の、社員として」
「……え?」
雪櫻が瞑っていた目を薄く開くと、そこにはにやりと不敵な笑みを浮かべるクロコダイルの姿があった。彼の言葉の意味を理解した途端、雪櫻の顔は今度は恥ずかしさと怒りで真っ赤になる。唇をギュッと噛み締めて目の前の男を睨み付けると、彼は愉快そうに弾んだ声で喋りだした。
「お前がこの前襲った連中は、俺の会社“バロックワークス”の社員達だ。そしてお前がぶち壊してくれた取引は、会社の未来にとってとても重要な取引だった。失った社員と資金の代わりとしてお前がうちの会社の一員になるなら、今回の損失については不問にしてやろう」
「――嫌だ、と言ったら?」
これまで笑みを湛えていたクロコダイルの顔が、冷たいものに変わる。雪櫻は思わず息を飲んだ。背中を冷たいものが伝う。それはまるで氷のように冷えきっていて、ただの汗だと気付くのには時間を要すほどだった。
「俺はこの組織を束ねてはいるが、俺がトップだと知っている人間は唯の1人しかいない。それをお前は知ってしまったんだ――あとは、想像出来るだろう?」
心拍数が上がる。本懐を遂げられないなら死んだ方がマシだと思っていた。だが、そんなことは死に方を選べる状況でのみ言えることだ。今の雪櫻は、川から覗く鰐の視線に気付いていながら、一度動けば喉元を噛みきられると分かっていて身動ぎ出来ずにいる草食動物の立ち位置にある。喉がカラカラに渇いていた。水が欲しい。場違いにも、そんなことを思った。
「……1つだけ、聞いてもいい?」
カラカラに渇いた唇を割って、漸く言葉を紡ぎだす。クロコダイルは好きにしろ、と言わんばかりに大仰に両腕を広げてみせる。深く息をついて、雪櫻は尋ねた。
「“バロックワークス”は何を目的としている会社なの? それが分からなきゃ、何も判断が出来ない」
判断も何も、雪櫻は誰とも与する気はない。この状況を何とか脱するための案を捻り出すための時間稼ぎに、破れかぶれで発した質問だった。この目論見がバレれば、その瞬間、目の前の鰐に捕食されてしまうだろう。襲い来る恐怖心を振り払うために、雪櫻はその拳をきつく握り締めた。
「……理想国家の実現」
長い沈黙の後、クロコダイルが葉巻に火を点けながら答えた。その答えは思いがけず普通の「会社」の目的や理念からはおよそかけ離れていて、雪櫻は本気で聞きたかったわけではなかったとはいえ、余計に戸惑う。ぽかんとしている彼女を見て、クロコダイルは補足するように続けた。
「――この世界じゃァ、とかく争い事が絶えねェ。海賊が市民を襲う、海賊同士が潰し合う、国同士が争う……。全く、醜くてかなわねェ」
ドキリ、とした。いつも雪櫻が思っていたことだ。時間稼ぎのためにした質問だったが、雪櫻はいつしかクロコダイルの言葉に耳を傾けてしまっていた。
「そんな世界を変えるには、どうしたらいいか? ――力を持つことだ。他を圧倒する軍事力を持てば、その国には誰も手出しが出来ねェ」
「――そんなことが可能だとでも?」
「ああ――お前が俺と組めば、な」
「なんか知らないけど、随分と信用されてるなぁ」
雪櫻が肩を竦めてみせると、クロコダイルの眉がぴくり、と動いた。葉巻の煙を深く吐き出して、呆れたように言う。
「信用だと? そんなんじゃねェ。お前は傷を負いながらもうちの社員共を出し抜いてみせた。その事実を、俺は認めているだけだ」
「はは、そっか」