唇泥棒注意報
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後者のような気持ちの擦れ違いが、自ら命を絶ちたくなる程辛いものであるとすれば。私にはそれに生きながら耐え得る自信はない。私の命はクロコダイルの手の内にある。勝手に終わりを決めることなど、許されていないのだから。
──それならいっそ。
擦れ違うのは、向かい合って歩くからだ。初めから同じ方向を向いて歩いていれば、ずっと平行線で擦れ違うことなどない。店の繁栄のためだけに、私を擁したクロコダイル。私はその期待に応える、それだけ。それなら、わざわざ苦しい思いをして男女の仲にならずとも、ずっと一緒にいられるはずだから。我ながら乱暴な解決方法だとは思うが、そうでもしなければ自分を保てないほどに──
(私、クロコダイルのことが好きだ──)
ゴーン、ゴーン……
静まり返った部屋に厳かに響く、鐘の音。その音で我に返れば、部屋の柱時計は開店1時間前を示していた。
(いけない、ミーティング!)
私は慌てて部屋を出る。小走りに地下を抜けてフロアに着くと、ディーラー達は各々自分の得意とする種目のテーブルについて指慣らしをしていた。
(あれ……?)
途端に、感じる違和感。このフロアの中で、自分だけが異物かのような。私はミーティングついでにその違和感の正体を確かめようと、フロアの中心に設えられたポーカーテーブルに入り、大きく2回、手を叩いて皆の注目を集める。
「はーい! ミーティング始めるから、集まってー!!」
私の号令を聞いて、ディーラー達が集まってくる。私はその間に人数を数える。ちゃんと全員揃っていた。平静を装っているつもりなのだろうが、皆それぞれ表情筋が固まってしまっていたり、浮足立って落ち着かない様子だったり、こっちが心配になるくらい顔面蒼白だったり。緊張の仕方にも個性があるなぁ、と私は小さく笑う。全員の顔を見渡して、私は挨拶から始めた。
「おはようございます」
「「「おはようございます!」」」
「さて──あと1時間後にはいよいよオープンです。緊張してると思いますが、まずはお客さんに楽しんで帰ってもらえるように頑張りましょう!」
はい、と全員が返事をする。私はその声に、力強く頷いた。声を出せるなら大丈夫だ。体がガチガチに固まってしまう程の緊張感も、声を出すことで解れることがある。
その後は、今日の持ち場の確認とオープニングセレモニーの流れの確認をした。オープニングセレモニーといっても、ドアオープンと同時に全員で一礼をしてお客様を迎える、というだけのことなのだが、それだけでも、緊張している彼らには一大事らしい。わざわざメモしている者までいる。なんだか、自分がHeaven's Bellでデビューしたときの様子を見ているようで微笑ましかった。
「あ、ところでさぁ……」
ふと思い出して、私は一番近くにいた女性ディーラーに声を掛ける。彼女は緊張した面持ちで、はい?と小首を傾げながら振り向いた。
「それって、うちから支給された制服……?」
彼女はなんでそんな事を聞かれるのだろう?とでも言いたげな顔をして、そうですけど……と口籠る。どこか変なのかな?と確認するかのように彼女が見つめるその服は、私が昔着ていたのと同じように、Yシャツ以外黒一色で統一されていた。
「そ、そうなんだ……いや、ほら、なんで私だけ制服が違うのかなーって思って! えー、もしかしていじめ? やっだー!」
他のディーラー達も怪訝な顔をし始めたので、私は慌てて、フロアに入ったときから感じていた疑問を、笑顔で口にし、おどけてみせる。その疑問に、1人の男性ディーラーがあはは、と笑いながら答えた。
「そりゃァまァ、ミス・アニヴェルセルが特別だからですよ!」
「……っ!?」
今、可能性として一番聞きたくなかった答えだった。ちら、と手首に視線をやれば、他のディーラー達は皆同じシンプルなカフスを着けている。制服といいカフスといい、明らかに特別扱いされているとは思うが──
「なんてったって、うちの看板ディーラーですからね!」
続いた彼の言葉に、私はそうだよね?! そういう事だよね?!とホッとする。少しばかり皆とは違う扱いをされてるからといって、すぐ色恋沙汰に繋げるのは早計過ぎる。愚かしい勘違いをしなくて良かった、と、私は少し安心して小さく息を吐いた。
「おはよう、皆。ミーティングは終わった?」
カツカツと鳴るヒールの音と共に、ふわりと華やかな香りがフロアに広がる。振り返ると、そこにはこちらもミーティングを終えたのであろう、ロビンさんとクロコダイルが立っていた。ロビンさんは、いつもの露出度の高い服ではなく、クロコダイルと同じように、ガラビアを纏っている。ゆったりしたそれの上からでも分かる双丘の大きさには、同性でありながらも見惚れざるを得ない。
「「「おはようございます!」」」
「ふふ、皆やる気満々ね」
「ああ……結構だ」
滅多にフロアには顔を出さないクロコダイルが現れたことで、女性ディーラー達が色めき立つ。小声できゃぁきゃぁとはしゃぐ姿。私がこんな風に期待を背負わされているディーラーでなかったら、あの中に混じって憧れのオーナーに熱を上げることも出来ただろうか。そんなことを考えて、私は自嘲気味に笑った。
「ボスは入り口でお客様を迎えるんでしょう? あの子達みたいに、あなたに群がる女性が多いと混雑してしまうわ。誰か1人だけでも、警備の海兵を中に入れましょうか」
クロコダイルにポーッとなっている女性ディーラー達を見て、ロビンさんが指摘する。確かに、Heaven's Bellでもこの男前は、黄色い声をこれでもかという程浴びていたっけ。私は思い立って、ロビンさんに声を掛ける。
「それなら1人当てがあるので、私が連れて来ます。ミス・オールサンデー」
「あら、ホント? ありがとう、助かるわ」
「……! おい、まさかお前……!!」
ロビンさんのお礼を聞いて、私は小走りに裏口へと向かう。クロコダイルが背後で何か言っていたが、開店まで残り30分を切っている。構っている暇はなかった。
(早く見つけて戻らなきゃ……)
裏口から店の前の通りへ出ると、そこは既に多くの人でごった返していた。若い海兵達が声を張り上げて、整列するように客達に促している。私はその中に、見慣れた銀髪頭を探す。店内の整理くらい海兵なら誰でもいいとも思えたが、彼ぐらいの威圧感がないと、混雑時は対応しきれないと踏んだのだ。
「ネーナじゃねェか。どうしたんだ?」
「スモーカーさんっ!」
