唇泥棒注意報
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カジノは人生の縮図だと、私は思っている。堅実に勝ちを狙いにいく者、一発勝負に全てを賭ける者。一夜で富を得る者、一夜で何もかもを失う者。勝った男に擦り寄る女、負けた男から去っていく女。私はそんな悲喜交々、様々な表情を見ているのが好きだ。
Heaven's Bellでディーラーをしていた頃は、看板ディーラーの名を背負わせてもらってはいたが、個室でV.I.P.客を相手にするのが主だった。それは私にとって、さながら自由に飛べる翼を持っていながら鳥籠に飼い殺されているようなものだった。
「王下七武海が経営者なんだ、それ以上のV.I.P.なんているのか?」──そう言ってのけた不遜な海賊は、自分の店にV.I.P.ルームを作らなかった。お陰で、私はオープンホールで人生を眺めることが出来ている。飛べる場所を手に入れて、私はどこまでも自由だった。
──自由な、はずだった。
「おい……!」
入口の方から、クロコダイルの焦りと怒りを含んだ声が聞こえる。と、同時に。私のテーブルを囲むギャラリーの後ろに、ふわりと人影が「舞い降りた」。ギャラリーの壁よりも遥かに大きい「それ」は、私を見下ろして嗤う。
「フッフッフ……! お前、なんでこんな所にいやがる、ネーナ……!!」
オープン初日。この記念すべき日に、笑顔を絶やしてはいけない。自分に課した使命を全うするため、私は器用に、口角を上げたままドフラミンゴを睨み付けた。
「これはこれは……ようこそ、レインディナーズへ。ドンキホーテ・ドフラミンゴ様」
「おいおい……どうしたってんだ? ネーナ。お前はうちのファミリーにも認められている女だ。俺のことは『ドフィ』と呼べと、いつも言ってるだろう?」
ドフラミンゴの出現とその言葉に、ギャラリー達がざわつき始める。
王下七武海のドンキホーテ・ドフラミンゴじゃねェか! 「ネーナ」って? あの2人、知り合いなのか? もしかして、「コレ」か?
中には小指を立てて、私達2人の関係を勘繰る者まで出てくる始末。私は極力冷静に、もうすっかり慣れたその偽名を、色の濃いサングラスの向こうに潜んだ瞳を真っ直ぐ見つめながら名乗った。
「生憎ではございますが、私の名はミス・アニヴェルセルと申します──ドンキホーテ・ドフラミンゴ様。以後、お見知りおきを」
「フッフッフ! 成程……鰐野郎の指図か? あの野郎が好みそうな小難しい名前だもんなァ?」
ずいっ、とその巨体が1歩を踏み出すと、ギャラリー達が一斉に道を開ける。たった今まで混雑していたのに、実に悠々とポーカーテーブルの前まで歩み寄ったドフラミンゴは、その迫力に気圧されてそそくさと席を立った男をふん、と一瞥すると、私の目の前に座った。
「まァ、『記憶喪失プレイ』ってのも、大歓迎だぜ? 俺は──記憶は失っても、体だけは覚えてる、みてェによ……おっと」
ピッと首筋に当てられた冴えた感触に、ドフラミンゴは小さく両手を挙げて降参のポーズを取る。人差し指と中指に挟んで突き付けたカードは真新しく、その縁は扱いを間違えればうっかり指を切ってしまいそうな程鋭利だ。そんな私達の静かなる攻防に、席についていたゲームの参加者達は皆そろりそろりと席を立ってしまっていた。ギャラリー達も、先程まではテーブルに詰め寄らんばかりだったが、今では私達2人からなるべく距離を取ろうと、じりじりと後退している。
「……お言葉ですが。ここは『紳士淑女』が『健全』に遊ぶ店ですので、ドフラミンゴ様の仰られるような『遊び』には、私はお応えしかねます」
「フッフ! 言うようになったじゃねェか」
冷たく言い放った私の言葉も意に介さない様子で、ドフラミンゴは口角を吊り上げて笑い、テーブルに両肘をついて手を組んだ。背中をかなり丸めて、漸く私と視線の高さが同じになる。じっと見つめ返す瞳は、サングラスの向こうに隠れて窺い知ることが出来ない。
「あの野郎がどんな店を出したもんかと来てみれば、まさかお前がいるとはな……前の人形みてェに従順なのも悪くなかったが、反抗的なのもなかなかそそるじゃねェか、なァ? ネーナ」
「──!」
ぐん、と伸ばされた右腕を躱すことが出来ずに、徐に顎を掴まれる。マズい、と思った次の瞬間には、私は乱暴に、その唇を奪われていた。
殆ど噛み付くように唇を塞がれ、慌てて逃げ出そうと試みる。だが抵抗は空しく、あろうことか私の腕は、するすると不敵なにんまり顔をぶら下げる首へと回されていった。抱きつくようなその恰好に、ギャラリーがどよめく。
「んぅ……っ!」
背筋に悪寒が走る。閨で何度となく使われたこの男の能力。意思とは関係なくきつく頭を抱き寄せる自分の手に、固く閉じた瞳から涙が滲んできた。執拗に、真一文字に結んだ唇をなぞっていた舌が、無理矢理口腔内に侵入してこようとした、その時だった。
ぐっ、とくぐもった声と共に、私の手を操っていた「糸」が切れる。首に回していたそれがぱたりと落ちるのと同時に、私の顎を捕らえていたドフラミンゴの手も力を失った。それだけに止まらず、ドフラミンゴは全身の力が抜けたかのように、ポーカーテーブルに肘を突いて、やっとのことで上体を起こしていた。その額にはじんわりと汗が浮かんでいて、表情もどこか苦しげだ。
何が起きたのか分からずに目を白黒させていると、その大き過ぎる背中の向こうから、葉巻の煙がゆらりと立ち上った。次いで覗いたのは、苦々しげに歪められた眼光鋭い顔。私は安堵して、思わずその名前を口にしていた。
「スモーカーさん……」
「大丈夫か、『ミス・アニヴェルセル』」
慣れない口ぶりで偽名を呼ぶ彼の手には、十手が握られている。それは背中に突き付けられているだけなのだが、どういうわけか、ドフラミンゴには堪らなく辛いらしい。力無くも睨みを利かせる王下七武海と、それに射殺さんばかりの視線を返す海兵。その背後に、サァッと砂漠の乾いた風が吹いた。
「──おい、フラミンゴ野郎……! テメェ、随分な真似をしてくれるじゃねェか……!!」
ギラリと殺意に光る、琥珀色の瞳。怒気を孕んだ、いつもより更にドスの利いた声。さっきまでうっとりしていた女性客達も震え上がるその姿に、私は酷く安心して、ぽろりと一筋涙を溢した。
「フッフッフ! 1人の女にご執心とは、らしくねェな? 鰐野郎」
「ふん……低俗な人間は何でもかんでもすぐに色恋に繋げやがる。そんなんじゃねェよ。その女はこの店の看板を背負って立つディーラーだ。テメェのような男とくだらねェ噂の的になられると困る、それだけだ」
「あァン?」
クロコダイルの言葉に、ドフラミンゴは腑に落ちない、といった顔をした。
