権利と義務と我儘と
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「昨日クロコダイルが言ってた『俺の女』って、アレ──嘘なんですよ」
「あァ? そうなのか?」
「はい。多分、私を誘拐した、ってことになると捕まっちゃうけど、ああ言えば私の同意もあったことに出来る、と思ったんじゃないですかね?」
手に持ったフォークの先で、ころころとプチトマトを弄ぶ。ぷすり、と刺さった赤い実を口に運びながら、私は続ける。
「私とクロコダイルは、ディーラーと雇い主以外の何者でもなくて。従業員を守る以上の義務も感情も、そこにはないんです」
「……そうだったのか。それなら」
それまで腕組みをしながら私の話を聞いていたスモーカーさんは、咥えていた2本の葉巻を灰皿にぎゅっと押し付けると、私の目をじっと見つめた。クロコダイルと似てはいるが、彼のどこか影を帯びた瞳とは違い、意志の強い真っ直ぐな眼差しに、私は思わずたじろぐ。そんな私から目を逸らさずに、スモーカーさんは呟くように言葉を吐き出した。
「一海兵の俺にも、お前を守りたいと思う権利はないか?」
「え」
突然の言葉に驚いて、私はフォークの腹に乗せていたプチトマトを取り落とす。運悪くサラダボウルの縁に当たったそれは、コロコロと床に転がってしまった。あちゃー、と思っていたところへ、ウェイトレスが両手にパスタを持ってやってくる。
「お待たせいたしました、本日の日替わりパスタです」
男性は大盛りサービスですので、と言って、ウェイトレスはにこにこしながらスモーカーさんの前に皿を置く。そこには私の知っている大盛りのレベルを遥かに超えた量のパスタが山のように盛られていた。ウェイトレスはペコリと一礼すると、先程私が落としてしまったプチトマトを拾って厨房へと戻って行った。
「これは……まあ、海兵の野郎連中には嬉しいサービスだな」
スモーカーさんは小さく笑い、パスタの山にフォークを突き立ててくるくるとパスタを絡め取ると、大きく開けた口にそれを運んだ。
「お、美味いぞ。ネーナ、お前も食べてみろ」
「……あ、はい」
茫然としたままだった私を余所に、スモーカーさんは何事もなかったかのようにパスタを口へと運ぶ。さっきの言葉には答えるべきなのだろうか。独り言のように呟かれた言葉だったし、答えなど必要ないのかもしれない。それにしては、いやにじっと見つめられてはいたけれど……。
ぐるぐると渦巻く思考に翻弄される私の鼻腔を、バターのいい香りが擽る。……お腹が減っていては頭も回らないよな。私は一旦考えるのを止めることにして、フォークに手を伸ばした。
「ん! 美味しいですねコレ!! ソースにコクと酸味があって……何使ってるんだろ?」
「俺も初めて食べる味だ。アラバスタ特有の調味料なのかもな」
スモーカーさんの皿に盛られていたパスタの山は、既に残り半分程にまで小さくなっている。私はその豪快な食べっぷりに小さく笑うと、負けじとフォークを口へと運んだ。
本当に美味しい物を食べているとき、人は無口になる、とよく言われる。この店のパスタはまさにそういう食べ物で、私達2人は黙々とそれを口へと運び、咀嚼した。スモーカーさんの物は大盛りだったにも関わらず、見る間にその量を減らしていく。お互い寡黙に目の前の料理と向き合った結果、ものの15分もしないうちに、私達の皿は空になった。
「美味しかったぁ。あ、ごちそうさまです」
「恐れ入ります。女性のお客様にはデザートが付きますので、今お持ちしますね。食後のお飲物はコーヒーと紅茶、どちらになさいますか?」
「じゃあ、紅茶で。スモーカーさんはどうします?」
「そうだな、コーヒーをくれるか」
「かしこまりました」
食べ終わるとすぐにウェイトレスがやって来て、皿を下げていってくれた。目が行き届いているなぁ、と感心する。
ウェイトレスが厨房へと戻ったのを見届けると、スモーカーさんは懐から葉巻を2本取り出して、シガーカッターで先端を切り、口に咥えてマッチを擦った。そのまま葉巻にマッチの火を燃え移らせる様はとても手馴れている。ふわり漂う白煙の行方を目で追っていると、スモーカーさんが思い出したように口を開いた。
「俺は、お前の両親に代わって、お前を守りたいと思ってる」
一瞬、いきなり何を言い出すのかと思ったが、頭の中でさっきの話の続きだということが繋がると、私はああ、と頷く。私のその反応を見て、スモーカーさんは更に言葉を続けた。
「ただ、お前の両親に対しての罪滅ぼしとか、そういうのじゃねェんだ。お前ももういい大人だし、守るだなんてそんな権利も義務も、俺にはねェんだが……」
もどかしげにグシャグシャと髪の毛を掻き毟るスモーカーさんと私の前に、湯気を立てたカップが置かれる。辺りに広がる、挽きたてのコーヒーの香りと、茶葉の香り。私の目の前には、更にクレームブリュレが置かれた。わぁっ、と小さく歓声を上げた私を見て、スモーカーさんは目尻を下げる。
「あ、ごめんなさい! 美味しそうで、つい……」
「……いや、いい。早く食べろ、そろそろ店に戻らないとマズいだろ?」
「あっ、そうですね! 急がなくっちゃ……!!」
嬉々としてクレームブリュレにスプーンを入れる私を見つめながら、スモーカーさんが何か呟いたような気がしたが、私はすっかり表面のカリカリに焼かれたカラメルに心を奪われていて、その声は届かなかった。
店に戻ると、ホールには午前中程の賑わいはなかったが、昼食時ということもあり、今度は併設されたレストランが、人で溢れ返っていた。クロコダイルが各地から招聘したという一流シェフ達が、オープンキッチンで腕を振るう。客の表情を見れば、その腕の確かさは明らかだ。
私はクロコダイルの元に戻るスモーカーさんと別れ、一度地下に戻って財布を置いてからホールへと舞い戻った。空いていたポーカーテーブルの主が帰ったのを見るなり、私の帰りを待っていた客達がテーブルへと詰め寄る。私はお待たせいたしました、と一礼して、カードを手に取った。
楽しい時間というものはあっという間に過ぎ去ってしまうもので。特にこの店には、時間を気にせず楽しんでいただきたい、という趣旨で、店内に時計の類は設えられていない。
