砂漠鰐は向日葵畑の夢を見るっぽい?
「トリック オア トリーーート!」
今朝ロビンさんに教わったばかりの言葉を元気良く叫び、私はクロコダイルの書斎の扉を勢いよく開けた。机に向かって何やら仕事をしていたのを邪魔された彼は、うるせェな、とでも言いたげに振り返る。次の瞬間、彼の目は驚きのそれに変わった。
「へへー、驚いた? ロビンさんに教えてもらったの! 『ハロウィーン』って言うんだって!!」
私はクロコダイルの表情に満足して、得意げに胸を張る。彼の表情が、滅多に見られない驚きの色を含んでいるのも当然だ。私は身体中に包帯を巻き、ミイラの仮装をしているのだから。
私がこんな格好をすることになったきっかけになったのは、開店前のミーティングでのロビンさんの提案だ。博識な彼女の言うところによると、『ハロウィーン』とは名も知らぬ遠い異国で行われる、秋の収穫を祝い、悪霊を追い払うイベントだそうだ。そして、その悪霊達を驚かせて追い払うために、人々は仮装をして近所の家々を訪れ、「Trick or treat .(お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ)」と言って回るのだという。
もっとも、ハロウィーン発祥の国でも、近年では収穫祭やお祓いといった意味合いは薄れてきているようで、仮装して飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをするイベントになりつつあるらしいが、ロビンさんは何故かそのイベントを気に入っているようで――「悪霊を追い払うなんて、面白そうじゃない?」と言ってうっとりしていた――、店でやってみようか、という話になったのだ。
「それで、お前が試しに仮装させられた、と?」
「はぁ、まぁ……そんな感じで……」
私も初めはノリノリで、着替えさせられた後、オーナーに見せてきまーす! と言って意気揚々とクロコダイルの元を訪れたのだが。クロコダイルの驚きの表情がだんだんと冷たくなっていくのを見ているうちに、すっかり心は折れてしまっていた。
(早くここから逃げ出したい……早く着替えてしまいたい……!)
顔を真っ赤にしてソワソワしていると、クロコダイルが徐に椅子から立ち上がり、近寄ってきた。私はきっと、くだらねェ事してんじゃねェ、と怒られるのだろう、と身を縮める。ところが、彼は思いも寄らない言葉をその唇から発した。
「とりっく……何だ?」
「え? トリック オア トリート、だけど……」
「トリック オア トリート」
「え?」
「だから、トリック オア トリート、だ。菓子をやれ。さもないと……悪戯、するぞ?」
私は一瞬ポカンとしたが、目の前のいい大人の海賊が菓子を要求してきたことが可笑しくて、笑いが込み上げてくる。
「ちょっと、笑わせないでよ! 似合わない!! お菓子なんて私持ってないし……」
ケラケラと笑いながらクロコダイルを見る。同時に、私の顔からは笑みが消え去った。彼もまた笑って――否、「嗤って」いたからだ。
「そうか。菓子がないのなら、悪戯させてもらうしかないな……?」
「えっ」
ひょい、と私の体を軽々と肩に担ぎ上げて、クロコダイルはスタスタと寝室に向かって歩き出す。
「ちょっ、待っ、だめぇぇぇぇぇ!」
地下にこだまする私の絶叫。それを聞き付けたのか、遠くからロビンさんらしき足音が聞こえてくる。クロコダイルは小さく舌打ちすると、私の体を肩から下ろした。あ、危なかった……!
「ちっ、つまらん。悪戯がダメなら、菓子をやるんだな」
「だーかーら! 持ってないって……」
言い掛けた唇を、クロコダイルのそれが塞ぐ。一瞬のことだったが、私の唇にはしっかりと彼の体温が取り残された。
「持ってるじゃねェか、甘い、菓子」
やって来たロビンさんとすれ違うようにして、彼はクハハハ、と笑いながら書斎に戻る。どうしたの? と訊ねるロビンさんに、私は一言、ハロウィーン、止めときましょう……としか言えなかった。
*****
■大人の、悪戯。
2015.10
今朝ロビンさんに教わったばかりの言葉を元気良く叫び、私はクロコダイルの書斎の扉を勢いよく開けた。机に向かって何やら仕事をしていたのを邪魔された彼は、うるせェな、とでも言いたげに振り返る。次の瞬間、彼の目は驚きのそれに変わった。
「へへー、驚いた? ロビンさんに教えてもらったの! 『ハロウィーン』って言うんだって!!」
私はクロコダイルの表情に満足して、得意げに胸を張る。彼の表情が、滅多に見られない驚きの色を含んでいるのも当然だ。私は身体中に包帯を巻き、ミイラの仮装をしているのだから。
私がこんな格好をすることになったきっかけになったのは、開店前のミーティングでのロビンさんの提案だ。博識な彼女の言うところによると、『ハロウィーン』とは名も知らぬ遠い異国で行われる、秋の収穫を祝い、悪霊を追い払うイベントだそうだ。そして、その悪霊達を驚かせて追い払うために、人々は仮装をして近所の家々を訪れ、「
もっとも、ハロウィーン発祥の国でも、近年では収穫祭やお祓いといった意味合いは薄れてきているようで、仮装して飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをするイベントになりつつあるらしいが、ロビンさんは何故かそのイベントを気に入っているようで――「悪霊を追い払うなんて、面白そうじゃない?」と言ってうっとりしていた――、店でやってみようか、という話になったのだ。
「それで、お前が試しに仮装させられた、と?」
「はぁ、まぁ……そんな感じで……」
私も初めはノリノリで、着替えさせられた後、オーナーに見せてきまーす! と言って意気揚々とクロコダイルの元を訪れたのだが。クロコダイルの驚きの表情がだんだんと冷たくなっていくのを見ているうちに、すっかり心は折れてしまっていた。
(早くここから逃げ出したい……早く着替えてしまいたい……!)
顔を真っ赤にしてソワソワしていると、クロコダイルが徐に椅子から立ち上がり、近寄ってきた。私はきっと、くだらねェ事してんじゃねェ、と怒られるのだろう、と身を縮める。ところが、彼は思いも寄らない言葉をその唇から発した。
「とりっく……何だ?」
「え? トリック オア トリート、だけど……」
「トリック オア トリート」
「え?」
「だから、トリック オア トリート、だ。菓子をやれ。さもないと……悪戯、するぞ?」
私は一瞬ポカンとしたが、目の前のいい大人の海賊が菓子を要求してきたことが可笑しくて、笑いが込み上げてくる。
「ちょっと、笑わせないでよ! 似合わない!! お菓子なんて私持ってないし……」
ケラケラと笑いながらクロコダイルを見る。同時に、私の顔からは笑みが消え去った。彼もまた笑って――否、「嗤って」いたからだ。
「そうか。菓子がないのなら、悪戯させてもらうしかないな……?」
「えっ」
ひょい、と私の体を軽々と肩に担ぎ上げて、クロコダイルはスタスタと寝室に向かって歩き出す。
「ちょっ、待っ、だめぇぇぇぇぇ!」
地下にこだまする私の絶叫。それを聞き付けたのか、遠くからロビンさんらしき足音が聞こえてくる。クロコダイルは小さく舌打ちすると、私の体を肩から下ろした。あ、危なかった……!
「ちっ、つまらん。悪戯がダメなら、菓子をやるんだな」
「だーかーら! 持ってないって……」
言い掛けた唇を、クロコダイルのそれが塞ぐ。一瞬のことだったが、私の唇にはしっかりと彼の体温が取り残された。
「持ってるじゃねェか、甘い、菓子」
やって来たロビンさんとすれ違うようにして、彼はクハハハ、と笑いながら書斎に戻る。どうしたの? と訊ねるロビンさんに、私は一言、ハロウィーン、止めときましょう……としか言えなかった。
*****
■大人の、悪戯。
2015.10