Her heart hurted.
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カツカツと、細いヒールが忙しなく石畳を穿つ音が、狭い路地裏に響く。何かしらの店の勝手口なのだろうか、積み上げられていた段ボール箱の上で昼寝をしていた野良猫が、その音に驚いて飛び起き逃げて行ったところで、女はようやくその足を止めた。
「はぁ……はぁ……はぁ……っ!」
項垂れて両膝に手をつき、ぎゅっと目を閉じて呼吸を整える。額に浮かんだ汗は頬を伝い、ぽたりと膝についた手に落ちた。
「はぁ……はぁ……」
呼吸が整ってきて、女はきつく瞑っていた目を開けた。視線を足元に落としたまま、女は1つ、深く息を吐く。冷静さを取り戻してきた女の背には、走ってきたのとはまた違う汗が伝っていた。
(どうして……何故あの男がここに……?)
クロコダイルの「作戦」についての調べ物があって図書館に来ていたニコ・ロビンは、早番で昼過ぎには仕事を終えたネーナと、彼女が見つけて気になっているという新しいカフェで、仕事終わりにお茶をしようと約束していた。そのはずが、ネーナとの待ち合わせ場所にいたのは、ロビンとは浅からぬ因縁のある男──海軍大将・青雉こと、クザンであった。
ブルッ、と身体が震える。ロビンはその細い両腕で、自分で自分を守るように包み込んだ。湿っぽく黴臭い空気が漂う路地裏にしゃがみ込み、誰にも見つからないように、小さく小さく丸くなる。彼女の脳裏には、幼い日の忘れられない光景が、つい昨日のことのようにありありと浮かんでいた。
逃げ惑う人々の悲鳴。自分に優しくしてくれた人を襲う、無慈悲な銃声。絶え間ない砲撃。誇り高い母の横顔と、その悲痛な叫び声。燃え盛る故郷。罪のない島民達に向けられた「正義」の砲弾。吹き飛び、燃え落ちる船。自分を守り、最後まで笑顔を崩さなかった大男の、可笑しな笑い声──。
先程逃げた野良猫が戻ってきて、ロビンの足元でにゃお、と小さく鳴き声をあげたが、彼女の耳には届かなかった。
どれくらい、そうしていただろうか。
足元に温もりを感じて、はた、とロビンは我に返る。見れば、先程の野良猫が、彼女の体温に寄り添うかのように、その足元で丸まって眠っていた。ロビンは恐る恐る、その頭を撫でる。野良猫は寝ぼけたような、甘えたような声でにゃあ、と小さく鳴き、くあぁ、と欠伸をしてみせた。
ロビンはもう一度その頭を撫でようと手を伸ばし掛けたが、ピタリとその手を止めた。
(──もし、引っ掻かれたら)
幼くして指名手配犯となったロビンは、オハラから逃げ延びた後も、辛い日々を送った。
優しいと思っていた人が懸賞金目当てに彼女のことを売ろうとしたり、彼女が身を寄せた組織が悉く、彼女を追う海軍に攻撃されたことで疫病神扱いされたり。そのせいで彼女は、人の優しさだとか温もりだとか、そういったものを信じる事に、極端に慎重になっていた。
そんなときだった。
王下七武海が一、サー・クロコダイル。彼の野望を叶え得る力──歴史の本文 を読み解く力を持つことでその目に留まったロビンは、彼の率いる秘密犯罪結社・B・W のNo.2として迎えられた。
クロコダイルが彼女に寄せる期待は大きく、また、クロコダイルが王下七武海で海軍とは協力関係にあることから、彼を隠れ蓑にしていれば、命の危険が及ぶ可能性はこれまでに比べると格段に減った。
ロビンは、クロコダイルの野望にはとんと興味などない。だが、王下七武海であるこの男の下でなら、身の危険を最小限に止めつつ、彼女が幼い頃から求めてきた歴史の本文 の行方を追うことが出来る。ロビンは自身の目的のために、彼の元で従順な部下を演じることを選んだ。クロコダイル自身が能力者であり、彼女の能力を恐れなかったというのも大きい。安らぎ、などという温かなものではないが、B・W の中には確かに、彼女の居場所があった。
そこに、彼女──ネーナが現れた。
物心ついた頃には既に能力者だったロビンは、年の頃が近い子供達にはその特異な能力を気味悪がられ、友達と呼べるような相手がいなかった。家族にも辛く当たられていた彼女を温かく受け入れてくれた考古学者の皆や、彼女に笑い方を教えてくれた男も──既に遠いところへと行ってしまった。彼女はもう長い事ずっと、孤独だった。
そんな中で出逢った、彼女の能力を恐れることなく、笑顔を向けてくれる相手。本名を明かすことで自分を海軍に突き出すのでは、と彼女を試したこともあったが、ネーナは「ニコ・ロビン」という女が賞金首であることをそもそも知らないのか、彼女を売るような真似はしなかった。
カジノの支配人と、その店の看板ディーラーという立場の壁を超えて、2人は親しくなっていった。ネーナのことなら信じられるかもしれない。そう思えば思う程に、ネーナがB・W の作戦に巻き込まれてしまうのではないかと心配になり、クロコダイルに楯突くような態度を取ってしまうこともあった程だ。
(──それが、このザマね)
どうして守りたいと思うものほど、手から零れ落ちていってしまうのだろう。ネーナがまさか海軍大将──しかも、よりにもよって青雉──と通じているなんて、思ってもみなかったのに。
(体調を崩した人を放っておけない、と言っていたわ)
──つい今しがた助けたばかりの、見ず知らずの他人とは思えないくらいに、2人は親しげだったわ。
(海軍と通じているのなら、何故私のことを捕らえようとしないの?)
──私よりももっと大物……ボスの動きを最初から探ろうとしていたんじゃないの?
(そんなわけない! だってあの子はここに来る前、南の海 の一介のカジノディーラーだった!!)
──でも、そのカジノの支配人は、裏でやっていた商売がバレて、捕まった。そしてその後、彼女の捜索願は取り消されてる。彼女が最初から海軍と通じているのなら、有り得る話だわ。
ネーナのことを信じたい気持ちと、彼女は海軍の密偵なのではないかと疑う気持ちが、ロビンの思考と心を掻き乱す。いつの間にか、その足元から猫はいなくなってしまっていた。
──もし、ネーナが密偵だとしたら。
海軍大将である青雉と接触していたということは、彼女はクロコダイルの目論見に関して、既に重要な情報を手にしたのかもしれない。彼女の口からダンスパウダーの名が出たのも、そのせいなのではないか。銃を扱える、というのも、彼女が海軍の人間で訓練を受けた結果だとしたら、十分に肯ける話だ。
──もしそうなら、私は。
「はぁ……はぁ……はぁ……っ!」
項垂れて両膝に手をつき、ぎゅっと目を閉じて呼吸を整える。額に浮かんだ汗は頬を伝い、ぽたりと膝についた手に落ちた。
「はぁ……はぁ……」
呼吸が整ってきて、女はきつく瞑っていた目を開けた。視線を足元に落としたまま、女は1つ、深く息を吐く。冷静さを取り戻してきた女の背には、走ってきたのとはまた違う汗が伝っていた。
(どうして……何故あの男がここに……?)
クロコダイルの「作戦」についての調べ物があって図書館に来ていたニコ・ロビンは、早番で昼過ぎには仕事を終えたネーナと、彼女が見つけて気になっているという新しいカフェで、仕事終わりにお茶をしようと約束していた。そのはずが、ネーナとの待ち合わせ場所にいたのは、ロビンとは浅からぬ因縁のある男──海軍大将・青雉こと、クザンであった。
ブルッ、と身体が震える。ロビンはその細い両腕で、自分で自分を守るように包み込んだ。湿っぽく黴臭い空気が漂う路地裏にしゃがみ込み、誰にも見つからないように、小さく小さく丸くなる。彼女の脳裏には、幼い日の忘れられない光景が、つい昨日のことのようにありありと浮かんでいた。
逃げ惑う人々の悲鳴。自分に優しくしてくれた人を襲う、無慈悲な銃声。絶え間ない砲撃。誇り高い母の横顔と、その悲痛な叫び声。燃え盛る故郷。罪のない島民達に向けられた「正義」の砲弾。吹き飛び、燃え落ちる船。自分を守り、最後まで笑顔を崩さなかった大男の、可笑しな笑い声──。
先程逃げた野良猫が戻ってきて、ロビンの足元でにゃお、と小さく鳴き声をあげたが、彼女の耳には届かなかった。
どれくらい、そうしていただろうか。
足元に温もりを感じて、はた、とロビンは我に返る。見れば、先程の野良猫が、彼女の体温に寄り添うかのように、その足元で丸まって眠っていた。ロビンは恐る恐る、その頭を撫でる。野良猫は寝ぼけたような、甘えたような声でにゃあ、と小さく鳴き、くあぁ、と欠伸をしてみせた。
ロビンはもう一度その頭を撫でようと手を伸ばし掛けたが、ピタリとその手を止めた。
(──もし、引っ掻かれたら)
幼くして指名手配犯となったロビンは、オハラから逃げ延びた後も、辛い日々を送った。
優しいと思っていた人が懸賞金目当てに彼女のことを売ろうとしたり、彼女が身を寄せた組織が悉く、彼女を追う海軍に攻撃されたことで疫病神扱いされたり。そのせいで彼女は、人の優しさだとか温もりだとか、そういったものを信じる事に、極端に慎重になっていた。
そんなときだった。
王下七武海が一、サー・クロコダイル。彼の野望を叶え得る力──
クロコダイルが彼女に寄せる期待は大きく、また、クロコダイルが王下七武海で海軍とは協力関係にあることから、彼を隠れ蓑にしていれば、命の危険が及ぶ可能性はこれまでに比べると格段に減った。
ロビンは、クロコダイルの野望にはとんと興味などない。だが、王下七武海であるこの男の下でなら、身の危険を最小限に止めつつ、彼女が幼い頃から求めてきた
そこに、彼女──ネーナが現れた。
物心ついた頃には既に能力者だったロビンは、年の頃が近い子供達にはその特異な能力を気味悪がられ、友達と呼べるような相手がいなかった。家族にも辛く当たられていた彼女を温かく受け入れてくれた考古学者の皆や、彼女に笑い方を教えてくれた男も──既に遠いところへと行ってしまった。彼女はもう長い事ずっと、孤独だった。
そんな中で出逢った、彼女の能力を恐れることなく、笑顔を向けてくれる相手。本名を明かすことで自分を海軍に突き出すのでは、と彼女を試したこともあったが、ネーナは「ニコ・ロビン」という女が賞金首であることをそもそも知らないのか、彼女を売るような真似はしなかった。
カジノの支配人と、その店の看板ディーラーという立場の壁を超えて、2人は親しくなっていった。ネーナのことなら信じられるかもしれない。そう思えば思う程に、ネーナが
(──それが、このザマね)
どうして守りたいと思うものほど、手から零れ落ちていってしまうのだろう。ネーナがまさか海軍大将──しかも、よりにもよって青雉──と通じているなんて、思ってもみなかったのに。
(体調を崩した人を放っておけない、と言っていたわ)
──つい今しがた助けたばかりの、見ず知らずの他人とは思えないくらいに、2人は親しげだったわ。
(海軍と通じているのなら、何故私のことを捕らえようとしないの?)
──私よりももっと大物……ボスの動きを最初から探ろうとしていたんじゃないの?
(そんなわけない! だってあの子はここに来る前、
──でも、そのカジノの支配人は、裏でやっていた商売がバレて、捕まった。そしてその後、彼女の捜索願は取り消されてる。彼女が最初から海軍と通じているのなら、有り得る話だわ。
ネーナのことを信じたい気持ちと、彼女は海軍の密偵なのではないかと疑う気持ちが、ロビンの思考と心を掻き乱す。いつの間にか、その足元から猫はいなくなってしまっていた。
──もし、ネーナが密偵だとしたら。
海軍大将である青雉と接触していたということは、彼女はクロコダイルの目論見に関して、既に重要な情報を手にしたのかもしれない。彼女の口からダンスパウダーの名が出たのも、そのせいなのではないか。銃を扱える、というのも、彼女が海軍の人間で訓練を受けた結果だとしたら、十分に肯ける話だ。
──もしそうなら、私は。
