さようならを今日に告ぐ
Name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
*****
ドフラミンゴを1人残してバーを出た私は、火照った頬を撫でる砂漠の夜風の冷たさに、目を細めた。アルコールは確実に体を廻っているが、思考ははっきりとしている。私はしっかりとした足取りで、路地を抜けて足早にレインディナーズへと戻った。
店に戻ると、灯りは全て消えていた。キャッシャーの締め作業も、レストランでの打ち上げも全て終わって、皆既に帰ってしまったらしい。まだ誰か残っていたら、1杯だけでいい、付き合って欲しかったのに。そんなことを考えながら、私は店を出てくるときにクロコダイルから預かった鍵を使って、裏口を開けた。
暗く広い店内はしんと静まり返って、ほんの数時間前までの賑わいが幻のように思えた。足元の防犯用の常夜灯を頼りに、地下へと通じる扉へと向かう。コツ、コツ、と、ヒールの音が誰もいないフロアに反響して、空気を震わせた。営業中の熱気を失ったフロアは肌寒く、どこかもの寂しい。私はなんとはなしに歩みを早めると、性急に扉の中へと飛び込んだ。
「──戻ったか」
パタン、と扉を閉めたのと同じタイミングで響いた低い声に、私は驚く。見れば、階段を下りた先の巨大な水槽の前に、クロコダイルが葉巻を吸いながら佇んでいた。水槽の水がゆらり、揺らめいて彼の顔に影を落としている。その様はとても幻想的で、私は暫し言葉を忘れた。
「──おい、聞いてるのか」
「あ……ごめん。まだ起きてたの?」
「……酒が入って、眠れなかっただけだ。俺を無理矢理打ち上げに参加させるとは……うちのディーラー連中も、お前に似てなかなか肝の据わった連中だな」
「ふふっ、そっか」
帰りを待っていてくれたのか、などと、淡い期待をしてしまった自分と、珍しく疲れの色を顔に浮かべているクロコダイルが可笑しくて、私はクスクスと笑う。
階段を下りて、水槽の前に立つクロコダイルの隣に並ぶ。暫く互いに黙って目の前に広がる水の世界を眺めていると、分厚いガラスの向こうでコポ、と水泡が揺らめき、巨大な口と鋭い目をした生き物が姿を現した。バナナワニというらしいその生物は、水中で、その巨体に似合わぬ機敏さを以て、優雅に身を躍らせる。その様子を眺めながら、不意に、クロコダイルが呟いた。
「──それで、アイツはどうしたんだ」
「……アイツって?」
わざとらしくしらばっくれた私を、クロコダイルが忌々しげに睨み付ける。私は笑いながらごめん、と平謝りしてみせた。
「勿論、最初っから相手にしてないよ。所有者様のご意向には逆らえませんので」
「──そうか」
おどけてみせた私とは裏腹に、クロコダイルは素っ気無く応えた。期待はもともとしていないけれど、そこまで興味が無いように振る舞われると、なかなかに傷付くものである。心の中でちぇっ、と悪態をつきながら、私は踵を返して部屋に続く廊下へと足を踏み出した。
「──もし、俺が」
「……?」
突然背後から声を掛けられて、私は歩みを止める。振り返ると、クロコダイルは相変わらず水槽を見つめながら、けれどどこか真剣な眼差しで、言葉の続きを紡いだ。
「『お前の好きにしろ』と──そう言っていたら、お前はどうしていた」
振り返ったクロコダイルの瞳が妖しく揺れて、私の姿を捉えた。その射抜くかのような眼差しに、ドクン、と心臓が大きく脈打つ。
何故この男は、こんな事を聞くのだろう。何と答えれば、この男は満足なのだろう。答えは1つしかないはずなのに、仕舞い込んだはずの馬鹿げた淡い期待が首を擡げて、それを言うのを押し留めた。彼が求めているのは、「カジノ・レインディナーズの看板ディーラー、ミス・アニヴェルセル」としての答えなのか。それとも、「1人の女、ネーナ」としての答えなのか。そんなこと、悩む必要などありはしないのに。
「そんなの、決まってるじゃない」
──そんなの、決まってるじゃない。
「私はもう、レインディナーズのディーラーなんだから」
──私はもう、貴方の虜なんだから。
「今更帰るあてもないのに、逃げ出したりなんかしないよ」
──今更ドフラミンゴの元に、帰ったりなんかしないよ。
彼の欲している答えは、「ミス・アニヴェルセル」としての、それ。分かっているのに、その言葉の裏にはどうしても、彼がこちらの意味で聞いていたとしたら……なんて、自分の希望が滲んでしまう。ほろ苦い本音を隠して、私は笑顔を浮かべた。皮肉にも、アイツに命じられて、ステラが私に教えた、感情の隠し方。今の私は、巧く笑えているだろうか。
「──そうか」
私の答えを聞いて満足だったのか不満足なのか、判断がつけられないような淡々とした声で、クロコダイルは静かに応じる。彼は再びバナナワニの躍る水槽へと視線を戻すと、ふーっと葉巻の煙を吐き出した。
「──うん。……もう、戻っていい? 明日も仕事だし、私は先に休むね」
「──ああ」
それ以上深く追及することなく、クロコダイルはこちらに一瞥もくれずに応えた。それを見届けると、私は小走りに部屋へと駆け込む。後ろ手にバタン、と閉めたドアに背を預けると、私は大きく1つ、息を吐いた。
心というものが、体のどの部分に宿っているのかは知らない。だがそれは確実に、私の体内に存在していて、どことは知れず痛みを訴えていた。
自分はいつから、こんなに我儘になっていたのだろう? 飼い慣らされていた場所から解き放たれて、自由な場所で、愛しい人の傍に置いてもらえる。ただそれだけで充分だったはずなのに。看板ディーラーとして、1人だけ他とは違う制服を与えられ、カフスまでプレゼントしてもらっておいて尚──私の心はもっと特別なものを欲しがっている。
(──それは、あまりに我儘が過ぎるよ、ネーナ……)
心の中で、自分を戒める。酔っているのかもしれない。それか、ドフラミンゴの遠慮ない愛の礫に中てられたのかも。私はふ、と小さく笑うと、扉から離れ、ローテーブルに置かれていたピッチャーとグラスを手に取った。ピッチャーを傾けて、グラスを夜の空気で自然に冷やされた水で満たす。くん、とそれを飲み干せば、胸の中のもやもやとしたものが、少しは晴れた気がした。拭き取り用のメイク落としで簡単に顔を拭い、部屋着に着替え、ベッドに潜り込む。シャワーは明日の朝浴びよう、などと考えていると、途端に今日一日の疲れが睡魔となって襲いかかってくる。私はそれに抗うことを一切せず、特別だった長い一日に、別れを告げた。
......To be continued.
