知らぬが仏
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「このところ、雨の日がめっきり減ってるっていう話なの」
ビビちゃんは、テラコッタさんがお茶を置いて部屋を出て行くなり、そう切り出した。私は突然の話題に、白磁のシュガーポットから角砂糖を1つ取り出しながらきょとんとする。だが、見つめたビビちゃんの表情は真剣そのものであった。
「ねぇ、アニーさんもそう思う?」
「うーん、私はまだアラバスタに来て日が浅いから……砂漠だし、こういうもんなのかな、とは思ってたけど」
「あぁ、そっか……」
そう言って、ビビちゃんは肩を竦める。その様子から、どうやら彼女にとって、雨が降らないということは由々しき事態であるらしい。私はぽちゃん、と静かにティーカップに砂糖を沈めると、シュガーポットを手渡しながらビビちゃんに訊ねた。
「普段はもっと降るものなの? 雨って」
「うーん……それが……」
ビビちゃんはシュガーポットを受け取りながら、言葉を濁す。彼女らしくない歯切れの悪さに、私は違和感を感じて首を傾げた。
「私自身は、そんなに雨が減った、とは感じていないの。むしろいつもよりは多いくらい……ただ、アルバーナ以外の地域からは、いっぱい陳情書が来てるらしいのよ」
ビビちゃんはシュガーポットから角砂糖を3つ取ると、2つを紅茶に、1つをそのまま口へと放り込んだ。ポニーテールに纏めた綺麗な髪を指先でクルクルと弄びながら、彼女は唇を尖らせる。私はスプーンで紅茶を掻き混ぜながら、そういえば、と口を開いた。
「この間レインベースに雨が降ったときに、貴族のお客様が店にいらっしゃったけど……その方は雨を見て『珍しい』って言ってたなぁ」
「ホント?!」
ビビちゃんが声をあげて、ガタッと椅子から立ち上がる。その勢いに驚いてうんうんと無言で頷くと、ビビちゃんは腕組みをして何やらぶつぶつと呟き始めた。
「レインベースは名前の通り、アラバスタでは比較的雨の多い土地よ……? そこで雨が降って『珍しい』って言われるってことは、やっぱり雨は減ってるんだわ……」
何やら思案に耽る彼女の横顔は、若干11歳とは思えない程険しいものになっていた。やがて、ぽかん、として見つめる私の視線に気が付いたのか、ビビちゃんはハッとして椅子に座り直すと、困ったように笑いながらごめんね、と謝罪の言葉を告げた。
「ちょっと前に、チャカとペルがパパと話していたのを聞いたの。最近送られてくる陳情書に、雨が減って困ってる、っていうものが多いって」
「そうなんだ……」
私は紅茶を啜りながら相槌を打つ。だが私は、「雨が降らなくて困る」、という感覚が、今一つ分からないでいた。
私の故郷である南の海 では、雨といえば雷を伴う激しいものが多かった。そのせいで川の水が氾濫し、家が流されてしまったり、農作物が被害に遭ったりと、正直雨に対してあまりいい印象は持っていない。そのため、暑くはあるが、晴れる日の多いこの国の気候は、私にとってはとても好ましいものに思えていたのだ。
「雨が降らないって、いいことだと思ってたけどなぁ……」
無意識に、ぽつりと口をついて出た言葉。その言葉にビビちゃんが血相を変えたのは、ほんの数瞬後のことであった。
「ダメよ! 雨が降らないと、たくさんの人達が困っちゃう!! 貴族やお金持ちの人達はサンドラ河から水を引けるけど、そうじゃない人達にとって、雨は貴重な水源なのよ?!」
顔を歪め、悲痛な面持ちで私を見つめるビビちゃんの様子に、私は自分が如何に考え無しに言葉を発したかを痛感した。まだ幼いながらも国民のことを思って心を痛めているこの国の王女に、私は真っ直ぐ向かい合って、敬意と謝意を込めて頭を下げた。
「──そうだね、今の言葉は軽率だった。ごめん」
「──いいの、私の方こそごめんなさい。雨なんて、人間の力でどうこう出来るものじゃないんだから、悩んだって愚痴ったってしょうがないわよね……」
雨なんて、人間の力で──。その言葉を聞いたとき、脳の片隅で何かがチカッと瞬いた。それが何なのかを見出そうと、私は記憶の糸を手繰り寄せる。だが、脳にはどんよりと雲がかかって、その正体まで辿り着くことは出来ない。何とも言えないもどかしさに、私は眉間に皺を寄せた。
「ねぇ、アレってなんて言ったっけ。あの、人工的に雨を降らせるっていう物質?みたいなやつ」
レインディナーズがオープンして、早1カ月。店の様子を報告しに王への謁見を賜っていたクロコダイルとレインベースへ帰る道すがら、私は無口な後ろ姿に向かって尋ねた。ぴくり、と僅かにその肩が揺れる。と、次の瞬間──
「……っ!」
ビリッ、と、周囲の空気が凍てつくのを感じて、私の肌は粟立った。その気配は、私達を乗せて軽快に走っていたアンにも感じ取れたらしく、クロコダイルが手綱を引いたわけでもないのに、アンは急に足を踏ん張ってブレーキを掛ける。それと同時に全身を襲った重力によって、私の身体は前へと思い切りつんのめった。
「あっぶな……何?! どうしたの、急に!?」
私は慌てて、辺りを見回す。こんな見通しの良い砂漠のど真ん中で事故など起きようはずもないが、もしかすると野生生物か何かが飛び出してきたのかもしれない。アンは何かに怯えるかのように、カタカタと小刻みに震えていた。一体どうしたというのだろう。様子を見ようとその背から降りようとした私を、低く冷たい声が遮った。
「──何故、急にそんな事を聞く」
「……え?」
何のことだか分からずに戸惑う私の瞳を、クロコダイルのそれが捉える。瞬間。海王類のそれを思わせる鋭い眼光に、私の身体はビクリ、と動きを封じられた。
「“ダンスパウダー”──お前の言う物質の名だ。だが何故急に、そんな事を聞いた」
「そ……それは」
思い出せずにいたその名が、脳裏に微かにあった知識と結び付き、形を成す。それと同時に、唇が渇いていく。ギリギリと麻縄で締め付けられるような感覚が、全身を襲う。怖い。そう思って初めて、私は目の前の美しい男が、れっきとした海賊であることを思い出した。
「王女様と、話していたの。このところ、めっきり雨が降らなくなった、って。それでその、ダンスパウダーがあれば、雨を降らせることが出来るのになって思って──」
浅く小さく呼吸をしながら、やっとの思いで言葉を紡ぐ。身体はみっともなく震えていた。そんな姿を見て呆れたのか、クロコダイルは私の言葉が途切れるのを見届けると、フン、とつまらなそうに小さく息を吐いて視線を逸らした。
「──馬鹿の浅知恵だな。アレはとうに、その問題点を指摘されて、製造も所持も禁止されている」
「そ、そうだっけ……?」
ビビちゃんは、テラコッタさんがお茶を置いて部屋を出て行くなり、そう切り出した。私は突然の話題に、白磁のシュガーポットから角砂糖を1つ取り出しながらきょとんとする。だが、見つめたビビちゃんの表情は真剣そのものであった。
「ねぇ、アニーさんもそう思う?」
「うーん、私はまだアラバスタに来て日が浅いから……砂漠だし、こういうもんなのかな、とは思ってたけど」
「あぁ、そっか……」
そう言って、ビビちゃんは肩を竦める。その様子から、どうやら彼女にとって、雨が降らないということは由々しき事態であるらしい。私はぽちゃん、と静かにティーカップに砂糖を沈めると、シュガーポットを手渡しながらビビちゃんに訊ねた。
「普段はもっと降るものなの? 雨って」
「うーん……それが……」
ビビちゃんはシュガーポットを受け取りながら、言葉を濁す。彼女らしくない歯切れの悪さに、私は違和感を感じて首を傾げた。
「私自身は、そんなに雨が減った、とは感じていないの。むしろいつもよりは多いくらい……ただ、アルバーナ以外の地域からは、いっぱい陳情書が来てるらしいのよ」
ビビちゃんはシュガーポットから角砂糖を3つ取ると、2つを紅茶に、1つをそのまま口へと放り込んだ。ポニーテールに纏めた綺麗な髪を指先でクルクルと弄びながら、彼女は唇を尖らせる。私はスプーンで紅茶を掻き混ぜながら、そういえば、と口を開いた。
「この間レインベースに雨が降ったときに、貴族のお客様が店にいらっしゃったけど……その方は雨を見て『珍しい』って言ってたなぁ」
「ホント?!」
ビビちゃんが声をあげて、ガタッと椅子から立ち上がる。その勢いに驚いてうんうんと無言で頷くと、ビビちゃんは腕組みをして何やらぶつぶつと呟き始めた。
「レインベースは名前の通り、アラバスタでは比較的雨の多い土地よ……? そこで雨が降って『珍しい』って言われるってことは、やっぱり雨は減ってるんだわ……」
何やら思案に耽る彼女の横顔は、若干11歳とは思えない程険しいものになっていた。やがて、ぽかん、として見つめる私の視線に気が付いたのか、ビビちゃんはハッとして椅子に座り直すと、困ったように笑いながらごめんね、と謝罪の言葉を告げた。
「ちょっと前に、チャカとペルがパパと話していたのを聞いたの。最近送られてくる陳情書に、雨が減って困ってる、っていうものが多いって」
「そうなんだ……」
私は紅茶を啜りながら相槌を打つ。だが私は、「雨が降らなくて困る」、という感覚が、今一つ分からないでいた。
私の故郷である
「雨が降らないって、いいことだと思ってたけどなぁ……」
無意識に、ぽつりと口をついて出た言葉。その言葉にビビちゃんが血相を変えたのは、ほんの数瞬後のことであった。
「ダメよ! 雨が降らないと、たくさんの人達が困っちゃう!! 貴族やお金持ちの人達はサンドラ河から水を引けるけど、そうじゃない人達にとって、雨は貴重な水源なのよ?!」
顔を歪め、悲痛な面持ちで私を見つめるビビちゃんの様子に、私は自分が如何に考え無しに言葉を発したかを痛感した。まだ幼いながらも国民のことを思って心を痛めているこの国の王女に、私は真っ直ぐ向かい合って、敬意と謝意を込めて頭を下げた。
「──そうだね、今の言葉は軽率だった。ごめん」
「──いいの、私の方こそごめんなさい。雨なんて、人間の力でどうこう出来るものじゃないんだから、悩んだって愚痴ったってしょうがないわよね……」
雨なんて、人間の力で──。その言葉を聞いたとき、脳の片隅で何かがチカッと瞬いた。それが何なのかを見出そうと、私は記憶の糸を手繰り寄せる。だが、脳にはどんよりと雲がかかって、その正体まで辿り着くことは出来ない。何とも言えないもどかしさに、私は眉間に皺を寄せた。
「ねぇ、アレってなんて言ったっけ。あの、人工的に雨を降らせるっていう物質?みたいなやつ」
レインディナーズがオープンして、早1カ月。店の様子を報告しに王への謁見を賜っていたクロコダイルとレインベースへ帰る道すがら、私は無口な後ろ姿に向かって尋ねた。ぴくり、と僅かにその肩が揺れる。と、次の瞬間──
「……っ!」
ビリッ、と、周囲の空気が凍てつくのを感じて、私の肌は粟立った。その気配は、私達を乗せて軽快に走っていたアンにも感じ取れたらしく、クロコダイルが手綱を引いたわけでもないのに、アンは急に足を踏ん張ってブレーキを掛ける。それと同時に全身を襲った重力によって、私の身体は前へと思い切りつんのめった。
「あっぶな……何?! どうしたの、急に!?」
私は慌てて、辺りを見回す。こんな見通しの良い砂漠のど真ん中で事故など起きようはずもないが、もしかすると野生生物か何かが飛び出してきたのかもしれない。アンは何かに怯えるかのように、カタカタと小刻みに震えていた。一体どうしたというのだろう。様子を見ようとその背から降りようとした私を、低く冷たい声が遮った。
「──何故、急にそんな事を聞く」
「……え?」
何のことだか分からずに戸惑う私の瞳を、クロコダイルのそれが捉える。瞬間。海王類のそれを思わせる鋭い眼光に、私の身体はビクリ、と動きを封じられた。
「“ダンスパウダー”──お前の言う物質の名だ。だが何故急に、そんな事を聞いた」
「そ……それは」
思い出せずにいたその名が、脳裏に微かにあった知識と結び付き、形を成す。それと同時に、唇が渇いていく。ギリギリと麻縄で締め付けられるような感覚が、全身を襲う。怖い。そう思って初めて、私は目の前の美しい男が、れっきとした海賊であることを思い出した。
「王女様と、話していたの。このところ、めっきり雨が降らなくなった、って。それでその、ダンスパウダーがあれば、雨を降らせることが出来るのになって思って──」
浅く小さく呼吸をしながら、やっとの思いで言葉を紡ぐ。身体はみっともなく震えていた。そんな姿を見て呆れたのか、クロコダイルは私の言葉が途切れるのを見届けると、フン、とつまらなそうに小さく息を吐いて視線を逸らした。
「──馬鹿の浅知恵だな。アレはとうに、その問題点を指摘されて、製造も所持も禁止されている」
「そ、そうだっけ……?」
