世界はそれを愛と呼ぶんだぜ
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深く溜息を吐いて、独りごちる。私は普段、目覚ましが鳴るより先に起きてしまう性質だ。今日は久しぶりに目覚ましが仕事をしたので、つい驚いてしまった。寝過ごしたと勘違いした先程の機敏な動きはどこへやら、のっそりとベッドから下りて、う~ん、と伸びをする。部屋をぐるりと見渡すも、主の姿は見当たらなかった。
(──昨夜は結局、帰らなかったのかな)
昨夜クロコダイルは、「シャワーを浴びたら外へ出てくる」と言って、部屋を出て行った。
私は彼の後にシャワーを浴びて部屋に戻り、少しの間その帰りを待っていたのだが、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。彼のベッドのシーツは、昨夜私が簡単に整えたそのままに見える。あんな夜更けに、どこへ行ったというのだろう。疑問に思った私の目の端に、テーブルに置かれた紙切れが映った。
昨夜はあんな物あったっけな、と思い、テーブルに近付く。そこには1枚の書き置きと、小さな紙の包みが置かれていた。
「『起きたらすぐに呑んでおけ』……?」
紙の上には短くそれだけ、流れるような文字で綴られていた。一度部屋を出た彼が、私の寝ている間にここへ戻ってきてこれを書いたらしいことは分かったが、その意図するところが読めない。この包みの中身を呑めと、そういうことなのだろうか。
小さく折り畳まれた紙の包みを拾い上げ、開けてみる。中に入っていたのは、小さな薄桃色の錠剤だった。
「何だろ……薬……?」
包みを開けてみても尚、クロコダイルの意図は分からない。それどころか、恐ろしい疑念すら湧きあがってくる。
(まさか、毒、なんじゃ……)
脳裏に昨夜の彼の殺意に満ちた瞳が浮かんで、思わず身震いする。だが、同時にはた、と思い直した。クロコダイルのことだ──もし私を殺そうと思っているのだとしたら、こんな風に自分の与り知らないところでひっそりと、なんて真似をするだろうか。私の知る「海賊」サー・クロコダイルなら、獲物が苦しみながら死にゆく様を、その目でしかと見届けるはずだ。そう──葉巻を燻らせながら、口の端を吊り上げて。
そんな風に想像して、私は笑ってしまった。随分と、悪い女になったものだ。海賊の気持ちが分かるようになるだなんて、両親を奴等に殺されたあの頃には想像もしなかったことだ。今の私を見たら、2人はどんな思いを抱くだろう。
(万が一、これが毒だったとしたら)
死後の世界があったとして、そこで会ったときに、親不孝者が、って叱られるだろうか。そんな事を想像しながら、私はテーブルに常備されているグラスにピッチャーから水を注ぎ、掌の小さな薄桃色を、一息に飲下した。
「そうそう──俺、今日からしばらくカジノ断ちするんだよ」
「へェ、何でまた急に?」
ルーレット台についてウィールを回した私の前で、2人の常連客が話していた。ボールを投げ入れ、客達にベットを促しつつ、彼らの会話に耳を傾ける。カジノ断ちをする、と言った方の男性客の顔は、どこか嬉しげに綻んでいた。
「いやー、それがさ……この間、嫁が『コレ』って分かってさ」
そう言って、彼はお腹の前に手をやり、そこが膨らんでいるかのようなジェスチャーをしてみせた。その動きに、私はピクリ、と反応する。
「本当か?! そりゃァめでてェじゃねェか! なァ、ミス・アニヴェルセル!!」
「え、ええ……おめでとうございます、お客様」
私が微笑んで小さく拍手をしてみせると、周りの客達も皆、男性客に温かい拍手を送る。彼はいやいやと少し照れてみせると、手持ちのチップの山から1枚を掌に握り締めた。
「これから先立つモンも必要になるしさ、子供が大きくなるまではちょっとカジノ遊びはやめようと思ってるんだ。子供がカジノに入れる年齢になったら一緒に来るのもいいかな、ってさ」
「ハハッ、そりゃァいいや」
──子供。
どきん、どきん、と心臓が大きく脈打つ。無意識に、手が下腹部を押さえていた。ウィールに投げ入れられたボールが、段々とその速度を緩めていく。喉がカラカラに渇いて、何度も唾を飲み込む。目の前では、「
カロン、と。軽やかな音を立てて、ボールは然るべき場所へと収まった。私はその行方を、震える声で告げる。
「
わあっ、と、男性を取り囲んだギャラリー達が一斉に歓声を上げる。男性も、大きくガッツポーズをしてそれに応えていた。動揺しているのを誰にも悟られぬよう、顔にぴたりと笑みを張り付けて、レーキでチップを勝者の元へと送る。ぐわんぐわんと頭を揺さぶられているようなのに、その手元は寸分も狂わなかった。
仕事を終えて部屋に戻った私は、帰って来てからずっと、ソファに腰掛けてじっとテーブルの上を見つめている。
視線の先にあるのは、クロコダイルからの書き置き。それと、問題の「毒」が入っていた包み紙が、朝開いたそのままで放り置かれていた。
朝に「それ」を呑んでから数時間経つが、何処か苦しくなったりと、身体に変調を来してはいない。仮にこれが遅効性の毒だったとしても、こんなにも時間がかかることはないだろうと思う。
だが、私は。「それ」が恐らく毒ではないだろうことは、もう察していた。
(──「これ」は、きっと)
まだHeaven's Bellにいた頃、時折見掛けた光景が、頭を過る。ステラに泣き付く女ディーラーと、苦々しげな表情で、彼女に薬を手渡すステラ。そのふっくらとした大きな手に握られていたのは、確か──薄桃色の、それではなかっただろうか。
海賊達の跋扈するこの時代、奴等が狙うのは何も金銀財宝だけではない。奴等が女に対してもその欲望の牙を剥くことは、悲しいかな、よくある話だ。
「それ」は、そんな男達から女達を守るための薬として、医療大国であるドラム王国で作り出された。「それ」を必要とする女は多く、そこに生ずる利益を重く見たドラム王国は、その製造法を決して他国へ開示しなかった。故に「それ」は需要に反して供給が少なく、一般人にはおいそれと手を出せない金額で売られている。そしてその事は、性風俗店がその薬を買い占めて、過剰なサービスを提供させるという新たな問題も生み出していた。
Heaven's Bellは、あくまでもカジノという業態だったので、元支配人は避妊具の着用を客に徹底させていた。それでも、悪い客というものはいて。