白妙の季節に君を想うということ

(「仕事が終わったらレストランに来い」……?)



 遅番の仕事を終えて部屋に戻った私は、ローテーブルの上に短い書置きを見つけた。よく分からないままに私は着替え、既に閉店しているはずのレストランへと向かう。



「来たか――まあ、座れ」



 薄明りが点いたままのレストランに足を踏み入れると、そこには1席だけ、グラスとカトラリーが用意されたテーブルがあった。茫然とする私の前には、白いシャツを腕捲りして、黒いギャルソンエプロンを着けたクロコダイル。その姿に、私は暫し見惚れる。そんな私を余所に、クロコダイルは傍らにいた1人のコックに何やら指示を出していた。



 訳が分からぬまま、私は用意された席に座る。キッチンに程近いその席から見えるのは、額に汗を浮かせながら何やら作っているクロコダイルと、盛り付けを手伝っているアシスタント役らしき青年コック。どうでもいいけど、あの男……なんであんな高い位置からオリーブオイル注いでるんだろ。ぼんやりその手元を眺めていると、青年コック君がやって来た。



「まずはアペリティーヴォからどうぞ。クロコダイル様の選ばれた『グー・ド・ディアモン/テイスト・オブ・ダイアモンズ』です」
「はぁ……」



 状況が全く分からないまま、フルートグラスが満たされていく。こくり、と一口飲んでみるが、こんな状況で味なんて分かりっこない。私は何も説明されないことに、段々と苛立ってきた。



「こちらはアンティパストの『アラバスタコのマリネー』になります」
「ありがと……ねぇ、ちょっと『シェフ』を呼んでもらえる?」



 再び青年コック君がやって来て、私の前に彩りよく料理の盛られた皿を置く。そんな彼に、訳の分からない状況に業を煮やした私はクロコダイルを呼ぶよう頼んだ。私の目が些か据わっていることに気付いた彼は、かしこまりました、と言って慌てて厨房へと戻った。

 私から呼ばれていることを青年コック君から告げられたクロコダイルは、振り返るとこちらへ声を掛けてきた。



「なんだ、足りねェってのか? 今パスタを作っているところだ、待ってろ」
「そうじゃなくて。これ、何なの? 一体」



 私が目の前の皿と満たされたグラスを指し示して言うと、クロコダイルはそんな事も分からねェのか、とでも言いたげに、眉間に皺を寄せる。そんな顔されても、分からないものは分からない。むすっとして俯くと、クロコダイルは溜息を吐いて言った。



「お前――今日は何の日だ」
「何の日って、3月13日は特に何も――」
「オイオイ……もう0時をまわってるだろう」
「あ」



 漸くクロコダイルの意図が見えて顔を上げると、ふいっと目を逸らされた。そのままパスタポットに向かう背中はとても広く、シャツ越しでもはっきりと分かる隆起した肩甲骨周りの筋肉に、私は思わずどきっとする。



「手作りには手作りで返そうと思ってな。味はどうだ?」



 振り返らずにそう聞かれ、私はアンティパストに手を伸ばす。コリコリした歯応えのタコと、しっかり辛みを抜いた玉葱に、ワインビネガーの酸味がよく合っていた。



「美味しい……美味しいです、シェフ!」
「クハハ、結構だ。南の海サウスブルーとは味が違うかもしれねェと思ったが……何か足りなきゃ言え」



 丁度パスタが茹で上がったらしく、クロコダイルは湯を切りながら言う。味は完璧だ。こんな素晴らしい夜に、足りないものがあるとすれば――唯一つ。私は勇気を振り絞り、その背中に声を掛けた。



「一緒に食べたら、もっと美味しいかな……」



 段々と尻すぼみになっていく声に、クロコダイルは振り向いて目を丸くさせる。そして恥ずかしさに小さくなった私を見て、彼はクハハ、と笑った。



「オイ」
「は、はいっ」
「メニューはこれに書いてある。材料も全部最高級の物を揃えて下準備してある。あとはお前が作って出せ」
「えぇ?! か、かしこまりました……!?」



 クロコダイルは青年コック君に後の全てを任せ、厨房から出てきた。エプロンを外すと、私の隣の椅子を引き、どっかりと座る。その後を追うように、青年コック君が出来上がったばかりのパスタを運んできた。バジルが香る、ジェノベーゼパスタ。フォークに巻き付けて一口頬張れば、程好い塩気とチーズのコクが、口いっぱいに広がる。



「俺にも寄越せ」
「あ、ちょっと!」



 二口目を口へと運ぼうとした私の右手をクロコダイルが捕らえ、自分の口元へと運ぶ。顔が近い。もぐもぐと咀嚼する口元が艶っぽくて、心臓が大きく跳ねる。3倍返しなんてものじゃない、素敵なお返し。2月14日だけじゃとても返しきれないだろうから、来年まで11カ月かけて少しずつ返していかなくちゃ。そんな事を考えながら、私は小さく微笑んだ。





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■翌日、夢主は体重計に乗って悲鳴を上げるのでした。

2016.03
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